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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第六章 失敗からも学びます。
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77 ゼロではない


田巻係長が問い合わせた結果、地域保健課の車を借りられることになった。係長が鍵をもらいに行っているあいだ、東堂さんと高品さんが大急ぎでアナウンスする文章を考えた。短くても誤解なく伝わる文章を考えるのは意外と大変そうだ。


現地には俺と係長で行くことに決まった。係長が運転して、俺がマイクでしゃべる。庁用車にはカーナビが付いていないそうで、新人で、しかも土地勘の無い俺が一人で行くのは無謀だということになったのだ。


蒼井さんの「飲み物を持って行った方がいいですよ」という声とみんなの「しっかりね」に送られ、区役所の名前入りの白い車に乗って、田巻係長と俺は出発した。


出発しておよそ15分。蒸し暑い車内にようやく冷房が行き渡ったころ、山側の隣の区に近い位置にある二ツ峰町の端に到着した。幹線道路から少し広めの脇道に入り、いったん車を停めて地図と景色を確認。住宅街の始まる地点からどのルートで回るかを決め、マイクの使い方を確かめた。そのころには東堂さんに渡された紙は、俺の手の汗でぐんにゃりし始めていた。


「かもめ区役所からお知らせします。」


緊張の中、最初の一言を発したとき、外から聞こえた自分の声に一瞬、びっくりした。それを抑えて次を読む。


「本日、税金の還付について、区役所を名乗る不審な電話がかけられています。銀行のATMを操作して、お金を受け取ることはできません。還付金を銀行の機械で受け取れるという内容はウソです。」


マイクで話すのは意外に難しい。耳に聞こえる自分の声に気を取られると、今、自分がどこを読んでいるのか、そして正しく読めているのか、わからなくなってしまう。


それに、徐行運転をしているとは言え、移動しながらのアナウンスだ。家の中にいる人がどの程度理解できているのかはわからない。


七、八分まわったころ、俺が軽くせき込んでしまったので、係長が公園の横で車を停めてくれた。そこでのどを潤すついでに地図を確認していると。


コンコン、と助手席の窓が叩かれた。年配の男性がいる。急いで窓を開けると、屈んで話しかけてきた。


「あんたたち、区役所?」

「はい、そうです。」


白いひげで表情が読めなくてちょっと怖い。怒っているのか、何か訊きたいだけなのか……?


「あのねえ、何の用?」

「はい……?」

「さっきから何か言ってるけど、何言ってるかちっとも分かんないんだよ。」

「え……?」


やっぱり怒っているみたいだ。思わず助けを求めて田巻係長を見た。係長がこちらに身を乗り出して「すみませんでした」と言った。


「詐欺の電話がかかってるみたいなので気を付けてくださいっていう内容なんですけど、聞き取れませんでしたか?」

「詐欺の電話?」

「税金を返すからってウソをついて、銀行の機械を操作させる手口なんです。」

「全然分かんなかったよ。ぐわんぐわん響いちゃってさ、うるさいだけ。」

「すみません……。」


俺のしゃべり方が下手だったのだ……。


「そんな大事なことならさ、もっとはっきり聞こえるように流してもらわないと。」

「そうですね。気を付けます。」

「すみません。」

「じゃ、頼むよ。」


恐縮する俺たちにサッと手を上げて、その人は歩き出して……すぐに戻ってきた。


「俺も知り合いに会ったら言っとくよ、注意しろって。」

「あ。」


(手伝ってくれるんだ!)


俺たちの気持ちが通じたんだ!


「ありがとうございます!」

「お願いします。」


もう一度無言で手を上げて、今度こそその人は歩み去った。その後ろ姿がとても頼もしく見えて、なんだかとても感動してしまった。


「あ、電話かな。」


ワイシャツの胸ポケットのスマホが震えている。取り出すと、高品さんからだ。


『あのね、こっちに地域の人から電話が入ってね。』

「電話ですか?」


係長にも分かるように復唱する。


『宇喜多さんの声がどうも聞き取りにくいらしくって。』

「あ、ああ……、こちらでも言われました。」


田巻係長に目くばせをすると、すぐに話の内容がわかったようだ。


『あのね、たぶん、男の人の声がダメなんだと思うの。』

「そうですか……。」


俺は役に立たないな……。


『でね、その車、CDなら流せるって聞いたんだ。だから、今からこっちで録音しておくから、一回帰って来てくれる?』

「はい。分かりました。」


電話を切って係長に伝えると、係長はすぐに車を発進させた。


「あの、すみませんでした……。」


一時の正義感で声を上げても、自分は何の戦力にもならない。それが情けない。


「僕、全然役に立ちませんね。みんな忙しいのに余計な仕事を増やしてしまったし、ここに来た時間も無駄になってしまいました……。」

「そんなことないよ。」


明るい声で田巻係長が言った。


「少なくともさっきの人には伝わったし、ちゃんと聞こえていた人もいたと思うよ。」

「そうでしょうか。」

「そうだよ。効果はゼロではないから全部が無駄ってわけじゃないよ。」

「そう……ですね。」


確かにゼロではない。でも、効率という点から見ると……。


「今回はあんまり要領が良くなかったかも知れないけど、一度こういうことを経験しておけば今後の参考になるよ。次のときはもっと素早く対処できるでしょ。」

「あ……、確かにそうですね。」


こんな事件にそんなにしょっちゅう出くわすことは無いだろう。けれど、この経験がそれぞれの今後の役所生活のどこかで役に立つかも知れない。かもめ区役所全体や各区の税務課で対処方法を共有することもできる。


(そうか。無駄じゃなかったんだ……。)


とてもほっとした。自分が迷惑をかけただけじゃないと分かって。


「緊急のときにみんなで協力して取り組めるのは嬉しいよね。」


係長が穏やかに言った。


「みんな忙しくても、市民の安全を優先して動いてくれてるわけでしょ。今回は宇喜多さんがその筆頭だったよね。」

「僕はただ言っただけで……。」

「被害を防ぎたいっていう気持ちがあったからでしょ? それに、良いと思ったことを遠慮しないで口に出せる職場っていいなあって思わない?」

「そう……ですね。」

「みんなも、『そんなことやっても無駄』って言わないで、できることを考えてくれたじゃない? 良い職場だよねえ。」

「あ……。」


確かにそうだ。


テレビなどでは、まるで公務員がきちんと仕事をしていないようなイメージで報道されることがある。でも、俺の周りの先輩たちにそんなひとはいない。


「戻ってCDをもらったら、今度は僕一人で大丈夫です。」

「そう?」

「はい。道もだいたい分かりましたから。」


提案は無駄ではなかった。そう思ったら、少し自信がついた。


アナウンスのCDは蒼井さんの声で録音されていた。録音でかなり緊張したらしく、頬が真っ赤になっていた。


そして、今度は係長が行かない代わりに、家屋の課税担当の野川さんを乗せていくことになった。ちょうど二ツ峰町の家屋の調査に行く予定だったそうだ。気軽に頼んでもらえたことも、助かったと喜んでもらえたことも嬉しかった。車中で建物の課税について教えてもらえたこともラッキーだった。


今回のことは、本当に思いがけない事件でとても驚いた。自分に関係のある場所で、ほぼリアルタイムで犯罪が進行しているなんて、とても嫌なことだ。誰も被害に遭っていないことを心から願う。


「う〜ん、なんだか疲れました。」


夕方、伸びをしながら言うと、隣でまだ赤い頬のままの蒼井さんが「わたしもです……」とつぶやいた。そんな俺たちにまわりのみんながねぎらいの笑顔を向けてくれた。


「今日はいつもと違うことをやったからね。二人ともお疲れさま。」

「いっ、いいえ! 頑張ったのは宇喜多さんです。わたしはちょっとしゃべっただけで。」


蒼井さんが慌てて謙遜する。


「あの、僕もただ運転しただけですから。」

「二人とも奥ゆかしいねえ。あははは。」

「でも本当に、わたしよりも宇喜多さんの方が時間もいっぱい使いましたし、文章考えたのは高品さんと東堂さんですし。」

「そ、そうですよ。車のことも、原さんが思い出してくれたから。」

「ごめんねー、俺、役に立たなくて。」


ちょうど窓口から戻って来た古森さんがつぶやいた。


「そんな、違います! 古森さんは窓口だったじゃないですか!」


驚いてフォローする蒼井さんを、みんなが「冗談に決まってるでしょ」と言って笑った。そう言われて、蒼井さんはしょげたような困ったような顔をした。


「そんな顔しないで、疲れたんなら今日は早く帰ったら?」


高品さんが先輩らしい様子で言った。すると東堂さんも蒼井さんにやさしく微笑んだ。


「それより、花火にでも行って来たら? 行ったこと無いんでしょう?」

「あ! そうだよ! 宇喜多くんに連れて行ってもらえばいいじゃん。」


(え?!)


驚いた様子で、蒼井さんがみんなの顔を見回した。最後に俺を。


(な、なんで?!)


先輩たちは俺の気持ちを知ってるのか? それとも単に面白がっているだけなのか?


みんなが俺の答えを期待しながら見守っているのがわかる。でも、肝心の蒼井さんは……?


「え、ええと。」


並んで花火を見上げている自分たちの後ろ姿が頭をよぎる。彼女を引き寄せる自分を想像して胸がときめく。


でも、先輩たちの視線のもと、断固として妄想は胸の奥に押し込めた。


「宗屋も誘ってみましょうか。」


落ち着いた声と笑顔の自分に心の中で拍手を送る。


「あ、はい!」


蒼井さんの嬉しそうな返事にほっとする。と同時に、先輩たちが残念そうに視線をそらしたことに気付いて複雑な気分になった。


「わたし、宗屋さんに言ってきます。」


いそいそと席を立つ蒼井さん。残された俺を誰も見ないし、声をかけてもくれない。みんなが俺を弱気な男だと思っているような気がする。


(こんなところで「二人で行こう」なんて言えるわけがないじゃないですか!)


頭の中で反論しても意味が無い。本当は勇気が足りないのだと自分でわかっているから。


(でも、いいんです! 送って行くんだから!)


そこの部分はちゃんと確保できている。間違いなく。無理やりにでも。


だから。


そう。


ゼロではない。







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