75 ◇ ひさしぶり。 ◇
第六章「失敗からも学びます。」です。
『ルウの声聞くの久しぶりだよね? 元気そうで良かった!』
スマートフォンから聞こえる懐かしい声。「ルウ」はわたしの愛称。もともとの「ハル」の下の部分だけが残ったものだ。
海から十日ほど過ぎた七月下旬の夜。電話をかけてきた相手は高校時代の友人、伊勢鈴穂。理科の先生を目指して県内の国立大学に通っている。
「ずっとメールばっかりだったもんね。鈴穂も元気そうだね。」
『まあね。授業と課題でやつれてるけど。』
「鈴穂でも? そんなに大変?」
『うん。でも、大変だと逆に燃えるところもある。』
「あはは、さすが。」
しっかりした頼もしい性格の彼女に、わたしはずいぶん助けられていた。彼女に言わせれば、わたしの方がしっかりしているということだったけれど。
鈴穂とは高校二年のときに同じクラスになり、出席番号が近かったことがきっかけで仲良くなった。それから卒業まで、学校ではほとんど一緒に過ごした。
人見知りで口下手なわたしに代わって、彼女が表に立ってくれたことは数知れず。けれど、それらは彼女にしてみれば無意識で、ただ単に黙っていられないからしゃべっただけらしい。逆に、自分がでしゃばったと言って謝られたことが何度もあった。
わたしが人見知りだということを鈴穂は、いえ、学校では誰もわかっていなかったのだと思う。
入学した当初から、気後れして話に混ざれないことが多かった。それを何人かには、優等生だからくだらない話には加わらないのだと思われていたことは知っていた。それ以外の人たちには、わたしは落ち着いた、大人びた性格に見られていた。
そういう勘違いをいちいち訂正するのは困難なことだし、自分で「人見知り」などと言ったら、甘えているとか可愛い子ぶっているなどと言われかねない……と言うか、わたしのキャラでは許されていない。だから、弁解はせずに、みんなに溶け込めるように努力した。けれどそれは、精神的につらい割に効果が薄く、二年生になったころにはほぼあきらめていた。
そんなわたしと、鈴穂は気が合った。
しっかり者で物怖じしない彼女は、周囲に溶け込もうと努力する必要など無かった。みんな、彼女の存在そのままを好意的に受け入れていた。女子のどのグループも、彼女を歓迎しただろうと思う。
けれど、彼女はわたしといることを好んだ。気持ちが楽だと言って。
おしゃれをしたり、にぎやかに遊んだり、男の子に接近したり、そういうことを面倒だと言っていた。そうして、わたしのことを「芯が通っている」と評価してくれた。ただあきらめただけのわたしを。「一緒にいると、自分を偽らないで済む」と。
そんな鈴穂のお陰で話ができるクラスメイトが何人かでき、わたしの高校生活はかなり平穏で幸せなものになった。
とは言え、卒業してから鈴穂と話したのは電話で一度だけ。あとは思い出したときのメール。以前、SNSへの登録を誘われたけれど曖昧にして逃げた。大学生になっている元同級生たちの情報を聞きたくなかったから。
『今度ね、三年のクラスで集まろうって。』
鈴穂の言葉に思わず息を止めた。
『沙織のこと覚えてる? 今年、うちの学校に一浪で入って来てね、誘われたんだ。今年なら浪人生もだいたいどこかに入学して落ち着いてるだろうからってことで話が出たらしいよ。』
「そうなんだ……。」
田波沙織のことはよく覚えてる。綺麗で明るくて、女子にも男子にも人気があった。勉強よりも遊ぶことを優先していた彼女は、卒業式の日に、「浪人でーす!」なんてあっけらかんと笑っていた。その笑顔がとても羨ましかった……。
「鈴穂は……行くの?」
こうやって電話をかけてきたってことは……。
『んー……、ルウ、一緒に行かない?』
(やっぱり……。)
胸の中にまたモヤモヤと重たいものが溜まりはじめた。
「あたしは……鈴穂以外にあんまり仲が良い子がいなかったし……。」
これは本当だ。でも、行きたくない理由の一番じゃない。けれど、それは口に出せない。大学生の鈴穂には。
「それに、みんな、もうあたしのことなんか忘れてるんじゃないかな。行ったら逆にみんなが困りそう。」
『それはあたしだって同じだよ。』
「そんなこと無いよ。鈴穂はみんなと話してたじゃん? あたしなんか、全然存在感無かったし。」
言いながら空しくなった。学校生活が平穏だったのは、みんながわたしを放っておいてくれたからなのだ。
(今の職場なら、気にしないで行けるけど……。)
うん、そうだ。今の職場なら、参加するのは怖くない。みんながわたしを認めてくれているから。
「でも、鈴穂は行っておいでよ。みんな喜ぶよ。」
そう。彼女はわたしとは違う。あのクラスには、彼女が望めば居場所はあった。
それに、今、彼女にはみんなと共通の話題がある。大学生活という話題が。
『あたしも一人じゃ参加しづらいよ。』
鈴穂の声が少し沈んだ。
『あのクラスの女子って、なんかこう……いかにも女子だったじゃない?』
「ああ、うん、確かに。あはは。」
そうだった。沙織を中心とするグループは華があっていつも笑い声が絶えず、もう一つのグループは、おとなしい可愛らしさの子が集まっていた。鈴穂とわたしはそのどちらとも雰囲気が違っていたのだ。
『ルウは行くって言わないだろうな、とは思ってたんだけど……』
歯切れの悪い調子で鈴穂が話し出す。
『あたしさあ……、ちょっとだけ会いたいひとがいてね……。』
彼女の言葉にハッとした。
「え、会いたいって……?」
それは男の子なの?
あのころ、二人の間で恋の話は出たことが無かったと思う。わたしから見ると、鈴穂に見合うほどの男子などいなかったし、鈴穂もそういうことには興味が無いように見えたから。望みの無い自分のことは、誰にも話すつもりは無かったし。
『うん……、あのさあ、砂川くんって覚えてる?』
「ああ、うん、覚えてるよ。」
出てきた名前に驚いた。
砂川くんはクラスでも一番目立っていた男子だ。見た目の良さもそうだけど、サッカー部のキャプテンだったし、彼の友人たちもそれぞれに人気があった。そういうひとだから、たいてい彼らのそばには沙織たちがいたのだ……。
『今まで誰にも言わなかったんだけど、砂川くんとはさあ、幼稚園が一緒だったんだよね……。』
「ああ……、そうだったんだ……。」
驚きと困惑と話がどう発展するのかという警戒で、曖昧なあいづちしか打てない。
『けっこう仲良くしてて、家に遊びに行ったこともあるの。』
「そう……。」
『ずっと忘れてたのに、高校に入ったときに名簿で見つけて一気に思い出してね、気になってたの。』
「うん……。」
『そしたらさあ、三年になって同じクラスになったでしょ? つい見ちゃうんだよねー……。』
「気付かなかったよ……。」
『あははは、そりゃあ、気を付けるよ。沙織たちに……、本人にも気付かれたくなかったし。』
「本人にも?」
『当ったり前! あたし、かわいげ無いし。幼稚園のころとはあまりにも違っちゃってるでしょ? だから……。』
自信が無かったから? 鈴穂が? 凛としていて素敵な女の子だったのに?
『まあ……、そいうわけで、見てるうちにいろんな想いが入り混じってさあ。たぶん……好きなのかなー、なんてぼんやり思ってて。』
「そうなんだ……。」
だから……会いたい?
『まあね、会って話したいってわけじゃないんだ。あたしなんか出る幕ないし。ただ、元気かどうか見たいだけ。沙織が砂川くんが来るって言ってたから。』
「そっか……。次はいつ会えるかわからないもんね。」
『あはは、会うって言うか、ちょっとだけ顔を見られればいいんだよ。』
「うん。」
鈴穂があの笑顔の下にそんな気持ちを隠していたなんて。
「わかった。行くよ。」
わたしが役に立てることはこの程度しか無い。
『え、本当? いいの?』
「うん。美味しいものが食べられるかも知れないしね?」
『うん……、ありがとう。良かった。』
ほっとした様子が伝わってくる。そんなふうに言ってもらえたことが嬉しい。
『それでさあ、ルウ、あのね……?』
「うん、なあに?」
『あの、聞いたんだけど、』
「うん?」
『なんかさあ、ルウ……が、さあ、』
「あたしのこと?」
『うん……。』
なんだろう? わたしの何かを聞いた?
『あの……、彼氏ができたって。』
「ええっ?! 彼氏?!」
なんで?!
「あたしに? なんで? いや、誰から聞いたの?」
『あ……、これも沙織からなんだけど……。』
「いやいやいや、いないし!」
『いないの? じゃあ、間違い?』
「間違いだよ。なんで? 沙織はどこから聞いたんだろう?」
わたしと沙織に接点なんて無いのに。
『野球部の誰かって言ってた。けっこう詳しくて、相手はS大テニス部のOBだって。具体的だったから信じちゃった。』
(S大テニス部。)
宇喜多さんのことだ。
(で、野球部情報ってことは。)
ウワサのもとは咲田くんと成山くんだ。あのときに宇喜多さんが助けてくれたことを誤解したんだ。
「それ、同じ職場のひとだよ。」
『あ、そうなの?』
「うん。この前、職場のグループで海に行ったんだ。そこで偶然、咲田くんと成山くんに会ったの。」
『ああ! 二年のときの!』
「そう。で、そのときにたまたま一緒にいたのがそのS大出身のひとでね、向こうのグループがS大生だったから――」
『なるほど、それで。』
「うん。」
そう。彼氏じゃない。宇喜多さんには好きなひとがいるから。
『ウワサって無責任だねえ。』
「そうだよ。そんなウワサ、あたしもびっくりだよ。」
『あははっ、でもさあ、その相手の人がルウのことをものすごく大事にしてるって話だったよ。』
(ああ……。)
宇喜多さん、怖い顔してたもんね……。
「んー……、九重の先輩でもあるから、なんて言うか、保護者的な責任を感じてくれてるみたいで。」
『九重の先輩? そんなつながりもあるんだ? ねえ、本当は想われてたりして。』
「あははは、それは無いよ。そのひと、好きなひとがいるもん。」
今、胸がキン……って痛かった。
『ふうん、そうか……。』
「そうそう。そんなウワサ、失礼だよ。」
宇喜多さんが求めているのは葵先輩。夢に見るほどに。
「ねえ、その、クラス会? いつ?」
『ああ、八月の十日か十一日って言ってた。そのころならどこの大学もだいたい試験が終わってるだろうって。』
「そう。わかった。」
「試験」という言葉に心が少しだけ固まる。
「誰が来るんだろうね?」
『沙織の話ではねえ……』
話しながら、高校時代の鈴穂を思い出す。彼女も恋をしていた。颯爽とした表情の陰で、見ているだけの恋を。
(みんな苦しいんだね……。)
鈴穂には素敵な恋をしてほしい。とっても素敵な女の子だから。
(わたしの分も。)
わたしには、たぶん、そんなチャンスは来ないから。




