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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第五章 大事な大事な蒼井さん。
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71 ★ 帰り道 ★ 宇喜多&春希


(蒼井さん、やっぱり元気が無い。)


帰りの車の中。運転をしながら、後ろの席がとても気になる。


(……て言うか、口をきいてくれない?)


元藤さんを送り届けてから、どんどん焦りがつのっている。バックミラーを見る回数も増えて。


(どうしよう?)


こういうとき、本当に情けなくて嫌になってしまう。もともと気の利いた話ができる方ではないうえに、自信も無くて。つまらない質問は浮かんでくるものの、何を言ってもわざとらしくなりそうで口に出せない。


(俺がやり過ぎたから……。)


後悔先に立たずとは、まさにこういうことを言うのだろう。


もう一度、バックミラーでそっと確認してみる。蒼井さんはぼんやりとシートにもたれかかったまま、暗くなった外をながめている。


午前中いっぱいを海で遊んだ俺たちは、シャワーを浴びて昼食を食べてから現地を出発した。帰り道はほとんど渋滞続きで、高速道路で休憩を取ったあと解散した。俺は往路と同様に元藤さんと蒼井さんを乗せ、元藤さんをおろしたのが午後七時過ぎだった。


そのときに俺に「明日から仕事ですね」と言ったきり、彼女はほぼ無言。話の糸口をつかもうと「疲れた?」と尋ねてみたら、「大丈夫です」と微笑んではくれたけれど。


そのやりとりのあと、俺はそれ以上、尋ねることができなくなってしまった。彼女の態度に初対面のころのような礼儀正しさを感じてしまったから。


(それだけじゃないよな……。)


本当は、海にいるときからなんとなく感じていた。彼女が俺に遠慮していることに。


いや。


「遠慮」なんて言えば聞こえは良いが、実際には「避けていた」と言う方が当たっているかも知れない。


とにかく目が合わない。俺を見ないようにしている気がする。


言葉は交わしている。笑顔も見せてくれる。でも……、顔をこちらに向けているようでも、俺を見てはいない。


最初は朝のことで俺も照れくさかったから――あれを思い出すと、今でも体から力が抜けそうになる――それほど気にしていなかった。けれど。


(あれから……だよな。)


あのS大生三人組。きっかけはやっぱりあれだと思う。


(思い出すと、今でも腹立たしい。)


蒼井さんの腕をつかんだりして。


あのとき、向こうも蒼井さんもナンパではないと言った。けれど、彼らがやった行為は同じようなものだ。蒼井さんは明らかにあの三人と一緒にいる気は無かったようだったし。


だから、俺が割って入ったことは問題無かったはずだ。


(だけど……。)


あれから蒼井さんは俺を見ようとしない。二人きりになった今も何も言ってくれない。


(なんか……いけなかったのかなあ……。)


あんなふうに助けたりしちゃいけなかったのだろうか。あんなやり方、でしゃばり過ぎだっただろうか。蒼井さんは、俺が彼氏気取りでいると感じたのだろうか。


(頭に血が上ってたからなあ……。)


彼女が困っているから、というだけじゃなかった。ほかの男が彼女に触れたこともカッとなった原因だ。蒼井さんはそんな俺の独占欲を感じ取ったのかも知れない。


それに、やっぱり朝のこともある。


いくらふざけてとは言え、男にあんなことされたら警戒したくなるのは当然だろう。その前にも寝ぼけて抱き付いてしまったし。


さすがにあれはやり過ぎだったかも知れない。それも思い合わせて俺を警戒し始めたんじゃ……。


(ああ、俺はなんてことを……。)


自分は蒼井さんと仲が良いなんて思い上がっていた。前下さんのことで相談に乗ったり、花澤さんに「頼む」と言われたりしていい気になっていた。


蒼井さんにしてみれば、前下さんのことが片付いてほっとしたところだったはずだ。なのに、今度は俺があんな行動に出て。


しかも、前下さんよりも悪いことに、俺は蒼井さんの隣の席だ。蒼井さんにしてみれば、仕事中もずっと警戒していなくちゃならないことになる。もちろん、俺は仕事中に彼女に何かしようなんて、絶対に考えないけれど。


(いや、まあ、考えは……する、かも知れないけど。)


だって、忘れられない。今朝の散歩で知った彼女の感触を。


(細いのにやわらかくて……。)


あんなに心地良いものだとは思わなかった。


彼女の体が触れた……いや、正直に言うと、彼女の体を自分に押し付けたのだ。その場所が、「もう一度」と求めている。「もう一度、確かめたい」と……。


(はっ! もしかしたら!)


この劣情が表に出てしまっているのでは?! それは警戒するに決まってる!


(まずい……。)


俺を信頼してくれていた蒼井さんにそんな思いをさせるなんて。


(謝った方がいいのか?)


でも、何て?


まさか、「蒼井さんをもう一度抱きしめたくて」とか「蒼井さんの感触が忘れられなくて」なんて言えない。それこそ引かれてしまう。それに、原因がこれじゃない場合だってある。


だからと言って、蒼井さんに尋ねても、俺が原因の場合は何も言わないのではないだろうか。前下さんに言わなかったように。


(どうしよう?)


蒼井さんの家がどんどん近付いてくる。


このまま別れるしかないのか? このまま別れて、明日からはどうなるんだ? また元どおりに仲良くできるのか?


(どうしよう?)


やっぱり謝るべきなのか……。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 




(やっぱり言えない……。)


思っていることを話したら、宇喜多さんは絶対にやさしく慰めてくれる。それがわかっているから、余計に言えない。


だって、やさしくされたら甘えたくなってしまう。


(そんなことできない。)


宇喜多さんに甘えるなんて。


そりゃあ、慰めてもらっても甘えなければいいのだけど……。


(それができないわけではないけれど……。)


もちろん、人前ではそんなことしないわけだし、二人でいるときだって、恥ずかしくて態度に出せるわけもない。だから、宇喜多さんが、わたしが甘えていると気付くことはないと思う。


けれど、わたしの心が。


つい考えてしまう。


宇喜多さんが「大丈夫だよ」と微笑んで顔をのぞきこんでくれることを。頭を撫でてくれたり、肩をキュッと抱いてくれたりすることを。そうしたら自分は……って。


(はあ……。)


なんて馬鹿なんだろう。こんなことがわたしなんかに起こるはずがないのに。そんなことを考える自分が情けない。


(そうだよ。わたしなんかが。)


貧乏で、高卒で就職するしかなかったわたしに、少女マンガみたいなことが起こるはずがない。しかも、宇喜多さんみたいに優秀な人が相手でなんて。いくら宇喜多さんがやさしいからって、想像が行き過ぎている。


(大学……行きたかったな……。)


またため息が出てしまった。


そう。気持ちが沈んでいる理由はこれだ。


普段、仕事をしているあいだは忘れていられるようになっていた。仕事をきちんとしていれば、学歴なんて気にする必要がないから。気にしている暇もないし。


同期やテニス部の中でもほとんど気にならなくなっている。みんながわたしが高卒だと知っていても馬鹿にすることはないと、今ではわかっているから。それに、年下だということでかわいがってくれたり、常識が無いことを大目に見てくれたりしている。ある意味、得をしているとも言える。そういうことはちゃんとわかっている。


だけど。


大学生になって楽しそうにしているあの二人を見たら、行けなかった悲しさが戻って来てしまった。


わたしだって通信教育課程で勉強はしている。けれど、そのことと「大学生」という時間を過ごすこととは全く別のものだ。今の生活だって悪くないという例をどれほど挙げてみても、経験できなかったまるごと大学生という時間への憧れが完全に消えることは無い。


(行ってても、劣等感でいっぱいになってるかも知れないけど……。)


お金が無くて、バイトで時間も無くて、みんなと遊んだりおしゃれをしたりもできなかったかも知れない。暗い性格で人づきあいが悪いと思われて、友達もできないかも知れない。


そう。楽しいことばかりじゃないって、もちろんわかっている。けれど、先生になるという夢を追いかけてみたかった。


今の状態ではそれは叶わない。教育実習のために何週間も仕事を休むことはできないから。


(もう一年以上経っているのに……。)


就職して二年目だ。なのに、まだ吹っ切れていない。この前は、宇喜多さんの言葉で気持ちが切り替えられたと思った。けれど、今日みたいな些細なことで、こんなふうによみがえってしまう。


(やっぱり言えないな……。)


宇喜多さんに言うわけにはいかない。気持ちの整理がついたはずのことでまた落ち込んでいるなんて。どれほど執念深いのかと呆れられてしまうよね。


(もうすぐ家だ……。)


楽しかった時間は終わりだ。また明日から仕事が始まる。毎日毎日、これから定年までずっと、わたしはただ働くだけ。もちろん、今回みたいに楽しいことも少しはあるだろうけれど。


(夢と希望は……無いよね。)


資格も技術も無いわたしが、新しい仕事に簡単に雇ってもらえるとは思えない。だから、生活していくために、今の仕事を何としてでも死守しなくちゃならない。お母さんが市役所に就職しろと言ったのは、女性が差別されずに働き続けることができる仕事だということが理由だった。安定した仕事があれば、お金に困らずに生きていけるから。


(でも。)


まだ二十歳前なのに、夢も希望も無いなんて。


それでも、生きているのだし、こんなわたしでも少しは社会の役に立っているのだから……。


そう思えばやって行ける……よね?


(宇喜多さん……。)


運転席の背もたれに心の中で呼びかけた。


(ねえ、宇喜多さん……。)


心の中で呼びかけるだけでもほっとする。わたしにはこのくらいがちょうど良いのかも知れない。







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