49 夏の計画
ある日、宗屋と昼食から戻ると、給湯室の前で蒼井さんとテニス部の北尾杏奈さんが楽しそうに話していた。
「海に誘いに来たんです。」
北尾さんが俺たちに報告した。
「親戚が持ってるコテージなんです。今年は海外に行くから使っていいって。」
「海からの日の出が見えるんですって。」
蒼井さんが楽しそうに付け足した。二人のはしゃいだ様子に俺たちもつられて笑顔になる。
「楽しそうっすね。いつ行くんですか?」
「海の日の連休で、土日か日月かで一泊二日。お風呂は温泉が引かれてるんですよ。リゾート村みたいなところなので管理棟があって、食事にはレストラン棟があるんです。そこにバーベキューの施設も。」
「へえ。」
「海まで五分もかからないんですって。そんなところにコテージを持ってるなんてすごいですよね?」
「プライベートビーチではないんですけど、本当に目の前ですよ。景色もいいし。」
「すごいなあ。いいですねえ。」
普段はあまり遊ぶ話の無い蒼井さんは、こういう企画はとても嬉しいだろう。ただ、女の子だけで海なんかにいたら、ナンパの対象になるのは免れないと思うけれど……。
「お二人も一緒にどうですか?」
「え?」
「え?」
「え?!」
北尾さん以外の全員が驚いた。中でも一番大きく反応したのは蒼井さんだった。
「女の子だけじゃないの?!」
北尾さんは落ち着いた微笑みを浮かべたまま答えた。
「大きいコテージでお部屋がたくさんあるの。だから心配いらないよ、合宿とおんなじだもん。テニス部のみんなで行ったら楽しいと思って。」
「え、テニス部の……?」
蒼井さんがおそるおそる尋ねると、北尾さんは後ろめたそうに笑いながらで軽く肩をすくめた。
「実は、この前のテニスの帰りに前下さんにはちらっと話したんだ。『いいね』って言ってくれててね。」
「え、そ、それならさあ、杏奈さん、前下さんと二人で行って来たら? チャンスだよ。」
(蒼井さん、なんて大胆なことを……。)
きっと前下さんの名前が出て焦ったのだ。北尾さんが前下さんを好きだということは俺も知っているけれど……。
「やだ、蒼ちゃん! そんなことできないよ! いくら何でもそんな!」
北尾さんが両手を頬にあてて叫んだ。俺も、そうだろうな、と思う。
「ね、蒼ちゃん、お願い、一緒に行こうよ。さっきオーケーしてくれたじゃない。ね? お願い!」
北尾さんは必死だ。前下さんと遊びに行くという企画を簡単に捨てられるわけがない。
「うー……ん、だけど……。」
「みんなで行くんだから大丈夫だよ。ね? 宗屋さんと宇喜多さんも行きますよね? ね?」
この様子だと、彼女は蒼井さんが前下さんのことが苦手だと知っているに違いない。だからそれを言う前に蒼井さんを誘い、防波堤になるために俺たちにも行ってほしいのだ。
「俺はいいっすよ。」
素直に答えた宗屋が俺に目くばせをした。宗屋も事情は理解したらしい。
(海か……。)
海水浴なんて、家族旅行以外はすべて断ってきた。あんな混雑して落ち着かないところで遊びたいなんて思ったことが無い。
でも、そんな俺の過去はここでは誰も知らない。しかも、蒼井さんと一緒となれば。
「僕も行ってみたいです。海のそばのコテージなんて、そう簡単に行けそうにないし。」
「うわあ、ありがとう!」
満面の笑みを浮かべて、北尾さんが蒼井さんの腕に手をかける。
「ね? ね? 宗屋さんと宇喜多さんが参加するんだから、蒼ちゃんも行くでしょう? あ、それに宇喜多さんは車を出してくれますよね? 蒼ちゃんの送り迎えはばっちりですよね?」
「ええ、もちろん。」
蒼井さんがどの席に座っていても、ほかに同乗者がいなければ、車は個室だ。蒼井さんを独り占めできる。わざと遠回りしても……。
「ほらね、蒼ちゃん。だから行こうよ。この二人が一緒なら安心でしょう? それに、きっと楽しいよ?」
そう言われて、蒼井さんは迷った様子で俺と宗屋を見上げた。俺は彼女が安心するようにうなずいてみせ、宗屋は「行きましょう、姫」と言った。それでも彼女は「行く」とは言わない。
「ほかにも何人か声をかけてみるつもりなの。コテージだから、夜遅くまで騒いでも平気だし、花火もやろうよ。花澤さんにも声をかけてもいいし。」
「え、花澤さんも?」
蒼井さんが急にしゃっきりした。俺が行くと言っても、まだ迷っていたのに。
「うん。花澤さんなら誰も反対しないでしょ。宇喜多さんたちも構いませんよね?」
「ええ。三人で飲みに行ったこともありますから。」
笑顔で答えながらも複雑な気分だ。蒼井さんがオーケーしても、それは花澤さんが行くからだと思うと……。
「じゃあ、大丈夫ですよね! ね、蒼ちゃん、だから行こう。」
「……うん、そうだね。楽しそう、だよね。」
「そうだよ、楽しいよ! じゃあ決まりね? 日程空けておいてね?」
早口にまくしたてる北尾さんに、曖昧な微笑みのままの蒼井さんがこくんとうなずく。
「宇喜多さんたちもですよ? 詳細が決まったら知らせに来ますから。」
「うっす。」
「よろしくお願いします。」
階段に消えていく北尾さんに、蒼井さんはやっと笑顔になって「誘ってくれてありがとう!」と手を振った。花澤さんが来ることの嬉しさが、前下さんと一緒の不安に打ち勝ったのだろうか。蒼井さんにとって、花澤さんの存在はそれほど大きいのだろうか……。
夕方、用事で一階の収入役室に行くと北尾さんも来ていた。一緒に階段を上りながら海行きの話をしていると、ふと黙った北尾さんが下を向いたまま尋ねた。
「わたしが蒼ちゃんを利用してるって思ってます……よね?」
「それは……。」
前下さんにオーケーさせるためにテニス部の企画にしたのだろうとは思っていた。それなら前下さんを誘うのも自然だし、北尾さんと仲の良い蒼井さんが参加するのはほぼ間違いない。そして、蒼井さんを目当てに前下さんも参加してくれる、というわけだ。けれど、俺はそれを責められるほど蒼井さんに対して正直なわけではない。
「北尾さんは蒼井さんに逃げ道をちゃんと用意してあげてますよね。僕たちとか花澤さんとか。自分のことだけを考えてるわけじゃないってわかりますから、自分勝手だとまでは思いません。」
そして、それほど前下さんのことが好きなのだなあ、と。
「ありがとうございます。」
と言って、北尾さんは「ふふっ」と笑った。
「前下さんって見た目は完璧なのに、愛情表現が下手でカッコ悪いじゃないですか。」
「え?」
(カッコ悪い……?)
「そう思いません? 自信と気弱さが同居してて、強引に出るときもあるのに、最後までそれを貫けない。すごく中途半端。」
「そう……でしょうか。」
「そうですよ。前下さん、本当は蒼ちゃんが自分のこと苦手だって、なんとなく気付いていると思うんです。なのにあきらめ切れないで、周りをうろうろしてる。そんなの、とってもカッコ悪い。」
「くくっ、よく見てますね。」
「もちろん。だって好きなんですもん。」
にっこり笑ってそう言いきった。
北尾さんって少し口が悪いけれど、なんともすがすがしいひとだ。厳しい評価も愛情がこもっているから意地の悪い感じがしないのか。
「カッコ悪いところも含めて好き。あの見た目で仕事もテニスもできるのに実は気が弱いなんて、可愛いじゃないですか。完璧な王子様なんて、わたしは要りません。」
(すごい自信だなあ。)
自信と言っても容姿や性格についてじゃない。自分の気持ちに自信があるのだ。前下さんを好きだという気持ちに。
「わたし、前下さんが早く失恋しちゃえばいいなって思ってるんです。」
北尾さんはくすくす笑った。
「わたしを最初から好きになってくれたら嬉しかったけど、それは無理みたいだから。失恋しても格好つけて平気なふりをするでしょうけど、落ち込んでるのを隠しきれないと思うんですよね。そうしたら、ガツンと言ってやるんです。『カッコ悪い』って。」
「あはは、それは効きそうですね。」
「でしょう? そんなこと言うの、きっと、わたし以外にいませんよ。それからね、泣き言をぜーんぶ聞いてあげるんです。」
「ああ、素敵ですね。」
「そう思います? まあ、ただの妄想ですけど、うふふ。だから、」
そこで俺に視線を向けた。
「宇喜多さんに頑張ってほしいなー、なんて。」
「え?」
「蒼ちゃん、とってもいい子ですよ?」
(あ……。)
「じゃあ、また。」
北尾さんがいなくなった階段で、しばらくぼうっと突っ立っていた。
(発破をかけられたんだろうか……。)
言われたのはそういう意味? 頑張れば上手く行くって? それとも単に「やってみれば?」程度の意味だろうか?
(違うかな。)
俺がまだ蒼井さんの魅力に気付いていないと思っているのかも知れない。
(でも。)
北尾さんは、俺なら可能性があると思ったのではないだろうか。蒼井さんも俺を好きになるんじゃないかって。そうじゃなきゃ、あんなことを言うはずがない。
(だとしたら。)
もう少し自信を持ってもいいのかも知れない。
(そうだよ。)
宗屋も、俺なら蒼井さんにちょうどいいって言った。それから、たまには危険な男になれって。
(うん。そうだ。)
これからはもう少し積極的に行こう。蒼井さんをドキドキさせるような行動に出て……。
(ああ、でも、どうやって? どんなタイミングで?)
やっぱり全然わからないよ!




