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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第三章 一人前への道は険しい。
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28 ある朝の会話


六月に入り、決算が無事に終わった。初めての大きな仕事をミスなく通過できてほっとした。


課税係では市県民税の納税通知書を発送した。その結果、また問い合わせの電話や来客が増えた。


市県民税は収入に対して課される税金だ。所得税と違い、収入のあった翌年に、一月一日に住んでいた市町村から課税される。そのため、今は仕事をやめて収入が無い人でも、去年のうちに一定額の収入があれば払わなくてはならない。逆に、俺みたいに去年の収入が無い新人は、今年は非課税だ。


電話や窓口の問い合わせは、固定資産税のときと同じように口座振替のことのほかに、「働いていない」とか「もう引っ越している」という内容もある。宗屋と前下さんはこの課税そのものを担当している部署なので、さらに税額についての質問や苦情(?)にも対応しなくてはならない。


宗屋たちは通知の発送前からすでに忙しそうだったのが、発送してからは、電話も窓口もひっきりなしの状態になっている。きのうはそこの窓口で大声が聞こえて驚いたけれど、対応していた前下さんは露ほどの動揺も見せず、普通の態度で説明していた。俺から見ても非常にかっこよくて、尊敬できる人だと思った。……のだけど、今朝、蒼井さんに話しかける様子を見たら、人間は誰しも完璧ではないのだと思った。


仕事以外では、夏服が主流になってきたことがちょっとした変化だ。男性職員のほとんどがネクタイをしてこない。


でも、俺にはこれがなかなか難しい。ネクタイが無いとどうにも中途半端な気がしてしまうのだ。落ち着かないのでそのまま着用を続けている。みんなに暑くないのかと聞かれるけれど、慣れてしまえばそれほどでもない。


蒼井さんは長い髪をまとめてくるようになった。ポニーテールの日もあれば、ピンやかんざしみたいなものでくるくると留めている日もある。それに、軽い素材の明るい色の服もさわやかだ。今までよりも少し華やかで可愛らしくて、宗屋は毎朝、嬉しそうに褒めている。俺は……最初の日に褒めたら蒼井さんが恥ずかしそうに困った様子をしたので、あんまり言わない。




ある朝、課長からの説明のあとに全員に調査票が配られた。これを参考にしながら、各係長が全員の面談をするのだそうだ。


調査票の内容は難しくはない。自分の業務内容、それに対する印象、職場で困っていることはないか、体や心の不調などはないか、そして、今年度の目標。


(目標かあ……。)


研修中に「目標を持って仕事を」と言われていたけれど、具体的には何を書いたら良いのかよくわからない。


ここの仕事には数字で成果をあらわすようなものが無い。隣の滞納整理の担当なら、目標金額を決めたり、滞納者を減らす目標を決めたりすることはできるだろうけれど。


「目標って、どんなことを書けばいいんでしょう?」


困った末、原さんに訊いてみる。


「ああ、それは困るところだよね。」


ということは、みんな困っているということか。


「俺はまあ『早め早めの準備でミスなく……』みたいな感じかな。」

「ああ、あたしもそう。」


東堂さんも調査票を見ながら言った。それを聞いた高品さんも口を開いた。


「あたしは保育園のお迎えであんまり残業ができないから『効率的に業務を行う工夫』とか、そんなことを書こうかな。」

「俺もそんな曖昧なことを書くしかないなあ。蒼ちゃんは、去年はどんなことを書いた?」


古森さんに尋ねられると、蒼井さんは少し楽しげな様子でみんなを見回した。


「『ありがとう』五千回、です。」

「え? なにそれ?」

「お客様に、『ありがとう』って五千回言われるようにしよう、っていう目標です。」

「えええええぇ?!」


高品さんがのけぞって驚いている。


「あ、でも、難しくないですよ? 窓口でも電話でも、廊下でご案内したときでも、お客様ってけっこう『ありがとう』って言ってくれますから。」

「いやいやいや、でも……。」

「五千回は、ねえ?」

「うん。」


みんなが顔を見合わせている。


(五千回……。)


俺も驚いた。でも、蒼井さんならやるかも知れない。毎日、「正」の字で記録して……。


「ウソですよ。」


しれっとした顔で蒼井さんが言った。


「は?」

「ウソかよ?!」

「ウソですよ〜。さすがにそんなに数えられません。」


(いや、やれる気がする。蒼井さんなら。)


面倒なことでもコツコツと続けそうだ。


「で、結局は何だったの?」

「ええと、早く仕事を覚えることと、市民応対をがんばること……だったかな。」

「ああ、新人さんっぽいねえ。」

「そういうことでいいなら、僕も書ける気がします。」


そもそも『仕事を早く覚える』というのは最初から当然のことだ。そこに市民応対を付けるのもいい考えだ。なにしろ、それを目標にしていたという蒼井さんの電話や窓口は、俺が見習いたいと思っているのだから。


「僕も市民応対を何か入れます。」

「え? それじゃあ、わたしと被ります。」

「ダメですか?」

「あ、じゃあ、あたしも書こうかな。『窓口応対ナンバーワンを目指したい』って。」

「え、じゃあ、俺も書こうかな。」

「ねえ、せっかくだから、みんなでナンバーワンを目指すとか、どう?」


古森さんと高品さんがノッている。なんだか話が妙な方向に……。


「どの範囲でのナンバーワン?」

「当然、区役所全体でしょうね。」

「区役所の窓口応対トップテンのうち、半分以上がうちの係だったらすごいよね?」

「誰がナンバーワンなのか、どうやって判定するの?」


東堂さんと原さんも楽しんでいるらしい。意外なところで盛り上がって来た。


「そうですね、区役所の入り口に全員の写真を飾って、一番ご指名の多いひとでしょうか。」

「あははは、やだな、蒼ちゃん。それじゃあキャバクラみたいでしょ。」


(キャバクラって!)


ぎょっとした。蒼井さんの前でそんな話なんて!


「それに、それはダメだよ。うちはリピーターなんか来ないんだから。」

「そうだよ。初見のひとばっかりだと、見た目で選ばれるに決まってるじゃん。」


(みんな気にしないのか……。)


話が滞りなく流れていく……。


「ああ、そうですね。だとしたら不公平ですね。」

「プチ整形が流行ったりして。」

「やっぱり写真館?」

「衣装に凝るとか。」

「全身写真?」


どんな写真が飾られることになるやら……。


「でもさあ。」


そこで高品さんが声のトーンを落とした。


「前下さんの写真なんか、何回飾っても盗まれそうだよね?」

「え? それはもしかして、内部犯行ということですか?」


蒼井さんも声を低めて応じた。


「きゃ〜、あたしが第一容疑者?」

「東堂さん、イケメンのダンナ様がいるのに!」

「でも前下さんには負けるわ〜。」


普段は静かな東堂さんも悪乗りしている。原さんと古森さんは声を出さずに笑っている。


(こんな話をするとは……。)


区役所の職員でも、女性は女性ということか。俺なんかが口をはさむような余地は無い。


でも、こんなやりとりが意外な方向に発展した。


「ねえ、原さん。蒼ちゃん、調子が戻って来たと思わない?」


蒼井さんが窓口当番で出て行くと、高品さんが原さんに話しかけた。


「そう言えばそうだなあ。ここのところ、蒼ちゃんのふざけ話を聞かなかった気がするね。仕事が忙しかったからなあ。」


(そうか……。)


今朝みたいなことは今までにもあったのか。でも、俺のせいでそんな余裕が無かったんだ……。


「仕事のせいだけじゃないと思う。花澤さんがいなくなって緊張してたんだよ、きっと。」

「ああ、なるほど。」


隣で原さんがうなずいた。俺も、高品さんの言う意味がなんとなくわかった。花澤さんは蒼井さんの心の支えだったのだ。


「で、その緊張が解けた。」


それもわかる。決算という大きな節目が終わって――。


「宇喜多さんのおかげで。」


高品さんがニヤリと笑いながら、ボールペンで俺を指した。


「俺、や、僕ですか?」

「そう。」


自信たっぷりにうなずかれても、俺にはさっぱりわからない。


「僕、蒼井さんに迷惑しかかけてないと思いますけど……。」

「それでもいいの。」


高品さんが面倒見の良い姉のような顔で言う。


「蒼ちゃんみたいな子には、宇喜多さんくらいのひとがちょうど良かったと思う。真面目で硬くてさあ。蒼ちゃんが心配するほどだもんね。」

「そんなにはっきりわかりましたか?」

「うん。」


可笑しそうに笑って、高品さんは続ける。


「宇喜多さんのことを心配してたから、蒼ちゃんは早く緊張が解けたんだと思うよ。これがチャラかったり、口ばっかり達者だったりの新人だったら、蒼ちゃんは馴染まないし、笑顔なんて見せないよ、きっと。」

「そんな新人、俺だって嫌だよ。」

「ああ、そうだよね。原さんはチューターだもんねー。」


(そうか……。)


この職場では、俺の真面目さが良い方に働いたんだ。それが蒼井さんにも良かったと思うとほっとする。


(でも、やっぱり蒼井さんの方が真面目だと思うな。)


蒼井さんがどんなにふざけたことを言ったって、彼女の中には一本通った芯がある。それこそが彼女の真面目さの本質だと思う。


そして、そんな蒼井さんを俺は尊敬する。


「でも、蒼ちゃんが変わったのってそれだけじゃないよね? そう思うでしょ?」


高品さんは少し声をひそめて、今度は隣の東堂さんに話しかけた。


「ああ、うん、わたしもそう思ってた。」

「どんなこと?」


原さんが一緒に声を低めて尋ねると、高品さんと東堂さんは、軽蔑したような視線を原さんに向けた。


「宇喜多さんは? 気付いた?」

「え、いいえ、その……。」


俺にも視線が突き刺さる。


「もう! 服だよ。気が付かない?」

「最近、明るい雰囲気になったじゃない。」


(ああ、そう言えば……。)


たしかに前よりもパステルカラーのものを着ていることが多い気がする。アップにした髪型もかわいらしくて。


「夏服に変わったからかと思ってました。」

「俺も。」


そう答えた俺たちに、高品さんはまた冷たい目を向けた。でもすぐにニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。


「これも宇喜多さん効果かもねー。」


(え?)


俺がいるから蒼井さんの服装が明るくなったってことか? 俺のために? なんだかちょっとドキドキするけど。


「まさか。そんなことありませんよ、あはは。」


さすがに自分で肯定するのは図々しすぎる。


「だよね。」


(えぇっ?)


思わず声が漏れそうになった。


(そんなに簡単に翻すのか?!)


ここはもうひと押しくらいしてくれたっていいと思うけど!


「蒼ちゃん、前下さんでも不合格みたいだもんね。真面目な子だから、きっと完璧な人が理想なんだろうなあ。」

「はは……、そうですよね。」


完璧には程遠い俺。無理だと承知しているなら、最初から引き合いに出さないでほしかった……。







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