22 田巻係長の手腕
窓口をはさんで、俺を憎々しげににらみつけている三木山様と向かい合う。心臓はバクバクしているし、握り締めた手も震えている。でも、俺は市役所職員の一人として、勝手な言いがかりに屈するわけにはいかないのだ。
(ちゃんと言わなくちゃ。)
ゆっくりと息を吸い込んで、いざ――。
「何かお困りでしょうか。」
(え?)
すぐそばで穏やかな声がした。気付いたときには隣に田巻係長が立っていた。三木山様がうさんくさそうに田巻係長に視線を移した。
「あの――」
「なんだよ、あんた?」
「納税係長の田巻と申します。」
少し微笑んで名乗った田巻係長に、三木山様が「へえ」というような顔をした。俺の上司が出てきたことで、少し落ち着いたらしい。
「この督促状? ってのが来たんだけどよう、納付書が届いてねえんだよなあ。」
「そうでしたか。」
穏やかに答えながら、田巻係長が端末機の画面をのぞき込む。急いで俺も。
「戻って来てない?」
「はい……、あ、でも、念のため、課税担当に確認した方がいいですか?」
係長が来てくれたことで、俺も落ち着いてきたのかも知れない。念のために確認なんて、さっきはちっとも思い付かなかった。
「うん、そうだね。」
係長にうなずいて、カウンター内の通路を課税担当へ走る。田巻係長は三木山様に説明を始めた。
固定資産税担当の一番手前にいる笹塚さんに事情を話すと、戻って来ている納税通知書の束をすぐに確認してくれた。
「入力するときは二人以上で確認してるから、抜けてることは無いはずなんだけどね。」
そう言いながらも面倒な顔をせずにやってくれたので有り難かった。
「やっぱり無いね。たぶん、しまい忘れかなんかじゃないのかなあ。」
「ありがとうございました。」
また走って戻り、田巻係長に戻り分には入っていなかったことを報告。それを田巻係長が三木山様に説明をする。俺の声も三木山様には聞こえていたはずだけど。
「じゃあ、しょうがねえのか。」
係長に言われると、三木山様は意外なほどあっさりとあきらめた。
「じゃあさ、ほれ、その、納付書。作ってくれよ。」
「はい。」
田巻係長が笑顔で受けて、俺に目で合図をした。それに「はい」と返事をして、端末機に屈みこんだところで――。
(そうだった!)
「田巻係長。」
小声で呼ぶと、三木山様と話し始めていた係長が振り向いた。三木山様は俺をじろりと見た。
「この金額だと延滞金が……。」
また大声を出されるのではないかと思うと怖い。でも、ここで黙っていて、あとでわかったら、区役所にますます不信感を抱くだろう。
「なにぃ?」
三木山様が不機嫌に俺をにらむ。やっぱり俺のことは嫌いなのだ。
「とりあえず再発行しちゃって。四期まで。」
田巻係長が俺に小声で指示を出し、カウンターの方を向く。
「三木山さん、申し訳ないんですけどね、今日だともう延滞金っていうのがついちゃうんですよ。」
(あれ?)
ちょっとびっくりした。田巻係長の思いのほかフランクな口調に。
「なんだよ。どういうことだ、そりゃあ?」
そう言いながらも、三木山様の口調はそれほど強くない。プリンターの前で納付書ができるのを待ちながら、二人の会話にこっそりと注意を向ける。
「すみませんねえ。なにしろ三木山さん、ちょっと金額が大きいから。」
「まあな、自宅のほかにマンション二つばかり持ってるからなあ。」
「そうなんですか。うちもねえ、三木山さんだけに『延滞金は払わなくていいです』なんて言えないもんですから。」
「まったくがめついなあ、役所は。けどまあ、そうだろうなあ。役所だもんなあ。」
(うーん……。)
三木山様は田巻係長の言うことなら仕方ないと思ってくれるらしい。あの短い時間で信頼関係が成立したということなのか。
出来上がった納付書を持って戻ると、田巻係長が場所を空けてくれた。俺から渡せということだ。
「ご確認をお願いします。ご住所はかもめ区◇町二丁目三の一、お名前が三木山△助様。」
カウンターに置いた納付書の印字部分を指で示しながら読み上げる。三木山様はその上に屈みこんでしっかり見てくれている。
「こちらが一期、そして、二期、三期、四期、の納付書です。」
「うむ。」
うなずいてくれた。とりあえず、一つはクリアできてほっとした。隣ですぐに田巻係長が続きの説明を始めた。
「これがあれば、市内の銀行の窓口で払えますからね。ここまで来なくても、近くの銀行で大丈夫ですよ。」
「あ、そうなの? 期限が過ぎてても?」
「はい。銀行の窓口で延滞金の計算もしてくれますから――」
「あー、ちょっと計算しといてくれよ、明日払うから。」
「わかりました。」
目で合図されて、端末機で延滞金を計算。念のため、今日と明日とあさってまでの金額をメモに書き出す。
そのあいだ、田巻係長は三木山様と世間話を続けていた。今では三木山様にも笑顔が出ている。
「お待たせいたしました。」
メモの説明を、三木山様はうなずきながら聞いてくれた。
「封筒にお入れしましょうか?」
納付書用の封筒を示すと、三木山様は「おう、頼む」と気さくにうなずいた。その途端、肩の力が抜けた。
「どうも。」
「お疲れさまでした。お気をつけて。」
ぶらぶらと去って行く後ろ姿に頭を下げる。あんなに怒っていたひとが、最後には俺に返事をしてくれたと思うと、少しばかり達成感があった。
「田巻係長、ありがとうございました。」
「いえいえ。怒ってるお客さんの相手は係長の役割ですからね。三木山さん、最初から怒って来たんでしょう? 宇喜多さんは悪くないですから。」
おっとりと笑って田巻係長は戻って行った。
どんなに怒っていても、きちんと向き合って話をすれば理解してもらえる――。
次のお客様を迎えながら思った。
法律は勝手に変えることができない。困っている人のためにはそれに応じた決まりがあり、それ以外の理由――例えば個人的なつながりや脅し――で誰かを特別扱いすることはできない。だから、誠意をもって話して、納得してもらうしかない。それを田巻係長が見せてくれたのだと思う。
督促状が届いた反応はさまざまだ。怒るひともいれば、知らせてもらって良かったというひとや、遅れたことをひたすら謝るひともいる。これをきっかけに困った状況を相談しにくるひともいる。
事情も考え方も千差万別。それを聞き出し、あるいは察して、最終的に気分良く用事を済ませて帰ってもらうようにする。窓口サービスとはそういうものなのだろう。ただ、この「気分良く」という点が簡単ではないと、身をもってわかった。
(でも。)
やるしかないのだ。俺はもうここにいるのだから。
窓口がひと段落ついたとき、古森さんが「さっきはびっくりしたねえ」と声をかけてくれた。
「ああいうとき、今は田巻係長がすぐに出てくれるから助かるよ。田巻係長、相手するの上手なんだよね。」
「ああ、そうみたいですね。」
係長が出てきてから、三木山様の態度が変わっていった様子を思い出す。
「それに、お客さんの中には <長> が付く人が出てくれたってだけで落ち着く人もいるから。」
「やっぱり、そういうひともいるんですね。」
「長」が付く人――つまり、管理職ということだ。確かに三木山様は、田巻係長が名乗ったあとで落ち着いたようだった。偉い人が出てきたから信頼できるということなのか。それとも、俺みたいな若造では、自分が軽んじられていると感じるのだろうか。
「でも、最後は普通だったでしょ? 宇喜多さんが一生懸命やってるのもわかってくれたんじゃないかな。」
「そうだといいんですけど。」
もしかしたら、俺の見た目もダメだったのかも知れない。堅苦しい真面目な雰囲気が「生意気な青二才」に見えたのかも。逆に、田巻係長の少しくだけた雰囲気が馴染みやすかったのかも。
(この見た目は公務員にも向かないのかなあ……。)
最近は気にならなくなっていたのに、思い出したら落ち込んでしまった。




