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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第九章 一緒に幸せに
147/156

147 ◇ 家族の食事会 ◇


まさに不意打ちだった。


そして、ほんの一瞬だった。


なのに……忘れられない。宇喜多さんからのキス。


びっくりしてあの場にへたり込んでしまった。ああいうのって……もっと先だと思っていたから。


窓から見送るために移動するのもよろよろとつかまりながらで。見送ったあとはぼうっとして、気付いたら一時間以上経っていた。


金曜の夜で良かった。今週はテニスが無いことも。一人でゆっくりと気持ちを落ち着けることができるから。


……違うかな。


好きなだけ、あの瞬間の思い出していられるから。


あの夜の会話をたどり、景色をたどり、感触を再生し………、ドキドキ感と幸せな気持ちも何度も再生して。


驚きとふわふわした目まいのような感覚。それから……、そばにいてほしくてたまらない気持ち。―――今だって、一緒にいたいって思ってる。


こんな気持ちのまま月曜日になるのは困る。だって、近くにいたら触れたくなってしまう。それでは仕事に差し支える。


だから、今日の家族の食事会はちょうど良いタイミング。きっと、軽い緊張感が気持ちをリセットしてくれるだろう。


わたしの二十歳を祝う食事会。


お母さんがわたしに人並みのことをしてやりたいと思って開いてくれる会だ。そう思ってくれたことが十分にありがたい。お母さんのために、紙山さんにも愛想良くしよう……って、いつもやってるけど。


ただ……。


お祝いの席なんだから、お母さんの機嫌が悪くならないといいな……。





夕方、中華街の最寄り駅でお母さんと史也と待ち合わせた。紙山さんはお店で合流するそうだ。


わりと大きめの店を予約したということで、お母さんも史也もいつもよりきちんとした服装をしている。


わたしは仕事に着て行く服にした。少しは華やかにと思って髪はパールの飾りのピンで留め、普段はつけないマニキュアを――透明のものだけど――塗った。これならたいていのお店で通用するのではないかな。


「史也もやっと受験校が決まったんだよ」


ほっとした様子でお母さんが言うと、史也が笑顔で説明してくれた。


「姉ちゃんみたいに頭良くないけど、専門コースだから好きなこと勉強できるし、進路も選びやすいと思って」

「そうなんだ? 行きたいところが見付かって良かったね」


我が家の経済状況では私立高校への進学は厳しい。だから滑り止め無しの公立一本の受験だ。


「学校説明会に行ったら、就職だけじゃなくて、進学する生徒も最近は多いんだって」


お母さんが言った。


「推薦もあるっていうから、史也ももっと勉強したければ大学とか専門学校に行けばいいよ」


(え……?)


すぐには相槌が打てなかった。こんなに簡単に大学進学の話をされるなんて。


(でも……そうか)


今はわたしが独立したから、あのころよりも生活が楽なのだ。それに、わたしの振袖用に貯めていたお金もある。もしかしたら、史也の進学費用にはお父さんが手を付けなかったのかも知れない。


(そうだよね……)


史也はわたしとは立場が違う。史也は男の子で、うちの長男なんだから。お母さんだって期待してるに決まってる。


そう気持ちを整理しても、少しばかり胸が疼く。でも、そんなことは見せないようにしないと。


「チャンスがあるなら、史也も進学した方がいいかもね」

「え〜。俺は勉強は早く終わりにしたいなあ」

「あははは、就職してからだって、ずっと勉強だよ」

「え〜、そうなんだ〜。めんどくせ〜」


どれほど贅沢を言っているのか、史也にはまだ分からないのだろう。もちろん、高卒でもちゃんと仕事はできるし、お金はどんな用途にでも使えるものだけど。


「ああ、あそこだ」


中華街入口の門をくぐってすぐ。通りにひしめくにぎやかな電飾看板の中でもひときわ大きな看板をお母さんが読み上げた。


「え……、ずいぶん大きそうだけど……」


お店の前まで行って、もっと驚いた。大きいだけじゃなくて、高級そうだったから。


人目を引くメニュー看板や派手な飾り付けをしている周囲のお店と違い、そこは竹垣と植え込みというすっきりした入り口にスーツ姿の男の人が立っているだけ。ガラス越しに見える店内には、赤いカーペットの奥にチャイナドレス姿の女性が見える。


「お祝いなんだからいいでしょ?」


お母さんが先頭切って近付くと、立っていた男の人がガラスのドアを開けてくれた。奥の女性がしとやかにお辞儀をしている。そのあとに気後れした弟とわたしが続く。


「紙山さんはもう来てるって」


案内の女性に名前を告げたお母さんが言った。


奥にあるエレベーターで三階へ。そこで待ち受けていた女性に連れられて重々しい木造りのドアが並ぶ廊下を歩く。大部屋ではなく個室らしい。我が家としてはものすごい贅沢だ。


(まあ、振袖を買わなかったんだから、これくらいは平気なのか)


個室なのは気楽でいい。多少のマナー違反をしても、ほかの人に不快な思いをさせずに済む。とりあえず、ジャケットを着てきて良かった。


「どうぞ」と開けてもらった入り口をくぐると、まず最初に衝立があった。その透かし模様の向こうに丸いテーブルと着席している人影が。


(え……、二人?)


案内嬢にコートを預けている間にお母さんと史也が奥へと進む。お母さんたちと紙山さんがあいさつを交わす声が聞こえる。透かし模様の向こうで立ち上がったのは、やっぱり二人……?


「ほら、春希」


お母さんが手招きしてる。あんなに落ち着いているってことは、もう一人来るって知っていたのだ。


「うん」


お祝いに来てくれた紙山さんにあいさつしなきゃ。でも、もう一人は誰? 声では男の人のようだけど。


(まさか、お父さんなんてことはないよね?)


それは嫌だ。わたしの進学費用を使ってしまった父親に愛想良くできるほど、わたしは良くできた人間じゃない。


不安と警戒心を隠して衝立の陰から出る。真っ白いテーブルクロスのかかった丸テーブルの向こうにスーツを着た男の人が二人。一人は紙山さん。もう一人は……?


(……知らない人だ)


年齢は花澤さんくらいだろうか。グレーのスーツにピンク系のネクタイ、背格好は中肉中背……といったところ。


「こんにちは」


あいさつをして、紙山さんには笑顔を向けた。わたしの誕生日を祝うために来てくれたことは間違いないから。


でも、もう一人に対しては曖昧に微笑むことしかできない。だって、知らない人がここにいる意味が分からない。あんまりじろじろ見るのも失礼な気がするし……。


「娘の春希です。明日で二十歳」


横からお母さんがその人にわたしを紹介した。紙山さんたちの「おめでとう」という声を聞きながら、お礼を言ってお辞儀をする。


「これはうちの甥の貴博。僕の兄貴の息子です」


紙山さんが言うと、その人が「紙山貴博です。初めまして」と頭を下げた。どうやらお母さんも史也も初対面らしい。


「僕が昔から可愛がってた甥っ子でね、今度、係長に昇任することが決まったんで、春希ちゃんの成人祝いに便乗させてもらうことにしたんだよ」

「せっかくのお祝いに横から割り込んですみません」


落ち着いた声と笑顔は、まあ、普通のひとだという感じ。特に際立った印象は無い。


(昇任祝いか……)


お母さんと一緒に「いえいえ、構いません。ご昇任、おめでとうございます」と微笑みながら覚悟を決めた。今日の食事会は仕事だと思って乗り切ろう、と。笑顔を絶やさず、余計なことを言わず。


紙山さんの隣の席にお母さんが移動し、史也が続いてその隣へ。となれば、わたしにはその隣、つまり、紙山さんの甥御さんの隣しか残っていない。


「よろしくお願いします」


窓口用の笑顔で会釈して席に着く。控えていた店員さんが椅子を押してくれたとき、宇喜多さんのお誕生会のことを思い出した。


全員が着席したところで飲み物の注文と料理の確認があった。


コースの料理は全部で八品。「北京ダック」という言葉が聞こえたところで史也とこっそりうなずき合った。前にテレビで見て、一度食べてみたいと話していた料理なのだ。


「貴博さんは、お勤めは証券会社なんですって?」


店員さんがいなくなると、お母さんが会話の口火を切った。社交的なお母さんがいれば、わたしが初対面のこの人と話す必要は――たとえ隣に座っていても――それほど無いだろう。史也を相手に話していて、何か質問されたときだけ答えれば済みそうだ。


対策が決まってほっとした。テーブルにあったメニューの説明の紙を取って、史也と自分の前に置く。


「ほらほら、フカヒレの姿煮だって」

「すげ〜。これもテレビでやってるやつじゃん。姉ちゃんも初めて?」

「うん。去年の忘年会が中華街だったけど、そのときはスープだったよ」

「スープだっていいじゃん、フカヒレに変わりないんだから。ねえねえ、この漢字、なんて読むの?」

「どれ?」


(それにしてもなあ……)


史也と話しながら、憂うつとあきらめの気持ちの中に沈んでいく。


紙山さんは仕方ないとはいえ、お母さんはわたしが人見知りなのを知っているのに、どうしてわたしのお祝いの席に知らない人を「どうぞ」なんて言うんだろう。そんなに紙山さんが大事なの? それとも、まだわたしに人見知りを克服させようとしている?


どちらにしても、お母さんにとってはわたしの気持ちなどどうでも良いのだ。


「ね? そうだよね、春希?」

「え? 何?」


顔を上げたら、三人の視線が集中していた。わたしのことを話していたらしい。


「ごめん、聞こえなかった」

「あんたがテニスやってるって話」


言いながら、お母さんがええと……貴博さんにちらりと視線を向けた。貴博さんに説明しろということらしい。


「あ、はい。まだ始めたばかりなので、上手じゃないですけど」

「そうなんですか? じゃあ、まだ試合とかは……?」


貴博さんからなめらかに質問が返ってくる。


「全然無理です! そもそも職場のサークルで、練習も隔週ですから」

「ああ、そうなんですね。僕は中学からずっとテニス部だったんですよ。あのころは一年中、真っ黒に日焼けしてました」

「ああ、外の部活の方はそうですよね」


気付いたら、お母さんたちは史也も入れて三人で話してる。こうなったら、わたしは貴博さんの相手をするしかない。


(あーあ……)


自分の誕生祝いなのに、どうしてこんなに気を使わなくちゃならないんだろう? こういうことがあるから、お母さんの方に足が向かなくなってしまうのだ。


(今さら仕方ないけどね……)


貴博さんが変な人じゃなかっただけ良かったと思わなくちゃね。







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