第20話 ぐちゃぐちゃな気持ち
「……ほ、本気なの?」
声が震えたのが、自分でもわかった。
冗談であってほしいと思った。
でも、澪は申し訳なさそうに視線を伏せて、小さくうなずいた。
それだけで、息が詰まりそうになる。
「半年とか、一年くらい……会えなくなるってこと……?」
思わず口をついて出た言葉は、泣きそうな声だった。
澪があわてたように顔を上げて、すぐに否定する。
「違う、違うよ。そんなに長くは行かない。一ヶ月だけ。春休みの間だけなんだ」
「……一ヶ月?」
「ちょうど定期テストが終わったあとから、二年の始業式の直前までなら、出席扱いにしてもらえるって。学校にも確認してあるから、進級は問題ないよ」
「……そんなに、ちゃんと考えてたのね」
心の中にあったざわめきが、少しずつ形を持ち始める。
一番に相談してほしかった。黙って進めてたことに、寂しさを感じないわけじゃなかった。
「……ごめん。もっと早く言うべきだったよな。でも、夏希を混乱させるかもって思って……なかなか言い出せなかった」
澪の声は、かすかに掠れていた。
きっと、悩んでたのだ。伝えるかどうか、何度も。
蔑ろにされたなんて、思うわけがない。
それでも、伝えてくれなかったことは、やっぱり少し引っかかってしまう。
「……えらいと思う。ちゃんと自分で調べて、行動して。すごいわ」
やっとの思いで絞り出した声は、自分でも驚くほど冷静だった。
でも、心の奥はぐちゃぐちゃだった。
(私との時間よりも……大事なこと、あるんだ)
そんなふうに思ってしまった自分に、また自己嫌悪が押し寄せてくる。
応援したい気持ちは、ちゃんとある。でも、置いていかれる気がして、怖くて、寂しくて。
「……まだ、決まったわけじゃないんでしょう?」
「あぁ。まだ行こうと思ってるって段階だから」
「そう。……じゃあ、また、何か進展があったら知らせて」
これ以上、この話を続けたくなかった。
知らせてなんて言いながら、本当はもう聞きたくないとも思っていた。
——たとえ一ヶ月だとしても、私と離れる方向で進んでいく未来なんて。
◇ ◇ ◇
数日が過ぎた。
お互い、変わらないように振る舞ってはいたけれど、どこかよそよそしさがあった。
私の中でも、答えは出ていなかった。
応援したい。でも、離れたくない。その間で、揺れ続けていた。
サッカー部の放課後練習がなくて、澪と一緒に並んで帰っていたとき。
最寄り駅の改札をくぐり、家が近づいてくると、ふいに言葉をかけてきた。
「夏希、このあとウチに寄ってくれないか?」
「えっ——」
心臓が跳ねた。
話の続きをしたいんだと、すぐにわかった。
(行きたくない……また、あの話になる)
足が止まりそうになる。けれど、澪はまっすぐに私を見て言った。
「お願い。……今日だけでいいから。ちゃんと話させてくれ」
その目を見てしまったら、もう断ることなんてできなかった。
澪の部屋に入るのは、少し久しぶりだった。
冬の冷たい風がまだ残る夕方。エアコンの音だけが、しんとした空間に響いている。
「ありがとな。来てくれて」
「別に……で、話って?」
私はベッドに腰を下ろし、直球で切り込んだ。
澪は少し緊張したように、私の向かいに座り、膝に手を置いた。
「留学に行きたいって、半端な気持ちで言ってたわけじゃないけど……夏希が嫌だって思うなら、やめるよ」
「……は?」
思わず、自分の耳を疑った。
「……本気で言ってるの?」
「あぁ。俺、夏希と過ごす時間を犠牲にしてまで行きたいって、思ってるわけじゃないんだ。でも——」
言葉を切った澪が、じっと私を見つめてくる。
「将来、社会人になって、二人とも仕事が忙しくなって、なかなか会えなくなる……そういうの、嫌だなって思ってさ。英語ができれば、進路の選択肢も広がるし、待遇も違う。遠距離恋愛にだってならなくて済むようになるって考えてた。……本当は、自分の成長なんかより、そっちのほうが大事だった」
静かに、それでいて熱のこもった声だった。
「本当に成長したいなら、半年とか一年くらい行くほうがいいんだろうけど……そんなに長く離れるのは無理だって思った。だから、一ヶ月にした」
「っ……」
何も言えないでいる私に、澪は優しく続けた。
「俺は、卒業してからも、夏希と一緒にいたい。だから、ちゃんと今から準備しておきたい。でも、もし俺のせいで不安になるくらいなら——行く意味なんて、ないって思ってる」
「澪……っ」
キッパリと言い切るその姿に、胸がいっぱいになった。
(そんなに、考えてくれてたんだ……。私との未来まで)
泣きそうだった。嬉しくて。情けなくて。
自分のことしか考えられていなかった自分が、恥ずかしかった。
足枷には、なりたくない。
——何より、澪にそう思わせるような女になりたくない。
「……行ってきなさい」
その言葉は、自然と口からこぼれ落ちた。
「え……いいのか?」
澪が目を丸くする。
私は、ゆっくりとうなずいた。
「えぇ。今度は嘘じゃないわ。私だって、澪の決めたことは尊重したいし、応援したいもの」
「夏希……」
「でも、その代わり——」
私は澪の胸に手を添えて、イタズラっぽく微笑んでみせた。
「定期的に連絡しないと、怒るわよ」
「もちろん。毎日するよ」
「それは難しいでしょ。……余裕があるときだけでいいから」
つい、呆れたように笑ってしまうけど、心は温かかった。
そして、少しだけ澪から目を逸らして——もう一歩、踏み出した。
「それと……」
「ん?」
「留学に行くまでの間、ちゃんと安心させてよね」
照れ隠しのつもりだったのに、声が震えてしまった。
澪は驚いたように目を見開いたあと、すぐに優しく微笑んで、
「——もちろん」
力強くそう言って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
鼻先をくすぐる澪の匂いと、包み込まれるような温もりを前に、平常心なんて保てるわけもなくて。
「澪……」
甘えるように彼の名を呼びながら、彼の首に腕を回して、自分から唇を重ねた。
わかってるよ——。
そう言うように、澪の目元が柔らかな弧を描き、そっとベッドに押し倒される。
覆い被さってくる彼の体を抱きしめ、伝えてくれる愛に応えながら、私は静かにまぶたを閉じた。
(もう、大丈夫)
だって、不安も寂しさも全て、澪の熱が溶かしてくれたから。
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