第17話 近づく距離
——日曜日。
照りつける太陽に、海と砂浜がきらきらと輝いていた。
「なんとなく避けてたけど、サングラス買っとけば良かったな……」
「そうね。まさかここまでとは思わなかったわ」
澪のつぶやきに無難に返したけど、それは眩しさよりも、心のざわつきを隠すためだった。
(い、いよいよだ……)
浜辺の端で荷物をまとめて、澪がTシャツを脱ぎ、海パン姿になる。
「っ……」
背中がちらっと見えただけで、心臓が跳ねた。
触れたことだってあるのに、改めて見ると妙に意識してしまって、変な汗がにじむ。
(見るだけでもこんなにドキドキするのに、見られたら……っ)
自分で選んだ水色のビキニすら、大胆なものに思えてきた。
だって、肩もお腹も足も背中も、体の大部分をさらけ出すことに変わりはないのだ。
でも——、
「大丈夫。絶対似合ってるし、その、正直見てみたいんだけど……だめか?」
そう言われたら、もう見せないわけにはいかなかった。
(せっかく買ったのに、もったいないわよね)
自分にそう言い聞かせて、ゆっくりとパーカーのジッパーを下ろしていく。
やっぱり上着を羽織ってほしいと言われたときは、似合ってなかったかと怖くなったけど、独占欲だとわかった途端、胸がふわふわと軽くなった。
「澪もわがままね。脱げと言ったり、着ろと言ったり」
ちょっとだけ意地悪な声で返す。
すると、澪はあたふたと取りつくおうとして——それが、また可笑しくて。
(……これくらい、仕返ししてもいいわよね)
澪に近づくと、すっと背伸びをして、耳元へ唇を寄せる。
「——私も、澪以外には見られたくないから」
そう囁いたとき、澪がギシッという音を立てて固まった。
言ったこっちも顔が熱いけど、もう止められなかった。
「なにぼーっとしているのよ。置いてくわよ?」
イタズラっぽく言い捨てて、ぱっと背を向ける。
妙にくすぐったり気持ちになり、砂浜を駆け出した。
すると、不思議なもので。
さっきまであんなに恥ずかしかったはずなのに、いざ砂浜に立ってみると、胸が軽くなった。
「——えいっ」
「おわっ⁉︎ やったな!」
不意打ちで水をかけると、澪は驚いたあと、やり返してきた。
「バカ、冷たいわよ!」
「先にやったのは夏希だろ!」
お互い、びしょ濡れで笑い合いながら、何度も波に足を取られて転びそうになった。
(……なんか、変ね)
笑いながら、ふと気づく。
自分から水をかけたり、距離を詰めたり。昔の私なら、絶対にやらなかったことばかり。
なのに今は、素直に楽しいって思える。
澪と一緒なら、それでいいって——そう思える。
波が二人の足元を洗って、また戻っていく。
ふいに、澪が私の髪についた水滴を指で払ってくれた。
「……ありがと」
「っ……なに照れてるんだよ」
「そ、そっちこそ」
頬が火照るけど、それもなんだか心地よかった。
(こんな時間が、ずっと続けばいいのに)
心から、そう思った。
——でも、売店をひやかしがてらトイレに行ったあと、澪の様子が少しおかしくなった。
集合場所に戻ってきたときに、顔がこわばっていた。
(なにか、あったのかしら……?)
まさか、本当は退屈だったとか。
私が浮かれているだけで、澪はどこかで冷めていたりするんじゃ……。
自分でもバカみたいだと思いながら、そんな不安が頭をよぎる。
だからこそ、昼食の際にテーブルに腰を下ろしたとき、おそるおそる尋ねた。
「ねぇ。本当に、海で良かったの?」
思った以上に弱気な声が出た。
「えっ? な、なんで?」
「さっきから、あまり楽しそうじゃなかったから……」
「いや、そうじゃなくて……!」
思わずうつむいてしまうと、澪が慌てたように言葉をかぶせてきた。
ポケットに手を突っ込み、何か小さなものが取り出す。
「これ……」
目を見張る。
それは、さっき売店で私が何気なく「かわいい」とつぶやいた、イルカのストラップだった。
しかも——、
「……ペアよね」
そうつぶやくと、澪がばつの悪そうな表情で、
「さりげないし、いいかなって。……嫌だったら別に——」
「——澪」
私はピシャリと声を重ねた。
心配して損した、なんて思いながら、上着のジッパーを軽く上げ下げする。
「独占欲を発揮するなら、もっと堂々としなさいよ」
「あっ……」
澪が間抜けな表情で固まった。
(……ほんと、こういうとこよね)
その不器用さも含めて好きになってしまったのだから、仕方ない。
でも、それとは別に、やはり堂々としてほしいとも思う。
(だって、私が好きになった人なんだから)
たとえ澪であっても、澪のことを卑下してほしくなった。
「前にも言ったでしょう? 澪が私のために頑張ってくれたなら、嫌がるわけないって」
「うっ……ごめん」
澪は申し訳なさそうに瞳を伏せた。
こんな素直な反応をされたら、それ以上なじることなんてできない。
「……ペアじゃなかったら、許してないから」
照れ隠しついでに念を押して、ストラップを手に取る。
光にかざすと、イルカたちがちりちりと夏の日差しを跳ね返した。
ちょっと不恰好だけど、それが嬉しくてたまらなかった。
そのあと、お礼を伝えたら、そっと手を握ってくれた。
彼の表情は、いつになく決意に満ちたものだった。
(……なんなのよ、もう)
そんな目で見つめられたら、変な気分になってしまう。
澪に触れてほしい——。
そんな思いがどんどん膨らんで、抑えきれなくなった私は、背中に日焼け止めを塗ってもらうようお願いした。
「手が届かないのよ」
素っ気なく言ってはみたけど、内心はバクバクだった。
日焼け対策だから、と自分に言い聞かせるけど、内心ではどうしようもなく期待していた。
そして、指先がそろそろと背中に触れた瞬間、
「っ……」
反射的に、ぴくっと反応してしまった。
くすぐったくて、思ってたよりずっとあたたかくて——。
けど、すぐに澪の手が引っ込んだ。
「ど、どうしたのよ?」
「いや、その……びっくりするくらい、すべすべだったから」
「なっ……⁉︎ ば、バカなこと言ってないで、早く塗りなさいよっ」
耳まで真っ赤になりながら言い返すと、澪はどこか照れつつも嬉しそうに笑って、再び手を伸ばしてきた。
(ん……)
指が背中をなぞるたびに、声が漏れそうになる。
太陽より、海風より、澪の手のひらのほうがよっぽど火照らせてくるなんて——
(もう……なにこの気分……)
海風が当たってるせいか、いつもより敏感になってる気がする。
私も、今この瞬間だけは完全にスキンシップの虜だった。
塗り終わったあと、お礼を言おうとして、澪の様子に違和感を覚えた。
「どうしたのよ?」
「ごめん……ちょっと、待って」
澪は気まずげな表情で、不自然に腰を引いていた。
(あー……)
わかってしまった。
「……変なこと言ってるからよ」
呆れてみせながらも、自分が女であることにちょっとだけ安堵していた。
「いや、本当に綺麗だったし……それに、夏希にも責任はあると思う」
「な、なんでよ。あんたがむっつりなだけでしょ。いえ……最近はがっつりかしら?」
「なっ……! そ、そういう夏希だって、けっこう積極的——ふぐっ!?」
反射的に、澪の頬を掴んでいた。
(誰が積極的よ……っ)
頬を引っ張りながら、睨みつけて言い放つ。
「私はあんたが煩悩まみれだから、仕方なくよ。進んでやってるわけじゃないから」
「ちょ、痛い痛い!」
「あっ、ごめんなさい」
澪が本気の悲鳴をあげたので、手を離してあげる。
でも、先程の失言に対する仕返しは、まだ済んでいない。だから——
「お詫びにやり返していいわよ。今なら、ね?」
私はスッと立ち上がって、両腕を広げてやった。
「お、おい、それはずるいだろ!」
「自業自得よ。ほら。五、四——」
「ちょ、ちょっと待って!」
カウントダウンまで始めて、勝ち誇った顔で見下ろしてやると、澪が情けない声を上げた。
でも、それだけ。昂りがまだ収まっていない証拠だ。
(まったく、自分の性欲を人のせいにしないでほしいわ)
私は求められたから応じているだけで、自分からお願いしたことはない。
してもらってるのだって、あくまで澪が「お返し」をすると言ってくるからだ。
——さっき、日焼け止めを塗ってもらって変な気分になっていたのは、どこの誰かしらね。
そう囁きかけてくる心の声は無視して、私は「仕方ないわね」なんて言いながら、澪の隣に腰を下ろした。
気がつくと、足をバタバタさせていた。
高校生にもなって子供っぽいなとは思ったけど、やめようとは思わなかった。
そのまま潮風を浴びていると、澪がすくっと立ち上がる。
「あら、もう大丈夫なの?」
「意識させるなって」
澪が居心地悪そうに顔を背けるのがかわいくて、声を上げて笑ってしまう。
「わ、笑うなよ……」
そう拗ねたように言うのもまたかわいらしいのだから、私の彼氏もなかなかにタチが悪い。
(もうちょっと自信を持ってもいいと思うけど……まあ、そこも澪の魅力よね)
——なんて余裕を持っていたこのときの私は、自信をつけた澪に迫られたらどうなってしまうのかなんて、想像もしていなかった。




