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「私から紗友里ちゃんに告白することは絶対にないわ。この先もずっと」
「じゃあ、あっちがコクってきたらどうするの? その時は付き合うの?」
「いいえ。キッパリと断るつもりよ。お受けすることはできないわ」
「はぁぁぁ?! どうしてそうなるのよ」
仰天と憤りが籠った声でリリィが叫ぶ。
由利香の思考がさっぱり理解できないようだ。
「私が女の子と交際していることを知ったら、お父様が悲しむからよ」
「何それ。親なんて関係ないでしょ」
「いいえ、大いにあるわ。だって私はたった一人の跡取りだもの。私に子供ができなければ、お父様の会社は私の代で終わってしまう。それだけじゃない。宮園家そのものが途絶えてしまうのよ」
「跡取りとか子孫とか、アンタってば、そんなこと気にしてたの?」
拍子抜けした様子のリリィ。
彼女はもっと他の事情があると予想していたのかもしれない。
「どれも大切なことよ。私は今まで深い愛情を注いでくれたお父様に感謝しているわ。だから、何としても期待に応えたいの。会社を成長させて、最後は自分の子供に託す。それが私に与えられた役目だと思ってる」
「だとしても、紗友里を諦める必要はないでしょ。そんなに会社が大事なら、仕事を頑張ればいいことだし、後継者の問題も養子を迎えればクリアできるじゃない」
そこまで単純な話ではない。
それができるなら、とっくにそうしようと決めている。
由利香は窓辺に移動すると、夕暮れの空を見ながら、こう言うのだった。
「実はね、もう決まっているのよ。私の結婚相手。いわゆる許婚というものね」
「噓でしょ……」
本当である。
すでに挨拶も済ませている。相手は由利香より五つ年上の好青年だった。
地元の有力な政治家の長男で現在は大学四年生。来年の春には大学院へ進学する予定だ。
相手の親はその資金力で会社経営をバックアップすることを約束してくれている。
由利香の父、久志にとって心強い存在であった。
「だから、もう遅いのよ。今さら婚約破棄なんてできない。そんなことをすれば、お父様がどれだけ苦しむか、あなたにもわかるでしょう」
薄っすらと目に涙が滲む。
泣くわけにはいかない。これは悲しいことではないのだ。父の力になれる喜ばしい話なのだから。
しかし、紗友里のことを考えると、胸の奥から切ない気持ちが込み上げてくるのだった。
「アンタ、ホントにそれでいいわけ?」
「ええ。私は高校を卒業したら、お父様が勧める大学に進学して、お父様が経営する会社に入って、お父様が連れてきた男性と結婚するわ。そして、子供を産み育て、普通の女として生きていくのよ」
それでいい。そうすることが最善なのだ。
父の期待を裏切らない。誰も損をしない。無難な生き方を選ぶだけ。
とっくに覚悟はできている。後悔はない。
「あたし、アンタと似たような立場だった人を知っているわ。彼女も親が決めた相手と結婚することになっていたんだけど、他に本命の相手がいたの。それは女の子だった。ごく普通の村人だけどね」
リリィは昔のことを思い出すような表情で語る。
「好きでもない男と結婚するくらいなら、一緒に駆け落ちしようって、その村人の女の子は言ったわ」
「駆け落ち……。素敵な響きね」
紗友里とどこか遠くへ逃げるのはロマンチックだと由利香は感じた。
「二人は駆け落ちを選んだ。でも、愛の逃避行は長くは続かなかった」
「あら。どうして?」
「世間がそれを許さなかったから。女同士でラブラブするのは異端だって言われたの」
「そうかもしれないわね」
「二人の愛は認められない。そういう時代だったから」
「同情するわ。他人事とは思えないもの。それで、彼女たちはどうなってしまったのかしら?」
「最後は二人で真冬の冷たい湖に飛び込んで心中したわ。あまりにも寒くて身体が全然動かなかったから、そのまま底に沈んで二度と水面に浮かんでくることはなかった」
「そう……。悲しい結末ね」
これは悲劇だ。
いや、果たしてそう言い切れるだろうか。ある意味ではハッピーエンドなのかもしれない。
二人はこの世を離れても、強い愛で固く結ばれ続けているはずだ。
何のしがらみもない自由な世界で永遠の愛を紡ぐ。
悪い話ではないだろう。
由利香は密かに「羨ましい」と思っていた。
「でもアンタはまだ生きてる。紗友里も生きてる。チャンスは残っているはずよ」
「チャンス……。考えもしなかったわ」
「諦めるのはまだ早いってことよ。運命に抗う気はない?」
「どうかしらね。やっぱり難しいと思うの。私にとって、紗友里ちゃんもお父様も大切な存在だから。でも、最終的にはどちらかを切り捨てなければいけない。とても心が痛む選択だわ」
紗友里と付き合うことになれば、婚約の話は考え直す必要がある。
しかし、それだと父を裏切ってしまうことになる。
「意気地なしね。愛に勝るものはないわ。いいから紗友里を選びなさい。一生後悔するかもしれないわよ」
リリィは紗友里との未来を選ぶことを強く推してくる。
「ごめんなさい。私はお父様を選ぶから」
「何? ファザコンなの?」
「それもあるかもしれないわね。でも、もっとシンプルな理由よ」
「ふーん。言ってみなさいよ」
紗友里ではなく父を選んだ根拠。
それは「裏切り」の有無であった。
「紗友里ちゃんを選べば、お父様との約束を破ることになるわ。けど、お父様との約束を守ることは紗友里ちゃんを裏切ることにはならない。だって、今はまだ私と紗友里ちゃんは付き合っていないもの。最初から恋人にならなければ、お互い傷つかずに済むでしょう」
紗友里との関係は友達である。ここは親友というべきか。
まだ恋人にはなっていないので、このまま友人として関わり続ける道を選ぶこともできるのだ。
「つまり、勝負しないってことね。紗友里から逃げるの?」
「逃げるわけじゃないわ。今の距離を保つのよ。友達以上、恋人未満。私たちは特別な関係ではあるけれど、そこに恋愛感情は存在しない。カップルではなく、親友として仲良くするの」
「それで満足できるわけ?」
「できるわ。してみせる。そのためにあなたと契約をしたのよ」
紗友里と交際することは最初から考えていなかった。だが、彼女が好きだという気持ち はどうやっても消せない。
もどかしさと切なさで胸が苦しくなる。紗友里を弄びたいという欲求が我慢できなくなった。それを解消するために、悪魔の力を使うことになったのだ。
「私に自由が許されているのは高校を卒業するまで。その間に紗友里ちゃんを存分に堪能することにしたの」
部室という特殊な環境を用意した。それから、そこには誰も近づかないように結界を張り巡らせた。
結界の内側では外部からの干渉を受けない。紗友里とどんなことをしていても、誰にも邪魔される心配はないのだった。
自分と紗友里だけの空間。そこで彼女に愛をぶつける。
やりたいことをとことんやり尽くし、それが済めば紗友里の記憶を消す。
何度でも、いくらでも、紗友里を味わう。高校卒業の日が二人を分かつまで、戯れを続けるのだ。
「私は悔いを残さない。紗友里ちゃんとたくさん思い出を作るから」
付き合うことだけがすべてではない。愛の形は他にもある。
由利香の愛は紗友里を傷つけないことであった。
「もし私たちが付き合ったとしても、どうせ高校を卒業する頃には別れなきゃいけないでしょう。それだと紗友里ちゃんを悲しませることになっちゃうわ。つまり、私たちに未来はないの。それがわかっているのに交際をするのは、あまりにも残酷だと思うのよ」
別れは辛い。名残惜しさが尾を引いて、嘆きと悲しみを生むことになる。
それを避けるために、始めから交際をしないという選択をするのだ。
「だから私は紗友里ちゃんとは付き合えない」
由利香は悟った目をしながら言った。
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