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百合×百合オペレーション  作者: 平井淳
第一章:ドキドキ放課後勉強会作戦

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感想をお待ちしております。

 私がせっせと文法の練習問題を解いていると、宮園さんが黒板の上部にある掛け時計に目を向けた。


「……あら、もうこんな時間だわ」


 現在の時刻は十八時三十分。最終下校時刻の十九時まで残り三十分といったところだ。


 窓の向こう側にはオレンジ色の夕焼け空が広がっている。五月に入り、最近は日が長くなってきたように感じる。この時間でもまだ空は少し明るい。


「今日はここまでね。続きはまた明日にしましょう」


 英語と数学を教えてもらう予定だったが、英語だけでタイムオーバーとなってしまった。しかし、時間を忘れるくらい集中できていたので、とても有意義な勉強会になったと思う。


「今日はありがとう、宮園さん。次のテストではいい点が取れるように頑張るね」

「ええ。松浪さんならきっとできるわ」


 宮園さんは教え方が本当に上手だった。今まではちんぷんかんぷんだった問題がスラスラと解けるようになったのである。


 英語が苦手な私でも理解しやすいように噛み砕いた表現で説明してくれたことが大きい。そのおかげで頭が混乱せずに済んだ。内容がすんなりと頭に入ってきたのだった。


 宮園さんは荷物をまとめて席を立つ。私も参考書やノート、筆記用具をカバンに詰め込み、急いで立ち上がる。


「それじゃあ、帰りましょう」

「あの、トイレに行ってもいいかな……?」


 結局、部活中は一度も部屋を出なかった。三時間近くずっと勉強をしていたのである。そのくらいの時間が経てば一回くらいはトイレに行きたくなる。


「そうね。私も行っておこうかしら」


 扉を開けて部室を出ると、薄暗い廊下にユリエルさんがポツンと立っていた。

 ずっと待っていてくれたんだね。ありがとう。


 彼女は私の目を見て「勉強会はどうでしたか?」と尋ねてきた。

 宮園さんにはユリエルさんの姿が見えていないらしく、声も聞こえていないようだ。


 いい感じだったよ、と私は心の中で答えた。

 

「そうですか。よかったです。紗友里さんが緊張し過ぎて変なことをやらかさないかドキドキしてましたよ」


 緊張したのは最初だけだった。それ以外はずっと勉強に集中していた。


「これからも上手くやっていけそうですね」


 うん。心配ないと思うよ。


 私と宮園さんは廊下を進んでいく。ユリエルさんはその後ろから見守るようにしてついてくるのだった。


 廊下の電気は一部切れかけているものがあり、チカチカと白い光が点滅している。

 昼間よりもさらに不気味さが増していた。夜にここを一人で歩くのは怖い。


 階段を通り過ぎ、その横にあるトイレに入る私たち。

 旧校舎のトイレには花子さんがいると宮園さんが言っていたけど、まさか本当に出てきたりしないよね?


 スイッチを押すと天井に吊るされた電球にオレンジ色の光が灯り、トイレ内をぼんやりと照らした。


 壁や床、個室の仕切りもすべて木でできている。旧校舎は戦前に建てられたものであるらしく、当時の面影を残しているのだった。


「どうかしたの?」


 なかなか個室に入ろうとしない私に宮園さんが声をかける。


「な、何でもないよ」


 怖くて中に入る勇気が出ない、とは言えなかった。

 この歳にもなって一人でトイレに行けないなんて、宮園さんに情けないと思われちゃう。


 宮園さんは先に個室に入っていった。怖くないのだろうか。

 私はまだ動けなかった。なかなか決心がつかないのである。


『怖がりですねぇ、紗友里さんは』


 ユリエルさんが私を揶揄う。

 仕方ないでしょ。ホントにお化けが出てきそうなんだもん。


『私が一緒に入ってあげますから。それなら怖くないでしょう?』


 恥ずかしいから嫌だよ。ユリエルさんはそこで待ってて。


『無理しなくていいんですよ?』


 別に無理なんてしてない。私はもう子供じゃないんだから。


 と、強がってみたものの、怖いものは怖かった。

 

 うう……。多分大丈夫だよね?


 近くには宮園さんとユリエルさんがいることだし、お化けが出ても叫んだら助けてくれるはず……。


 私は勇気を振り絞り、個室に入った。


 うわ、やっぱり和式トイレかぁ。使いにくいから嫌だなぁ。


 扉を閉めると光が全然入ってこないため、中はさらに暗くなった。

 足元が見えにくい。うっかり便器に足を突っ込んでしまわないように注意しないと。


「わぁー」


 耳元で驚きと歓喜が混ざったような声がした。


 ユリエルさん? 入ってこなくていいって言ったのに。


「お姉ちゃん、一緒に遊んでくれるの?」


 いや、この声はユリエルさんじゃない。もっと幼い感じの声だ。


「だ、誰?」

「花子だよ。お姉ちゃんは?」


 花子……?

 まさか、それって……。


 宮園さんが言っていた噂は本当だったんだ。

 トイレの花子さんは実在したのだ!


 右手にひんやりとした感触が伝わる。

 花子さんと思われる子が手を握ってきたのである。


 体温を感じない。その手は明らかに人間のそれとは異なるものだった。

 

「ひっ……いぃ……」


 助けを求めたいのに声が出ない。

 その代わり、目から涙が溢れ出す。

 

「ねぇねぇ、お姉ちゃんのお名前も教えてー」


 無邪気な女の子の声が右下から聞こえてくる。

 そっちの方を向いてはダメだ。花子さんの姿が見えてしまう。


「あっ……あぁ……」

「どうしちゃったの? 聞こえてるー?」


 恐怖で身体が震える。

 何もできない。ここから逃げ出したいのに。


「お姉ちゃん、具合悪いの? じゃあ、今日はやめておくね。また元気になったら遊んでね」


 右手の感触がスッと消えた。

 もう女の子の声も聞こえない。


 今のは何だったのだろう?


 まだ身体の震えは続いており、目には涙が溢れていた。

 

 同時に股から温かい液体が流れ出し、太ももの内側、ふくらはぎ、くるぶしを伝って床へこぼれ落ちていくのだった。


 それを止めようとしても止められない。下半身に力が入らなかった。


 コンコン、と扉を叩く音がした。


「松浪さん? どうしたの? 大丈夫?」

 

 宮園さんが呼んでいる。

 ずっと出てこない私を心配しているようだ。


 ギィィィィィ……。


 私は俯きながら、ゆっくりと扉を開けた。

 頬を伝う涙を拭うことも忘れたまま。


「よかったわ。返事がないから心配で……」

「ううっ……うぐっ……」

「あっ」


 宮園さんは床に広がる水溜まりを見て、この状況を察するのだった。


 ぴちょん……ぴちょん……。


 スカートの裾から水滴が滴り落ちる。


 私の足元は水浸しになっていた。

 ソックスも上履きもぐしょぐしょだ。


「ごめんなさい、松浪さん。私が意地悪をしたせいよね……」


 なぜか宮園さんが謝ってきた。

 彼女は何も悪くない。


「ひっく……ひっく……」


 さっきの状況を説明したいのに、私はまだ気持ちが落ち着かなかった。言葉が出てこないのである。


 恐怖から脱した安堵感でさらに涙が溢れ出す。


「これからは部活中もお手洗いに行っていいことにするわね。だから、バケツにする必要もないし、我慢しなくていいの。その……さっきは本当にごめんなさい」


 彼女は勘違いをしているみたいだ。

 どうやら、私が我慢できずにトイレまで間に合わなかったと思っているらしい。

 

 こうなってしまったのは花子さんのせいである。

 しかし、まだ何も言えなかった。


 その後、冷静さを取り戻した私が、この惨状を宮園さんに見られてしまった恥ずかしさで悶絶したことは言うまでもない。

お読みいただきありがとうございます。

感想をお待ちしております。

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