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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
三章 殉教者カルネ

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46話 鳴動(2)

――帝都アルベラム。


 物々しい堅牢な外壁に囲まれた城塞都市。

 魔物の侵攻も寄せ付けぬ強固な守りを誇り、幾度か穢れの影響を濃く受けた魔物の襲撃も寄せ付けぬほど。


 領内の岩山から切り出された頑強な石材を積み上げ、さらに竜種から得た極大の魔石を五ヶ所に埋め込むことで魔法障壁を展開している。

 天変地異さえ退けると言われる鉄壁の守りを、民衆は畏敬を込めて"ガルディアの壁"と呼ぶ。


 外界と隔絶された帝都の民は、穢れの恐ろしさを知らずに平和を享受しているのだろう。


「すごい、すごいよ!」


 ユノは目を輝かせて外壁を眺める。

 あまりの規模に、見上げた首が痛くなるほど。


「ご立派な壁ですねえ。魔物を気にせず眠れるのは……まぁ、幸せなことなんでしょう」


 随分と恵まれた環境だ、とヴァンは肩を竦める。

 限られた区域の中とはいえ、命の危険と縁がない生活を送れるのだ。

 定住を望む者は後を絶たないはずだが、さすがに他所からの受け入れはしていないだろう。


 ただ、羨ましいとは思えない。

 閉ざされた空間での生活よりも、外界で生き抜くための力を得る方がよほど自由を味わえると思っていた。


 しかし、往来を進むにつれて認識が変わっていく。

 人々の営みは活気に溢れ、その表情には希望が見えた。

 賑やかな様子はデオン伯爵領での光景に似ている。


「これなら、聖域加護なんて要らねえと思うんだがな」

「いや、そうとも限らんさ」


 グレンが呟くも、リスティルは首を振る。

 問題は魔物だけではない。


「ヘレネケーゼの聖域加護は穢れそのものを退ける。大地が死に絶えないとなれば、水源の確保も農耕にも不便しないだろう」


 露店に並ぶ野菜はどれも新鮮だ。

 帝都を含め、近隣地帯は聖域加護によって最低限の地質を保っている。

 だが、一足でも加護から離れれば、そこには穢れによって荒れ果てた大地が広がっているのだ。


 しかし、ヴァンは不愉快そうに街並みを眺める。


「"帝国"とは名ばかりで、今では帝都のみが現存する小領地……過去を忘れられない豚共をもてなすために、最下層は奴隷のように駆り出されるとかなんとか」


 この窮屈な壁の中に、大災禍から逃れてきた領主たちが集まっている。

 贅の限りを尽くすには帝都アルベラムは狭すぎた。


「ヘレネケーゼを支配すれば、帝国は捨て置いた不浄の地さえ奪還出来るかもしれませんし。先の事を考えれば、退くことはまず無いでしょう」


 そうして、無為に命を散らされていくのでしょう……と、ヴァンは呆れたように肩を竦める。

 あまり帝国に良い印象を持っていないらしい。


 シェーンハイトの協力もあって、既に帝国の事情は下調べが付いている。

 歪ではあるが、国としての体裁を保っている数少ない場所だ。


 戦争意欲を高めている根底の部分には、将軍の存在が大きく関わっている。

 彼に対して説得を試みるとして、問題は如何にしてラースヴァルド将軍と接触するかだった。


「声を掛けたところでまともに取り合ってくれねえだろうしな」

「くく、そうとも限らんさ」


 グレンが腕を組む横で、リスティルは余裕の笑みを浮かべていた。

 前回の未来予知によって得られた光景の断片が、有効に活用できると踏んでいた。


「かの将軍は『死剣』の異名を持つ。まあ魔術にも秀でた才があると聞くが……たとえ骸に成り果てようと、気高き武人の血が通っているに違いない」


 確実性の高い情報があるのだろう。

 接触をするにあたって、問題となる壁はないと判断していた。


「噂をすれば、あちらに……」


 ヴァンが言い終える前に、道行く人々が熱狂したように声を上げた。

 堅牢な鋼の門が開き、現れたのは漆黒の鎧に身を包んだ骸骨の騎士だった。


『――ガルティアの民よ! 猛き者たちよッ!』


 臓腑を揺さぶるほどの、勇ましくも悍ましい声が響き渡る。

 歓迎する民衆たちの声の中にあっても、明瞭な重低音として居合わせた全員の耳に言葉が届いていた。


 彼を先頭にして、付き従うのは不死の軍勢。

 足音の一つさえ乱れることのない、極めて統制の取れた死の騎士団。

 騎士たちは布の被さった巨大な荷車を引いて、民衆の前に停めた。


『此度は、死街を二つ――ラヴァナ・ペレシアを解放したッ!』


 二つの街は両方とも帝都から北西へ向かった場所にある、聖域加護の外に位置する街だった。


 穢れの影響を強く受けて、魔物が跋扈する危険地帯。

 単なる魔物であれば退けることは容易いが、ラヴァナ・ペレシア近隣を縄張りとする魔物は、大災禍以降、大量の穢れを吸収して成長し続けてきた。


『――刮目せよッ!』


 その言葉を合図に、荷車から布が取り払われる。

 中から出てきたのは巨大な魔物の死骸だった。


「……忌竜カペレスト」


 グレンは驚いたように声を漏らす。

 黒く骨張った体躯と、細長い無数の翼。

 鳥類にも似た外見をしているが、体表を覆う細かな竜鱗を見れば判別が可能だ。


 直立しても四メートル程度の小さな竜だが、それ故に身のこなしは素早い。

 だが一番厄介なのは、体内に大量の毒素を溜め込んでいることだ。


「爪を掠めれば致死、取り巻く瘴気は心肺機能を大幅に低下させ、息吹は触れたもの全てを枯れ果てさせる……出会うのも御免な魔物だ」


 もし討伐出来たとして、後遺症に悩まされることは想像に難くない。

 秀でた魔術師の一団でもいれば脅威足り得ないだろうが、剣を生業とする傭兵たちからは"稼業潰し"と恐れられているほど。

 実際に討伐に成功した者は個・軍を問わず存在しているが、その後も戦場に立ち続けられた者はいない。


 その生態は謎に包まれているものの、一貫して穢れの濃い地域に生息している。

 特に帝都近隣は、聖域加護の間際まで死した大地が広がっているため、忌竜カペレストが縄張りとする条件は整っていた。


 そして、ラースヴァルドが今回討伐してきたのは、そのカペレストの"群れ"だった。


 複数の死骸が荷車に積まれている。

 不死の身であれば致死毒も意味を成さないだろうが、それでも討伐は困難を極めるだろう。

 他の竜種とは異なった生態を持つため、忌竜カペレストに手を出す者は少ない。


 帝国は極めて高い軍事力を誇る。

 その上、個として最大級の将軍が猛威を振るっているのだ。

 並大抵の勢力であれば、戦を交えるまでもなく白旗を挙げることだろう。


『奪還したとはいえ、未だ死した大地であることに変わりない。真に帝国の姿を取り戻すために、我々にはやらねばならぬことがあるッ!』


 熱狂は増すばかりで、誰もが彼に心酔している。

 それは麻薬のように精神を蝕んで、死の恐怖さえ滲ませてしまう。


――聖地をッ!


――聖地をッ!


 民衆が次々に叫ぶ。

 農夫が、老婆が、幼子が、商人が、誰も彼もが声を荒げるように。


――聖地をッ!


――聖地をッ!


 疎らに上がっていた絶叫は、統率の取れた軍隊のように束ねられていく。

 力強い声が大地を震わせる。


『勇ましき者達よッ! 諸君らの聖地奪還の志、しかと受け取った!』


 将軍がガルディア帝国旗を高々と翳し上げる。

 常軌を逸した熱狂は留まるところを知らない。


 その瞬間、誰もがエルベット神教との全面戦争を望んでいた。

 鬱屈とした混沌の時代を覆し得る、ラースヴァルドの復活。

 禁忌とされる不死者であるからこそ、余計に対立は深まっていく。


『戦に備え、偉大なる帝国軍の再編を行う! 勇者は剣を取るがいいッ!』


 徴兵するまでもない。

 帝都には一人として臆病者はいない。


『――その血肉の一片一滴まで、余すこと無く祖国に捧げよッ!』


 帝国に忠義を尽くす。

 力強く在るために、穢れの脅威さえも退けるために。


「……エルベット神教は、将軍を過小評価しているかもしれんな」


 膨れ上がる民衆の戦意を前にして、リスティルは独り言ちる。

 はあまりにも異質すぎる、と。


 不死者にして『穢れの血』でもあって、生前は『死剣』の異名を持つ圧倒的な強者。

 朽ちぬ肉体を持ちながら、出力を上げた剣術・魔術を行使するというのだ。


 リスティルはグレンに視線を向ける。

 技量こそ比肩し得るだろうが、無尽蔵の生命力を持つ不死者を相手に張り合えるだろうか。

 かといって、生身の人間で彼を越えられるものなど想像が付かない。


「ふむ……」


 歴戦の傭兵――グレン・ハウゼン。

 その実力をリスティルは全面的に信頼している。

 何故なら、彼が鍵になると"知っている"からだ。


 未来の光景の断片を探り取るような、不明瞭で曖昧なものではない。

 より鮮烈に、手繰り寄せた遥か昔の記憶の中に――。


「好機を逃すわけにはいかねえな」


 グレンは肩を解すように回して、指の骨を鳴らす。

 軍の再編を行うならば、そのために技量の高い者を選抜するだろう。

 力を示すだけで接触の機会を得られるのだから、これ以上に単純なことはない。


 だが、現状では戦争を食い止められるカードがない。

 綺麗事を並べて頷いてくれるほど生易しい相手ではないのは確かだ。


「説得に使えそうなもんでもあればマシなんだが……」


 将軍の人柄さえ把握しきれていない。

 それでは、欲するものを探せというのも無謀だろう。


 しかし、リスティルは笑みを浮かべる。


「心配は要らんさ。既に、接触までの道筋は描いてある」


 望む結果へ導くため、必要となる鍵を揃えるのみ。

 以前行った未来予知をもとにして、単純に逆算していけば良いのだ。


 とはいえ、リスティルも未来予知を過信してはいない。

 全てを見通すような万能の奇跡ではないと知っているからだ。

 下準備は決して怠らない。


「ヴァン、お前にも一仕事してもらおう」

如何様いかようにも、仰せのままに」


 潜入、諜報の類いは彼の専門だ。

 影から影へ移り渡る特異な隠密行動は、王の身辺警護でさえ見破れないことだろう。


 その気になれば暗殺をしてでも……と、ヴァンは不敵に嗤う。


「過激なことをする必要はない。ただ、一冊の歴史書を借りてくればいいだけだ」


 リスティルは肩を竦めつつ説明する。

 帝都が有する戦力は高く、目立つ真似をして敵対するのは避けるべきだ。


 エルベット神教もガルディア帝国も、どちらも混沌の時代を支える柱でもある。

 今回の目的は戦争を食い止めることにあって、それは枢軸の意図を阻むためでもある。


 穢れの流入だけではない。

 現世に『殉教者』カルネという明確な使徒を送り込んで何かを齎そうと企てている。

 ヘレネケーゼ争奪は過程であって、その先に災禍を引き起こすものがあると推測していた。


「グレンを経由して将軍に歴史書を渡す。そこに過ちを正すための過去が記されているはずだ」


 ラースヴァルドは極めて重要な記憶を無くしている。

 でなければ、このような愚行を犯すはずがないとリスティルは考えていた。


「不死に身を堕として強き執念のみが残った。それさえも、穢れに蝕まれ朧気な状態なのだろう。生者でない故に……余計に、穢れの侵蝕が進行しているかもしれん」


 穢れの侵蝕は理性を溶かし、記憶を喰らう。

 最終的には魔物となって人を襲いかねない。


「どっちにしても、将軍は倒さなきゃならねえってことか」

「……そうなるな」


 リスティルは不本意そうに頷く。

 穢れに深部まで蝕まれた者を救う手立てなど、そこらに都合良く転がっているはずもない。


「その、枢軸というのは……どうして穢れを送り込んでいるんですか?」


 シズが問う。

 災禍の根源にして、生きとし生けるものを苦しめる悪意の種。

 そんなものが、なぜ別世界から流入してくるのか。


「端的に言ってしまえば、深界とは現世の調整機能に過ぎん。世界の構成要素から輪廻転生まで、万象を司る管理者こそが枢軸であって、本来はそこに神性を見出だすようなものではない」


 あくまで世界の裏側に隠れた歯車のようなもの。

 深界はその容器であって、枢軸はその中にある主要な機能を束ねた部品なのだ。


「だが、枢軸はある時から異変をきたし……やがて自我に近い"何か"を目覚めさせた」

「その、ある時というのは?」

「――『六芒魔典ヘクサグラム』の行った儀式だ」


 リスティルは嘆息する。

 もし過去に戻れるとするならば、命を擲ってでも阻む覚悟でいた。


「そいつはマルメラーデ監獄でぶっ潰した奴だよな?」

「ああ。だが、あと五人残っている」

「五人、ですか……」


 ヴァンは腕を組んで唸る。

 あれほどの強敵がまだ五人もいるという事実よりも、あれほど悍ましい思考の持ち主が五人もいるということの方が恐ろしかった。

 露にされた濃密な狂気に震えたことを魂が覚えていた。


「元々は魔術師としての技量を高め合う集いだったのだが……あやつ等は聖女の持つ権能に匹敵する"奇跡"を求めて枢軸に干渉してしまった」


 聖女カルネの儀式魔法。

 聖女タルラの神剣。

 そして、聖女ユリスティアの神託。


 純粋な魔術の研鑽から、力の探究へ移るのは不自然なことではない。

 不幸だったのは、その干渉によって枢軸に異変をきたしてしまったことだ。


「穢れとは、『六芒魔典ヘクサグラム』の干渉によって枢軸が流した血のようなもの。当然、人の身で受け入れるには余る代物だ」


 様々な災禍を齎すのは、異質が故に引き起こされる拒絶反応だった。

 大地が荒れ果てるのも、人間が狂っていくのも、その根源が蝕まれていくからに他ならない。


「……僕のような『穢れの血』が、最終的に皆死ぬというのは」

「枢軸から流れ出た穢れを全て還さなければならない。その際に……生者は魂ごと引きずり出す必要がある」


 リスティルの最終目標こそ、全ての穢れを深界へ奉還することだ。

 現世に流入した大半を回収できなければ、儀式方陣《バロティアの魔喰門》を完成するに至らない。


「穢れは物質、生命問わず万象を蝕むが、最終的に拠り所を求めて一箇所に集まる。『穢れの血』が生まれるのは、体質的な影響が強いのだろう」


 穢れを引き寄せてしまう何らかの要因がある。

 当人に非が無いとしても、その性質から危険だと見なされて討伐対象となってしまう。

 大災禍による最大の被害者こそ彼らなのだろうとリスティルは考えていた。


「カルネに阻まれ、聖者の墓標で得られた情報には限りがある……が、全てが失敗だったわけではない」


 枢軸に干渉して得た情報は、少なくとも現世の学者が何百人集まったところで得られないものだ。

 グレンの奮闘がなければ、この災禍を解き明かす手掛かりさえ得られなかった。


「枢軸ってのが、エルベット神教の崇める神の正体なのか?」

「その通りだ。そして、三聖女に与えられた権能を基に、規模を拡大させていった人物こそが――」


――教皇テオ。


 辟易した様子でリスティルはため息を吐く。

 あまり良い印象は持っていないらしい。


「どうやったのかは不明だが……あやつは枢軸と権能の力を事前に把握していて、目覚めたばかりの聖女を自らの陣営に引き込んだらしい」


 奇跡が認知されるよりも前から、こうなることを予期していたという。

 その素性も含めて、極めて謎多き人物だった。


 そこまで話したところで、ユノが地面にへたり込む。


「うー、またむずかしい話してる……」


 帝都までの旅路で疲れも溜まっていたのだろう。

 無理して立ち話を続けるほどの話も残っていなかったため、リスティルは肩を竦めて切り上げる。


「一先ず、グレンは将軍との接触を図ってくれ。細かい指示はヴァンを通して伝える」

「了解だ」


 やるべきことは至極単純。

 帝国軍の再編を利用して、力を示して取り入るのみ。

 そう難しいことではない。


「……」


 事は着実に進んでいる。

 それでも焦燥に駆られてしまうのは、穢れに苦しむ者達がいるからだ。

 僅かな時間の経過さえ惜しく感じてしまうほどに、刻一刻と事態は悪化してしまう。


 たとえ最後に命を奪うとしても、深部まで蝕まれて理性を失ったヴァンの姿を見たくはなかった。

 儀式方陣《バロティアの魔喰門》の行使には未だ程遠い。


 先へ進むためには――聖女カルネも、ラースヴァルド将軍も殺めなければならない。

 保有する穢れの量は『六芒魔典ヘクサグラム』にも匹敵する。

 無為な犠牲を生まないよう、双方の掲げる旗を折るという意味でも、強大な敵を相手取る必要があった。

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