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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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33話 狂劇(3)

 漸く見付け出した仇敵を取り逃がしてしまった。

 行き場の無い苛立ちを拳に込めて、グレンは地面を殴り付けた。


「……くそッ!」


 己の無力さを悔いる。

 腕っ節に自信のあるグレンでも、転移魔法を駆使して逃げ回る相手を捕まえることは困難だ。


 あの不愉快な哄笑が忘れられない。

 他人の人生を弄び、不幸を悦ぶ悍ましい表情が網膜にこびり着いていた。


「これは確かに、厄介ですねえ」


 どうしたものかとヴァンは肩を竦める。

 秀でた戦闘技術も、狡猾に立ち回る頭脳も侮れない。

 何より、この一幕のために周到な用意をしてきたという精神が恐ろしく感じていた。


「奴は変わってねえ。あの時からずっと邪悪そのものだ」


 シャーデンは各地で他者の人生を貪りながら巡り歩いていたのだろう。

 グレンの故郷が壊滅したあの時から、その本質は変わっていない。

 穢れによる影響か、年月による外見の変化さえ見受けられなかった。


 散らかし放題をして、後片付けをするつもりもないらしい。

 今もハンデルの至るところで断末魔が上がっていた。

 逃げ延びた先では、次の獲物を見定めていることだろう。


 何処かで起きるであろう悲惨な光景を、今のグレンたちには食い止める術が無かった。


 反乱は未だに続いている。

 膝を突いて、無様に後悔している暇はない。

 立ち上がろうとして――直後に轟音が鳴り響いた。


 振り返ってみて、その光景を呆然と眺めることしか出来ない。

 伯爵の屋敷では、雨天だというのに紅炎が激しく渦巻いていた。


「……チッ」


 グレンは腹立たしそうに、再び大剣を握る。

 仇敵に言われたことを真に受けるつもりもないが、デオン伯爵のことも気掛かりだ。

 このまま放置するわけにもいかない。


「弔いは後だ。俺は屋敷へ向かう」


 騙され差し向けられた愚者共の宴。

 最後に集まるのは豪華絢爛な領主の屋敷だ。


 知らない輩ならば捨て置いても構わなかったが、デオン伯爵とは面識もあり依頼を請け負った間柄でもある。

 見捨てられるほど薄情ではない。


「なら、僕は弔いの支度を」


 亡骸には大量の穢れが入り込んでいる。

 未来予知の為とはいえ、それを回収することで純粋な人間として眠れることだろう。


 気休め程度の言葉でグレンが救われるとは思っていない。

 だが、死した英雄を冒涜するような軽薄なことを言いたくはなかった。

 同じ『穢れの血』として、ヴァンにも思うところがあった。


 死ぬことを恐れているわけではない。

 魂を侵食していく悍ましいものだが、今は都合が良いとさえ感じている。

 怪物と渡り合うには自分が怪物になればいいだけのこと。


 唯一、恐れていることがあるとすれば。

 それは自分が理性を失うことで、リスティルの歩みを妨げてしまうかもしれないということだ。

 慈悲深い聖女は、ボロ切れのような存在ですら手を差し伸ばす。


 悪食衝動が無いわけではない。

 クリームヒルト程ではないにせよ、ヴァンも穢れに呑まれないように耐えている部分もある。

 これまでの旅で欲求を圧し殺した事は数知れない。


(……だからこそ貴方に価値がある)


 人間として最高峰に位置する傭兵。

 彼ならば、穢れに染まり切った時に殺めてくれるのではと期待していた。



   ◆◇◆◇◆



 我を忘れて暴徒と化した民衆。

 躊躇い無く剣を振るう騎士たち。

 植え付けられた悪意の種は、今や恍惚と開花の時を迎えていた。


 紅炎の渦巻く屋敷の中で、身の焼けるような熱でさえ気にも留めない。

 目的を果たすこと以外は眼中に無いのだろう。


――あまりにも惨い。


 栄華を誇ったデオン伯爵領の最期が此れなのか。

 居合わせた全員が被害者であって、誰かを咎め誰かを救うようなことも出来ない。


 だが、決めるのはグレン自身だ。

 何を悪として、鉄塊の如き大剣を振り下ろすのか。

 呆然と眺め立ち尽くすことで、何かを成せるとは思っていない。


 最善へ導く力が無かった。

 悪意に染め上げられた者を前にして、技量の高さなどほとんど意味を成さなかった。


 覚悟が足りなかったのだ。

 道を切り開くには、自らの意思で大剣を振るうだけの気迫が必用となる。

 かつて『狂犬』と畏れられた傭兵が、大人しく伏せている訳にもいかない。


 自らを奮い立たせ、荒々しく息を吐き出す。

 目の前の弱者に同情していては、救える者すら取り零してしまうかもしれない。


「――そこを退きやがれぇぇえええええッ!」


 デオン伯爵の安否を確かめ、そして娘について訊ねる。

 目的を定めたならば、後は何があろうと遂行するのみ。


 圧倒的な強者による襲撃は、それこそ災害に見舞われたようなものだ。

 力を見せ付けるように暴れ回るグレンに、命を賭してまで刃向かう者はいない。


 そうして辿り着いた場所は、地下へと続く階段だった。


「……無様な姿を見られたな」


 デオン伯爵は苦しげな表情で壁に凭れ掛かっていた。

 握り締めた剣は半ばから折れ、しかし周囲には無数の亡骸が転がっている。


「余も衰えたものだ。卑しき者共に不覚を取るとはな」


 武人としての誇りに偽り無く、一歩も動けなくなるまで戦い抜いた。

 不運だったのは、反乱の規模の留まらないほどの戦火に呑まれたことだろう。

 周囲には幾つか黒旗を背負った賊の亡骸もあった。


「あいつらを退けたのか」


 炎に包まれたハンデルの街で一際目立つ集団がいた。

 黒狼衆フェアダムニスと呼ばれる彼らは、ただの賊と侮るには手練れ揃いだ。

 デオン伯爵は決死の覚悟で凶悪な戦闘集団と対峙したのだ。


「……首領は『穢れの血』だった」


 半ばから折れた剣の片割れは見当たらない。

 質の悪い代物ではないはずだったが、それを叩き折るほどの力を持っているらしい。


「残忍だが、そこには確固たる信念も感じられた。何か大きな目論見があるのだろう」


 互いの抱える信念をぶつけ合い、そして敗北した。

 死闘の果てに打ち破られ、こうして喋るだけでもやっとの状態だった。


「だが、報われることはない。ハンデルは……余の領地は、間も無く外の混沌に呑み込まれる」


 大いなる悪意が生み出すのは悲劇のみ。

 誰かが報われるような甘い筋書きは描かないのだ。


「裏で糸を手繰る狂人を、最後まで見付け出せなかった」


 デオン伯爵は黒狼衆フェアダムニスの首領に破れたことを悔いているわけではない。

 彼らですら、この狂劇の被害者に過ぎないのだ。


 もし事前に尻尾を掴むことが出来ていたならば、ハンデルを包む戦火も鎮圧できる程度に抑えられたかもしれない。

 誰もが平等に不幸を味わっているのだ。

 それを端から眺めている悪趣味な輩を、顔を拝むことすら出来ずに死んでいくことが悔しくて堪らなかった。


 無念の内に命を落としてしまう。

 そんなデオン伯爵を前にして、グレンは頭を下げることしか出来なかった。


「すまねえ。黒幕を取り逃がした」


 この狂劇を生み出した男――シャーデン・フロイデ。

 手の届く距離にいたというのに逃亡を許してしまった。


 全ては己の力不足だった。

 それ故に、何処かで次の犠牲者が生まれてしまう。


「……そうか」


 苦しげに息を吐き出す。

 その実力を信頼していたからこそ諦念と無力感に苛まれてしまう。

 デオン伯爵の知る中で、他に立ち向かえるほどの技量の持ち主は限られている。


「……して、クリームヒルト卿は何処いずこに?」

「死んだ。奴に殺された」


 穢れに打ち勝つほどに抵抗したというのに、死の間際に魂を呑み込まれてしまった。

 それすらもシャーデンの所業だというのだから、溜め込んだ憎悪と憤怒は既に破裂寸前だ。


 だが、最後に一つの願いを叶えた。

 グレンの胸元から首筋にかけて、生きた証を刻み込んだのだ。


「仇討ちは必ず果たす」


 デオン伯爵の無念も、クリームヒルトの悲劇も背負う覚悟を決めた。

 その言葉に希望を抱いたのだろう。

 満身創痍だというのに、デオン伯爵は力を振り絞って手を持ち上げる。


「……その腕を見込んで、グレン・ハウゼン殿に依頼をしたい」


 苦しげに咳き込みながら、震える手で懐から鍵を取り出す。


 ただの鍵ではなかった。

 綺羅びやかな装飾を施されており、そこには魔術的な力を感じる。

 赤黒い血に塗れながらも妖しい光を帯びていた。


「面倒事は断る主義なんだが……仕方ねえ」


 鍵を手渡された直後には、デオン伯爵の手が力無く滑り落ちた。


「こいつを持って地下に行けば良いんだな?」


 階段を守るようにして倒れているのだ。

 この先に、デオン伯爵の大切なものがあるのは間違いない。


 喋ることすらままならず、辛うじて首を縦に振って肯定する。

 安堵したのか、デオン伯爵は間も無く目蓋を落とすと眠りに就いた。


 多くの命が失われていく。

 こうしている間にも、ハンデルでは大勢が殺し合っているのだろう。

 救える数は限られているというのに、死に行く数は留まるところを知らない。


 唸る炎と雨音の中で、人知れず誰かが死んでいる。

 手の届かないところで、気付くことすら出来ずに。


 グレンは引き受けた依頼を放り出すような真似はしない。

 地下に部屋を作ってまで隠そうとした理由を問い詰めることもしない。

 死の間際に託された願いを無下にするほど狭量な人間ではないと自負していた。


 デオン伯爵には娘がいた。

 死産だったと知られており、その際に妻アレクシアも命を落としてしまったのだと。

 もし娘が生きていたなら態々わざわざ隠す必要はないはずだろう。


 実際に確かめて判断すれば良い。

 不穏な噂の真偽と、それから自分が何を成すのかを。


 地下室へと続く道は、息苦しくなるほど煙が立ち込めていた。

 燃え盛る紅炎は未だに勢い衰えず、そこから異質な魔力の流れを感じられた。


 民衆は力を使い果たしたデオン伯爵を横目に地下へと進んだのだろう。

 血肉の焼け焦げるような臭いが鼻を突く。

 石床や壁に張り付いた黒い跡の正体は考えるまでもない。


 辿り着いた部屋には、無数の鎖に繋がれた少女がいた。


 爛々と光るあかい瞳でグレンを睨み付けていた。

 肌も浅黒く、翼や角も生えている。

 鋭い尻尾を揺らしながら威嚇するように唸っていた。


 人間ではない。

 他種族にもここまで魔物に近しい姿をしたものはいない。

 不吉の象徴とされる蒼溟そうめい族ですら、特徴的な瞳と髪色を除けば人間と大差ないだろう。


 足元には効力を失ったらしい魔方陣が描かれており、それでも鎖の拘束から逃れることは出来なかったらしい。

 デオン伯爵が討たれた後、次々と雪崩れ込んでくる民衆を必死に退けていたようだ。


「……で、こいつを使えってことか」


 グレンは手渡された鍵を見る。

 特殊な魔術によって産み出された鎖を外すための道具であることは分かる。

 問題は、目の前にいる"悪魔"を解き放っていいのかということだ。


 外見は幼く、それこそリスティルよりも下だろう。

 伯爵の言葉通りであれば十歳の筈だ。

 それだけの期間を薄暗い地下室で過ごしてきたのだろうか。


「――紅炎フランメ!」


 虚空に炎の塊が浮かび上がる。

 術式自体は稚拙なものだったが、込められた膨大な魔力量によって最低限の体を成していた。


 この規模での魔術行使となると流石に児戯の範疇には留まらない。

 魔力外皮を展開させ、対処しようと身構える。


 その時、グレンに刻み込まれた魔紋が淡い光を帯び始めた。


「こいつは……」


 魔力の流れが安定している。

 馬車の移動中にクリームヒルトが手を貸した時のように、信頼に足る強度で体表を覆っていた。

 飛来した魔法は避けるまでもなく、微かな熱を感じる程度に留まった。


 落ち着いて、改めて目の前の少女と対峙する。

 少なくともグレンにとって脅威ではない。

 焦って結論を出さずとも、猶予は十分にあるはずだ。


「あっちに行ってよっ!」


 先ほどの炎塊が八つ展開される。

 込められた魔力も疎らで、魔術に深い理解があるというわけではないようだ。


 飛来した魔法は全て魔力外皮によって阻まれる。

 そこに殺意は感じられない。

 炎を振り払うと、そこには死を恐れる者の揺らぐ眼が見えた。


 長く閉じ込められていた地下室に、邪心を煽られた民衆が押し寄せてきたのだ。

 屋敷を取り巻く紅炎を目の前の幼子が生み出したのだとして、それを咎める理由は無いだろう。


 窮地に陥って錯乱しているだけ。

 この状況で戦意を滾らせているだけマシな方だろう。

 鎖に繋がれ、逃げる手段すらなく抵抗し続けているのだから。


「……チッ」


 らしくもない、と表面上は舌打つ。

 デオン伯爵から鍵を託された時点で、既にグレンの中で答えは決まっていた。


――『最愛の娘』ユノ・フラウ・デオン。


 懐から鍵を取り出すと、そこには名前が刻まれていた。

 たとえ"悪魔"であろうと愛は変わらない。

 後悔があるとすれば、必死に築き上げた領内の光景を共に眺めることが出来なかったことだろう。


 外界を知らぬ幼子を、このまま見殺しにするなど出来なかった。

 後のことまで考える必要は無い。

 悩んで足を止めたとして、時間は情けも掛けずに流れて行くのだから。


 鎖を激しく揺らしながら唸るユノを宥めるように、鍵を見せ付けるようにしながら歩み寄る。


「そいつを外してやるから、少しだけ大人しくしてろよ」


 炎塊は防げるとはいえ、周囲の惨状を見ればより規模の大きな魔術を行使する危険も考えられる。

 流石のグレンも生き埋めにされてはどうにもならない。


 刺激しないように、ゆっくりと足を進めていく。

 手足を拘束する鎖さえ外せば彼女は自由だ。

 その意図を察してくれるならば易いが、相手は錯乱状態にある幼子だ。


「来ないでっ!」


 炎嵐が地下室に吹き荒れる。

 熱が魔力外皮を越えて肌に突き刺さるが、耐えられないほどではない。


 泣きじゃくって魔法を次々と展開させていく。

 その数は留まることを知らず、内包する魔力も尽きる様子はない。

 無尽蔵に打てるわけではないだろうが、それでも人間離れしていた。


 近付くにつれて"穢れに似たような"気配を感じ取る。

 純真無垢な少女の内側に、グレンが警戒するほどの力が眠っているようには思えない。

 しかし、現に対峙してみて異質な何かが伝わってくるのだ。


 歩みを止めるとこはしない。

 もし危険な存在であるとしても、こういった場合はリスティルに判断を委ねた方がいいだろう。

 穢れに対して、グレンは自身の無知を理解している。


 最後に力を振り絞ったのか、業炎が唸りを上げて襲い掛かる。

 常人であれば死は免れないだろう規模での魔術行使。

 第四階梯にも届き得る力を感じるが、それでも受け止めることを選択した。


「――ッ!」


 腕を交差させて身を守る。

 急拵えの魔力外皮では防ぎ切れないが、グレンとて多少の痛み程度で怯むほど素人ではない。

 かつて竜の炎息に巻かれた時よりも技量は上がっているのだ。


 再び炎を振り払い、そして遂に少女の肩を掴んだ。

 死を覚悟したように悲痛な表情を浮かべたが、それを宥めるように鍵を見せ付ける。


「お前を傷つけるような真似はしねえ。この鎖を外すだけだ」


 その言葉にも半信半疑で、グレンの一挙一動に怯えるような素振りを見せる。

 先ほどまで民衆に命を奪われかけていたのだから仕方がないだろう。

 それも、枷が一つ外れていく度に緊張が解けていった。


「これで最後だ」


 首枷を外した途端、気が抜けたのかユノはその場にへたり込む。


「立てるか?」


 尋ねるが、疲れきった様子で首を振る。

 立ち上がる余力もないらしい。


 これだけ魔術を乱発したのだ。

 魔力欠乏による衰弱が来てもおかしくはない。

 寧ろ、よく耐えた方だろう。


「……仕方ねえな」


 炎に包まれた地下室で休んでいては、煙に巻かれて窒息するか、天井が崩れて生き埋めになってしまう。

 グレンはユノを軽々と抱き上げ、足早に屋敷を後にした。

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