表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/53

24話 翠嵐鳥(3)

――デオン伯爵領北西部、炭鉱地帯。


 荒れ果てた大地には僅かな緑さえ残っていない。

 見渡す限りの巨大な山脈が目立っているが、所々には枯れ果てた木の残骸が残されている。

 大災禍が齎される以前は、僅かだが自然も有ったのだろう。


 現在は静寂が広がるばかりで、殆ど生き物の類も見られない。

 時折魔物と遭遇する以外は静かなものだった。


「ふむ、ようやく見えてきたな」


 徐々に空が朱色に染まり始めた頃。

 リスティルが荷車から顔を覗かせ、前方を見据えて呟く。

 まだ距離はあるものの、小さな村の影が見えた。


 炭鉱に最も近い場所に位置しているエルツの村。

 住民の殆どは炭鉱夫として日々採掘に出かけており、そこで採れた石炭などは領内各地へ流通される。

 だが、現在は『翠嵐鳥』ファウスマラクトの出現によって碌な成果も上げられずにいた。


 村に近付くにつれて、徐々に被害の度合いが明らかになっていく。

 まだ足を踏み入れていないというのに、外から見ただけでも悲惨な光景が見えてきていた。


「……血の臭いがするね」


 クリームヒルトが眉を顰める。

 荒野を吹き抜ける風に、微かに鉄臭さが混ざり始めていた。


 村といっても、炭鉱夫が多く集まっていることもあって規模は大きい。

 原料炭の加工場も備わっており、領外の村と比べるとかなり発展している。

 だが、現在は稼働していないらしい。


 エルツの村に到着すると、その静けさに驚愕する。

 栄えた風景とは反対に人の気配は殆ど感じられなかった。


「チッ、酷い有様だ……」


 グレンは思わず舌打つ。

 至る所に血の跡が残っており、歩いているだけで不愉快な気分になってしまう。

 ファウスマラクトの被害によって、清潔に保つ余裕すら失ってしまったのだろう。


 ふと見れば、柵の中に家畜の死骸が放置されている。

 雑に食い荒らされたまま、腐臭を撒き散らして虫を呼び寄せていた。

 至る所から聞こえる羽音が鬱陶しく耳に纏わり付く。


 このままでは、エルツの村は長くは持たないだろう。

 デオン伯爵が急を要すると言ったのも頷ける。


「先ずは村の人間に話を聞くべきだが……ふむ」


 リスティルは周囲を見回す。

 時折出歩いている村人を見掛けるものの、その表情は皆等しく沈んでいた。

 多くの者が家族を失ってしまった。


 それだけに声を掛けるのが躊躇われてしまう。

 身近な人間の死を見て、その恐怖と絶望を抱いて生きているのだ。

 情報を得るには適切な人間を探すべきだろう。


「人が集まるところに行けばいいんじゃないですか? "英雄"に縋りたい人たちが群がってくるでしょう」


 蜜に寄り付く虫共のように、と付け加えてヴァンは意地の悪い笑みを浮かべる。

 彼からすれば、誰とも知らない他人の事情など興味もない。


 しかし、その提案自体は悪くなかった。

 情報を得るのであれば、村人たちの悲痛な叫びに耳を傾けるのが手っ取り早い。

 あえて目立つような行動を取れば、自然と人は集まってくるはずだ。


「あまり気乗りはしないけれど……」


 クリームヒルトは眉尻を下げる。

 何か気掛かりな事があるのか、大勢の前に出るのは抵抗があるらしい。


「悪食衝動が抑えられなくなったら俺に言え。引っ叩いてでも止めてやる」

「……あはは、頼りにしてる」


 頬を掻くが、その表情は晴れない。

 彼女の心に渦巻く靄の正体はそれだけではない。


 広場には沈んだ面持ちの老婆たちがたむろしていた。

 生気を失ったように佇む姿は、枯れ木のように物寂しい。

 しかし、クリームヒルトの姿を見て目を見開く。


「貴方様は、若しや英雄と呼ばれている……?」


 彼女の容姿は伯爵領内で知れ渡っている。

 それを認めると、老婆たちは縋るように跪いて服の裾を掴む。


「ああ、英雄様。どうか……どうかこの村をお救いくださいッ」


 必死の形相で懇願する。

 ファウスマラクトの齎した絶望は深い。

 悲痛な叫びが聞こえたのか、家に閉じこもっていた村人たちが広場に集まってきていた。


「どうか、お慈悲をッ!」

「この村に救済をッ!」


 村人たちが次々と声を上げる。

 力無き彼ら彼女らには、こうして同情を乞うことでしか命を繋ぎ止める術がない。

 ようやく訪れた希望を手放すまいとクリームヒルトに纏わり付く。


 当然ながら、彼女の返答は決まっている。


「もちろん。そのために来たからね」


 力強く肯定する。

 エルツの村人たちは憔悴しきっているため、少しでも希望を与えたいと思っていた。

 英雄の肩書きを持つからこそ出来る事もあるだろう。


「安心してほしい。私が来たからには、ファウスマラクトの蛮行は絶対に赦さない」


 剣を鞘から抜き放ち、高々と翳し上げる。

 華美な装飾の施された剣は、夕陽を朱を受けて暖かい光を放っていた。


 英雄として在り続けることを選んだ。

 人間として生きることを望んだ。

 それ故に、この善行こそが彼女の理性を繋ぎ止める唯一の命綱となる。


 村人たちは礼拝するかのように手を合わせ、深々と頭を下げて感謝を述べる。

 この絶望を切り開く唯一の存在だ。

 天から遣わされたと言われても彼らは疑わないだろう。


「けれど……その前に、墓参りをさせてもらえないかな?」


 クリームヒルトはどこか不安そうに言う。

 既にこれだけの被害を目の当たりにしている。

 死者の数も尋常ではない。


 彼女は恐れているのだ。

 英雄として在るためには、取り零した命から目を逸らすことは出来ない。

 たとえ自身に罪が無かったとしても、それさえも背負って進み続けてしまう。


 力無き者が穢れに抗うことは出来ない。

 混沌の時代においては、力こそが絶対であり安全の保障なのだ。

 当然ながら、日々労働を積み重ねる村人たちでは脅威に対抗する手段が無い。


 無力であることは罪だ。

 たったそれだけで平穏を侵され、自由を奪われ、そして命を落としてしまう。

 天賦の才を持つ一握りの強者を除けば、誰もが怯えて暮らしているのだ。


 その末路が、村の外れに並ぶ大量の墓だった。


「私が……もっと早く、駆け付けられたら……ッ」


 クリームヒルトは俯いて歯噛みする。

 自分の責任を重く感じてしまい、墓を直視することが耐えられなかった。


「お前は悪くねえ。こういうのは天災みたいなもんだ」

「……それでも、救えた命があるかもしれない」


 穢れは世界に破滅を齎す災いだ。

 その責任は大災禍を引き起こした『六芒魔典ヘクサグラム』に在るのであって、英雄として剣を振るい続ける彼女に非は無いはず。

 だというのに、クリームヒルトは自分の功績よりも失われた命に執着してしまっている。


 何が彼女をこうまで苛むのか。

 いっそ病的と言ってもいいほどに、ネガティブな思考に憑り付かれてしまっている。

 このままでは精神の摩耗は避けられないだろう。


「……やはり、僕には理解が出来ませんね」


 ヴァンは両手を挙げて肩を竦める。

 何故そうまでして人々を助けようとするのか疑問を抱いていた。


「今はこんな時代ですからねぇ。ただ視界に映らないだけで、僕らと関わりの無い所で命を落とす人間なんて山ほどいますし。貴女の考えは立派かもしれませんが……それで自分の身を滅ぼしては意味が無いでしょう」


 クリームヒルトも自覚はしている。

 全てを救うことなど不可能であって、それを望むのは傲慢というものだ。

 だが、彼女の心に植え付けられた闇が許さない。


「……私には、それ以外の道は選べないよ」

「はぁ……本当に愚かですねぇ」


 呆れたように、大袈裟に溜息を吐く。

 血縁者や友人であれば兎も角、見ず知らずの他人まで気に掛けることに意味を見出せない。

 身の丈に合わない善行は、お人好しを通り越して愚者にしか思えなかった。


 手を組んで瞑目する。

 今の彼女に出来るのは死後の安寧を祈る事のみ。

 せめて魂だけでも安らかにあれと、死者の行く末に思いを馳せる。


 闇空を覆う厚い雲の切れ目から、灰色の月が顔を覗かせた。

 青白い光が淡くクリームヒルトの顔を照らす。

 彼女の想いに呼応するように、小さな魔力光が蛍のように周囲を浮遊していた。


 彩鮮やかな鎮魂の祈り。

 死者を弔う英雄の横顔。

 その姿は、居合わせた皆を魅了するほどに美しい。


 村人たちは思わず涙を流してしまう。

 無残に命を落としていった者たちもきっと報われたことだろう。

 混沌の時代において、こんなにも冥福を噛み締められる事は無い。


 だが、それで失われた命が戻るわけではない。

 死後の安寧が存在するかも分からない。

 大切な者の惨い末路を見せつけられ、堪え続けてきた怒りの行き場を見つけた者もいた。


「――ふざけるな!」


 唐突に響き渡る罵声が静寂を切り裂く。

 声の方向に視線を向ければ、まだ幼い少年が顔を真っ赤に染めていた。


「何が英雄だ! こんなに人が死んでいるのに、今まで何をやってたんだよ!」


 固く握り締められた拳が微かに震えていた。

 この結末は彼女の怠慢なのだと言い聞かせて声を荒げる。


 誰かに矛先を向けなければ心が押し潰されてしまう。

 無力な自分が悪いのだと認めてしまえば、耐え難い重責に苛まれることだろう。




 とてもだが、目の前にいる少年に耐えられるとは思えない。


「……ごめんね。私がもっと早く駆け付けられたら、きっと君が悲しむことはなかった」


 悲痛な面持ちで少年に向けて謝罪する。

 本来であれば背負う必要のない罪だ。

 それさえも引き受けようとしてしまうのは行き過ぎている。


 これが英雄かのじょの魅力であり、生き様であり、足枷なのだ。

 いずれ押し潰されると理解していても、クリームヒルトは信念を貫き通そうと考えている。


 必ずしも、その善性が通じるとは限らない。

 謝罪に対する返事は邪悪なものだ。


「――ッ」


 下げた頭に向けて少年からつぶてが打たれた。

 避けようともせず、黙ったままそれを受け入れる。


 鈍い衝撃と共に痛みが走り、じわりと熱を帯びる。

 幼子とはいえ、少年の腕力があれば投擲で傷を負わせるには十分だ。

 額から血が伝う。


 少年の表情は歪だ。

 心の内では、自分の行いが間違っているものだと気付いているのだろう。

 それでも過ちを犯してしまったのは幼さ故か。


 しかし、その悪意は伝播する。


「……そ、そうだッ! お前が遅かったからこんなことになったんだ!」


 声を震わせながら、中年の男が声を荒げる。

 彼は少年ほど無垢ではない。

 腹の中でわだかまっていた憎念と無念を発散させる対象を得て、嫌な笑みを浮かべて暴言を吐く。


「この女が持て囃されている間にどれだけの命が失われた? 自分に酔っているだけで、人助けなんてこれっぽちも考えていない。なあそうだろうッ!?」


 大半の村人は不愉快そうに、若しくは哀れむように男の姿を眺めていた。

 考えるまでもなく、彼も愛する者を失ったのだろう。

 親か、妻か、或いは息子か娘か。

 こうして誰かを責めなければ自我を保つことさえ厳しい。


 それでも、村人たちは制止することが出来なかった。

 既に疲れ切った精神状態では、気が狂った男を宥めるだけの気力が無い。

 英雄と呼ばれるクリームヒルトであれば大丈夫だろう、という無責任な楽観視もあるかもしれない。


 同じ境遇にいる者の中には、彼に賛同するように声を荒げる者もいた。

 発端となった少年は怯えるようにその様子を見詰めている。


「少し強いからっていい気になるな!」

「今まで何をしていたんだ!?」

「どうせ金が目当てなんだろう!」


 浴びせられる罵倒の数々。

 その全てを一人で引き受けられるわけがない。

 こんなことを繰り返していれば、こうして心を病んでしまうのも当然だろう。


 先ほどの少年を真似するように、声を荒げる村人の一人が礫を打つ。

 だが、それは分厚い鉄塊によって阻まれる。


「――これ以上は看過出来ねえな」


 グレンは険しい表情で愚者たちを見据える。

 屈強な肉体を持つ彼が立ちはだかったことで、声を荒げていた村人たちも思わず黙り込んでしまう。


「ガキならまだしも、てめえらみたいな大人が馬鹿やってんじゃねえよ。何でもかんでも他人様に――」


 続けようとして、ふとリスティルが歩み出てきたことに気付く。

 どこか訝しげな彼女の様子に首を傾げる。


「……おい、どうした?」

「妙だ。微かだが穢れの気配を感じる」


 注視しなければ見逃してしまいそうなほどの違和感。

 彼らは『穢れの血』ではないというのに、体内に微量の穢れを蓄積させている。


「この程度であれば、私の力で……しかし……」


 逡巡するが、自らの使命を思い出す。

 クリームヒルトが英雄であるように、リスティルも聖女でなければならない。


「何をする気だ?」

「あやつらを正気に戻す。そのために、私の"力"を行使する」


 ゆっくりと息を吸い込むと、小さな体から魔力を立ち昇らせる。

 月光よりも清らかに、リスティルの全身を純白の光が淡く包んでいく。


 未来予知を除いて、リスティルが力を行使するところを見るのは初めてだった。


「永劫の夜に抱かれし哀れな子羊、さあ目覚めよ――揺心滅却ベウストザイン


 世界が歪む。

 彼女の願いに呼応して、事象が改変される。

 禁忌とも呼ぶべき枢軸への干渉は、想定された現在いまを修正することで僅かな差異を齎す。


 哀れな村人に植え付けられた邪心の種。

 肥沃な絶望を糧に芽吹いたソレを、根元から刈り取り破棄する。


 刹那、強烈な違和感と共に悪寒が走る。


「……私としたことが、無益な情を掛けてしまった」


 リスティルは不愉快そうに舌打つ。

 その様子にグレンは疑問を抱く。

 普段の彼女であれば、誇らしげに胸を張って笑みを浮かべることだろう。


 何故、と問うことは出来なかった。

 自分よりも長く行動を共にしているであろうヴァンでさえ、狼狽うろたえたようにリスティルを見詰めていた。


 声を荒げていた村人たちは、何が起きたのか理解出来ていない様子だった。

 先ほどまでの非道な仕打ちを続けるつもりは無いらしい。

 酷く困惑しつつ、額から血を流すクリームヒルトを眺めている。


 少なくとも、このまま墓地の前で佇んでいても仕方がない。

 憔悴しきっているクリームヒルトもそうだが、どこか様子のおかしいリスティルも気掛かりだ。

 グレンは腕を組んで思案しようとして、ふと夜遅いことを思い出す。


「……宿をどうにかしねえとな。この村で、この人数が休めるような場所はあるか?」


 村人に問い掛けると、妙齢の女性がおずおずと手を挙げる。


「近くで宿を営んでおります。英雄様やお連れの方々が泊まるには貧相かもしれませんが…」

「構わねえ。雨風が凌げて飯が食えればそれで大丈夫だ」


 今は少しでも早くクリームヒルトを休ませるべきだろう。

 必死に堪えているが、このままではいつ錯乱してしまうか分からない。

 その表情には危うさを感じる。


 グレンはヴァンに歩み寄ると、声を潜めて話しかける。


しばらくリスティルの様子を見ておけ」

「……貴方に言われずとも、分かってますよ」


 先ほどの様子が気掛かりなのだろう。

 ヴァンはリスティルの事を盲目的に敬愛している節があるものの、平常時であれば理性的な思考の持ち主だ。

 マルメラーデ監獄での活躍を考えれば、こういった状況での判断力は信用に足るのは確かだ。


 既に夜も深く、月光の届かぬところには不気味な闇が巣食っている。

 これでは安息には程遠い。

 夜明けを望む気持ちもあったが、明日に備えて情報を整理しなければならない。


 思い出したように体が空腹を訴えかけてきた。

 食事を取ることさえ忘れてしまうのだから、グレンも相応に精神を摩耗させているのかもしれない。


 一先ずは宿に向かい、その後に明日からの方針を話し合うこととなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ