クイーンビー
クイーンビーが激昂し、翅を激しく震わせる。その振動が空気を震わせ、耳をつんざくような高周波音があたりに響いた。
「皆さんは下がっていてください」
明が冷静な口調で告げた。
「これは俺の戦いです」
次の瞬間、クイーンビーが再び突進してきた。今度は毒針だけでなく、鎌のような前脚も振りかざしている。
明はクイーンビーとの間合いを図りながら、戦斧を構え直した。『戦闘感覚』が発動し、クイーンビーの動きが二重にブレる。現在の位置と、刹那の後の位置。その軌道が、光の線となって明の視界に浮かび上がった。
(右前脚で横薙ぎ、続いて毒針で突き。そして左前脚で追撃か)
明は最小限の動きで初撃を回避した。戦斧の柄で二撃目を受け流し、三撃目は後方へのステップでかわす。
しかし、クイーンビーの攻撃はそこで終わらなかった。
巨大な腹部が弧を描くように振られ、その先端の毒針がヒュンッと音を響かせながら空を裂いた。斬りつけるようにして明を狙ってくる。
「ぐっ!」
かろうじて戦斧で防いだが、衝撃で数メートル吹き飛ばされた。左腕が使えない今、バランスを取るのも困難だ。
明が体勢を立て直す前にトドメを刺そうとしているのか、クイーンビーが上空へと高く飛び上がった。
「ギギギ……!」
そして一気に急降下すると、毒針を槍のように突き出してくる。
「『疾走』ッ!!」
明がスキルを発動した。一瞬にして世界がスローモーションのようになる。毒針の軌道が、はっきりと見えた。
地面を蹴り、横に転がって緊急回避する。寸前まで明の頭があった場所に、毒針が突き刺さった。
「ッ!」
毒針が屋上の床を貫き、コンクリートが砕け散る。
明はゴロゴロと地面を転がると、跳ねるようにして起き上がった。
「さすがに強いな」
それもそのはずだ。クイーンビーは、レベル55のボスモンスターだ。レベルだけで言えば、あのミノタウロスを越えている。
鈍重な見た目通り、クイーンビーの速度値はかなり低いものの、その他の各能力値は強化前のウェアウルフに近い。さらに、厄介なことに毒での攻撃手段を備えている。
事前準備もなく正面から挑めば苦戦は必至の相手だった。
「今度は俺の番だ」
明は低く呟きながら、クイーンビーに向けて突進した。
地面を擦るようにして構えた戦斧を、逆袈裟から斬り上げる。狙いはクイーンビーの前脚だったが、攻撃は黄金の外殻に弾かれた。火花が散るだけで、傷一つついた様子がない。
(くそっ! 『虫嫌い』のトロフィー効果があってもこの硬さか!!)
『虫嫌い』のトロフィー効果は、昆虫系モンスターに対して+3%のダメージボーナスだ。この戦いのために、明は前もって準備をしていた。
しかしそれでもなお、クイーンビーの硬い甲殻を破ることはできなかった。
(左手が潰れた影響がデカいな)
明は小さく舌を打った。
クイーンビーが嘲笑うかのように鳴き声をあげてくる。
「ギィィィ!」
そして、クイーンビーは腹部から何かを噴出した。
毒針の根本から噴出されたのは、濃縮された毒液だった。水鉄砲のように、高圧で噴出された紫色の液体が、一直線に明へと飛んでくる。
明は、すかさず戦斧を盾のようにして構えると、飛んでくる毒液を防いだ。毒液が斧の表面に当たり、金属が焼けるような音を立てる。
戦斧の表面が溶け始めたのを見て、明は舌を打った。
「腐食性の毒液か。相変わらず面倒なやつだな」
このまま何度も攻撃を受けていれば、武器が使い物にならなくなる。
明はそう決断を下すと、すぐに地面を蹴って前に飛び出した。
「ギイイッ!」
クイーンビーもそれが分かっているのか、連続して毒液を噴出してきた。
明は『戦闘感覚』で噴射のタイミングを読むと、すぐに『疾走』を再発動させる。そして、加速した世界ですべての毒液の軌道を見切ると、すぐさま横に跳んで躱した。
ジュウゥ!
毒液が明のいた場所を通過し、背後の床を溶かしたのが分かった。間一髪の出来事だったが、それに安堵している暇はない。
明は、着地と同時に地面を蹴って前進した。『疾走』の効果が続く間に、クイーンビーとの距離を一気に詰める。
(通常の斬撃では攻撃が通らない。なら――)
明は『魔力操作』を発動し、戦斧に魔力を集中させた。刃が青白く輝き始める。
「『魔力撃』!」
戦斧を振るうと、青白い斬撃が放たれた。
魔力の刃がクイーンビーの左翅を切り裂いた。宙にいたクイーンビーが地面に落ちて、苦痛の叫びをあげる。
「ギギギ……」
クイーンビーは、すぐに宙へと浮かぼうとしていたが、翅が傷つき高く飛ぶことができないようだった。
その事実が、蜂の軍勢の長たる彼女のプライドを傷つけたのだろう。
「ギイイィイイ!!」
怒り狂ったクイーンビーが地面を蹴り、低空で突進してきた。
明は加速した視界でクイーンビーの動きをしかと捉えると、タイミングを計って横に跳んだ。ステータス画面を呼び出し、素早く残りの魔力量を確認する。
(残り魔力は6……。魔力を温存しなければ、最後の一撃が放てないか)
明は魔力撃ではなく、『剛力』を選択した。
「『剛力』!」
筋力が瞬間的に倍増する。そして女王が通り過ぎる瞬間、全身の力を込めて戦斧を横薙ぎに振り払った。狙いは、頭部と胴体の継ぎ目――装甲が最も薄い、クイーンビーの弱点だ。
「シィイイイ!!」
クイーンビーが本能的に身を捻り、攻撃を躱した。
だが、強化された筋力による一撃は完全には避けきれず、左の複眼に戦斧の刃が食い込んだ。物理攻撃だけでは深い傷には至らなかったが、複眼を潰すには十分だった。
「ギイイェエエエエエッッ!!」
クイーンビーの絶叫があたりに木霊し、裂けた複眼からボタボタと黒い体液が零れ落ちる。女王は悶え苦しむように地面を転がり、無防備な腹を明へと向けた。
(ここだ!)
絶好の好機に、明が地面を蹴って飛び出した。クイーンビーとの距離を詰めて、今度こそは、と狙いを定めて戦斧を振りかぶる。
「ギギギィ!!!」
しかし、女王蜂はそんな明の動きを読んでいた。
翅を震わせ、地面から跳ねるようにして起き上がると、巨大な前脚で明を薙ぎ払い、自分に有利な間合いを確保した。
明は振るわれた前脚を戦斧で受け止めた。が、衝撃で後方へ押し戻される。
――ミシッ
戦斧の表面にヒビが入る音がした。
「クソッ! ただでさえ耐久性の低い武器だってのに!」
明は恨み言を吐きながら、戦斧の状態を確認した。刃は腐食し、柄には無数のひびが走っている。腐食性の毒液を喰らった影響で、武器の耐久性が著しく低下していた。
「ギギギィ!」
クイーンビーが再び毒液を噴射してきた。
明は『疾走』で加速し、スローモーションの世界で毒液の軌道を正確に読み取りながら、ジグザグに走って回避する。
そして、女王蜂の左側――視界の悪い方向から接近した。
(これ以上、戦闘を長引かせるわけにはいかない!)
明は素早くステータス画面を開き、残っていた1ポイントを魔力に振り分けた。
僅かだが、魔力が回復する感覚が全身を巡る。
(これで決める!!)
クイーンビーが振り返ろうとした瞬間、明は跳躍した。『剛力』を発動し、全身の筋力を瞬間的に倍増させる。戦斧をしかと右手で握り、頭上高く振り上げた。
「ギィ!」
クイーンビーが毒針で迎撃しようとする。
明は空中で身を捻り、毒針をかわした。『疾走』の加速視界があれば、その動きも読める。そして、女王蜂の背中に着地すると同時に、頭部と胴体の継ぎ目に向けて戦斧を振り下ろした。
刃が、甲殻の薄い継ぎ目に食い込む。
「ギィイイエエエッッ!」
クイーンビーが必死に明を振り落とそうと暴れ回った。
しかし、明は戦斧を深く食い込ませたまま離さない。それどころか、なおいっそうの力を込めて刃を押し込むと、
「『魔力撃』ッ!」
渾身の力を込めて、魔力を解放した。
青白い光が、戦斧から爆発的に放出された。魔力の刃が、クイーンビーの体内を内側から切り裂いていく。
「ギィィィィィィ!」
女王蜂が断末魔の叫びを上げた。
継ぎ目から光が漏れ、やがて胴体全体に亀裂が走る。そして――
ズバァッ!
クイーンビーの巨体が、頭部と胴体で真っ二つに分かれた。タールのように黒い体液が噴水のように噴き出し、巨体が痙攣しながら崩れ落ちる。
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……
ポイント8を獲得しました。
消費されていない獲得ポイントがあります。
獲得ポイントを振り分けてください。
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ボスモンスターの討伐が確認されました。
世界反転の進行度が減少します。
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明は、表示されるレベルアップの画面から目を逸らすと、地面に飛び降りた。
手の中の戦斧を見る。刃は完全に砕け、柄も折れかけていた。もはや武器としては使い物にならない。
「よく持ってくれた」
明は砕けた戦斧を亜空間にしまった。これで武器は無くなってしまったが、この戦いで得られたものは大きい。
明は小さく息を吐くと、背後を振り返った。
女王蜂は完全に絶命していた。明はふらふらと女王蜂に近づき、顎牙をへし折った。
「ふぅー……」
身体が限界を訴えている。左腕は使えず、全身のあちこちには打撲と裂傷だ。魔力も完全に枯渇しており、まともなスキルは何一つ使えない。
(今の能力値で、一晩のうちにボス二体はしんどいな……)
だが、それでも立ち止まっている余裕はどこにもない。
今日はまだ始まったばかりだ。今後のことを考えても、あと一体は今日中にボスを倒しておかねばならない。
「一条くん!」
アーサーが駆け寄ってきた。エマも心配そうに近づく。
「大丈夫か? ひどい怪我だ」
「俺は大丈夫です。それよりも」
明はちらりと、離れた場所で地面に横たわるオリヴィアを見た。
「彼女が心配です。このままだと彼女は――死ぬことになります」




