効率的な始まり
会社を出た明は、会社近くにあるビル街の路地へと向かった。
術式:世界反転が本格稼働するまで残り約二時間。
ミノタウロスを含めた大型モンスターはまだこの世界に来ていないが、彼らに先んじて、とある小型モンスターが異世界からやってきていることを知っていたからだ。
夜の冷たい空気が肺を満たす。
街灯の光が作る影の中を、明は一定のペースで歩いていく。
(周回直後の今、俺の身体は最悪の状態だ)
明は心の中で呟いた。
(永劫回帰のシステムによって、身体能力やスキルを含めた全てがリセットされている。前回の周回で培った功績のおかげで、『座』の力によって記憶だけは引き継ぐことが出来たが……それ以外は、何もない)
つまり、今の明は一般的な会社員と何ら変わらない。
あの超人的な身体能力も、習得した数々のスキルも、『黄泉帰り』スキルに付与されていた『インベントリ』や『スキルリセット』といった特別なシステムも、何もかもを失っている。
(レベル1、ステータスは全て最低値。体力3、筋力3、耐久2、速度2、幸運2……情けないほど弱い数字だ)
開いたステータス画面を見つめる。
過去の周回では、この状態から少しずつ力を積み上げていった。モンスターを倒し、レベルを上げ、数々スキルを習得していった。
だが、そんな時間は今回ない。
(今、俺の手札にあるカードは少ない。だからこそ今は、ここにあるものを活用する必要がある)
今の明に扱えるもの。
それは、たった一つだけ。
薄暗い路地を歩いていると、ゴミ袋を漁っている陰が目に入った。一見すると野良猫か何かに見えるが、猫ではない。
この世界に最初に現れる魔物——ゴブリンだ。
体長は1メートルに満たない小柄な体躯。緑がかった肌に、ボロ布のような粗末な衣服。手には粗末な棍棒を握っている。
いつもなら、この場から逃げ出すか、適当な棒切れで応戦していただろう。
(だけど、今は――)
明は両手を軽く広げ、無防備な姿勢を取った。
ゴブリンの目に、困惑の色が浮かぶ。獲物が逃げも戦いもしないことに、本能的な違和感を覚えているのだろう。
「来い」
明は静かに呟いた。
「俺を、殺せ」
その言葉の意味は分からなくとも、挑発と受け取ったのか。ゴブリンは奇声を上げて飛びかかってきた。
振り回された棍棒が、明の頭上から落ちてくる。
「―――…ッ」
避けることは簡単だった。18回の経験が、体に染み付いている。今の身体能力が貧弱でも、ゴブリンの動きぐらいは見切れる。
だが、明は動かなかった。
ドゴッ!
鈍い音とともに、視界が揺れた。
「ぐっ」
激痛が全身を駆け巡る。どろりとした温かい液体が頬を伝って、地面に流れ落ちていった。
ゴブリンは興奮した様子で棍棒を振りかざし、もう一度、明の顔面を叩いてくる。再び、視界が揺れる。それでも抵抗はせず、もう一度殴られる。
明の視界が徐々に暗くなり始めた。立っていることも出来ず、膝から崩れ落ちて冷たいアスファルトの上に倒れ込む。
(これで……いい……)
薄れゆく意識の中で、明は思う。
(今の俺が扱えるのは、この命と『クエスト』システムだけだ。効率的にクエストを発生させ続けて、早い段階で大量のポイントを得ていく必要がある)
血溜まりが広がっていく。体温が急速に失われていく。
だが、明の口元には薄い笑みが浮かんでいた。
(さあ、始めよう。19周目のリトライだ)
ゴブリンが勝利の雄叫びを上げる中、明の意識は闇に沈んでいった。
19回目の、最初の死。
それは、自ら選んだ死だった。
◇
目覚めと同時に、明はすぐさま動き出した。
怪訝な顔をする奈緒に適当な言い訳をしつつ、会社を飛び出て深夜営業の量販店に向かう。そこで動きやすい服装とフライパンを購入し、スーツを脱いで着替え、街に繰り出す。
目的は、もちろん――ゴブリンだ。
クエストを発生させ、そして即座に終わらせるために、明は全力で夜の街を駆けた。
(……いた!)
ビルの路地裏、そこに、つい先ほど殺されたばかりのゴブリンを見つけた。服を着替える手間を挟んだおかげで、記憶の場所よりも移動はしていたが、すぐに見つけることが出来た。
慣れ親しんだ、電子音が鳴る。
――チリン。
――――――――――――――――――
前回、敗北したモンスターです。
クエストが発生します。
――――――――――――――――――
E級クエスト:ゴブリン が開始されます。
クエストクリア条件は、ゴブリンの撃破です。
――――――――――――――――――
ゴブリンの撃破数 0/100
――――――――――――――――――
「ギギッ!」
明を見つけたゴブリンが威嚇してきた。
明は目の前に開かれた画面を手で払うと、帽子の上からフードを目深に被って、即座に購入していたフライパンを手にする。
「……始めるか」
小さく呟き、ゴブリンに向けて突進した。
「ギギャッ!」
ゴブリンの頭上でぶんぶんと振り回される棍棒が、明に向かって落ちてくる。明はその軌道に合わせてフライパンを構えて、防御する。
ガァン!
棍棒とフライパンがぶつかる、甲高い音が夜の住宅街に響いた。
ゴブリンが繰り出した力強い一撃に、明の腕が甘く痺れた。手にしたフライパンを落としそうになるのを必死でこらえて、全力でゴブリンを押し返す。
「げぎゃっ!?」
見たこともない妙な獲物で攻撃を防がれるとは思ってもいなかったのか、ゴブリンが一瞬、狼狽えたのが分かった。
その隙を、明は見逃さなかった。
「ふっ!!」
短く息を吐いて、ゴブリンに向けて突撃する。
そのまま身体ごとぶつかるようにしてゴブリンを押し倒すと、ゴブリンが手にした棍棒を力任せに奪い取った。
「まずは一匹目」
呟き、ゴブリンに向けて棍棒を振り落とした。
ドゴッ!
鈍い音が周囲に響く。
ゴブリンが必死の形相で抵抗してくるが、明はそれを許さない。何度も、何度も。明はゴブリンが息絶えるまで手にした棍棒を無心で振り落とし続けた。
明が手を止めたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
――――――――――――――――――
レベルアップしました。
レベルアップしました。
ポイントを2つ獲得しました。
消費されていない獲得ポイントがあります。
獲得ポイントを振り分けてください。
――――――――――――――――――
条件を満たしました。
ブロンズトロフィー:初めてのモンスター討伐 を獲得しました。
ブロンズトロフィー:初めてのモンスター討伐 を獲得したことで、以下の特典が与えられます。
・筋力値+5
――――――――――――――――――
「ふー……」
目の前に開かれた画面に、ようやく、ゴブリンが息絶えたことを確認した。
明は頬に飛んだ血を拭って立ち上がると、ゴブリンの死体を路地の隅へと蹴り飛ばした。
(初討伐のトロフィーが出たな。これで少しは楽になる)
次に得やすいトロフィーは、耐久値が5つも上がる『二度目の死亡』だが、今ここで手に入れるつもりはない。
手に入れるのはもっと後になってからだ。
(ひとまず、ポイントを割り振っておこう)
明はステータス画面を開いて、手に入れたポイントを割り振った。
――――――――――――――――――
一条 明 25歳 男 Lv3(1)
体力:5 (+2Up)
筋力:10 (+7Up)
耐久:4 (+2Up)
速度:10 (+8Up)
幸運:4 (+2Up)
ポイント:0
――――――――――――――――――
固有スキル
・黄泉帰り
――――――――――――――――――
すべてのポイントを速度値に割り振った。
いつもならスキル取得のために残しておくところだが、今回はそんな余裕がなかった。午後12時までに、今発生しているゴブリンクエストを終わらせなくてはならないからだ。
(これで、多少動きやすくなったな)
レベルアップでの能力値上昇分と、トロフィー取得での能力値上昇分。そしてポイントでの能力値上昇分を合わせて、筋力値と体力値が早くも2桁に到達している。
これなら2、3匹の群れなら相手にすることも出来るだろう。
そんなことを考えながら、明はステータス画面を消した。
背後から悲鳴があがったのは、そんな時だった。
「きゃぁああああッ! な、何してるんですか!!?」
明は背後を振り返った。
そこには、会社帰りだと思われる女性が明を見て後ずさりしているところだった。
女性の目が、明の下敷きになっている事切れたゴブリンに止まる。
「ひ、人……人を殺してる!」
女性は青い顔でそう呟き、バタバタとその場から逃げ出した。
明は去っていく女性の後ろ姿を見送り、小さなため息を吐き出す。
(……面倒なことになったな)
これから騒ぎになるかもしれない。
けど、それが何だというのか。どうせ数時間後には、これの非じゃない騒ぎが起きている。
「顔は見られてないと思うけど」
小さく呟き、明は再び夜の街を駆け始めた。




