いつもの目覚め、彼女の声
『座』と呼ばれる存在と契約をしてから、一条明という人間の目覚めは、いつも決まった場面から始まっている。
「……じょう! おい、一条っ!」
それは、何度も耳にしてきた懐かしい言葉。
何度この世界を繰り返そうが、決まって死の運命に直面する彼女の声。
耳元で少しだけ怒ったように呼ぶ声に、世界と世界の狭間へと落ちていた意識がいっきに浮上して、一条明は——ゆっくりと、目を覚ました。
「―――…っ」
真っ先に目に飛び込んでくる蛍光灯の光に、顔を歪めた。
徐々に焦点を結ぶ視界に、机上に積み上げられた書類の山が飛び込んでくる。
雑に並んだエナジードリンクの空き缶の奥では、付箋がベタベタと貼られたモニター画面がある。画面には、開きっぱなしのスプレッドシートが映っていた。
「一条ッ! 聞いているのか!? おいッ!!」
再び聞こえた声に、明は背後を振り返った。
ダークグレーのテーラードジャケットを着た女性と目が合った。
――七瀬奈緒。
過去18回、同じ場所、同じ言葉、同じ表情で明を起こしてくれた人。
そして、過去18回、必ず死んでしまった人。
「ようやく起きたか。ったく……白目むいて突っ伏してるから、倒れたのかと思ったぞ」
奈緒の言葉は、一言一句、完璧に記憶と一致していた。
明は静かに身を起こし、首筋の鈍い痛みをそっと押さえる。この痛みも、もう19回目だ。
「……すみません」
短く謝罪の言葉を口にしながら、明は素早く周囲を確認した。
時刻は午後10時12分。
オフィスに残っているのは自分と奈緒、そして奥の管理職エリアに二人。窓の外には、いつもと変わらない夜の東京の景色が広がっている。
まだ、世界は平和だ。
しかしあと数時間もすれば、この日常は終わりを迎える。
「一条、ちゃんと自分の身体も労われよ」
奈緒が缶コーヒーをデスクに置いた。ブラックと微糖――いつもの組み合わせだった。
明は、その缶に手を伸ばしながら、小さく息を吐いた。
(記憶は……18回分、完璧に残ってる。初めてだ)
前回の周回で得た特典――『記憶の補完』は正常に働いていた。
いつもの目覚めなら、これからミノタウロスに殺されるまでが1セットになっているが――今回は違う。
(ようやく、完全な記憶の持ち込みが出来るところまで来た。この特典を得るために、多くの功績を積み上げて、多大な蓋然性を支払わなければならなかったが……それでも、メリットは十分にある)
まず『第六感』という専用スキルを取得する必要がなくなった。
『第六感』というスキルを用意したのは、10周目のことだ。
当時、明を大きく悩ませていたのが永劫回帰の弊害とも呼べる、記憶の欠落だった。
『座』と呼ばれる存在と契約をし、人間という枠組みから外れることになったとはいえ、一条明の身体はただの人間種だ。人間の脳では幾千幾万と繰り返される死の衝撃と、その後に続くループの記憶に耐えられない。
はじめは小さな違和感でしかなかったが、徐々に綻びは大きくなり始めて、10周目にもなると記憶の欠落が顕著になった。
過去の並行世界での出来事を、覚えていられなくなったのだ。
そこで用意したのが、記憶の外部メモリ――『記録』と呼ばれる引き継ぎシステムと、スキルと呼ばれる力に、一条明という存在の記憶を封じ込める方法だった。
苦肉の策だったが、その企みは上手くいった。
『第六感』というスキルと、『記録』と呼ばれるシステムを取得出来さえすれば、これまでの全てを思い出せるようになったからだ。
しかし、それでも対処できないことは在る。
(この世界の崩壊を止めるには、今の時点からより効率的に動かなければ話にならない)
18周目の最後に見た、術式の流出。
あの現象を止めるには、いち早く今いる日本エリアの術式を止めて、他のエリアへと渡らなければならない。
(『黄泉帰り』の残り回数は50回。…… 無駄遣いはできない。でも、今は使うべき時だ)
「……奈緒さん」
明は、いつもとは違う呼びかけをした。
奈緒が振り返る。「主任」という言葉ではなかったからか、その表情にかすかな違和感が浮かんだ。
「おい、名前――」
「もし」
明は、奈緒の言葉を遮った。
遮った上で、慎重に言葉を選んで、続けた。
「もし、今夜、この世界に何か大変なことが起きるとしたら……奈緒さんは、どうしますか?」
奈緒は眉をひそめた。
「は? 何だ急に。疲れてるのか?」
「仮の話です」
明は真剣な表情を崩さない。
「例えば、地震とか、テロとか……あるいは、もっと想像もつかないような何かが」
奈緒はしばらく明を見つめていたが、やがて小さく肩をすくめた。
「そうだな……まずは生き延びることを考えるだろうな。それから、大切な人の安否を確認する」
彼女は少し照れくさそうに続けた。
「お前みたいな部下も、一応は心配するだろうさ」
この優しい人が、あと数時間後には死ぬ運命にある。
18回、どんな方法を試しても変えられなかった運命。
その運命を変えるためには——
(俺がまず、ミノタウロスに殺される以外で、死ぬ必要がある)
覚悟は決まった。
「奈緒さん」
明は立ち上がった。
「今度こそ、俺が護ります」
「は?」
「失礼します」
明は奈緒を置いてその場から駆け出した。
置き去りにされた奈緒は明の後ろ姿を見つめて、呟く。
「……何だアイツ。頭でも打ったか?」
今はまだ何も知らない彼女の顔には、ありありとした不信が浮かんでいた。
第三部(実質第二部)、19周目スタートです。
のんびり更新していきますので、よろしくお願いいたします。
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新作投稿しました。
『滅亡した世界の最後の覚醒者、女神の力で巻き戻る』
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10万字保証です。今のところは毎日更新予定。
こちらの更新を待つ間、こちらの小説を読みながらお待ちいただければと。




