一条明 -0- ⑮
翌朝、二人は北の商業地区に向かった。
ライラ森林が拡大した影響で、かつてのメインストリートも完全に森に飲み込まれている。二人は、木々の隙間を縫うようにして歩きながら、獲物を探し続けた。
「今日も、世界反転率が上るだろうね」
田村が呟いた。
「今日は何もないといいけど」
明も同感だった。この調子では、あと数日で30%を突破する。だが、それまでに何もないとは限らない。もしかすれば、今この瞬間にだって何か変化があるのかもしれない。
商業地区に到着すると、さっそく魔物の群れを発見した。ゴブリンが五体、木々に飲まれ、廃墟となった店舗の前で何かを漁っている。
「おっ、いい感じの群れだね」
田村が小声で言った。
「『解析』で確認してみる」
田村は目を細めて、ゴブリンたちを見つめた。
「レベルは7から12の間。君なら楽勝でしょ」
明は頷き、短剣を抜いた。田村が少し離れた位置で待機する。
「行くぞ」
明が駆け出した瞬間、ゴブリンたちが一斉に振り返った。だが、明の速度についてこれない。
最初の一体の胸を短剣で貫く。続けて二体目の首筋を斬り裂く。
残り三体が包囲しようとしたが、明の動きの方が上だった。回避しながら反撃し、短時間で全て片づける。
「お疲れさま〜」
田村が拍手しながら近づいてきた。
「さすがだね。俺には真似できないよ」
明は素っ気なく答えた。
「次を探すぞ」
「はいはい。でも、その前に」
田村が振り返った。
「『危機察知』が反応してる。何か大きめの魔物が近づいてくる」
明は警戒して周囲を見回した。確かに、重い足音が響いてくる。
現れたのは、ゴブリンとは比較にならないほど巨大な猪のような魔物だった。全身が黒い剛毛に覆われ、鋭い牙が口から突き出している。体長は三メートルほどで、筋肉質な四肢が地面を踏みしめるたびに小さな振動が伝わってきた。
「ボアだ」
田村が緊張した声で言った。
「レベル31。これはヤバい」
明の顔が青ざめた。レベル31といえば、自分より8レベルも上だ。
「逃げた方がいいんじゃないか?」
「でも……」
田村が周囲を見回した。
「『危機察知』が別の反応も示してる。他にも魔物がいる。下手に動くと囲まれるかも」
明は短剣を握り直した。逃げ道が塞がれているなら、戦うしかない。
ボアは明たちを見つけると、鼻息を荒く吐いて威嚇した。そして、突然駆け出してくる。その巨体からは想像できないほどの俊敏さで、まっすぐ明に向かって突進してきた。
「速い!」
明は横に飛んで攻撃を避けたが、ボアはそのまま近くの木に激突した。太い幹がめきめきと音を立て、半分ほど砕け散る。
「攻撃力もヤバいな……」
明が呟いた瞬間、ボアが振り返った。赤い目が怒りに燃えている。
「明! 一人じゃ無理だよ!」
田村が叫びながら、近くに落ちていた太い木の枝を拾い上げた。
「二人で連携しよう!」
明は驚いた。田村が自分から戦闘に参加すると言ったのは初めてだった。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないけど、君一人じゃもっと大丈夫じゃない!」
田村が苦笑いを浮かべながら、木の枝を構えた。
ボアが再び突進してくる。明は真正面から迎え撃ち、ぎりぎりで回避して脇腹に短剣を突き立てた。しかし、厚い皮膚に阻まれて浅い傷しか与えられない。
「硬い……!」
その時、田村がボアの後方から木の枝でその後ろ足を叩いた。
「グルォッ!」
ボアが振り返ろうとした瞬間、明が再び前足の関節部分を狙って攻撃した。今度は少し深く刺さったが、まだ致命傷には程遠い。
「このままじゃ埒が明かない!」
田村が叫んだ。
「明、俺が気を引く! その隙に一撃を!」
「危険すぎる!」
「やるしかないでしょ!」
田村は木の枝を振り回しながら、ボアの前に立ちはだかった。
「こっちだよ、ブタ野郎!」
ボアが怒り狂って田村に突進した。
田村は必死に横に飛んで回避するが、ボアの巨体が掠めて転倒してしまう。
「田村!」
明は迷わずボアの側面に回り込んだ。レベル差があり過ぎる。正面からの力勝負では勝ち目がない。
――勝つしかない。
(コイツを倒さないと、俺たちはここで死ぬ!)
明は意識を極限まで集中させた。
田村が命懸けで作ってくれたこの機会を、絶対に無駄にはできなかった。
「ふぅー……」
呼吸を整え、心を静める。雑音を排除し、ボアだけに意識を向ける。
その瞬間、世界が変わった。
時間がゆっくりと流れ始める。ボアの筋肉の微細な収縮が手に取るように見えた。肩の筋肉が緊張している。次は首を振る動作に入る。後ろ足に力が入っている。立ち上がろうとしているみたいだ。ボアの呼吸のリズムが乱れた。痛みで集中力が散漫になっている。
――生死の境目に立たされたことで入れた、極限の集中状態。
まるで相手の心を読んでいるかのように、明にはボアの次の行動パターンが予測できた。
(あの場所……)
明は目を細めた。
ボアの首筋。黒い剛毛に覆われた太い首の、わずかに毛の薄い部分。そこだけが、他の部位よりもかすかに脆弱に見えた。
(一か八かだ)
息を吐いて、短剣を力強く握りしめる。直後、止まっていた世界が一気に動き出す。
「ブォオオオオオッッ!」
ボアが雄叫びをあげて、側面に回り込んだ明へと眼を向けた。その次の瞬間には、明は握りしめていた短剣を、全身の力を込めて振り下ろしていた。
狙いは一点。ボアの急所、最も薄い部分。
「倒れろォオオオオオオオオッ!!」
刃が空気を切り裂き、ボアの首筋に吸い込まれるように突き刺さった。刃は厚い皮膚を貫通し、深々と肉に食い込む。
「グル……!」
ボアの巨体が硬直した。動きが一瞬完全に止まり、赤い目に困惑の色が浮かんだ。
明はその隙を逃さず、短剣をさらに深く押し込んだ。
「今だ!」
転倒していた田村が立ち上がり、木の枝をボアの目に向かって突き出した。ボアが怯んだ隙に、明が短剣を引き抜いて再び首筋に突き立てる。
「グル……ル……」
ボアの巨体がゆっくりと地面に倒れ込んだ。
田村が息を切らしながら木の枝を落とした。
「やった……生きてる……俺、生きてるよ……!!」
明も小さく笑って、安堵の息を吐いた。
一人では絶対に勝てなかった相手だった。田村がいたからこそ、どうにか生き延びることが出来た。
「ありがとう、田村」
「え?」
「お前がいなければ負けていた」
明の素直な感謝の言葉に、田村が驚いたような表情を浮かべた。
「当然でしょ。仲間だからね」
その言葉に、明は複雑な気持ちになった。この男を完全に信用することはできないが、少なくとも今回は本当に命を張って戦ってくれた。
その時だった。
明の目の前にいくつもの画面が現れた。
――――――――――――――――――
レベルアップしました
Lv21 → Lv25
体力:24(+40) → 28(+40)
筋力:22(+40) → 27(+40)
耐久:16(+40) → 20(+40)
速度:20(+40) → 25(+40)
幸運:14 → 16
――――――――――――――――――
新しいスキルを習得しました
・集中Lv1
・急所狙いLv1
――――――――――――――――――
「一気にレベル4も上がった……しかもスキルを習得したって」
明が驚いて画面を見つめていると、田村が嬉しそうに笑った。
「本当っ!? 良かったね、明! どんなスキルを覚えたの?」
「『集中』と『急所狙い』だ」
「どんなスキルの効果? スキルに触れてみるとその効果を見ることが出来るよ」
田村の説明に従って、明はスキル画面の『集中』という文字に触れた。すると、詳細な説明が表示された。
――――――――――――――――――
集中Lv1
・アクティブスキル
・魔力を消費することで極限の集中状態となる。スキル発動中は常に魔力を消費し続ける
――――――――――――――――――
「魔力を消費するスキル……」
明は画面を見つめながら呟いた。
「俺、魔力の基礎値は0なのに。使えるのか?」
「補正で20もあるんだから大丈夫でしょ」
田村が気軽に答えた。
「それより、『急所狙い』の方も見てみなよ」
田村が促してくる。
明は促されるがまま、『急所狙い』の文字に触れた。
――――――――――――――――――
急所狙いLv1
・パッシブスキル
・敵の弱点を見抜く能力が向上し、クリティカルヒットの確率が上昇する
――――――――――――――――――
「敵の弱点を見抜く力か」
明は画面に書かれた文字を読み上げた。
「これがあれば、魔物との戦いが楽になるかな」
「絶対楽になるよ!」
田村が興奮気味に言った。
「弱点が分かれば、効率よくダメージを与えられるからね。俺の『解析』と組み合わせれば、最強のコンビになれるかも」
明は田村の顔を見た。確かに、情報収集と弱点攻撃の組み合わせは強力だろう。
問題は、この男に背中を任せても大丈夫なのかどうかだが。
(……まだ気を許せないな)
明は心の中でそう呟き、内心で小さなため息を吐き出すと、もう一度画面に目を向けた。
「『集中』スキルの説明ではアクティブスキルって書いてあったけど、こっちの『急所狙い』だとパッシブスキルになってる。……パッシブスキルってことは、常時発動してるってことで大丈夫だよな?」
「そうだね。アクティブスキルは自分の意思――『スキルを使うぞ』っていう気持ちでスキルが発動するけど、パッシブスキルは俺たちの意思とは別に、勝手に発動してる。その認識で間違いないよ」
「なるほど」
頷き、明は田村へと眼を向けた。
すると、なんとなくではあるが、確かに。田村の頭や首、心臓といった箇所に意識が向くのが分かった。これが『急所狙い』の効果なのだろう。
「やめてよ! 俺の急所を狙おうとするの!」
田村が首筋を抑えて後退る。
その様子に、明は喉を鳴らすようにして笑いながら言った。
「よく分かったな」
「そりゃあね、あれだけ怖い目で見てたら誰でも分かるよ。明の視線、明らかにおかしかったもん」
田村が苦笑いを浮かべながら、さらに一歩後ずさった。
明は手を振って、田村を安心させる。
「安心しろ。お前を攻撃するつもりはない」
「そりゃそうだけど……でも、そのスキル、かなり強力だと思うよ。俺の『解析』で敵の詳細情報を調べて、君の『急所狙い』で弱点を突く。完璧な連携じゃない?」
確かに、田村の言う通りだった。情報収集と攻撃の役割分担は理想的だ。
「それにしても」
と田村が唸るような声を出して明を見つめた。
「いきなり2つもスキルを覚えるなんて珍しいね」
「そんなものなのか?」
「普通は1つずつだよ。それに、どのタイミングでどんなスキルを覚えるのかも分からないし。君、よっぽど極限状態だったんだね」
田村の言葉に、明は「そうかも」と小さく頷いた。
言われてみれば確かに、あの時は死を覚悟していた。田村を見捨てるわけにはいかず、絶対に勝たなければならないという強い意志があった。
「田村はどうだった? レベル上がった?」
「うん、2つ上がってレベル26になったよ。でも、新しいスキルは覚えなかった」
田村が少し羨ましそうに言った。
「君の方が成長が早いね。やっぱり前線で戦ってる分、経験値もスキル習得も有利なのかな」
明は田村を見つめた。今回の戦闘で、田村への見方が少し変わった。完全に信用はできないが、少なくとも本当にピンチの時は助けてくれる。
「次はもっと慎重に行こう」
「そうだね。レベル30超えの魔物は、まだ俺たちには荷が重すぎる」
それから二人は、何かに使えるかもしれないと、倒したボアを解体した。作業は思ったよりも難航した。なにせ、動物の解体作業なんかしたことがない二人だ。
血や脂になんども手を滑らせながら毛皮を剥ぎ、硬い骨や牙を取り出していく。
それだけでも大変な作業なのに、途中、何度もゴブリンたちの襲撃を受けた。その相手をしながら作業を進めていると時間はあっという間に過ぎ去り、すべての素材を手に入れた時には夜も更けていた。
「はぁ……はぁ……」
明は汗を拭いながら、ようやく解体作業を終えた。毛皮、牙、それに何本かの骨を回収することができた。
「こんなに大変だとは思わなかった……」
田村も息を切らしている。二人とも血まみれで、疲労困憊だった。
「でも、これだけの素材があれば、何かの役に立つかもしれない」
明は回収した素材を見つめた。毛皮は防具に、牙は武器の強化に使えるかもしれない。
「俺の『収納術』スキルで、効率よく持ち運べるよ」
田村が素材の一部を不思議な方法で小さくまとめた。スキルの効果で、かさばる荷物を圧縮できるらしい。
「便利なスキルだな」
「まあね。戦闘では役に立たないけど、こういう時は助かる」
二人は疲れ切った体で、田村の隠れ家へ向かった。途中、数回魔物に遭遇したが、疲労のため避けて通ることにした。
地下の隠れ家に到着すると、二人は血を洗い流し、簡単な食事を取った。
「今日は本当に疲れた……」
明が毛布にくるまりながら呟いた。
「でも、得るものは多かった。レベルも上がったし、スキルも覚えた」
「そうだね。明日からはもっと効率よく狩りができそうだ」
田村も疲れた様子で横になった。
「ただ、解体作業はもう少し効率化したいな。あんなに時間がかかったら、他の魔物に襲われる危険が高すぎる」
「そうだな。素材は欲しいが、安全第一で行こう」
明は目を閉じながら答えた。
今日一日で、田村との関係も少し変化した。完全に信頼はできないが、戦闘では確実に連携が取れている。お互いの能力を活かし合えれば、この危険な世界でも生き抜いていけるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、明の意識は眠りに落ちていった。
しかし、その眠りは長くは続かなかった。
――チリン。
深夜零時頃、例の電子音が地下室に響いた。
明は目を覚まし、田村も同時に起き上がった。
二人の目の前に、青白い画面が浮かび上がる。
――――――――――――――――――
世界反転率が30%を超えました。
世界反転率が30%を超えたため、異なる世界の一部が出現します。
――――――――――――――――――
「ついに30%か……」
明が呟いた瞬間、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
壁が液体のように溶け、天井が波打つように揺れる。地下室の現実が、まるで水彩画に水を垂らしたかのように滲み始めた。
「うわっ、何だこれ!」
田村が慌てて立ち上がった。
明も慌てて毛布から飛び出る。足元の床が、まるで砂のように崩れ始めていた。
「外に出よう!」
明が叫び、二人は階段に向かって駆け出した。
しかし、階段も既に原形を留めていない。石の段差が流動的に形を変え、上り下りが判別できなくなっている。
「こっちだ!」
田村が『危機察知』スキルで安全なルートを見つけたのか、明の手を引いて別の方向へ向かった。
二人が必死に這い上がってデパートの一階に到達すると、そこは完全に別世界になっていた。
コンクリートの床は石畳に変わり、天井は木の梁で支えられた高い天井に変化している。現代的な店舗の跡は影も形もなく、代わりに中世ヨーロッパを思わせる建物の内部が広がっていた。
「完全に入れ替わった……」
明が呆然と呟いた。
窓から外を覗くと、街全体が一変していた。廃墟だった街並みが消え、代わりに石造りの建物群が立ち並んでいる。石畳の街道、木組みの家屋、遠くには城壁のような構造物も見える。
「うわあ……」
田村が窓に張り付いて外を見ている。
「完全に別の世界の街だ」
明も驚愕していた。もはや元の街の面影は微塵もない。現実世界の一部が、文字通り異世界に置き換わってしまったのだ。
しかし、街には人の気配がなかった。
石畳の道は静まり返り、建物の窓には明かりが灯っていない。まるで住人が全員消えてしまったかのような、不気味な静寂が漂っている。
「誰もいないのか……」
明の声に失望が滲んだ。
一瞬、異世界の住人がいるのではないかと期待したが、この街は完全に無人だった。
「でも、建物自体は完璧な状態だね」
田村が窓越しに街を見つめながら言った。
「もしかしたら、武器や防具、魔法のアイテムなんかが見つかるかもしれない」
確かに、異世界の街には現代では手に入らないものがあるかもしれない。それに、この変化の謎を解く手がかりも。
「明日、探索してみようか」
明は提案した。
「ただし、慎重に。何が潜んでいるか分からない」
「そうだね。異世界の街なら、これまでにない魔物だって出るかもしれないし」
田村が頷いた。
二人は変化した建物の中で、一夜を過ごすことにした。石造りの壁に囲まれた空間は、地下室よりもむしろ安全そうに見えた。
明は窓から無人の街を見つめ続けた。石造りの建物群は月の光に照らされて幻想的に見えたが、同時に不気味でもあった。
人の気配のない異世界の街——それは新たな可能性と危険を同時に秘めていた。
この世界で起きている異常の謎を解く手がかりが、あの石畳の街道のどこかに眠っているかもしれない。
そんな期待と不安を胸に、明は静寂に包まれた異世界の街並みを見つめ続けた。




