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この世界がいずれ滅ぶことを、俺だけが知っている  作者: 灰島シゲル
六章

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一条明 -0- ⑤



 二人は更に十分ほど歩き続けた。やがて彩夏が足を止めたのは、半分崩れた商業ビルの前だった。


「ここよ」


 彩夏は瓦礫の隙間を縫うように進み、ビルの裏口へと向かった。扉は半開きになっており、中は真っ暗だった。


「大丈夫なのか?」


「二階が安全よ。魔物は基本的に地上を徘徊するから、高い場所の方が相対的に安全なの」


 彩夏はスティック型のライトを点灯させ、先頭に立って階段を上っていく。明も慌ててその後を追った。


 二階のフロアは、かつてオフィスだったらしい。デスクや椅子が散乱し、書類が床に散らばっている。窓ガラスの多くは割れており、外の冷たい空気が流れ込んでいた。


「ここなら一晩は過ごせる」


 彩夏は奥の一角、比較的片付いた場所に荷物を下ろした。そこには既に、毛布や保存食料などが置かれている。


「前にも使ったことがあるの?」


「ええ。一人の時の隠れ家みたいなものよ」


 彩夏は保存食の缶詰を二つ取り出し、一つを明に差し出した。


「お腹、空いてるでしょ」


 明は素直に受け取った。確かに、気づけば半日以上何も食べていない。『黄泉帰り』による空白期間を含めると、三日以上だ。缶を開けると、中身は味気ないビーフシチューだったが、今の明には何よりもありがたかった。


 二人は黙々と食事を取った。外では時折、遠くで魔物の咆哮が響いている。


 食事を終えると、彩夏は窓際に座り込んで、黙り込んでしまった。割れたガラス越しに、荒廃した街並みを見つめている。明は、そんな彼女をしばらく眺めたのちに、ずっと気になっていたことを問いかけた。


「なあ。さっきのアーサーって人のこと、教えてくれないか?」


 彩夏の肩が、わずかに強張った。


「……なんで?」


「佐藤さんの話だと、そこには大勢の生存者がいるんだろ? もしかしたら、俺の知り合いもいるかもしれない」


 明の言葉に、彩夏は振り返った。


「知り合い?」


「職場の同僚とか、友人とか……。みんな、どうなったのか分からないんだ」


 明の声には、切実な思いが込められていた。死んでから三日後に蘇ったということは、その間に何が起きたのか全く分からない。大切な人たちの安否も、確認できずにいる。


 彩夏は長い間、明を見つめていた。やがて、小さくため息をついて言った。


「……アーサー・ノア・ハイド。あたし達と同じ、魔物に襲われた生存者よ」


「生存者だったのか」


「出会った時はね」


 彩夏は膝を抱え込むように座り直した。その小さな身体が、まるで自分を守るように丸くなる。


「でも、話せば長くなる。まず、あたしがなぜアーサーに騙されたのかを理解してもらうには、三日前のことから話さないといけない」


 彩夏は窓の外を見つめながら、重い口を開いた。


「三日前、この世界に魔物が出現した。あたしと友達は、街に現れた魔物から必死に逃げ回っていたの。でも、魔物に囲まれて……」


 彩夏の声が震える。


「あたしは怖くて、友達を置いて一人で逃げてしまった。友達が『待って』って叫んでいたのに」


 言葉が途切れた。彩夏は拳を握りしめ、下唇を噛む。


「生きているか死んでいるかも分からない。それでもあたしは、その友達をずっと探し続けている」


 明は黙って聞いていた。彩夏の痛みの深さが伝わってきた。


「そんな時に現れたのがアーサーよ。『友達を一緒に探してくれる』って言ってくれた。戦闘経験は少なそうだったけど、アイツの仲間が頼もしくて……何より」


 彩夏の声が一瞬途切れる。


「友達の話を、真剣に聞いてくれたから。あたしの罪悪感も、後悔も、全部受け止めてくれるような人に見えた」


「それで信用したのか」


「そう。完全に騙された」


 彩夏の瞳に怒りと自己嫌悪が混じる。


「最初は本当に協力的だった。危険な場所にも一緒に行ってくれた。でも、それが続いたのはたった一日だけ。あたしが油断して眠ったその隙を突いて……」


 彩夏は言葉を区切り、深く息を吸った。


「アイツは、あたしを殺そうとした」


「……どうして、そんなことを」


「この世界に魔物が現れたと同時に、ヤバい思想を持つ人間も同時に現れたのよ。リリスライラって聞いたことない?」


 明は首を横に振る。


「悪魔を崇拝してる連中よ。魔物を殺す人間を殺せば、何でも願いが叶うって信じてる」


「何だよ、それ」


「おかしいでしょ? でも、絶望した人間は何にでも縋りたがる。アーサーもその一人だった」


 彩夏は自嘲的に笑った。


「後で分かったことだけど、アイツには叶えたい願いがあった。だから悪魔に魂を売って、あたしみたいな『魔物と戦う人間』を狙うようになった」


「つまり、最初から君を騙すつもりで近づいてきたということか」


「そういうこと。あたしの弱みにつけ込んで、友達を探すフリをして、最後は殺すつもりだった」


 彩夏は明を見つめた。


「だから、あたしはあの男を二度と信用しない。表では立派なことを言っても、裏では平気で人を踏み台にする」


 しばらく沈黙が続いた。やがて彩夏が口を開く。


「あんたが知り合いの安否を確認したい気持ちは分かる。だから明日、あたしが知ってる別の避難所に案内するわ。そこの人たちなら、他の避難所の情報も持ってるはずだから」


「ありがとう」


 明は心からの感謝を込めて言った。


「でも、君にそこまでしてもらう理由が――」


「理由なんて、別にない」


 彩夏は素っ気なく言った。


「ただ、あんたを一人にしておくのは危険だから。『黄泉帰り』のスキルを持ってるって分かったら、利用しようとする人間は必ず現れる」


「さっきも言ってたな」


「ええ。だからこそ、信頼できる人たちのところに身を寄せた方がいい」


 彩夏は毛布を取り出し、明に投げ渡した。


「今日はもう休みましょう。明日は長い道のりになるわ」


 明は毛布を受け取り、床に横になった。固い床だったが、三日ぶりに安全な場所で眠れることに安堵を感じていた。


「なあ、彩夏」


「何?」


「君のスキルって、治癒だけなのか?」


 しばらく沈黙があった。彩夏が何かを躊躇しているのが分かる。


「……それだけじゃない」


「どんな?」


 また沈黙。今度はより長く、重い沈黙だった。やがて、彩夏が小さく呟いた。


「『聖楯』。あたしが指定した場所に、魔物の攻撃を防ぐ光の盾を展開できる」


 言われて、明は彩夏と初めて出会った時のことを思い出した。確かに、ゴブリンたちの攻撃を、あの光る盾がヒビ一つなく受け止めていた。


「便利な力だな。治癒も防御も、両方できるなんて」


「そうね」


 彩夏が、ふっと小さく笑う。その声には、どこか自嘲的な響きが混じっていた。


「この力がもう少し早く、あたしの元にあれば……あの時、友達だって守ることができたのにね」


 明は何と言っていいのか分からなかった。慰めの言葉も、同情の言葉も、安っぽく聞こえてしまいそうで。ただ、彼女の痛みを静かに受け止めることしかできなかった。


 そんな明の気配を感じたのだろう。彩夏は誤魔化すような笑みを浮かべると、努めて明るい声を出した。


「ごめん、気にしないで。仕方のないことだから。友達のことは、今でも諦めてないし。どこかで生きてるって、信じてる。その時に怪我をしていればあたしが治すし、魔物に襲われていれば……今度こそ、あたしが守るから」


 彩夏の声には、後悔を力に変えようとする強い意志が宿っていた。


 やがて彩夏が、今度はより静かな声で続けた。


「だから、さ。あたしは……この力で救える人がいるなら、救いたいんだ」


 彩夏は明の方を振り返った。暗闇の中でも、その視線を感じることができた。


「あんたと出会った時、あんたが生きてるのを見て、少しだけ嬉しかった」


 その言葉に、明の胸が熱くなった。


「ありがとう。君がいなければ、俺は――」


「もういいよ」


 彩夏が明の言葉を遮った。


「明日は早いわよ。もう寝なさい」


 彩夏が会話を打ち切った。重い話をした後だったが、その声音は不思議と優しかった。


 明は目を閉じた。外では相変わらず魔物の鳴き声が響いているが、不思議と恐怖は感じなかった。


 彩夏がいる。信頼できる仲間がいる。


 その事実だけで、明の心は安らいでいた。


 だが、眠りに落ちる直前、明の脳裏にふと疑問が浮かんだ。


 佐藤が言った「人間よりも危険な存在」――それは一体、何のことだったのだろうか。


 そして、自分の『黄泉帰り』というスキルを、他に知っている人間はいるのだろうか。


 不安が頭をもたげかけたが、疲労の方が勝った。明の意識は、静かに闇の中に沈んでいった。


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