一条明 -0- ④
――死んだ者が、生き返る。
その一文に刻まれた内容は、まさに明の体験そのものだった。
「この、スキルが……」
声が震えた。喉の奥が渇いていく。スキルの説明文は簡潔だったが、その重みは否応なく明の心を揺さぶっていた。
自分は、偶然助かったわけじゃない。
医療の奇跡でも、奇跡的な救出劇でもない。
あの夜、確かに死んで――そして三日後に、このスキルの力で蘇ったのだ。
(どうして、こんなものが俺なんかに……)
明がその事実を呑み込もうと立ち尽くしていると、隣で彩夏が声をかけてきた。
「見えた?」
振り向くと、彼女は真剣な顔で明を見ていた。
「青白い画面に、あんたの名前と年齢、それからレベルと能力値が表示されてると思う。最初は低いだろうけど、魔物を倒していけば伸びていくわ」
「……固有スキルって、誰にでもあるのか?」
明の問いに、彩夏の言葉がピタリと止まった。
疑うように目を細め、じっと彼を見つめる。
「……誰にでもあるわけじゃない。それがあるってことは、あんた――覚醒者だったの?」
「覚醒者? でもさっき、君は俺には何の力もないって……」
「あんたからは何の気配も感じなかったから、そう思っただけ。でも、スキル画面に固有スキルがあるって言うなら、話は別よ」
彩夏は一拍置き、明を射抜くように見た。
「魔物が現れてから、この世界のルールは変わった。魔物を倒せばレベルが上がって、それぞれの能力値ごとに記された数値が現実世界での〝強さ〟の指標になった。でもね、本当に変わったのはそれじゃない。魔物を倒したことがあるごく一部の人間には、〝スキル〟と呼ばれる力が発現したの」
「スキル……」
明は彩夏の言葉を思わず繰り返した。
彩夏が頷く。
「超能力、魔法、特殊技能……。呼び方は人それぞれだけど、あたしは画面に倣ってそう呼んでる。スキルを持っていると、自分の筋力を超強化したり、気配を消して隠密になることも出来るようになるのよ。――で、そういう力は、あとから身につけることが出来る汎用的なものなんだけど」
そこで言葉を区切り、彼女は静かに続けた。
「……ごく一部、最初から〝固有スキル〟と呼ばれるものを持っていた人たちがいる。スキルそのものが桁違いに強力で、明らかに他とは異なる存在だった。あたしたちは、そういう人間を〝覚醒者〟って呼んでる」
そう語り終えた彩夏は、一拍置いて明に視線を向けた。
「さっき、あたしがあんたの傷を治したでしょ。あれが固有スキルの力よ。他の人間には身につけられない、あたしだけの力」
「ってことは、君も覚醒者って呼ばれる存在なのか」
彩夏は明の言葉に頷き、止まっていた足を動かした。置いていかれまいと、明もすぐにその背を追う。
前を向いたまま、彩夏が問いかけてきた。
「それで? あんたの固有スキルって、何なの?」
その問いは、鋭さと慎重さを併せ持っていた。真意を測るような視線と、言葉の裏にある無言の圧が突き刺さる。
明は少しだけ口を開きかけ、すぐに躊躇した。
(言っていいのか……?)
たしかに、スキル欄には名前も、効果も書かれていた。だが、それを他人に明かしてもいいのかどうか、判断がつかない。彩夏の話を聞いているかぎり、固有スキルを持っている人間は希少だという話だから、下手に情報を開示しないほうがいいような気もする。
とはいえ、ここで情報を伏せれば、彩夏との関係が拗れる可能性もある。
今はまだ、自分一人で生きられない。
明は小さく息を吐き、覚悟を決めたように口を開いた。
「……『黄泉帰り』っていうスキルだ」
「黄泉帰り……?」
彩夏が繰り返した声には、わずかな硬さがあった。表情こそ読めないが、その声音には明らかな警戒の色が混じっていた。
「効果は?」
「スキル所持者が死んだときに自動で発動するみたいだ。三日後に、生き返る――って説明には書いてあった。たぶん、俺が今ここにいるのは、そのスキルのおかげだと思う」
言い終えた瞬間、彩夏の足が止まった。
重たいものを呑み込むように、彩夏は深く息をつく。そして、ゆっくりと明の方へ振り返ると、低い声で呟いた。
「……それって、つまり――」
彩夏は振り返ったまま、その場に立ち尽くした。彼女の表情には、驚愕と困惑が入り交じっていた。
「不死身ってことよね」
その言葉は、冷たい刃のように空気を切り裂いた。
明は思わず身を強張らせる。彩夏の瞳に宿る感情は、もはや警戒を通り越していた。恐怖と、困惑と、そして羨望とも嫉妬ともつかない、複雑な光が混じり合っている。
「そんな……大げさな」
「大げさ?」
彩夏の声が一オクターブ上がった。
「あんた、分かってるの? この三日間で、どれだけの人が死んだか。魔物に殺されたらそれで終わりなのよ。なのに、あんたは――」
言いかけて、彩夏は唇を噛んだ。拳を握りしめ、視線を明から逸らす。
沈黙が流れた。
明は何と言えばいいのか分からなかった。確かに、自分の持つスキルは異常だった。死んでも生き返る。それがどれほど理不尽で、特別な力なのか――彼女の反応を見て痛感した。
「……ごめん」
「謝らないでよ」
彩夏の声は、かすかに震えていた。
「あんたが悪いわけじゃない。でも――」
そこで彼女は深く息を吸い、再び明の方を向いた。
「でも、だからこそ聞かせて。あんたは、これからどうするの?」
「え?」
「『黄泉帰り』っていうスキルを持ってるなら、あんたはもう死を恐れる必要がない。戦う理由も、逃げる理由も、生きる理由も全部、普通の人間とは違うはず」
彩夏の言葉に、明は戸惑った。
「何が言いたいんだ?」
「あんたには、守るものがあるの? 大切な人がいるの? それとも」
彩夏は一歩、明に近づいた。
「ただ、なんとなく生きていくだけ?」
その問いは、明の胸に深く突き刺さった。
三日前まで、明は確かに「なんとなく」生きていた。仕事をして、家に帰って、テレビを見て、眠る。特別な目標もなく、情熱を傾けるものもなく、ただ時間を消費していた。
だが今は――
「分からない」
明は正直に答えた。
「けど、死んでみて分かったことがある」
「何?」
「俺は、まだ生きていたいんだ」
彩夏が小さく目を見開いた。
「あの瞬間、意識が途切れる時に感じたのは、後悔だった。やり残したことがあるって。まだ、何かを見つけたいって。だから――」
明は彩夏の目を真っ直ぐ見つめた。
「今度は、意味のある生き方をしたい。このスキルがあるなら、きっと何かの役に立てるはずだ」
彩夏は長い間、明を見つめていた。やがて、小さくため息をついて言った。
「……バカね」
「え?」
「不死身の力を手に入れて、『役に立ちたい』なんて。普通なら、もっと自分勝手に生きるでしょうに」
そう言いながらも、彩夏の表情は先ほどより柔らかくなっていた。警戒の色は薄れ、代わりに複雑な安堵のようなものが浮かんでいる。
「でも、まあ――そういう考えなら、とりあえず信用してもいいかもしれない」
彩夏は踵を返し、再び歩き始めた。
「ついてきて。この辺りはまだ魔物の縄張りに近い。安全な場所まで移動しましょう」
明は慌ててその後を追った。彩夏の歩調は先ほどより幾分遅くなっている。警戒を解いたわけではないが、明に対する見方が変わったのは確かだった。
数分間、二人は無言で歩き続けた。やがて、彩夏が口を開く。
「ねえ、一つだけ確認させて」
「何?」
「あんたのスキル……『黄泉帰り』って、制限はないの? 何度でも使えるの?」
明はスキルの説明文を思い返した。
「説明には、そういう制限については書かれてなかった。でも……」
言いかけて、明は首を振った。
「分からない。実際に使ったのは今回が初めてだから」
「そう……」
彩夏は足を止めることなく、考え込むように呟いた。
「もしも本当に制限がないなら、あんたは――この世界で最も価値のある存在になるかもしれない」
「価値?」
「情報よ」
彩夏は振り返ることなく答えた。
「魔物がどこまで強くなるのか、世界反転率がどこまで上がるのか、この先何が起こるのか。それを、普通の人間には確かめる手段がない。死んだら終わりだから」
その言葉の意味を理解して、明は背筋が寒くなった。
「でも、あんたなら違う。死んでも生き返るなら、誰も確かめられない危険な場所にも行ける。誰も挑戦できない強敵とも戦える」
「それは―――…」
「そういう使い方をしろって言ってるわけじゃない」
彩夏は軽く手を上げて、明の言葉を遮った。
「ただ、あんたのスキルがどれほど特別なものか、理解しておいてほしいの。きっと、あんた以外にも気づく人はいる。そうなったとき――」
彼女の声が、わずかに硬くなった。
「あんたを利用しようとする人間が現れるかもしれない」
その警告に、明は息を呑んだ。確かに、彩夏の言う通りだった。不死身という力は、使い方によっては計り知れない価値を持つ。それを狙う人間がいても不思議ではない。
「じゃあ、俺はどうすればいい?」
「今はまだ、あんたのスキルを知ってるのはあたしだけ。だから」
彩夏の言葉が途切れた。
彼女の足が、急に止まる。
「……静かに」
低く呟くと、彩夏は身を屈めた。明も慌てて真似をする。
暗闇の向こうから、かすかな足音が聞こえてきた。一定のリズムを刻む、明らかに人間のものだった。
「魔物じゃない……人?」
明の問いかけに、彩夏は小さく頷いた。だが、その表情は安堵とは程遠い。むしろ、より深刻な警戒の色を浮かべている。
「この時間に、この場所を歩いてる人間なんて――」
足音が次第に近づいてくる。
やがて街灯の薄明かりに照らされて現れたのは、一人の男だった。年齢は三十代半ば、がっしりとした体格に、軍用のベストを身につけている。腰には拳銃のホルスター、背中には何かの武器を背負っていた。
だが、最も印象的だったのは、その男の左目だった。
眼帯で覆われ、露出した右目だけが、鋭く周囲を見回している。
「……覚醒者ね」
彩夏が小さく呟いた。
「どうして分かる?」
「雰囲気よ。普通の人間じゃない。それに――」
彩夏は男の背中の武器を指差した。
「あれ、魔物の素材で作られた武器だわ。覚醒者じゃなければ、手に入れられない」
男は立ち止まり、ゆっくりと周囲を見回した。その視線が、明たちの隠れている物陰に向けられる。
「隠れても無駄だ」
男の声が響いた。低く、感情を押し殺したような声だった。
「気配は分かっている。出てこい」
彩夏と明は顔を見合わせた。彩夏が小さく舌打ちをする。
「仕方ない……」
彩夏が立ち上がり、明もそれに続いた。二人は物陰から出て、男と向き合う。
男は彼らを見ると、わずかに眉を上げた。
「覚醒者が二人も……珍しい」
「あんた、何者?」
彩夏が警戒を込めて問いかけた。手は腰の短剣に添えられている。
「俺は佐藤。元自衛官だ」
男――佐藤は淡々と答えた。
「今は、生存者の捜索と保護を行っている」
「生存者の保護?」
明が思わず声を上げた。
「じゃあ、他にも生きてる人がいるのか?」
「ああ。少数だが、避難所を作って共同生活を送っている」
佐藤の言葉に、明の心に希望の光が差した。自分たちだけじゃない。まだ、人類は生き延びているのだ。
だが、彩夏の表情は依然として硬いままだった。
「避難所って、どこに?」
「ここから北に約十キロ。廃校を改造した施設だ」
佐藤は右目で二人を見据えた。
「君たちも来るか? 覚醒者なら、戦力として歓迎する」
「戦力……」
明が呟いた時、彩夏が一歩前に出た。
「その避難所のリーダーは?」
「アーサーという男だ。少し変わったヤツだが、組織運営に長けている」
「アーサー……」
彩夏の表情が、さらに険しくなった。明には分からなかったが、その名前に何か思い当たることがあるようだった。
「どうした?」
明が小声で尋ねると、彩夏は首を振った。
「……何でもない」
その声音には明らかに動揺があった。
佐藤は二人のやり取りを黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「考える時間は与える。だが、あまり長くはない」
「どういう意味?」
「魔物の動きが活発になっている。この辺りも、あと数日で完全に彼らの縄張りになるだろう」
佐藤は背中の武器に手をかけた。それは巨大な斧のような形をしていた。
「一人で行動するには、もう限界が近い。特に――」
佐藤の視線が明に向けられた。
「君のような、戦闘経験のない人間には」
その言葉に、明は返す言葉を失った。確かに、自分は戦うことなど出来ない。彩夏がいなければ、とうに死んでいただろう。
「でも、俺たちは――」
「明」
彩夏が明の言葉を遮った。
「少し、考えさせてもらえる?」
佐藤は頷いた。
「明日の夜まで、この場所で待つ。それまでに答えを聞かせてくれ」
そう言うと、佐藤は踵を返した。
「気をつけろ。この辺りには、人間よりも危険な存在がいる」
最後の警告を残して、佐藤は闇の中に消えていった。
取り残された二人の間に、重い沈黙が流れた。
やがて、明が口を開く。
「避難所……いいんじゃないか? 他に生存者がいるなら」
「ダメ」
彩夏が即座に否定した。
「なんでだよ! 今は誰かと一緒に居た方が」
「信用できないわ。特に、アーサーって男がいるなら、なおさら」
「……知り合いなのか?」
「……少し前にね」
彩夏は苦い表情を浮かべた。
「あの男は危険よ。表向きは立派なことを言うけど、裏では何をするか分からない」
「でも、他に選択肢が――」
「あるわ」
彩夏は明を見つめた。
「あたしが知ってる、もう一つの避難所がある。そっちの方が安全よ」
「もう一つ?」
「ええ。規模は小さいけど、信頼できる人たちが運営してる」
彩夏は歩き始めた。
「とりあえず、今夜は安全な場所で休みましょう。明日、詳しく説明するから」
明は彩夏の後を追いながら、胸の奥の不安を振り払おうとした。
だが、佐藤の最後の言葉が、頭から離れなかった。
――人間よりも危険な存在。
それは一体、何を意味しているのだろうか。




