VS イフリート④
「――発射」
そして一拍の間を置いて、引き金を引いた。
轟音とともに、魔力砲が放たれる。
赤熱の海を裂くように、蒼白の閃光が空を駆けた。
砲弾は正確に、イフリートの胸郭へと撃ち込まれる。轟音とともに爆煙が上がり、巨体がぐらついた。
「命中……!」
柏葉が声を上げた、その刹那――
「……まだだ!」
奈緒は続けざまに、再び引き金を絞った。
二射目。三射目。
蒼白の光が、間断なく空を裂いた。命中精度は落ちている。だが、その一撃一撃が確かにイフリートの動きを鈍らせていく。
(押せる……!)
奈緒はそう確信した。
けれど、確信と反比例するように、身体は軋み始めていた。
魔導銃が重い。砲身が赤熱し、熱が右腕を通して体内に焼き込まれるようだった。
反動に耐えきれず、肘が軽く外れかける。指先の感覚が鈍くなる。
「くっ……!」
それでも引く。
四射目。五射目。
そのたびに、骨が悲鳴を上げる音が、体の内側から響いた。
(大丈夫……『不滅の聖火』がある……!)
奈緒は、胸の奥にあるその力を思い出す。
倒れてもなお意識を保てる力。ならば、限界まで――いや、限界の先まで踏み込むべきだ。
「これで……終わらせる……!」
左手で銃身を支える。もはや片腕では重量すら保持できない。
足場が崩れ、姿勢が低くなる。
それでも奈緒は、銃を下ろさなかった。
視界の先には、なおも燃え盛るイフリートの巨体。たとえ加護を失っていようと、その再生は未だ機能している。あと一撃、仕留めきれる火力がなければ、再び立ち上がってくる。
そうなる前に、終わらせなければならない。
奈緒はもう一歩踏み込んだ。
その瞬間――
「奈緒さん、やめろ!!」
明の声が飛んだ。それは、命令ではなく、願いだった。
彼には分かっていた。
イフリートの中心核が、いまだ爆ぜる寸前の鼓動を打っている。あれが起動すれば、奈緒がその場にいれば無事では済まない。
「もう十分だ、下がって!」
だが、奈緒は足を止めなかった。振り返らず、ただ前だけを見据えている。
「……悪いな、一条。それは無理だ。お前……もう『黄泉帰り』の残機がないんだろ?」
その声は静かだった。けれど、決して揺るがない強さを孕んでいた。
「偶然、聞いてしまったんだ。お前が画面を見つめながら、『残機が無い』って呟いたのを」
その瞬間、明の呼吸が止まった。
セイレーンを倒した後のことだ。
イフリートとの戦いを控え、皆が寝静まったと思っていたあの夜――どうやら、奈緒だけは目を覚ましていたらしい。
そして、あの何気ない独白を、確かに耳にしていたのだ。
「ここで私が退けば、またお前が無茶をする。だけど今度はもう、『黄泉帰り』は使えない。だったらそれは、本当に死ぬってことと同じじゃないか」
奈緒はそう言いながら、わずかに笑った。
「それだけは嫌なんだ。お前にだけは、生きていてほしい。私には『不滅の聖火』がある。だから……私はまだ、大丈夫だから」
その言葉の中には、ひとつの〝誤解〟があった。
明の目が見開かれる。
(誤解してる!)
『不滅の聖火』は、限界を超えても倒れない力ではない。
あれは、意思を繋ぐ力。倒れてなお、仲間に自分の意思を託すためだけの力だ。
だが奈緒はそれを、無理をしても死なない力だと思っている。
「違う、奈緒さん、それは……!」
明の声が届く前に。
奈緒は、最後の引き金に指をかけた。
引き金が、静かに絞られる。銃身が閃き、蒼白の砲撃が火を噴いた。
照準は、灼熱の核。
魔力が収束しているその一点に、弾丸のような光が突き刺さる。
――轟音。そして爆風。
イフリートの胸郭が爆ぜ、炎が噴き上がった。
確かに、通った。
明は、それを見た。
奈緒が放った砲撃は、かつてどの周回でも届かなかった〝急所〟に達していた。
イフリートの再生が追いつかず、左の肩口から胴にかけて、灼熱の流れが崩れていく。
だが、それでも。
「……生きてる」
イフリートが呻くように唸った。
その全身から、逆流するように熱が溢れ出す。
あらゆる制御を投げ捨てて、本能だけで動く王の躯。苦痛と怒りに歪むその口元が、勝利を確信するかのように歪む。
「でぃざスタあフレあ」
イフリートの口から地を這うような低い声が漏れた。
次の瞬間、その身体に宿る灼熱の業火の気配が膨れ上がっていく。
「奈緒さんッ!!」
明が叫んだ。
だが奈緒は、銃を下ろさなかった。
砲撃の反動で右肩が脱臼しても、左手で支え直し、もう一歩前に進んでいた。
次の砲撃は――間に合わない。
明が地を蹴る。けれど、距離が足りない。
そして、イフリートの身体に収縮された力が開放された。
炎が吠えた。
あまりに濃密な熱塊が、奈緒の身体を一瞬で呑み込む。
光と衝撃が視界を塗り潰し、爆風がすべてを巻き込んで吹き飛ばした。
叫ぶ声すら、飲まれて消えた。
爆風が収まりきらぬうちに、明は駆け出していた。
熱の残滓が肺を焼き、視界を奪う。耳鳴りと焦げた臭いが、五感を曇らせる。
だが、構わなかった。
ただ一つ、奈緒の姿を探していた。
「奈緒さんッ、奈緒さんッッ!!」
崩れた瓦礫の中、熱気で撓んだ金属板の影――その奥に、彼女はいた。
焦げた布が肌に張りつき、折れた銃身が傍らに転がっている。
焼けた土の上に、奈緒の小さな身体が静かに横たわっていた。
明は駆け寄り、膝をついて抱き起こす。
体温は、ほとんどない。
右腕は黒く炭化し、呼吸も、胸の上下も見えなかった。
だがその胸元にはかすかに、淡く、火が灯っていた。
ゆらり、と揺れるそれは、まるで魂の残光のように見える。
――『不滅の聖火』。
倒れてなお意思を遺すための力。
今の奈緒は、強い意思だけで世界を繋ぎとめていた。
「……奈緒さん……!」
明が震える手で、彼女の名を呼ぶ。
かすれた声が返ってきたのは、その時だ。
「……お前の……顔……怖すぎる……」
奈緒の声には、声にもならない笑いのようなものも混じっていた。
「……どうせ、また……無茶しようとしてる……顔だ……やめとけ……」
「喋らないでください」
明の声はかすれていた。呟きが吐息のように漏れる。
「どうしてこんな真似を……」
「それを……私に言わせるのか?」
奈緒が小さく笑った。
そして、微かに問いかける。
「……それよりも、私の……新技は、どうだった?」
その一言に、明の顔が歪む。
奈緒が取得した魔砲は、初級魔法Lv5で取得することが出来る魔法だ。初級魔法スキルの中では、取得することができる最後の攻撃魔法で、その威力は衝撃矢すらも超える。だがその分、魔法による反動は衝撃矢の何倍も大きくなる。
それを、彼女は連発した。
身体は内側から破壊されていたはずだ。それでも気にも留めず、笑いながら問いかけてくる彼女に、明は、どうしようもない悔しさと怒りが湧いていた。
けれど、唇を結び、小さく笑った。
彼女が望んでいるものが、それだと分かっていたから。
「……ありがとうございます。最高でした」
「でしょ……?」
目が開かない。命の灯火が、消えかけようとしている。
それでも、彼女の意志は、ここにある。
だからこそ、明は立ち上がった。
背後では、なおもイフリートの咆哮が響いている。
膝をつきながらも、生き延びようと足掻くその巨体に向けて、次は、自分が進む番だった。




