器
「――……一条のやつ、また何かやってるな?」
自己強化を終えて、明がおかめ面の男を斬り裂いた直後のことだ。
崩れ落ちたビルの入り口で、魔導銃を構えながらその戦いを睨み付けていた奈緒は、囁くように言葉を溢した。
視線の先では、彩夏と言葉を交わした明が地面を駆けている。その動きは以前とは比べ物にならないほどに速く、力強い。
一歩踏み出すごとに地面を抉り襲撃者の元へと駆けていく明の姿に、奈緒は一瞬、明が『疾走』スキルを使ったのかと思ったが、すぐにその考えを否定した。
(今の一条は魔力が使えない。魔力を消費するスキルの全てが使えないはずだ。この土壇場で、魔力が使えるようになるとも思えない。ってことは……)
あの力は一条明自身の、ステータスそのものの力であるということ。
(ギガント戦のポイントはまだ残っていると言っていたし……。何かしらの、新しいスキルを取得したのか?)
そう考えて、奈緒は小さなため息を吐き出す。
(せっかく追いつけたと思ったのに……。これじゃあまた、振り出しだな)
彼の力になると決めた。
彼の背中を守ると誓った。
そうして、文字通り死に物狂いで戦い培った力も、一条明という人間が持つ特別の前にはどうしても霞んでしまう。
気が付けば遠く離れて行く彼の背中に追いつける日は来るのだろうか。
そんなことを考えた奈緒は、自分自身に呆れた笑みを浮かべて首を振ると、小さく息を吐いて意識を改めた。
(いや、いい。それでも私は、ただ追いかけるだけだ。一条が一人にならないように。全部、一人で抱え込まなくても済むように。……ただ、あの背中を追いかけるだけだ。)
それが、それだけが。七瀬奈緒の出来る最善だ、と。
奈緒はことさらに集中して、目まぐるしく戦況が変わりゆくその戦いを睨み付けた。
「どうですか? 二人とも、大丈夫そうですか?」
そんな時だ。おずおずと柏葉が様子を見に来た。
柏葉は、明から託された少年を守るように腕の中で抱えたまま、そっとビルの入り口から戦場を見渡すと、その中で光り輝く小さな魔力の塊を見つめて、呟く。
「青い光……。彩夏ちゃん、やっぱりあのスキルを使うんですね」
あのスキル――つまりは『魔力連撃』スキルのことだ。
柏葉の言葉に、奈緒は小さな頷きとともに答えた。
「みたいだな。一条と何かを話していたし、一条が許可を出したんだろ」
「……大丈夫でしょうか。苦戦している一条さんを助けるためとはいえ、片割れの短剣を彩夏ちゃんに託した私が言うのものおかしな話ですけど……。あのスキルって、今の彩夏ちゃんにはかなり負担が大きいし」
柏葉の心配ももっともだった。
数日前に一度、彩夏は、他の街のボスを相手に『魔力連撃』スキルを使用している。その際に、彼女はスキルの反動に耐え切れず戦闘中に大きな隙を晒している。
咄嗟に彼女を護った柏葉のおかげで、彩夏は大きな怪我もなく事なきを得ているが、一歩でも柏葉のフォローが遅ければ致命傷となっていたのは間違いない。だからそれ以降、柏葉は身にそぐわないスキルを使うのは危険だと、彼女が気軽にそのスキルを使用できないよう、自らが創り出したその双剣を本来の形とは違う別々の短剣として扱うことにしていた。
「発動にも時間がかかるし、発動後の硬直も大きい。……そもそも、『魔力連撃』スキルはポイントを消費して取得したスキルじゃない。ツインダガーという武器そのものに付与されたスキルです。本来なら取得しなければいけないはずの、前提スキルを取得せずに使用できるスキルは、私たちの身体にかなりの負担がかかってしまいます。一条さんも、それは知ってるはずなのに」
「それでも、やるしかないと判断したんだろ。……逆に言えば、それだけ、私たちを襲ってきた奴らが普通じゃないってことだよ」
「普通じゃない? それって――――」
呟き、柏葉はハッと何かに気が付くと、小さく目を見開いた。
「まさか、リリスライラ? あの人達は、あのカルト集団の一員なんですか?!」
「一条が、そう叫んでいたよ。魔導銃越しに、私も見た。一条が言う、リリスライラの特徴である『塔と大きな目のマーク』が襲撃者の一人についていた。間違いない」
奈緒の魔導銃には『望遠』スキルが付与されている。半径300メートルという狭い範囲に限り、彼女は魔導銃越しに見た景色をはっきりと目にすることが出来る。
そんな彼女と、一条明が言うのだ。
柏葉は、その二人の言葉を信じざるを得なかった。
「そうか……。だからあの人達、『私たちは殺してもいい』って言ってたんだ」
柏葉は、襲撃者たちが叫んでいた言葉を思い出して言った。すると奈緒は、その言葉を肯定するように頷く。
「……ああ。連中にとって、レベルの高い私達は言ってしまえばご馳走だ。何せ、レベルの高い人間を殺せば願いが叶う、だなんて眉唾を信じ切っている連中だからな」
と、奈緒が吐き捨てるように言ったその時だった。
「いいえ、眉唾なんかではありませんよ。レベルの高い人間を殺せば、世界反転を妨げる存在が居なくなる。結果としてそれは、我々のセカイをこちらに顕現させることに繋がる」
ふいに、そんな言葉が聞こえた。
「「ッ!?」」
唐突に暗闇の中からかけられたその声に驚き、奈緒と柏葉は振り返った。
いったい、どこから忍び込んでいたのだろうか。灯りの無いビルの暗闇の中に、一人の男が佇んでいた。
特徴的な青い瞳を持ち、神父服を身に纏ったその男は、片腕のない袖口を揺らしながらゆっくりと闇の中から滲み出てくるように二人の元へと歩み寄ると、その口元に穏やかな笑みを浮かべた。
「また、お会いしましたね」
「――……ニコライ、さん?」
唸るように呟き、奈緒は小さく目を見開いた。その男――ニコライの残された片手の甲に、見覚えのある刻印が浮かび上がっていたからだ。
「リリスライラッッ!!?」
叫び、奈緒は咄嗟に魔導銃を向ける。
けれど、その銃口はニコライの姿を捉えることが出来なかった。
「ぐぅっ!?」
直後、腹部に走った衝撃。
それが、地面を蹴って駆け出したニコライによる蹴りが直撃したのだと気が付いた時には、奈緒の身体は勢いよくビルの内壁を破って、隣の部屋へと吹き飛ばされていた。
「七瀬さん!!」
「他人の心配をしている場合ですか?」
叫ぶ柏葉の声を、ニコライが笑顔で遮った。
一瞬にして柏葉との間合いを詰めたニコライは、驚愕に目を見開く柏葉に薄く微笑み、その顔を鷲掴みにして地面へと頭の後ろから叩きつける。
「――――ッ」
痛みと衝撃に、柏葉の視界が明滅した。
悲鳴をあげることすらも出来ず、一瞬にして遠ざかる意識は、頭蓋を中心に襲う激痛に引き戻される。
ニコライが、柏葉の頭を掴み持ち上げたのだ。
「その子供を、こちらに渡しなさい。出来れば、その子は傷つけたくないのです」
耳元で囁かれる言葉を聞きながら、柏葉はそっと腕の中の蒼汰を抱きしめた。それから、ゆっくりと腰元へと手を伸ばして、止める。そこにぶら下がっていたはずの短剣が今に限っては無いことを思い出したからだ。
(っ、そうだ……。武器は今、彩夏ちゃんに預けてたんだ)
一応、解体用に使っている〝狼牙の短剣〟があるにはあるが、ツインダガーの攻撃力と比べるとあまりにも低すぎる。
持ち運んでいる素材からまた別の武器を創り出すことも可能だが、それを、この男が許すとも思えなかった。
「どうして……。あなた達は、蒼汰くんを」
掠れた声で柏葉は問いかけた。
その言葉に、ニコライが薄く笑って答える。
「どうして? ……ははぁ、なるほどなるほど。どうやら、あなた方は本当に何も知らず、その子を連れていたようですね」
「どういう、意味?」
「言ったでしょう? この子は、人とモンスターの混合種だと」
言って、ニコライは蒼汰へとその視線を向けた。
「この少年に混ざったモノは、我々の主――魔王ヴィネの身体の一部だ。この意味が分かりますか? この少年は、この世界でようやく見つけた、魔王ヴィネの肉体に適合した貴重な個体なのです。この子は、我々の主がこの世界に顕現するための器なのですよ」
「魔王の、器?」
柏葉は言葉を繰り返した。
「何ですか、それ。だから、あなた達は……この子を、狙うんですか?!」
「ええ、そうです。器が無くては、中身を満たすことは出来ないでしょう? 中途半端に中身が詰まった器を取り返したいと思うのに、何か間違いがありますか?」
ニコライが柏葉の頭蓋を掴む手に力を込めた。
「そういう訳ですので、その少年をこちらに渡してください。おっと、余計なことはしないでくださいね? この状況なら、あなたが何かをするよりも先に、私はあなたの頭を潰すことが出来ます」
「ぃ、ァ……!」
ミシミシと軋む骨の痛みに、柏葉は手にした解体用のナイフを取り落とした。
地面に落ちたナイフをニコライは蹴り飛ばし、柏葉の瞳を覗き込むように見つめる。
「さぁ、選びなさい。子供を渡すか、このまま死ぬか」
「何、言ってんの……? 蒼汰くん……を、渡したとしても! どうせ、私を殺すくせに!!」
「殺しませんよ。神に誓って」
「嘘……ばっかり。あなた達が信仰しているのは、神様じゃなくて悪魔じゃない」
呟かれる柏葉の言葉に、ニコライはつまらなさそうに笑った。
「言いたいことはそれだけですか?」
頭蓋を掴むニコライの力が増す。耳元で鳴る骨の軋みが大きくなる。パキリ、パキリとひび割れていく骨の音を聞きながら、柏葉は激痛に耐えて必死に思考を回す。
(どうする? どうするどうするどうするッ!? 考えろ、考えろ、考えろ!! こんな時、一条さんなら、七瀬さんなら、彩夏ちゃんなら――――。今の私に、出来ることは何だ。何があるッ!?)
ニコライのステータスが、今の自分よりも上であることは確実だ。明はニコライのことをレベル70台だなんて言っていたけど、直前で見せたあの動きの早さとこの力の強さは、明らかに一線を画している。
(これだけのステータスがあるなら、一条さんが私達に黙っているはずがない。ってことは、あの時は本当に、一条さんはこの人に脅威を感じなかったんだ)
それが、何を意味するのか。
(『偽装表示』……。一条さんの言っていた、ステータス偽装のスキルを……私達は最初から使われていた)
対モンスター戦とは違う。対人間だからこその、騙し合い。
その搦め手にしてやられたことを確信し、柏葉は強く唇を噛みしめる。
(武器は、もうない。素材から武器を創ることも出来るけど、それを、この男が許すはずがない。固有スキルは使えるけど、あのスキルを使うには両手が必要だ。今、この手を離せば確実に、蒼汰くんは奪われる……!)
この男の言うことが本当なら、なおさら、腕の中の少年を渡すわけにはいかない。魔王なんて存在がこの世界に現れるのならば、それは確実に防がなくてはならない!!
(一条さんや彩夏ちゃんほどの、戦闘向けのスキル構成に私はしていない。『隠密』はあるけど、あのスキルの効果は私一人だ。蒼汰くんを隠すことが出来ないから、スキルを使ったところで結局見つかる)
冷静に、柏葉は現状を分析した。
(蒼汰くんを守ったまま、反撃する手段が今の私にはない。……けど)
そうしながらも、視界の端で瓦礫の中からゆっくりと立ち上がる彼女を見た。
――満身創痍だ。彼女が、先の一撃で致命傷を受けているのは確実だった。
けれど、その瞳に宿る闘志が途絶えていないことを、柏葉はしかと目にした。
「どうせ、死ぬのなら……。ついでに、教えてくださいよ」
激痛に声を震わせながら、柏葉は言った。ほんの少しでも、立ち上がった彼女が息を整える時間を稼ぐために。
「魔王ってヤツがこの世界に現れるには、あと、何が必要なんです?」
「それを聞いてどうするんです? これから死にゆく貴女には、必要のない情報でしょう」
「どうせ死ぬんだから、ついでに知りたいんですよ」
柏葉の言葉に、ニコライは考え込むように息を吐いた。
思案するように瞳を動かし、やがて考えを纏めると、再び口を開く。
「……まあ、いいでしょう。『血』ですよ。――『ヴィネの血液』。それを、この子に与えればいいだけです」
「なるほど」
ニヤリと、柏葉が唇の端を吊り上げる。
場違いにも感じるその笑みに、ニコライは口元に浮かべていた笑みを消した。柏葉の頭を掴むその手に力を込めると、囁くように言葉を吐き出す。
「何がおかしい」
「ッ、っぅ……。べつに、なにも。…………ただ、私達を相手に、意外にお喋りなんだな、と思って」
「何?」
柏葉の言葉に、ニコライが眉を寄せたその時だ。
「『ショックアロー』!!」
瓦礫の中から叫び声が響いた。
同時に、飛び出した光の矢がニコライへとぶつかり、激しい衝撃となって炸裂する。
「ぐっ!」
ニコライの拘束が緩んだ。
地面に落とされた柏葉は、尾を引く激痛に苦悶の表情を浮かべながら、あらん限りの叫び声をあげる。
「七瀬さん! いけますか!?」
「当たり前だ!!」
叫び、瓦礫の中から飛び出したのは血に濡れた奈緒だった。
『不滅の聖火』によって一命を取り留めた彼女は、その不屈の精神で身体を動かすと、魔導銃の銃口をニコライへと突き付け、叫ぶ。
「『チェイン』!」
魔力で編まれた鎖が地面から伸びて、ニコライの身体を捉えた。
「あの女、まだ動けたか!」
身体を縛る鎖に、ニコライが唸るように吼えた。
それを見て、隙が出来たと確信した柏葉は即座に両腕を伸ばし、指を開いて声を発する。
「『走れ』!!」
指先から伸びた魔力の糸が、周囲に散在する瓦礫を捉えた。
瓦礫は、即座に牡鹿の姿を模った。動き出した牡鹿は柏葉の元へと突っ込むと、その鼻先の瓦礫に蒼汰を引っ掛けるようにして拾い上げ、ビルの入り口へと向けて走り出す。
「逃がすか!!」
唸るように言って、ニコライが全身に力を込めた。
途端に、キィンッと音を響かせてニコライの身体を捉えていた鎖が砕ける。その身に宿るステータスで、無理やり魔法の拘束を解いたのだ。
「どんな馬鹿力よ!」
叫び、奈緒は解けた魔法をもう一度展開しようとニコライに狙いを定めた。
「『チェイン』ッ!」
告げられた言葉に、砕けたはずの鎖が再び現れた。
しかし鎖は、男を捉えることが出来なかった。動き出したニコライがあまりにも素早く、奈緒の狙いが僅かに外れたのだ。
「ちっ!」
まるでニコライの影を掴むかのように、宙で蜷局を巻いた鎖に奈緒が舌を打つ。
そして、もう一度。その男に狙いを定めようと目を凝らした奈緒は、思わず固まった。
「――――ぇ?」
視界に、血飛沫が舞っていた。
男のものではない。飛び散った血は、柏葉のものだった。
「――……が、っふ」
心臓を手刀で貫かれ、背中からニコライの腕を生やした柏葉の口から血が溢れた。震える身体に力を込めて、柏葉は男の腕を掴むがその力も弱々しい。主人が倒れたことで瓦礫の牡鹿もまた、その力を失ったかのように倒れて、元の瓦礫へと戻り始めた。
「『人形師』スキルで創られた人形は、何度壊しても動き続ける厄介なものですが」
ニコライは柏葉を貫いたその手を抜いて、崩れ落ちた彼女の身体を蹴りつけた。
「その弱点は、明確です」
地面を転がる彼女の身体が震えて、やがて止まる。その瞳から、ゆっくりと光が失われていく。
「人形を操る本体を、直接潰せばいい」
「ッッ!!」
目の前で起きた惨劇に、奈緒は声なき悲鳴をあげて魔導銃をニコライへと突き付けた。
「『ショックアロー』ォオオオッ!!」
怒りに、悲しみに。奈緒は顔を歪めて魔法を叫ぶ。
「その、魔法もです」
しかしそれも、一瞬にして間合いを詰めたニコライに防がれた。奈緒の魔導銃を掴んで、狙いを逸らすように銃口を動かしたのだ。
「魔法スキルの弱点は、相手をまず狙うことだ。魔法の威力は、スキル使用者の魔力値に確かに依存していますが……。その高い威力も、狙いが逸れれば怖がる必要はない」
銃口から放たれた魔法があらぬ方向へと放たれ、炸裂する。弾けた衝撃がビルのコンクリートを穿ち、石片が周囲に飛び散った。
「残念でしたね。あなた達の相手が私でなければ、もしかしたら勝てたかもしれない」
呟き、ニコライは穏やかに笑った。
「さようなら。もう、お会いすることもないでしょう」
囁かれる言葉は、心臓を貫かれる衝撃と痛みの後に奈緒の耳を優しく撫でて、やがて消えた。




