襲撃者たち
ニコライと別れた一行は、ひとまず蒼汰の父親を再び探すことにした。
とはいえ、件の父親がどこに向かったかなど分かるはずもない。『索敵』スキルを持つ奈緒や彩夏を中心にあてどなく街の中を散策したが、やはりというべきかその姿は見つけられなかった。
そんな中で明と彩夏は二人、適当な建物に腰を落ち着かせると野営の準備を始めていた。
時刻は午後四時を回っている。旅を始めた当初は野営の知識もなく、陽が暮れてから慌てて火を起こしたりしていたものだが、今ではこうして早めに基点を定めて準備を行うようになっていた。
「それにしても、中々見つからないね」
カニバルプラントの死骸の一部を着火剤代わりに、焚火の準備をしていた彩夏が呟いた。
「いきなり何の話だ」
と、彩夏の言葉に答えたのは明だ。手には包丁代わりの〝狼牙の短剣〟が握られている。ちょうど、つい先ほど仕留めたばかりのロックバードを捌き、肉の塊へと解体を進めているところだった。
「あの子の父親の話。あれから、あちこち街の中をみんなで探したけど、痕跡一つ見つからないじゃん」
言って、彩夏はちらりと視線を動かした。
その瞳の先では、蒼汰が寝袋にくるまり眠っていた。年齢のわりには気丈な少年だが、明達四人とは違ってそもそもが体力の少ない彼だ。途中途中で休みながら、時には彼を抱えて移動したりしていたのだが、それでも、小さなその身体にはここ数日の行動は相当堪えていたらしい。
蒼汰は明達が野営の準備を始めるとすぐにうとうとと船を漕ぎ始め、すぐに眠りについてしまった。
「もう街から出て行ったってことはないの?」
そんな蒼汰の寝顔に彩夏は少しだけ表情を和らげると、明へとその視線を戻し聞いた。
「それは無いだろ。わざわざ、俺たちに『街から出て行け』って言ったぐらいだぞ? 自分が街から出て行くつもりなら、そんなこと俺に言わないって」
「それもそっか。ってことは、この街のどこかにはいるのか」
呟くように言って、彩夏は焚火の中にカニバルプラントの死骸の一部を放り込んだ。死骸は瞬く間に炎に飲まれて激しく燃え上がり、周囲の木炭へとその炎を移していく。
「ところで、今日の晩御飯は何なの?」
「ロックバードの焼き鳥」
「またぁ? 昨日の夜もそれだったじゃん!」
「文句があるなら奈緒さん達みたいに食材を探しに行ってこい。手持ちの保存食も残り数日分しかないんだ。贅沢は出来ないだろ」
「だとしても、続けて同じ料理はレパートリーなさすぎだって」
「だったら他の料理が出来るように材料を持ってきてくれ。もしくは、ロックバード以外で『魔物料理』が出来そうなモンスターでも良いぞ?」
「それこそ無理でしょ。この街にいるモンスター、ぜんぶ人型じゃん。あたし、人型のモンスターは何があっても食べないから」
「俺だって人型は食いたくねぇよ」
言いながら、明は切り分けたロックバードの肉に塩胡椒を振りかけた。持ち運んでいる荷物の中から鉄串をとりだし、その先端に肉を突き刺していく。
そうして、出来上がった肉串を彩夏が用意していた焚火の傍に立て掛け並べていた時だ。
「だから、七瀬さんは後ろでドンと構えていてくださいっ! 前に出るのは私の役目ですよ!」
ふいに声が聞こえた。柏葉の声だ。言い合いでもしているのか、その口調はやや荒々しい。
そんな柏葉の声に応えるように、奈緒の呆れた声が響く。
「それは違うだろ。一条や花柳がいるならまだしも、私たち二人ならどっちも前に出た方がいい。その方がより戦闘は安定する」
「でも、七瀬さんのステータスは後衛向きでしょ! 前に出て、攻撃でも受けたらどうするんですか! 七瀬さんの耐久で、この街のモンスターの攻撃を耐えられないのは分かりますよね!?」
「確かに耐えられないかもしれないが、死にもしない。それに……忘れたか? 私の固有スキル『不滅の聖火』は、私に戦闘続行の意思が続く限り、どんな致命傷を受けても即死を免れることが出来るスキルだ。今の私は、頭を抉られようが心臓を潰されようが、心が死ななければ動き続けることが出来るんだよ」
「だからって、それが前に出る理由にはなってないですよ! しかもそれって、傷を彩夏ちゃんに治してもらう前提の話ですよね? 無茶する理由にはなってないです!!」
「二人とも、ずいぶんと盛り上がってるみたいですけど。何かあったんですか?」
崩れた雑居ビルの影から姿を現した二人に向けて、明は声かけた。するとすぐに、柏葉の視線が明へと向けられる。
「一条さん、聞いてくださいよ! 七瀬さんったら、私がモンスターと戦う時に一緒になって前に出てくるんですよ! おかげで戦闘の立ち回りがぐちゃぐちゃです!!」
「前に?」
ちらりと、明は奈緒に視線を向けた。その瞳に奈緒がばつの悪そうな顔をする。
「違うぞ、一条。私が前に出ているんじゃない。世界が後ろに後退しているんだ」
「なんで、どこぞの社長みたいな言い訳してるんですか」
明は小さくため息を吐き出した。
漏れ聞こえてきた会話と今の柏葉の言葉から察するに、本来であれば後衛で戦闘のサポートに徹するはずの奈緒が、どうやら今回は前に出て戦っていたらしい。その、いつもとは違う戦闘の立ち回りに柏葉が苦言を申しているのだ。
「奈緒さん、なんで前になんか出たんです?」
呆れた表情となって明は問いかけた。
その言葉に、奈緒は不貞腐れるように唇を前に突き出すと口を開く。
「お前や花柳が一緒の時、柏葉さんもどちらかと言えば後衛に近い立ち位置だろ? だから、二人がいないなら私も前に出て戦ったほうが安定すると思ったんだ」
「……本当の理由は?」
「…………私もたまには前に出て戦いたかった」
ぼそりと漏らした言葉に、明は「やっぱり」と言ってため息を吐いた。
『初級魔法』というスキルを取得し、共に行動する皆が前に出て戦うスキル編成だったから今では仕方なく後ろでサポートに徹してはいるものの、もともと、奈緒の性格からすれば後衛なんて柄じゃないのだ。
殺られる前に殺ったほうが早い、なんて言いながら誰よりも早くモンスターに向けて魔法を放つ姿を見たのは一度や二度ではない。
今回だっておそらく、『後衛二人しかいないのであれば、後ろでサポートするよりかは前に出て積極的に魔法を放ったほうが安全だ』とでも思ったのだろう。
(だからって、何も柏葉さんと一緒の時に前に出なくてもいいと思うけど)
彩夏とは違って、今でこそモンスターとの戦いに慣れた彼女だが、一週間ほど前まではゴブリンとの戦いに臆するほどの弱さを見せていたのだ。きっと、自分や花柳のいない二人きりという状況に、少なからず緊張をしていたはずだろう。
「はぁ……。奈緒さん、今回ばかりはあなたが悪いです。前に出たいなら、四人で行動している時にしてください」
「……分かった」
明の言葉に、奈緒はしぶしぶ頷いた。それからすぐに迷惑をかけた柏葉へと謝罪と共に頭を下げたのを見て、明は話題を変えるように声をあげる。
「それで、成果はどうでした? 何か見つかりました?」
「全然、ダメダメです」
柏葉が小さくため息を吐き出した。
「少しだけ遠出して、形のあるスーパーやコンビニとかいろいろ見て回りましたけど、食べ物はほとんど残ってないですね」
「どの街もそうだけど、電気が途絶えてるのがキツイな。冷凍食品は解凍されてしまっているし、冷蔵や常温なんかの食べられる物は全部モンスターに食われたあとだ。残りは缶詰や瓶詰みたいな保存食だけど……それも、どうにかして食おうと連中が躍起になったんだろうな。どの店に行っても、保存食の類がある場所はぐちゃぐちゃに荒らされてたよ。一応、残ってたものは持ってきたけどな」
言って、奈緒は手にした袋の中からいくつかの缶詰を取り出して見せた。
「人数分は見つけてきた。夕食の足しにはなるだろ」
「そうですか……。ありがとうございます」
お礼を言って、明は奈緒からコンビニの袋を受け取る。
その中身へと目を落とすと、焼き鳥缶のパッケージばかりが目に入った。
(メニューが被ってる……)
思わず心で呟く。
同じことを考えたのか、横から袋の中身を覗き込んだ彩夏の顔が「げっ」とした顔に変わっていた。
◇ ◇ ◇
鶏肉づくしの夕食を終えた。
目の前に並んだ料理と缶詰が被っていたことに皆が呆れた笑みを浮かべたが、文句を言えるような状況ではないので誰も何も言わなかった。
やがて陽が落ちて、あたりが暗闇に閉ざされる。
電気のない夜の街は想像以上に闇が深く、崩れた街の雑居ビル群の亡霊が薄い月明かりを受けてぬぼっとした濃い影を作り出していた。
そうした影を見つめながら、タバコを吹かしていた奈緒がふと口を開く。
「……蒼汰、起きなかったな」
その視線は眠り続けている蒼汰に向けられていた。
「よっぽど疲れていたんでしょうね」
と、明は手にした木材で焚火を突きながら言った。
「それに、今日はいろいろありすぎた。父親に会えたかと思えばまた、目の前で置いて行かれるし。蒼汰は年齢の割にしっかりしてるから今まで気を張って頑張っていたんでしょうけど……。それも、父親と一度会ったことで途切れたんでしょう」
「そうだな。そうかもしれない」
呟き、奈緒はタバコを咥える。彼女はゆっくりと吸い込んだ紫煙を夜空に向けて吐き出すと、その視線を今度は明に向けた。
「なあ一条。昼間のあの男が言った、あの話。お前は正直にどう思った?」
「蒼汰がモンスターとの混合種って話ですか?」
「ああ」
小さく奈緒は頷いた。
明は考え込むように眉間に皺を刻んだ。その視線が奈緒と、柏葉や彩夏といった彼女たちの顔の間を彷徨い、やがて意を決したようにゆっくりと息を吐き出すと、明は言葉を纏めるように口を開く。
「俺は……ありえない話じゃない、と思いました。もちろん、百パーセント信じたわけじゃないです。でも、蒼汰がモンスターと人の混合種だと考えると、いろいろとこれまでのことに説明がつく」
「と、いうと?」
「……まず、蒼汰と父親がコミュニティを追われた理由ですが、これは蒼汰がモンスターと人の混合種だと考えると分かりやすいです。この世界にモンスターが現れて、それがはっきりと人間を襲うことが分かって、誰もがモンスターに敵意と恐怖を抱いてる。そんな中で蒼汰がモンスターと人の混合種だとバレれば、集団から追い出されるのは当然だ」
「なるほど」
同意を示すように奈緒は頷いた。
「それじゃあ、あの子の父親があの子を拒絶した理由はどう説明する? あの子が人とモンスターの混合種ってことは、あの子の父親――龍一って男はモンスターと交わったってことだろ? 何があってそうなったのかは分からないけど、もしもそうだとしたら、あの子が混合種となったのはあの子の父親が原因とも言えるわけだ。それなのに、あの子を拒絶する理由はなんだ?」
「……もしかして、拒絶じゃなくて守ろうとした、とかじゃないですか?」
柏葉がそっと呟くように言った。
「その龍一さんって人は、一条さんに向けて街から出て行くように促したんですよね? もしもその、蒼汰くんが混合種ってやつだとしたら街の人に見つかれば大変なことになるのが分かってたんじゃないですか?」
「ちょっと待ってよ。だったらさ、どうして街の外に置き去りにするわけ? あの子が混合種で、それが原因で集団から追い出されたとしても、捨てた理由にはならないでしょ。普通だったら守ろうって思うんじゃないの?」
「花柳の言う通りだ。俺も、そこが一番気になってる」
明は彩夏の言葉に頷いた。
「事情を街の人に見つからないよう、あえてあの父親が蒼汰を拒絶していたとして、だ。だからってそれが、蒼汰を捨てた理由にはならないんだ。なにせ、あの男は……一人でこの街に残ってたんだからな」
ボスモンスターを相手に、あれだけの強さを誇る男だ。息子を捨てずにその手で守り抜く選択肢だって当然あったはずだろう。
(けど、あの男はそれを選ばなかった……。それがきっと、この一連の出来事の核心に違いない)
龍一に直接、理由を聞ければ話が早い。けれどその対話は一度、明確な拒絶によって終わっている。
(どうしたものかな)
と、明がため息を吐いたその時だ。
――パキリ、と。誰かが小枝を踏み抜く音が聞こえた。
「一条!」
「オッサン!」
同時に、『索敵』持ちの二人が揃って声をあげる。
「マズいって!!」
と彩夏が叫び、
「囲まれてるぞ!!」
と奈緒が声を荒げて、傍に置いてあった魔導銃を手に取る。
「囲まれてる!? なんで――――」
明の言葉は最後まで続かなかった。
ゾクリ、と。うなじが逆撫でされるかのような感覚が全身を貫く。それが『危機察知』スキルが知らせる感覚だと気が付いた時、身体は無意識のうちに動き出していた。
「ッ!」
反射的に、手にした〝巨人の短剣〟を振り向きざまに振り払った。瞬間、甲高い金属音を鳴らして飛来してきた何かが地面に転がる。
(これ、は――――ッ!!)
地面に転がっていたのは、夜闇に同化するような紫黒色の細長い針だった。
見覚えのあるものだ。いや、見覚えがありすぎるものだった。
あまりにも見慣れたそれが、どんな効果を持つ武器であるかなんて考えるまでも無かった。
「気を付けろ、襲われてるぞッ!! 猛毒針が飛んできている!!」
明の言葉に、彼女たちの顔にすぐに緊張が走るのが分かった。この場に居た全員、猛毒針という武器が持つ効果を知っていたからだ。
「襲われてるって、どうして!? 私達、何から襲われてるんですか!? 猛毒針を使うモンスターがこの街にいるの!?」
「モンスターじゃないッ!! 『索敵』の範囲内、全部、人の気配だらけ!! こいつら、『索敵』の範囲外から私たちを囲んでたんだ!! それで気付くのが遅れたッ」
姿勢を低くしながら叫ぶ柏葉の言葉に、彩夏が叫ぶようにして答えた。
「人? 人間ってこと!? そんな、どうし――」
柏葉の言葉がふいに途切れた。飛来した猛毒針が首筋に刺さったのだ。
「ぐっ、が……」
柏葉の顔が一瞬にして苦痛に歪む。血の流れに乗って全身を侵す猛毒に、彼女の呼吸が乱れていく。
「ッ、花柳!」
慌てて、明は柏葉の首筋に刺さる針を引き抜いた。張り上げた言葉に、即座に彩夏が反応する。
「分かってる!! 『解毒』ッ!!」
彩夏の手のひらから発動した癒しの光が柏葉を包んだ。身体を侵す猛毒が中和されて、苦痛に歪む柏葉の表情が幾分か和らぐ。
「あり、がとう……。彩夏ちゃん」
「別にいいって。……それよりも、オッサン」
「ああ」
向けられた彩夏の険しい視線に、明は頷きを返した。
あたりを囲んだのが何者なのかは分からないが、こちらを殺すつもりで襲って来ているのは確かだ。それは、人に使うにはあまりにも危険な、猛毒針という武器を用いて襲って来ていることからして明らかだった。
「くそっ!」
舌打ちと共に、奈緒が懐から魔弾を取り出した。そのまま、奈緒は握りしめた魔弾にありったけの魔力を注ぎ込む。
効果はすぐに現れた。注ぎ込まれた魔力の量に、魔弾が耐え切れなくなったのだ。
「みんな、目を閉じろッ!!」
叫び、奈緒は光り輝く魔弾を放り投げた。
――瞬間。魔弾は破裂する。
強烈な閃光は闇を切り裂き、周囲を一瞬の白に染め上げる。
「っ!」
その、束の間の一瞬。
光が暗闇を切り裂いたその刹那、晴れた暗闇の先で、明は自分たちを襲ってきていた人間の姿を目にした。
(――……お面?)
般若や天狗、キツネにひょっとこ、さらにはおかめまで。いったいどこから手に入れてきたのか、周囲を取り囲む人間達の顔にはその姿を隠すかのようにさまざまなお面が付けられていた。中にはガスマスクや目だし帽といったものを被り、その素顔を隠している者までいる。
そんな連中が全部で三十人以上。たった四人を取り囲むにはあまりにも過剰といえる人数がその場に集まっていた。
「ぐっ!」
破裂した光を直視したのか、連中の中から呻くような声が漏れた。
それを好機と見たのだろう。すかさず奈緒は声をあげた。
「走れッ!!」
奈緒の言葉に、弾かれたように柏葉と彩夏が動き出す。その後ろを奈緒が追いかけ、さらにその後ろを追いかけるようにして、明は蒼汰を抱えて走り出す。
「逃げたぞ!! 追えッ! いっきに攻めろ!」
「子供は狙うなよ!? 他は殺してもいいって命令だ!!」
動き出した明達を見て焦ったのだろう。そんな言葉が連中の口から飛び出た。
(子供? 狙いは蒼汰か?)
と、明が心の中で声を漏らしたその時だ。
「くっ」
再び、ゾクリとした感覚が走った。
慌てて姿勢を低くすると、直前まで首があった場所を猛毒針が掠めていくのが見えた。狙い違わず飛来したその軌道に、明は固く唇を噛みしめる。
(くっそ、どうなってんだ!)
腕がいいなんてものじゃない。この暗闇で、動く対象を正確無比に狙い撃ちにするなんて芸当、普通の人間が出来るはずがない。
(『投擲』……いや『狙撃』スキルか)
ポイントで取得できる数あるスキルの中から心当たりのあるスキルを思い浮かべて、明は盛大な舌打ちを漏らした。
ポイント20の消費で取得できるそのスキルは、スキル取得者が視界に捉えた対象に対して行う投擲や射撃といった行動に、スキルレベル分だけの補正を与える効果がある。
であれば、対処方法は一つしかない。
「遮蔽物だ! 連中の視界を一度遮れッ! 傍にあるビルの中に入るんだ!!」
明の言葉に、彼女たちが一斉にビルの中へと転がり込んだ。
それを追いかけ、明もまたビルの中へと走りこもうとしたところで再び『危機察知』が反応した。
(マズッ――)
と思った時にはもう遅かった。
チクリとした感触が腕に走った。かと思えば、一瞬にして全身が燃えるように熱くなる。
「一条!!」
飛来した猛毒針に明が貫かれたのが見えたのだろう。悲痛ともいえる奈緒の声があたりに響いた。
「がっ、ぐ、ぞ……」
明の視界が大きく歪む。心臓が大きく跳ねて、不規則な鼓動となって激しく動き回りはじめる。
体内に侵入した猛毒が瞬く間に肺を壊し、呼吸が大きく乱れるのが分かった。血潮に乗って脳にまで届いたのか、ジンと痺れる感覚が全身を襲う。踏み出す足がぐらつき、身体が瞬く間に崩れ落ちそうになる。
「がァ!!」
それを、明は気合の声と共に踏みとどまった。
「がふっ」
血を吐き出し、前を向く。
赤く染まりゆく視界で、明はまっすぐに前を睨み付ける。
「一条さん、早く!!」
ビルの中から手を伸ばした柏葉が叫んだ。
「『聖楯』!!」
走り続ける明を守るように、彩夏が明の周囲に半透明の膜を張った。トドメを刺さんとしているかのように、明の背後から飛来してくる猛毒針が発動した『聖楯』に弾かれて、甲高い音を立てながら次々と地面に落ちていく。
「ぐッ、ぁああああああああ!!」
叫び、明は残された死力を尽くして地面を蹴った。
柏葉が伸ばした手に縋りつくように、明は必死に片手を伸ばして。ただただこの一瞬に全てをかけるかのように、その手を掴む。
瞬間、ぐいっと引っ張られる感覚。
転がり込むかのように明がビルの中へと入りこむと同時に、魔法を発動させた奈緒がビルの天井を崩して、その入り口を瓦礫で覆った。
「『解毒』!」
すぐに彩夏が明に向けてスキルを発動させた。温かな光が全身を覆い、途端に呼吸が楽になる。明は、どうにか一命をとりとめたことに安堵の息を吐き出すと、呟く。
「悪い……。助かった。あと数秒遅かったら、本当にマズかった」
何度も経験したからこそ分かる、命の限界。すぐそこにまで迫った死の足音がどうにか遠ざかったことを確認して言ったその言葉に、彩夏が呆れた笑みを浮かべた。
「逆に、どうしてアンタはあの針をくらって動けたうえに、まだ数秒も生きてられるわけ? 不死身なの?」
「まさか。前に取得してた『毒耐性』スキルのおかげだよ。あれがなかったら、正直ヤバかった」
額に浮かんだ脂汗を拭って、明は力なく笑う。
ギガント戦の後、多くのボスと戦ってきた過程の中で取得した対策用のスキルだったが、そのスキルによって命を救われた。もしも取得していなければ、猛毒針を受けた時点でまともに動くことも出来なかっただろう。
(蒼汰は……良かった。無事みたいだ)
明は腕の中で眠り続ける蒼汰を見下ろし、ほっと胸を撫でおろした。
「一条さん! 良かった……ご無事で」
明の無事を確認したからだろう。柏葉が大きく息を吐き出した。
「本当に、一時はどうなることかと」
「柏葉さん、ありがとうございます。助かりました」
「い、いえ。そんな、大したことじゃ……。それよりも」
ちらりと、柏葉が視線をビルの入り口へと向けた。
「私たちを襲ってたのは一体誰なんですか?」
「それは……。俺にも分かりません。ただ、魔弾が破裂したあの時、俺が見たのは顔をお面で隠した連中だってことです」
「お面?」
「ええ、どこから仕入れてきたのか分かりませんけど、おかめ面とか、般若面とか、いろいろ。百均とかで売ってるような、プラスチック製のアレですよ」
言って、明は腕に抱えていた蒼汰を床に寝かせた。よほど眠りが深いのだろうか。蒼汰は、今の騒ぎでも起きる気配を見せなかった。
明は蒼汰のことを柏葉にお願いすると、入り口の傍で魔導銃を構えて警戒している奈緒の元へと向かった。その隣に腰を下ろすと、奈緒から気遣わしげな視線を向けられる。
「もういいのか?」
「ええ。花柳の『神聖術』が無ければヤバかったですが、もう平気です。……連中は?」
「このビルの周囲を取り囲んでる。人数は……三十七。動きも慎重だし、こっちの様子を見てるみたいだな」
『索敵』スキルを使用し続けているのだろう。頭痛でも堪えているかのように眉間に深い皺を刻んだ奈緒は小さく呟いた。
「それよりも、連中の動きに乱れがない。統率してるヤツがいるみたいだ」
「誰がリーダー的なヤツなのかは『索敵』じゃ分かりませんか?」
「無理だな。『索敵』で分かるのは、半径二十五メートル以内のモンスターと人の気配だけだ。どこに誰がいるのかは分かるけど、それがどんなヤツかなんてのは索敵じゃ分からない」
言って、奈緒は頭を振るとため息を吐き出した。
「いったい何なんだ。いきなり襲ってきたりして……。連中の目的はなんだ?」
「走り出したあの時、『子供は狙うな』って声が聞こえました。多分ですけど、連中の狙いは蒼汰みたいですね」
「蒼汰?」
奈緒は目を見開き驚くと、その視線を蒼汰へと向けた。
「ってことは、連中はこの街の人間か? 蒼汰を殺すために襲ってきたってことか?」
「いえ……。そのあとに『他は殺してもいい』って言葉も聞こえたんです。連中の狙いは確かに蒼汰でしたが、連中の殺意が向いていたのは蒼汰じゃない。俺たちです」
「私たち? それだと、おかしいじゃないか。お前の考えだと、蒼汰はモンスターとの混合種だから街の外に追い出されたんだろ? この街の人間が、蒼汰を殺すために狙ってきたならまだ分かるが、どうして私たちが……」
「ええ、そこが不可解なんですよね……。ですが、あの子の父親が俺に向かって『蒼汰を連れてこの街から出ていけ』って言っていたのは、こういうことだったんでしょうね」
おそらくだが、龍一は知っていたのだ。この街にとどまり続ければ、連中に蒼汰が狙われることに。その争いに明達が巻き込まれることに。それを事前に防ぐため、龍一はあの場で明を――蒼汰を拒絶した。
「どうする? このまま、このビルに立て籠もり続けていても埒が明かないぞ」
小さな声で奈緒は囁いた。
「もしも本当に連中が蒼汰を狙ってるなら、どこかのタイミングでまた襲って来るはずだ。花柳の使える『解毒』スキルも、一日のうちに使える回数にかぎりがあるだろ。このままだと、私たちのうちの誰かが死んでもおかしくない」
「……ええ、分かってます。だから、今度はこっちから仕掛けましょう。奈緒さん、俺の合図で入口の瓦礫を吹き飛ばすことって出来ますか?」
「分かった」
小さく頷き、奈緒が魔導銃を構えた。
明は柏葉と彩夏に蒼汰が狙われていることを伝え、彼を守るようにお願いすると、巨人の短剣を構えて両足に力を溜める。
「――いきます」
「ああ。……ショックアロー!!」
明の言葉に、奈緒が魔法で応えた。




