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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第4のビ幕 遠く異形の訪来を
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落日とともに無に帰す

 僕は落下する。

稜線にその姿を隠さんとする落日をおいて。

崩壊したコンクリートの建造物をおいて。

未だ瘴気を立ち昇らせているであろう朽ちた鬼をおいて。

元人間だった鬼の魂をおいて。


 僕は落下する。

崩壊し崩れ落ちゆくコンクリートの塊と共に。

立ち上がる噴煙とは正反対に。

鈍化するその思考をミリ単位に空間に刻みながら。

加速する重力加速度に従う身体に甘んじながら。



 落下する僕の身体を鈍化する時の流れが上回り、重力加速度が当たり前だった期待を裏切って反転し、僕を静寂の、白黒の、反転の世界へと誘う。


 色を失い、白黒(モノトーン)へと停滞していく時の最中(さなか)、僕は、

稜線の向こうへと消えても尚、空を朱に染め上げる落日の残り陽と、

その向かい側から徐々に染め上げていく紫紺の空と、

そこにたなびく心細い薄雲のすじに、

心囚われ、名残惜しさを感じていた。



 辞世の句 


落日ノ 朱ニ染メ向コウ 紫紺ノ夜



 白黒の停止した世界の中、僕は目の前の落下することをやめた小石を見つめる。

僕と共に落下し、僕と共に停止する小石。元建造物の一部だったコンクリートブロックの小石。

僕とは無縁だったはずが今や、見つめあうほどに運命(行きつく先)を共にする小石。


 暫しの感傷。

やがてその小石が無情にも裂け、内包していた空間を展開する。

そう、それはまるで卵から生まれるひな鳥のように。やがて成長していく梟のように。

精神世界への扉が無音で開かれていく。



「やあやあ、「僕」は相変わらずだなぁ。

 辞世の句だなんて、これは投身自殺なの? 感心しないなぁ。

 そもそもそういうのはね、行う前に詠むものだと思うよ? 落下しながら詠むとはね!

 斬新さを通り越して、記録されない残念さじゃないかなぁ。」


「自殺じゃない。

 ここに来るための、この先に向かうためのショートカットキーだよ。

 わかってるだろ?」


 少年の「僕」が僕を見つめて、クスクスと笑う。

あどけなさと危うさと、無垢と悲壮の入り混じった儚い微笑で。


「望みが絶たれると書いて絶望。

 僕は、僕らは何度、絶望にさらされるんだろうね?

 望みねがう、望みこいねがうと書いて希望。

 「この先に向かう」って、僕に未来はあるのかな?

 果たして僕らの未来に希望はあるのかな?」


「君は、「僕の君」は過去だからな。

 残してきた過去に未来はあるのか、か……」


 僕は「僕」から視線を逸らし、自分の手のひらを見る。

手はそれまでの過去を掴んできた、或いは手放してきた軌跡だ。

手はこれからの未来を掴む予定の、持ち合わせている現在(いま)の全てだ。



「過去は今際に因を残し」


 「僕」が天地が逆さになった地を見上げて歩き出す。


「今際は果にて新たに因を作り」


 僕が応えて天地が逆さになった空を見下ろす。


「未来は果にて応えん」


「過去は今際に報せ」


「今際は応えて未来に報せ」


「廻り廻りて過去より未来へ」


「廻り廻りて輪となりぬ」


「過去は朧に」


「未来は彼方に」


「今際の時は泡沫(うたかた)の夢」



 僕の周りを一周した「僕」が、僕を通り過ぎて背後に立つ。


「後ろの正面、だーぁれ?」


 僕は振り返らず、正面を見つめる。


「迎えに来たよ。」


「覚悟はできた、ってことなのかな?」


「わからない、わからないな。

 でも僕は僕だし、「僕」も僕だからな。」


「今際の時は泡沫の夢。「僕」は泡沫の夢、だよ。」


「認識が記憶を作り、記憶が僕を作るよ。

 それがたとえ夢であっても。儚くあってもさ。」


 僕は過去を振り返る。僕は置き去りにしてきた過去を見つめる。



 中学校2年が終わる頃、僕は母を亡くした。いつも明るく気丈な母だった。

弱音を吐く姿を見たことが無かった。病床にありながらいつも笑顔を絶やさず、「今日はどうだったの?」と、見舞いに行く度に僕に聞いた。


『今日はどうだったの』


 毎日が昨日と変わることは無かった。だけれど僕は、下らないことでも昨日との違いを探して、探して探して話した。

変わることのない毎日。変わり続ける母の病状。

僕は無力だ。


 母が亡くなったあの日、僕はどう生きたらいいのかわからなくなった。毎日の中から探す些細な毎日は、些細ではない母の死とともに終わった。



 母を捨てた父が憎かった。

「なぜ僕だけが」「あいつがいれば」「どうして母は父を責めなかった」「あいつは何のために」「あいつのせいで」「僕らをなぜ捨てた」「母をなぜ捨てた」「なぜあの男がここにいない」「どうして今ここにこない」「僕はどうすれば」

何もかも、憎しみも苛立ちも僕らを捨てた、母を捨てた父のせいにした。心の何処かで八つ当たりだとはわかっていた。でも憎まずに僕はこの世に自分を留めることが出来なかった。


 そんな僕を姉は優しく、自身の哀しみを押し込めて、誰を責めることなく僕を慰めた。

本当は叱って欲しかったのかもしれない。

僕の甘さを。僕の弱さを。



 母の葬儀のあの夜、慰問の人々の涙を見て、本当に終わりが来ていることを知った。

もう二度と会うことは出来ない。

もう二度とその笑顔を見ることは出来ない。

もう二度と話すことも、気遣うことも、嘘をつくことも、見栄をはることも、顔色を伺うことも、冗談を言うことも、褒められることも、たしなめられることも、反抗することも。

「今日はどうだったの?」と聞かれることも、二度とこない。



 僕は無力だ。

無力で無知で、どうしようもなくガキで、自分自身を省みることすら出来なかった。


 僕はひたすら地面を殴った。地面という無機質に怒りをぶつけ続けた。

言い知れぬ湧き上がる怒りを、ここにはいない父に、もうこの世にはいない母に、無力な僕に向かってぶつけ続けた。もう何に対してこの衝動が湧き上がるのかなんてわからなかった。

無機質から僕に返ってきた痛みで、自分の心を制御した。

確かな痛みがそこにあるのに、それは他人事のようだった。

確かな痛みがそこにあるのに、それは甘美な慰めのようだった。


 自分の怒りを無機質に転じて、無力な自分を律することに使った。

痛みはせめてもの償い、慰め、後悔の刻み、懺悔だった。



 だのにあの夜、僕の怒りに、無力さに対する怒りに応える「やつ」がいた。

確かに僕は力を欲していた。全てを壊すような、無力な僕も、理不尽な世界も、二度と帰らない過去も、耐えられない現在も、全てを無にし、無くしてしまう力を欲していた。

それに応える「やつ」が心の内にいた。

そいつの名が「桃太郎」だった。


 それは僕で、僕が桃太郎で、桃太郎が僕で。そして僕が望む力が、桃太郎には、僕にはあった。

それがあの夜、まるで最初からそこにいたように、僕の中に湧いた。



 因果律に干渉し、過去の因を消し去り現在の果に変化をもたらす能力「桃源郷送り」。

認識、記憶している「過去の事実」は思い違い、勘違いとして片付けられる。つまり「妄想だった」ことにする能力。

暴力的で無分別で一切の配慮の欠片もない、それでいて記憶には残すという無慈悲な能力。

それが桃太郎の持つ、僕の持つ能力「桃源郷送り」。


 些細なことならまだいい。

転んだ。膝に擦り傷が出来た。転んだというのは勘違いだった。だから膝に擦り傷は無い。

だが大きなことになればなるほど、時間が経てば経つほど、その過去を知る人が増えれば増えるほど、因果律への干渉は大雑把になり、「妄想」は「疑念」に代わり、心に深い傷を残していく。



『母が死んだ』


 この事実を「桃源郷送り」したらどうなるのか。

母は生き返る、いや死ななかったことになるだろう。この葬儀も人々の涙も、あの花輪も全て消え去るかもしれない。

だが僕らの心の中には「母が死んだ」という記憶だけは残る。「死んでいない」のに「死んだ」と妄想することになる。まるで集団催眠にかかったかのように。

そしてそう妄想したことに、そう妄想してしまったことに、果たして人々の心はついていけるのだろうか。


 「死ななかった」本人の記憶はどうなるのか。自分の死を受け入れたことは妄想となるのか。

おそらく死を受け入れた段階で「心」は死ぬだろう。たとえ「肉体」が死ななくともそれは純然たる死そのものだ。

生涯、目覚めることはなくなり、緩やかに肉体が死に向かうのを待つだけではないか。



じゃあどうすればいい?

母の死を無かったことにできないならどうしたらいい?

この悲しみは、この怒りは、この無力感をどうしたらいい?



あぁそうか。あぁそうだよ。

負の感情が湧き上がるのなら、それすらなかったことにすればいい。

全てを無に帰し、無に戻せばいい。


だからこその桃太郎じゃないか。

だからこその桃源郷送りじゃないか。

全ては夢の世界に帰せばいい。

記憶に残し、覚えていて打ちひしがれるのは僕一人だけでいい。



負の感情で鬼が生まれるのだから、それを根本から無くすのが僕の、桃太郎の務めではないか。

そうさ、この世を全て無に帰すんだよ。



全ては桃源郷へと(いざな)われるのだよ。

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