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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第4のミ幕 高みに至るも悲しみを鎮めることは無し
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野の百合が水没していく

 僕は落ちている。




 そう言うとまるで、精神的な落ち込みが酷い人、みたいな感じになってしまうが、そういうことではない。

いやま、確かに「うは〜! テンション上がりまくりだぜ! イェーイ!!」という感じではないのだが、落ちてるか落ちてないかと聞かれれば「落ちてるっつうか若干、下がり気味?」と答えるのだろうと思うのだが違う。そういうことではない。

僕は今現在、壁と壁の間を物理的に落下中だ。物凄く狭い壁と壁の間を、ズルズルと。




 ズルズルと闇から更に深い闇の中へと落ちていく。




 落ちていきながら僕はリュウジンから、人々から緩やかに別離されていく。

普通に考えればそれはひどく心細いものだ。だが先ほども言ったように僕の精神は「下がり気味」程度で、そこに固定されて安定している。下がり気味で安定というのもおかしなものだが。

落ちながら別離されながら、深い思考の闇に飲まれていく。




 「さよならだけが人生だ。」と詠ったのは、あの井伏鱒二大先生だ。

正確に言えば井伏鱒二大先生が、唐の于武陵の「勧酒」という漢詩を訳したものだ。


この杯を受けてくれ どうか並々、注がしておくれ

花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ


 そして僕が敬愛してやまない稀代の歌人、劇作家にして「言葉の錬金術師」の異名を持つ寺山修司氏は、この言葉を名言としながらも、こう詠っている。


さよならだけが 人生ならば

また来る春は 何だろう

はるかなはるかな 地の果てに

咲いている 野の百合 何だろう




 僕は闇の落下の中で、緩やかな別離の中で、それに抵抗する選択をしようとしている。

許容しつつも相反する選択をしようとしている。


 「人生の暗い部分を見ない人間には、その深さはわからない。」とは、同じく寺山修司氏の言葉だ。


 「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。」とはニーチェの言葉だったか。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。」のか。


 僕は何と戦うのだ。鬼とは何なのだ。そいつは実体化した比喩表現なのか。


 この暗闇の中で、僕は何を覗き、何を直視せねばならないのか。


 それは見なかったことにした過去なのか。見ようとしない未来なのか。


 それは……




「あでっ、ぃくしょん! しへきー!!」


 僕は「狭い中ズルズル」の終了と共に、「深い思考の闇」から強制終了した。

つまり排水管スペースが終わり、着地地点たる床に、盛大に尻もちをついたということだ。


「痛ててて。」


 パラパラと天井ボードを突き破った残りの残骸が降り注ぐのを肌に感じる。

幸い、尻以外にダメージは無い。僕は携行品、といっても大したものがあるわけではないのだが、とりあえず「柴刈乃大鉈」とスマホがあることを確認する。

そして真の闇の中でスマホを手探りで立ち上げる。スマホの目がくらむような明かりが、僕を照らす。


幸運なのは、落ちた衝撃でスマホが壊れていなかったことか。

不運なのは、予想通りに「圏外」だ。ミスミとの通信の希望は絶たれたか。

そしてその灯りを利用して周囲を確認する。ここは機械室のようなところだろうか。



 僕はスマホのライト機能を使おうか迷ったが、残りのバッテリーに不安を覚え、画面の明かりだけを頼りに、ここからの出口を探した。

地下っぽい場所だが水没していないことが不幸中の幸いといったところなのかもしれない。その代わり重たい湿気と、かび臭い匂いと、深い闇が充満している狭い空間なわけだが。


 三段ほどの無機質な階段の上にスチール製の扉が見える。ありがたいことに内側から開錠が出来そうだ。

僕は錆びついて重たくなったスチール製の扉を押し開ける。扉を開けた先も闇。闇の中に扉の軋む悲鳴が響く。


 僕はふと、この機械室のようなところを仰ぎ見る。

狭く暗く、静寂で無機質な空間。似ている、似ているがここには「僕」はいない。

当たり前だ。迎えに行かないことには「僕」がいるはずがない。



「さてっと。

 ここは~、地下…、ですかいな?」


 孤独感を紛らわすように独り言を呟いてみる。

廊下と呼ぶには短い通路。先には上階に続くであろう階段が見える。横には新たな扉が見えるが意図的に無視だ。


 出てきた機械室から僕を引き留めるかのように時折、衝撃音の余波が聞こえる。

リュウジンは大丈夫だろうか。彼がここは任せろ的に行けと言ったのだが、そいつは彼がピンチになるフラグではないことを祈りたい。

一際大きな、建物そのものが崩れるような衝撃音と共に、地震のような揺れと地響きが鳴る。

一体何をしているというのだ、僕を生き埋めにする気か! そっちにフラグが傾くか!


 僕はその音と揺れに促されるように、慌てて階段を上り始めた。



《ぴーん、ぽーん、ぱーん、ぽーん!

 あーあーあー、全館放送、聞こえてますかー。

 発電機の接続に手こずってしまった荒渡すっ!》


「な? なんだ?」


 突如、館内放送が響き渡る。


《え~、荒渡の居城に泥棒が侵入しましたー。

 なのでこれからケイドロ開催するっすよー。

 泥棒は2名…かな? 外に出た奴らは、まぁいいや。

 警察役さーん、全員配置! あとよろしく~。

 んじゃま、開始っす!

 ピーーーーーーーーーーッ!》


「なになになに、どゆこと? ケイドロ? ケイドロってあれか?

 いったい何なわけ?」


 最後のつんざくような笛の音に、耳を塞ぎながら階段を上り切った。

館内放送が「ブチッ」とコードを引き抜くように終わる。



  トプン



 音が聞こえたわけではない。音が聞こえたわけではないが、館内放送が終わった直後、足元が水の中に水没した感覚を味わった。

僕は慌てて足元を照らす。何かがそこにある。あるが視覚に捉えることが出来ない。だが明らかに水没している。かがみこみ踝辺りを確認する。濡れてはいない。だが手にも水につけたような感触がある。水の抵抗感を感じる。


 何かがやばい! 何かやばい!

僕は直感的な警告に立ち上がり、通路を確認する。

似たような構造で確かなことは言えないが、ここは僕が入ってきた通路とは違う。僅かだが荒廃が進んでいるように感じる。その分、差し込む光の量が多く、暗いとはいえスマホで照らして進むほどではない。



 そして地下から解放されたスマホが着信を知らせる。


「ミスミです。」


「僕です!

 ミスミちゃんっ! 何かがやばい!」


「やばい…、やばいですね。

 やばさが62%から97%に跳ね上がりました。」


「そいつはほぼ100%っ!」


 僕は通路の左右を確認する。左は行き止まりか。つまりは右の一択。当たり前だが地下に戻るという選択肢はない!


「通信はそのままに、GPS同期完了。」


「んでどこに! と言いたいところだけどワンウェイ!」


 僕は通路を走り出した。相変わらず見えない水の抵抗が続く。抵抗はあるのに水が跳ねる音が無いのがかえって気持ち悪く、僕の心を逆撫でた。


「うまく説明できないのだけど、見えない水っていうかなんか、やばいのが足元に!」


「こちらでも確認してます。

 正体はわかりません、パーセンを言うほどもなく。」


 走っている、とは言ってもこの水の抵抗と足元の瓦礫に注意しながらだと駆け足程度なのだが、その脚に感じる水かさは踝から脛あたりへと増している気がする。

そして増したせいなのかはわからないが、薄墨のような色合いで水面が、見えない水の境界が微かに視覚化している。光りの一つでも反射してくれれば水面っぽいのだが、それが無いところにまた気持ち悪さを感じる。


 感じるだけの「見えない水」。視覚聴覚に訴えない、触覚だけの水。

この「見えない水」のやばさ、実効力あるやばさの可能性が頭中をよぎり、恐怖感が募る。


 そしてもう一つの実効力ある可能性。それを覚悟しながら僕は後ろポケットに手を伸ばす。



「柴刈ちゃーん! カモーン!」


「……。」


「ミスミちゃん! そこは流してくれてありがとう!」


 パキパキと音を立て「柴刈乃大鉈」が虚空から引き抜かれる。

実体を帯びたその重みに心なしか安心する。


 僕は勢いをそのままに正面中段に刀を構え、通路の曲がり角に躍り出た。



 想定内、とは言え期待なし、万が一が100%で鬼が待ち構えている。

ははは、ここが一つの定位置ですよねー! 配置完了ですか!


 これまた想定内だったかもしれないが、想定外というにふさわしいほどに似合っていない、警察官っぽい制服を着た餓鬼が、真剣なまなざしで立哨していたのだった。

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