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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第4のミ幕 高みに至るも悲しみを鎮めることは無し
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ビクッと遠近法ムシ

「…行くか。」


 暫しの沈黙の後、リュウジンがぼそりと言った。この沈黙、静寂に耐えられなくなったのは確かに僕もだった。だが「進む」という決断を下すには別途、勇気が必要だった。

リュウジンにしたって、その呟きには僕の同意を求めるようなニュアンスがあった。


「行くしか、ないよね。」


 僕の回答が不満そうにリュウジンが短く舌打ちし、廊下の向こうへと、「白い何か」が通ったはずの場所へと歩み始める。背筋を襲う悪寒を振り払うように、僕はリュウジンに従った。



 僕らは旧岩狩病院の門をくぐり、荒廃し草が生い茂った中を…

リュウジンの「草刈・滅誅殺(メッチュウサツ)」なる技で掻き分け、正面玄関を「開錠・破漸断(ハザンダン)」なる技でぶち破り、内部へと侵入した。

だが、侵入した矢先に僕は見てしまったのだ。仄暗い廊下の突き当りを「白い何か」が横切っていくのを。



「見間違い、とかじゃねぇのか?」


「そうだったらいいんだけど、ははは。」


 先程までは気にならなかった二人の足音が、妙に耳につく。

僕は半開きになったドアの隙間、窓に打ち付けられた板の隙間、壁紙が剥がれ割れた壁の隙間から目を逸らし、リュウジンの背中だけを見る。


 廊下の突き当り、つまり丁字の突き当り部分に差し掛かると、その一歩手前で僕らは歩みを止めた。

そこから曲がり角、「白い何か」が来た方向と、行った方向の両方に意識を集中する。物音、人…であればいいのだが、そういった「何か」の気配を探る。物音は一切しない。先程まで聞こえていた水が滴る音さえ、どこへ行ってしまったというのか。

ふと、微かに柑橘系のような匂いが鼻腔をくすぐる。注意しなければわからないほどの匂いだ。



「あー、うーんと、お見舞いにフルーツを貰った、入院患者のお嬢さんかなぁ?

 ほら、なんか柑橘類の匂いしない?」


「あ? しねぇよ、そんなの。つか、そんな奴いるわけねぇ。

 で、そいつはどっちに行ったんだよ。」


「えーと、左手から右?」


「チッ、はっきりしやがらねぇな!

 じゃあ俺は右を見るから、お前は左な!」


「え? え? え?」


「え、じゃねぇよ!」


 リュウジンが勢いよく丁字路の中央に飛び出す。

僕は慌ててリュウジンと背中合わせになるように、つんのめりながら飛び込んだ。


「…、何もいやがらねぇ。」


「あ、あ、あ!」


「お前はさっきから、母音しか喋れねぇのかよ! 情ねぇ。」


 そうは言いますけどね、リュウ坊! こいつを見てくだせぇよ?

マジでさ! 僕のキャパを越えてまっせ!


 そこには壁一面、いや、天井と床を含めて全面に無数の傷、なにかしらの(ケダモノ)が引っ掻いたような、夥しいほどの傷が刻まれていた。


 振り返ったリュウジンが僕をどけるように肩に手をやった時、僕は「ビクッ」となってしまったが、つられてリュウジンも「ビクッ」となったことは隠しきれていない。

そしてその凄惨な光景を目の当たりにしたリュウジンが重ねて「ビクッ」となり、今度は僕もつられて「ビクッ」となった。二人で「ビクッと2×2」だ。



「鬼の仕業…、にしてはらしくねぇ。

 かと言って、人のなせる業か?」


「そいつは僕が聞きたいよ。」


 少し冷静になったリュウジンが、傷の一つを指でなぞる。


「傷が新しいな、刀傷か? そう経っちゃいねぇ。

 お前見たのって、落武者一束じゃねぇの?」


「落武者は束で数えないだろ! 普通は。」


「ハッ、実体があるってことは斬れねぇわけじゃねぇ。」


「その尺度がわかんないよ!」


「ま、行くか。」


「どっちに?」


「やっぱ行った方向に追うしかねぇだろ。」


「それはよした方がいいんじゃないかなぁ?」


「んじゃ、お前だけ傷だらけの方に行くか?」


「いや、やめとく。」


 うん、重ね重ねここは戻るという選択肢はないのだな。

ここまでくると僕とリュウジン、どちらが年上かわからない。勿論、リュウジン見た目は中二病罹患者…、失礼、中学生男子だったが、それは見た目として鬼討伐に関しては先輩だ。

序列に年齢は関係ない。敬意をもって先輩と崇めなくてはならない。


「本当はリュウジンも一緒に行きたかったわけだよね?」


「あっ? ざっけんな! 俺は一人でもかまわねぇんだよ!」


「発言と行動がわかりやすくて助かるよ。」


「チッ、いけすかねぇ。」



「ときにリュウジン、君はどんな女の子がタイプだったり?」


「そりゃまぁ、元気な子っつうか、ウジウジしてねぇつうか…」


「年下系なわけ?」


「あー、年上はなんつうか、俺を子ども扱いするっつうか…

 って、なんの話題だよ!

 いーんだよ、そんな話はよっ!」


 僕は、おそらく僕らは、このよくわからない不安というか、恐怖心みたいなものを払拭するべく、無駄に言葉を続けていたのだろう。

歩く廊下は先程よりも暗闇に近く、湿度の高い暑さに満ちていた。


「ところでさリュウジン。」


「あぁ?」


「そろそろ名前で呼んでもらってもいいかなぁ。」


「…、名前知らねぇし。」


「言わなかったっけ?

 幌谷ビャクヤ。ビャクヤでいいよ。」


「フン、気が向いたら呼んでやらぁ。」


 ある程度進んだ後、ちょっとしたホールのように広い所に出た。ここは裏口、救急車だとか職員が出入りするような場所だろうか。古びてはいたが、不思議と全体の損傷は少ないように見えた。



 と、唐突に僕のスマホが着信を知らせる。

あまりの唐突さにまたもや「ビクッ」となってしまったが、そして先程の通話を思い出し背筋に悪寒が走ったが、リュウジンにジェスチャーで着信があったことを示し、僕は恐る恐るスマホを取り出した。


 イヤホンをしているが、僕は一応スマホ画面の「雫ミスミ」の文字を確認してから電話に出る。

人はどうして電話に出るときに、その場に一緒にいる方々に背を向けるのだろうか。それは僕だけなのだろうか。


「もし…、もし?」


〔ミスミです。〕


「ありがとうございます。」


〔感謝の意を示される意味はわかりませんが、先程は電波の調子が悪かったようで切れてしまいました。

 問題はありませんか?〕


「このタイミングで癒しをありがとうございます。

 何かしらの何かしらを見たような気がしますが、見なかったことにしようかと協議中です。」


〔癒し……、いえ何でもありません。

 見たものを見なかったことにするとはいささか、68%ぐらい不満ではありますが、状況がわかりませんので発言は控えます。〕


 なんという癒しの声か。「癒し&確かな」言葉。

癒しに安堵で確かに僕の不安をかき消す、まさに守護天使の声ではないか。


「…おい、ちょっと。」


「え? 今電話中だから。」


「知ってるわ! ちょっと聞きてぇことがあんだよ。」


「今、大事なところ! 主に癒し補給的な意味で。」


〔癒し…〕


「確認だ、こんちくしょう!

 お前見たのって、でっけぇ蜘蛛なんじゃねぇのか?」


「バカ言ってらぁ! 大蜘蛛ぐらいでビビりませんから!」


〔大雲?〕


「いやまあれな、人間ぐらいの大きさな。」


「それこそ見間違いだって!」


「八本脚っつたら、蜘蛛か蛸ぐらいしかいねぇだろうが。鬼だって脚は二本しかねぇ。」


「いやいや、ちょっと待って。」


〔待ちますが。〕

「待てねぇよ!」


「だからハモるなって! ややこしい!」


 いったい人間サイズの蜘蛛だとか、リュウジンはなんだっていうんだ。



「ごめんミスミちゃん、ちょっと待って。」


〔ですから待ちます。というより通話は繋いだままでお願いします。〕


「勿論です。

 んでリュウジン、なんだって?」


「お前が後ろ向いてる間に、奥からガサゴソと音が聞こえただろうが。

 聞いてなかったのか?

 したら大蜘蛛、人間サイズの大蜘蛛が通り過ぎた、つってんだよ!」


「それは何というか…

 遠近法の錯覚的な、トリックアートの類な感じじゃないの?」


「バカ野郎! んなわけあるかよ!

 毛の生えた長げぇ足で、所狭しとわしゃわしゃ歩いていやがったんだよ! 壁いっぱいにな!

 あいつがさっきの壁傷だらけにしたやつに違いねぇ。」


 僕は特別、虫が苦手というわけではない。だが、そんな巨大な蜘蛛がいたとして、そいつと戯れたいとは思わなかった。

想像しただけでゾワッとするではないか。


「ケッ、俄然やる気が出てきたぜ。

 あれは鬼の新種か? 俺があいつを狩ってやる!」



「あー、ミスミちゃん。

 リュウジン氏が蜘蛛を駆除するって、俄然やる気です。」


〔遊ぶのはほどほどでお願いします。〕


「そんなゆとりがあるわけじゃ、ないんだけどね。」



 鬼だけで手一杯だというのに、白いお嬢さんだとか落武者だとか大蜘蛛だとか、いったい何を討伐しろというのか。

調査の範疇を超えているではないか。

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