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だけれど僕は桃太郎じゃない  作者: pai-poi
第4のウ幕 花の色褪せて手より零れ落ちる
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赤い雫流れるそれは喪失

 僕は、僕は間違った。

山羊の面を被った女、山羊女を追ってくるべきじゃなかった。

鬼を追うのが、倒すのが使命だとか宿命だとかそういうことじゃない。根本的に僕なんかに、僕ごとき凡人に、そんなことはできるはずがないじゃないか。


 よしんば僕が桃太郎だかの生まれかわりだとしよう。よしんばその手には鬼を狩る刀が握られていたとしよう。だがどうだ。その僕にそんな覚悟が、鬼を倒す覚悟、自身や仲間を失うかもしれぬ覚悟など備わっていただろうか。ただなんとなく惰性に流され、ただなんとなく仲間の勢いに調子づいていただけではないのか。その意味を理解などしていたか。



 僕は山羊女の存在などに目もくれず、背を向けてウズウズの方へと歩み寄る。


「あらあら泣いているのかしら? 自信喪失なのかしら?

 当然と言えば当然なのだけれど?

 まぁ、マネージャには桃太郎に手を出すなって言われていたし? 興覚めだし?

 でも死なない程度には、美しくないものを排除したい気分なんだけど?」


 僕の耳には山羊女の言葉など空風程度にしか聞こえない。無味だ。

好きにすればいい。間違ったのは僕だ。

倒れているウズウズの横に跪き、その半身を抱きかかえる。



「ウズウズ…、ごめん…。」


「うまく…、できなかった…」


 ウズウズが小さくゴフッと咳き込み吐血する。


「ごめん…。

 本当にごめんウズウズ…。」


「だめだった…、ガクッ」


「ガクって、ガクッて口で言うセリフじゃないよ、ウズウズ。

 なんで目をつぶってうなだれるんだよ…

 ダメだよ、僕が悪かったからダメだって! ねぇ?」


 僕は石畳にへたり込み、腕の中に抱かれているウズウズを揺する。


「ウズウズ? …ウズウズ?」


 力なく、か細い僕の呼びかけにウズウズは反応しない。


「だ、だめじゃないか…。いくら夏とは言え、こんなところで寝てしまったら風邪ひいちゃうよ。

 なぁ、そうだよ…。ネコだって待ってるからさ。帰らないと…。」


 言葉を続けても、閉じられた瞼が開くことはない。長いまつげが美しく、規則正しく閉じられた瞼に蓋をしている。


「あぁ、そっか。眼鏡がないと立ち上がれないよな。さっき吹っ飛んじゃったしな…

 眼鏡探さないと。早く、早く探さないと。

 でも、でも今動いたら…、動いたらぁ…」


 一気に僕の瞳に涙が溢れ出し、視界をぼやけさせる。

僕は慌てて一度、大きく目をつぶり涙を追い出す。大粒の涙が頬を伝う。視界が開く。

ゆっくりと、腕の中のウズウズの顔からその下へと視線を向ける。


 衣服がずたずたに引き裂かれている。全身がどこも切り傷だらけで血だらけだった。

致命傷となるような深い傷は無い。だけれどこんなにもおびただしい傷を負い、こんなにも血が流れてしまったら…

僕は慌てて「血を止めなきゃ、傷をふさがなきゃ」と考える。でもどこをふさげばいいというんだ。こんなになってどこをどうすればいいんだ。

それに、抱きしめる腕をウズウズから離してしまったら…


 その先の恐怖に僕は身動きすることができず、思考すら手放しかける。



 いくら瞬きしても視界がすぐにぼやけた。目を逸らしちゃいけないはずなのに、それはわかっているはずなのに涙が僕を邪魔した。

やがてぼやけた視界の光が明滅を始める。瞬きによるものじゃないことだけは認識する。

そしてその明滅が消え入りそうになったところで白黒が反転した。


 ああ、これはいつぞやのやつか。いつぞやの「虚無」か。


 石畳だった地面が古い木の床に姿を変える。僕は一人、その木の床にへたり込んでいる。

視界を床から緩慢に正面に移す。そこは狭苦しい、書架と本に埋められた書庫だ。



「やぁやぁ、今日は取り乱していないじゃない。」


「今日は、ってなんだよ…。」


「前回は取り乱してた、って意味だよ。

 ははは。」


 相も変わらず禅問答のようなはぐらし方で少年が、笑っていないトーンで笑う。

少年は「僕」だ。年のころは14~15。

白黒が反転している世界だからかはわからないが、真っ白な学生服に身を包んだ中学生の「僕」が学校にある机に向かい、学校にある椅子に座っていた。

視線は僕には向けず、机に置かれた本に向けられていた。


「何代前の桃太郎だろう? それなりの地位のお侍さんだったんだねぇ。」


「知らないよ、そんなことは。」


「こないだ読んだやつのは、闇市で干物を売ってたって書いてあったよ。」


「だから知らないって!」


「知りたくないの?」


「知って何か得するのか? この状況を打破できるのか? ウズウズを救えるのかっ?

 できないならっ! できないのにっ! どうすりゃいいんだよっ!!」


 僕は「僕」に八つ当たりのように、感情に任せて絶望を押し付けた。僕の無力を押し付けた。

「僕」が静かに立ち上がり、読んでいた本を閉じ、そしてその本を大事そうに書架へと納める。



「またあれかい? 見たくないものは見ない。知りたくないことは知ろうとしない。

 そんな事実なんて、関知しない?」


「ふざけんなよっ!」


「ははっ! ま、それが半分は正解なんだけどね。

 でも見ないのも知ろうとしないのも、関知しないのも無慈悲というものだよね。」


 いつの間にこの書庫に窓ができたというのだろうか。少年である「僕」がその窓辺に静かに進む。

窓を伝うたくさんの雨水を、内側から「僕」が指でなぞる。「僕」の憂いに満ちた表情が窓にうっすらと映る。


「たくさんの、おびただしい事実が僕の表面を通過する。下に下に、過去に過去に流れていく。

 その先は? その事実はどこに?」


 窓を伝うたくさんの雨水の間を縫うように、上から赤い一筋の線が降りてくる。

「僕」がそれを愛おしく手を添えた。窓の外のそれは当然、内側の手に遮られることはなく、ゆっくりと、ゆっくりと降りていく。



「わからないよ、そんなことは。

 起こったこと、事実はどうしようもないじゃないか。」


 僕の投げやりな反応に「僕」は言葉を繋ぐ。


「確かに事実は事実。でもその先は?」


「そんなこと…、わかるわけないじゃないか。」


 少年たる「僕」が僕の答えを聞いて哀しそうな表情を浮かべた。

窓に当てられた手がふと窓硝子をすれ抜けて、滴る赤い雫を受け止める。

その掌に乗った赤い雫を愛おしそうに、大事そうに眺める。


「僕にはね…、それを知る資格と、知る責任があるんだよ。

 言い方を変えると覚悟かな?」


 「僕」が僕に顔を向け、慈愛に満ちたような眼差しで見つめる。


「どうやら「僕の君」は今回も、何も望んでいないようだね。

 まったく、悲しいな。

 きっとね、覚悟が足りないんだと思うよ。

 事実を受け止める覚悟が必要なんだよ。

 これでもしかしたら終わりになるかもしれない、って思うと残念でならないよ。」


 そう寂しそうに言い残すと、少年である「僕」が一歩、二歩と後ずさる。


「でもこれだけは忘れないで。

 僕は「僕の君」の声が聞こえているよ。

 ちゃんとね。」



 その「僕」の言葉が終わるか終わらぬうちに、まるで巨大な両手で包み込むかのように書架がうごめき、僕と「僕」の間を遮断し、僕をこの白黒の世界から現実へと排除する。


 白黒だった世界が一瞬の閃光の後に消え去る。

ウズウズの重みと体温と、そして血に濡れた感触が僕の両腕に返ってくる。



「ああああぁぁぁぁっ!

 ぁぁぁぁぁああああああっっ!!」


 叫びが現実世界の夜を切り裂く。

気温の低下からか、辺りに霧が出始めていた。ウズウズの体温が奪われないように、僕は必死に横たわるウズウズを抱きしめる。


 僕の身体から「虚無」が滲み出る。じっとりと濡れたような感触が身体を包み込み始める。



 その時、僕の瞳に映っていたものはなんだったのか。


 ただ憎悪と絶望と、そして「喪失」という感情で山羊女を睨みつけていた。

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