甘く切なくもない僕の
「あれぇ! もしかして噂に聞くお兄さんの彼女さんですかぁ?
ムグッモゴッ、シュガートゥス、トゥルーゥ……」
開口一番のヒヨちゃん? ヒヨリンちゃんの挨拶が、甘く切ないシュガートーストに文字通り揉み消された。早朝定番トーストバッタリどっかーんが、このような形で再現されるとは、彼女にしても不本意であろうことは察してやまない。
「だからヒヨリン、昨日言ったじゃん。」
その件のシュガートーストを友達の口にねじ込んだニコナが、クールかつ呆れ、いや想定内かのように呟く。全ては作戦コード『フェリス』の通りなのかもしれないが、シュガートーストにしたのは彼女の甘さ、いや彼女の友達に対する思いやりなのだろうか。
そんなシュガートーストをポケットから出したような気がするのは、きっと僕の見間違いなのだろう。
「おはようございます。
ミスミさん、ですね。今日はよろしくお願いします。」
全ては察しっていますというような、いやちょっと、それは十二分に大人対応ってやつではないですかね? 行き過ぎた勘違い、ご配慮ってやつではないですかね? といった具合に、琴子ちゃんが穏やかにまとめる。
あー、まずまず。僕はそんな琴子ちゃんの将来に杞憂してしまうよ、僕は。
「お初お目にかかります。軒島さん宅にお世話になっています、家庭教師のミスミです。今日は息抜きの一日ですから、硬い挨拶はここまでにして、思いっきり羽を伸ばしましょうね!」
ミスミが殊更、ファーストネームをファミリーネームかのように強調し、そして普段は見られないような、テンプレ的笑顔と砕けた提案を三人に呼び掛ける。
これではまるで、素敵なお姉さんではないか。これも作戦のうちだったっけ?
「では、みんな揃いましたし行きましょうか!」
完全に出遅れ気味な僕の背中に、ミスミが「では幌谷くん、運転お願いしますね?」といった、まるで「彼女かも? は誤解ではなく真実、その真実を隠そうとしてるだけ」みたいなトーンで言い放つ。
それも作戦のうちだっけ? とか思いながらも、僕は7人乗りのレンタカー運転席ドアを開けた。
僕が電動スライドドアのボタンを探してる間に、ミスミがドアを開け三人をエスコートしつつ、自然な流れで助手席へと乗り込む。
綿密に緻密にして詳細なる計画。
ミスミによる作戦コード『フェリス』のお陰で、この困難極まるミッションが全く滞りなく滑り出す。
昨日はその根回し、『フェリス』の指示通りにニコナに行先の遊園地をこちらで決めたこと、ミスミが参戦することをメールで伝え、そしてユイ先輩に時間指定等の電話確認をした。
「あ、ユイ先輩! 明日のデー、ディドリーム、
ではなく明日の博物館なんですが……」
「あっ、幌谷君。わたしもちょうど電話しようと思ってたところなの。」
の、開口一番の言葉に「なんて奇遇! なんてシンクロニシティ!」などと僕が舞い上がる隙に、『フェリス:プランⅮ』が図らずもユイ先輩から提案された。
「明日の午前中に、ママのお買い物に付き合わなくちゃいけなくなったから、博物館へは午後からでいい?
ちょうど近くまで行くから、直接行こうかと思うんだけど。どうかな?」
その柔らかで明るい「ちょっとママには困っちゃった」みたいな照れのある声質に、僕は痺れに痺れまくった。
「仲がいいんですね! 明日は天気もいいですし、お買い物日和かもしれません。
僕も午前中に済ませたい用事があったので、ちょうどよかったですよ。
じゃあ明日の1時ぐらいに現地集合でどうですか?」
そんな、思い返してみれば特に回想シーンをやるほど甘くも切なくもない会話の果てに、作戦コード『フェリス』の下準備は順調に進んでいったのだった。
僕は運転に集中しつつも、ルームミラー越しに後部座席をそれとなく伺った。
琴子ちゃんは淡い翡翠色のワンピースか。清涼感がありつつ、子供っぽ過ぎず大人っぽ過ぎず、そう、大人への階段を一歩ずつ登り始めた感。初々しさが香るようじゃないか。
ヒヨちゃんは、ほほぅ。キャピキャピな感じで攻めてくると思っていたが、ボーイッシュな中性系できたか。んま、動きやすそうな感じは、今日は全力で楽しむというアクティブさの現れともいえなくもないが。
そしてニコナ。そうか、そうなのか。
まさか甘めのキュートな感じで来るとは想定してなかったよ、兄ちゃんは。なんというか、その目深に被った帽子が可愛らしいじゃないか。
僕は再び前方に注意を向け、ハンドルを強く握った。
何を考えているんだ僕は。当たり前じゃないか。鬼だとか桃太郎の犬だとか言っているが、確かに尋常ならざる格闘技の総合デパートかもしれないが、嬉々として鬼を駆逐しているかもしれないが、ニコナは普通に思春期に入り始めた悩める乙女な中学生女子ではないか。
お洒落の一つや二つあってしかりではないか。
カーナビ並のミスミのナビに従いつつ、「青ですよ」だとか「右から自転車が来てます」だとか、「ブラックコーヒーは飲まないかと思いますので、辛いガムにしましょうか?」だとかの言葉に促されつつ、後部の三人は和気あいあいとしていたので、僕はなんとなしにミスミに話題を振ってみた。
ちなみに今日のミスミの服装は、オフィスカジュアルといった感じのカットソーとパンツの組み合わせだ。彼女らしさを損なうことなく、大人な可愛らしさと軽やかな感じの印象だ。
「今日は普段と違ってカジュアルな感じだね。」
「……、TPOに合わせるのも重要ですから。」
ミスミがカーラジオの音量を少し上げ、ギリギリ後ろに聞こえない程度の声で答える。
「あー、うん。ミスミちゃんは遊園地は行ったことある?」
「テロ想定模擬訓練で二度ほどですね。いずれも国外でしたが。」
「ははは、結構グローバル。
実のところ、僕は行ったことないんだよなぁ。」
なんとも会話が続かない。考えてみたら共通の話題が鬼しかない。
「そういえばさ、ミスミちゃんは過去の記憶ってある?」
「断片的に。時系列もバラバラですね。全て覚えていたらキャパも超えてしまうでしょうし、処理しきれない情報や過剰な経験はかえって実戦に悪影響を及ぼすでしょうから、それでいいのかもしれません。
ただ……」
「ただ?」
「ただ、変わらぬ想い、増していく強い想いというのが、別にあるように思います。
とはいえ、ボクがボクであることには変わりがありません。100%」
ミスミが前方を強い眼差しで見つめたまま、何かに宣言する。
その横顔は甘さも切なさもなく、美しく清々しいものだった。
強い想い。
ミスミはどんな想いで鬼を倒すのだろうか。ニコナは「そこに鬼がいるから」といった積極的な感じがあるし、ウズウズは「そこに鬼がいたから」といった消極的な印象がある。それに対してミスミは明確に鬼を倒す、倒さねばならないという強き想いが確かにあるような気がした。だが、ここでその想いとは何なのか聞くことが出来なかった。
僕はどうなのだろうか。
日に日に「みんなを護りたい」という想いは、確かに強くなっている気がする。でも僕は鬼が来ないならそれに越したことはないという、極めて弱い想いだ。
「幌谷くん。あまり考え事をし過ぎると、運転に支障が出ますよ?
次の交差点を左折して100mほど走ったらコンビニがありますから、そこで小休止しましょう。」
ラジオの洋楽ロックが途絶えたところで、ミスミが後ろにも聞こえるような声で、先ほどのまでのミスミがなりをひそめて穏やかに提案する。
僕は無言でそのナビに従い、コンビニ駐車場へと車を滑りこませ、そしてシフトレバーをパーキングに入れたところでコンビニトイレへとダッシュした。
あぁ、確かに僕は運転と考え事にに集中するあまり、自身の膀胱に関心が向いていなかった。
確かに『フェリス』のタイムテーブルに「コンビニに寄って小休止」とあった気はしたが、「僕の膀胱の訴えにより」なんて追記は無かった気がするのだが。
作戦コード『フェリス』は滞りなく進行中だ。




