7.可愛いエミリア
もしも聖女が現れたら娶るように――それが王族の義務であると教えられて育ってきた。
聖女がいつ、どこに現れるのかはわからない。わかっているのは、二十歳になる前の女性が不思議な力に目覚めるということと、貴族のうちから現れるということだけ。
大抵の場合は十代半ば、社交界に本格的に顔を出す前の女性であることが多かったが、それでも問題が生じることは多かった。
貴族で、しかも妙齢な女性となれば当然とでも言うべきか、すでに婚約を結んでいたり、恋人がいたり、最悪の場合結婚していることもある。
聖女になるかもしれないからと、適齢期を過ぎるまで娘を遊ばせておく貴族はほとんどいなかった。現れるかどうかもわからないのだから、そこはしかたないだろう。
幸い、と言うべきではないのだろうが結婚までしていたのはこれまで一度か二度だけで、それも聖女の義務であればと王家に嫁いでくれた。
すでに一度結婚した身であることは、聖女であることの前には紙屑にも等しく、民衆に向けて初婚ではないことを公表することもなかった。
婚約していようと、恋人がいようと、貴族として生まれ育った彼女たちは、義務であれば粛々と従ったのだと――長い歴史の中では綴られている。実際どうだったのかは今となってはわからないが、語り継がれる歴史の中ではそういうことになっていた。
実に、馬鹿馬鹿しい話だと思う。聖女の力がどういった理由で発現するのかわからない以上、聖女の血を他国に流出させてはならないと考えるのもしかたないことだとは思うが、何も王家に嫁がせる必要はない。
信の置ける家臣のもとに嫁がせても役割を全うしてくれるだろう。場合によっては、他国に出ないのを条件に恋人や婚約相手との結婚を認めてもいい。
そのほうが駆け落ちのリスクを減らせるし、何よりも王家の嫁という大切な枠を残しておける。
政治的に考えても、あまりにも理に適っていない教えだ。
――などと考えていた時期が、俺にもある。
「エミリアは今日も可愛いね」
満開の花で彩られた庭園で、一輪一輪を丁寧に眺めるエミリア。
陽の当たりぐあいによっては茶色にも赤色にも見える幻想的な髪が風になびき、触れずとも柔らかさが伝わってくる。そして輝くエメラルドグリーンの瞳はまるで宝石のようで、彼女に見つめられている花々が羨ましくなるほどだ。
昨日の彼女も可愛かったし、今日の彼女も可愛い。きっと明日も可愛いのだろう。
初めて会った時のエミリアはとても小さく、てっきりアラン――五歳の弟と同じぐらいかと思っていた。
恋愛感情とまではいかなくとも、家族愛や親愛の情を育めればと思うほどだった。
だが今の俺は、エミリアが聖女で、俺が王の子であることに心から感謝していた。
エミリアが見つかったのが奇跡としか言いようがないのだから、なおさら。
エミリアと初めて会ったのは十一歳の頃。
これまで貴族にしか現れなかったはずの聖女が民から、しかも孤児に出たということで、報告が挙がってきてからずっと城は上を下への大騒ぎだった。
「名前は……エミリア? 家名はないのか?」
「貴族ではないので」
孤児院から届いた書類に忙しなく目を通している宰相の疑問に、彼の部下が答える。
その横では、文官の一人が出生記録と死亡記録をひっくり返して、エミリアという名前の聖女の血筋を徹底的に洗い出している最中だ。
「ならばどこかの家の養女にでもするか……いや、しかし……」
宰相の言葉に、書類を運んでいた文官の一人が慌てて引き返し、別の書類を持って戻ってくる。
一応、王家に嫁ぐのだからある程度の体裁は整えたいのだろう。これまでの聖女には家名があったので、記録を残す際に揃えるためというのもあるのかもしれない。
だが養女にするとしても、どこの家の養女にするのかが問題だ。王家と縁を作りたい家は多いだろうし、聖女を娘にできるのならと名乗りを挙げる家も多いはずだ。
問題なのは、養父母だからと聖女に余計な干渉をしてくるかもしれないことと、選ばれなかった家が不満の声を上げるかもしれないことだ。
聖女に対する信仰心が強い家ほど、声を大にして騒ぎ立てるだろう。
家名だけ用意してどこの家も関与できないようにするか、養女としてどこかの家に籍を置くか。どちらのほうが得策かを精査するための書類が、宰相の机の上に山積みになっていく。
そんな感じでてんやわんやになっているのは、国の書類を保管している書庫。
今回の聖女がどこの生まれで、誰の子であるのかや、彼女の育った地域はどのような気風なのかなどなどを調べるために、書類をひっくり返している最中だ。
その中にまだ子供である俺がまぎれているのは、今回の聖女について少しでも知っておくように言われたからだ。この様子では、その少しを知るのも難しそうだが。
「シオン殿下。陛下より庭園に来るようにとのお達しです」
扉が開き、父に仕える侍従の一人が飛びこんでくるかのような勢いで用件を告げる。聖女が早朝、城に到着したのは聞いている。すでに昼過ぎなのは、本当に聖女かどうかの試験に時間がかかったからだろう。そして俺が呼ばれたということは、本当に聖女だったということだ。
結局、彼女については名前と住んでいた地域ぐらいしか知ることができなかった。
そうして向かった庭園にいたのは、多少なりとも着飾ろうと頑張った形跡のある女の子だった。茶色い髪は傷み切っているのか、あちらこちらに跳ねている。
七歳だと聞いていたが、それよりも幼く見える。五歳か、下手すると四歳ぐらいにも。
「君が聖女の力を持っている子?」
「あ……そう、らしいです」
受け答えは淀み、緑の瞳が不安そうに右に左にと揺れている。本当に聖女なのだろうかという考えが頭をよぎりそうになったが、俺がここにいる以上、彼女が聖女であることは間違いない。
「じゃあ俺は君と結婚することになるのかな」
自分の立場をどこまで理解しているのか探りを入れる。
貴族であれば義務だからと納得してくれるだろうが、そういった教育を受けていない民がどう反応するかわからなかったからだ。
自由恋愛を夢見て嫁ぐのが嫌だと言われたら、少し面倒なことになる。
聖女を娶る必要性を感じてはいないが、それでも王家の義務であることには変わりなく、改革しようにも俺の代だけでは無理だ。
いくら馬鹿馬鹿しいと思っていても、俺に逆らう術はない。
「あなた、と、ですか?」
「うん。王家の子供は聖女と結婚する義務があるんだって」
何も知らなさそうな彼女に端的ではあるが説明すると、よりいっそう不安そうに瞳が揺れた。
「いや、じゃ、ないのですか?」
「どうして? 君は俺とは嫌?」
つっかえながらの応答は緊張しているからか、あるいはかしこまった喋り方に慣れていないからなのか。そのどちらもありえそうだ。
「私は、いやでは、ありません」
遠慮がちに振られる首。何故か、彼女の目が潤んでみえた。いや実際、潤んでいたのだろう。すぐ次の瞬間に大粒の涙を零しはじめたのだから。
泣く要素がどこにあったのかまったくわからず、思わずそばに控えていた侍女にどう対応したものかと聞いてしまった。
こんな、何気ないやり取りで泣く女の子を相手にしたことなどなかったからだ。
「優しく慰めてあげればよろしいのですよ」
そっと耳打ちしてきた侍女に従い優しく頭を撫でると、エミリアはくすぐったそうに微笑んだ。




