【コミカライズ記念短編】初代聖女
アディセル王国が災害に見舞われたのは、王が崩御し、王太子が王位を継いで間もなくの出来事だった。止まない雨に作物は腐り、山は崩れ、振り下ろされる雷によって木々が燃えた。
王となったばかりの俺はその対応に追われ、だがどうにもならない状況に国の終わりが近いことを悟った。
山間部に国を興した先祖を恨みはじめた頃、奇跡を起こす少女がいるという噂を聞いた。
今この国は救いを求める者ばかりだ。その眼前に奇跡という救いを垂らされれば、誰もが縋るだろう。たとえ、それが偽の奇跡であろうと。
王として、詐欺が横行することは許せなかった。もう長くないとはいえ、人の心を弄ぶような行いを看過することはできなかった。
そうして赴いた地で見たのは、紛れもない奇跡だった。
「はいはい。腕が折れたのね。ついでに足も怪我してるみたいだし、治しとこっか」
気さくに笑い、傷ついた者に手を差し伸べる少女。艶やかだっただろう赤毛はぼさぼさで、滑らかだっただろう肌には傷がある。だがそれにも関わらず、彼女は笑っている。
折れた腕が治るのは、奇跡に間違いない。だがそれ以上に、彼女の存在そのものが奇跡としか思えなかった。
「なあ」
話しかけると、彼女は茶色い瞳をこちらに向けた。そして順番だから並んで、と長蛇の列を指差す。
俺は傷を癒しに来たわけではない。奇跡が本物かどうかを調べるために来た。奇跡であることはこの目で確認したが、調査に来た以上名前ぐらいは聞いておくべきだろう。
「結婚してくれないか」
「はい?」
だが口を衝いて出てきたのは、まったく違う言葉だった。
「えーと、冗談を聞いている暇はないんだけど」
「……すまない、順番を間違えた。君の名前は?」
「とりあえず、並んでくれる? ほら、いっぱい並んでるでしょ。あなたと楽しいお話をしている暇はないの」
再度列を指差され、しかたなく最後尾に並ぶ。
俺の前に並んでいたのは壮年の男だった。彼は俺をちらりと見ると、小さくため息を落とした。
「ずいぶん綺麗な服を着ているな。お貴族様かなんかかい?」
「まあ、そんなところだ」
「あるところにはあるもんだねぇ。ここいらは壊滅状態だってのに」
平時であれば、彼も貴族相手に気安い態度を取ろうだなどと思わないだろう。それだけ余裕がない状況なのだと思うと、父から国を任された身として胸が苦しくなる。
「あの子もかわいそうな子だよ。土砂崩れに巻き込まれて家族を皆失ったってのに、ああして笑って、俺たちのために頑張ってくれている」
最近では噂を聞きつけて人が増える一方で、寝る時間も食べる時間も惜しんでいるのだと男は教えてくれた。
「本当はお貴族様の娘だってのに、綺麗な服も着れないでかわいそうなもんだよ」
父を失って間もなく災害に襲われ、どうにかできないかと寝食も忘れて対応したが被害報告は増える一方だった。
そんな日々を過ごしていた自分と、彼女の姿が重なる。
「はい、お兄さんの番だね。それでなんだっけ、名前だっけ?」
「結婚してほしい」
冗談はもういいって、と乾いた笑いを浮かべる彼女の手を握る。人々に癒しを与える手。小さく温かく、傷だらけでありながらも柔らかい手。
「冗談などではない。皆の心を癒そうと明るく振る舞う君に胸打たれた」
名前も知らない相手だが、その言葉に偽りはない。
体の傷は治せても、心の傷までは癒せない。だからこそ彼女は明るく振る舞い、気さくな態度を崩さないのだろう。
救いを求める相手が疲弊していては、皆も不安になると思って。
「だからどうか、王妃になってほしい」
「は、い? おう、ひ? 王妃!?」
嘘でしょ、という彼女の声が響き渡った。
「今にして思えば、名前ぐらいは先に聞いておくべきだったな」
あれから幾数年。当時のことを思い出し、自省する。
「いや、名前以外にも反省することがあるでしょ」
隣で笑うのは、あの日出会った彼女。
当時と同じ気さくな態度で、明るく笑っている。
望みを叶えられたのに、他に反省することがあるだろうかと首を傾げる俺に、彼女が苦笑した。
「城からの使いが来ても帰らなかったり、結婚してくれないのならこのままこの地に骨を埋める所存だと言ったりとか、王としてどうかと思うことばかりしてたじゃない」
「どうせ長くないと思っていたからな。ならば最後ぐらい、愛しいと思う相手と共にいたいものだろう」
「王が国の存続を信じなくて誰が信じるのよ」
まあ、そんな相手にほだされた私も私だけど、と笑う彼女の手に口づけを落とす。災害で負った傷は癒えていない。
彼女の力は彼女自身には及ばない。だからこそ、彼女をなんとしても守りたいと思う。
「この身に代えても君を守ると誓おう」
「だから、王としての自覚を持ちなさいって」
災害に襲われ、絶望していたところに現れた奇跡。その奇跡に縋りたいと思うのは、王だろうと民であろうと変わらない。
民に与えられたのは癒しの力。俺に与えられたのは、彼女自身。
願わくば、俺の存在もまた彼女の奇跡であれ。
こうして初代聖女は王のもとに嫁ぎ、二代目聖女もまた、力を使って守った王太子に求婚され――聖女が王族に嫁ぐのが慣例となった。




