13.おわり
私、ミスティア・フェルティシモが王太子シオン・アディセルの犯行現場を目撃したのは偶然などではない。
その直前、私は聖女であるエミリア様に嘆願――狂人すれすれの男を鎮めるための生贄になってくれないかと嘆願していた。
シオンは狂人すれすれではあるけれど、それはエミリア様に関することだけで、それ以外では一応常識の範囲内で行動する男ではあった。
だからそこまでおかしなことはしないだろうとは思うけれど、確証はない。
私はアランとエミリア様が結婚するとしても、受け入れるつもりだった。アランもエミリア様も大変可愛らしく、慣れないことを学び努力するエミリア様の姿は微笑ましく、好感の持てるものだったから。
けれどそれでも、どうしても落ち込むし、嫉妬してしまう。昔からアランを見守ろうと心に決め、結婚したとしても年を経た後に、同じ年の頃の娘がよいと浮気されるのも視野に入れていた私ですらそうなのだ。
毎度のごとく、どうすればエミリア様を逃がさないでいられるかを語る男のもとに差し向けるのだから、万が一がないようにと、私はエミリア様の動向を陰ながら見守ることにした。
最初はまともに見えた。顔色は悪いし目はよどんでいたけれど、それでもシオンなりに頑張って耐えて、エミリア様と話しているように見えた。
エミリア様はシオンに好感を抱いているようだったから、シオンが真摯に対応し、紳士な態度を貫けばなんとかなるだろう――そう、思っていた。
しゅんと肩を落としたエミリア様がシオンに背を向けるまでは。
プライベートなことだからと声の聞こえない場所で見守っていたのがよくなかったのかもしれない。あるいは、シオンの狂人具合を楽観視しすぎていたのかもしれない。
背を向けたエミリア様に手を伸ばしたのを見て、抱きしめるのだろうかと、そんな甘いことを考えてしまったのだ。
けれど、シオンの手はエミリア様の体ではなく、首に触れた。そしてきゅっと、彼女の頸動脈を絞めた。
ぐらりと傾ぐエミリア様の体をシオンが支えてようやく――私はシオンが狂人すれすれから狂人に進化してしまったことに気がついた。
「シオン……!」
慌てて物陰から出れば、シオンは青ざめた顔をこちらに向けた。けれどそこで止まることはなく、エミリア様の体をしっかり抱えたまま、逃げるように自室に入ってしまった。
部屋に入ってすぐは応接室になっている。人を招くことも多く、何かあればすぐ対応できるようにと、扉に鍵をかけることはできない。だから私はすぐにシオンの後を追って、彼の部屋に飛び込んだ。
でも、一足遅かった。私が飛び込んだ時にはちょうど、彼のプライベートルーム――鍵のかけられる寝室が閉められるところだった。
「シオン、あなた、自分が何をしているのかわかっているの……!?」
まさか寝ている――気絶している子を相手に既成事実を作ろうとは思わない、と思いたい。
だけどシオンはエミリア様相手となると何をしでかすかわからない。まさに今さっき、彼の凶行を目撃したばかりだ。
たとえ婚約している間柄だろうと、無理矢理関係を迫ったとなれば刑は避けられない。王太子だろうと、法は法で、しかも聖女が相手となればどうなることか。
手を出さなかったとしても、寝室に連れ込んだことが他の誰かの目に入れば、事実はどうあれよからぬ噂が立ってしまう。
だから私は、廊下に繋がる扉を閉めた。これなら不用意に人の目につくことはないだろう。
そして改めて、寝室に繋がる扉を睨みつける。
王族の部屋ということもあり、扉は頑丈だ。机や椅子を叩きつけても壊れないだろう。斧を借りてくればなんとかなるかもしれないけれど、細腕の令嬢が斧を持ち歩いているとなれば、どうしても人目を集めてしまう。
鍵を開ける術もなく、犯罪に手を出さないようにと気をつけてきた弊害がこんなところに出てくるだなんて、十九年生きてきて予想だにしていなかった。
「シオン、ここを開けなさい!」
打つ手はなく、シオンの良心に呼びかけるしかないと、扉を叩きながら声をかけ続ける。
まだ取り返しがつくはずだと、何度も何度も。
扉が開いたのは、扉を叩いていた手が痛くなり、腕を重く感じはじめた頃だった。
「だ、大丈夫? 何か変なことはされていない?」
寝室から出てきたエミリア様を上から下までさっと見る。衣服の乱れは――多少はあるけれど、それはシオンに抱えられた時にでもできたものだろう。無理矢理何かされたような痕跡はない。
ほっと一息ついてから、彼女の隣に並び立つシオンを睨みつける。
「人聞きの悪いことを言うな。俺がエミリアに何かするわけないだろう」
「いったいどの口がそんなことを言っているのかしら」
先ほど彼女の頸動脈を絞めた男の妄言に吐き捨てるように言うと、彼はにやりと口角を上げた。
「それに……エミリアは構わないと言ってくれたからな。本人が同意しているのであれば、おかしなことをしたとは言えないだろう」
「十分言えるわよ」
狂人から狂人すれすれに戻ったのか、あるいはまだ狂人のままなのか判断がつかない。それでもこれまでよりも自信に溢れているように見え、エミリア様に視線を移す。
「シオンと結婚しなさいと言った私が言うのもおかしな話だけれど……あなた、本当に大丈夫? 洗脳されたとか、弱みを握られたとか、そういうことではないのよね?」
「え、ええ……」
とまどったように頷くエミリア様に、身体的には何もしていないけれど精神的には何かしたのでは、とシオンを再度睨みつけそうになる。
だけどそれよりも早く、エミリア様が二、三歩前に出て頭を下げた。
「ミスティア様にはご心配をおかけしました」
ですが、とエミリア様は言葉を続ける。
「ご安心ください。私がシオン様に何かされることはございません。私がシオン様以外に見惚れることも、心を移す日も来ませんので……ましてや、彼のもとを去ろうだなんて思いません」
他の誰かに見惚れたり心を移したり、シオンのもとを去ろうとすれば何かされると言っているようなもので、安心できるはずがない。
だけど私が何か言うよりも早く、エミリア様がそっと声を落とした。
「シオン様は私を清らかな存在かのようにおっしゃいますが、そんなことはありません。私は、彼に愛されたいと願い続けただけで……。ですので、シオン様に愛されているのだとようやくわかったのに、手放したりはいたしません」
シオン様は傷つけたいと思うのは愛ではないとおっしゃいますけど、とエミリア様は小さく微笑んだ。
「愛がありすぎても黒いもやをまとうことがあるとわかりましたので……私は幸せです」
本当にそれでいいのかと思わずにはいられない。
「けれどシオン様、目を抉るのはよしてくださいね。シオン様のことが見られなくなってしまいますので」
「君が他の誰かを見つめない限りは大丈夫だよ」
そんなやり取りを繰り広げているのだから、なおさら。
だけど私は何も言えなかった。
シオンの隣で笑う彼女が、あまりにも幸せそうだったから。
※作中内行動は良い子も悪い子も絶対に真似しないでください。
これにて完結です。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
ブックマーク、評価、感想もいただけて嬉しかったです。
誤字脱字報告も本当に助かりました。いつかは誤字脱字0を目指してこれからも頑張ります。




