12.心優しいシオン様?
どん、どん、どん、と何かを叩く音がする。
うっすらと目を開けて体を起こすと、一瞬だけど目の前がちかちかと点滅した。
「ここを開けなさい」
聞き覚えのある声に、私は何をしていたところだったかを考える。
そうだ、たしか、シオン様とお話をしていて――それで、これ以上は何を言っても意味がないのだと帰ろうとしたところだった。そこまでは、覚えているし、たしかなはず。
だけど、その後が思い出せない。
そもそも、ここはどこだろう。
ぼんやりとした頭を働かせて視線を巡らせると、私のいる場所が見覚えがある部屋だということがすぐにわかった。
見覚えがあるといっても、立ち入ったのはほんの数回。私が普段お邪魔しているのはその手前、客人をもてなしたりするのに利用される応接室まで。
だから当然、私がいるここは見たことはあっても、利用したことはない。
「あ、あああの、シオン様、これは……いったい……?」
天蓋のついた大きなベッド。シオン様の寝室に、私は横たわっていた。
そして叩かれているのは、応接室と寝室を繋ぐ扉。叩いているのは、声からしてミスティア様。
部屋の主であるシオン様はベッドの端に腰かけていて、こちらに背を向けているため表情まではわからない。
「シオン、早まった真似はするなと言ったわよね」
扉の向こうから聞こえるミスティア様の声に、おろおろと視線をさまよわせる。シオン様は私の声にもミスティア様の声にも反応せず、ただ黙ったままだ。
「今ならまだ間に合うわ。だからここを開けなさい」
どん、とひと際大きく扉が叩かれて、体が震える。状況はまったくもってよくわからないけれど、ミスティア様の緊迫した様子からして、あまりよろしくはなさそうだ。
この場合、よろしくないのは私なのか、シオン様なのか。
「シオン様……」
ふかふかのベッドの上を移動して、端の端、角のほうで座っているシオン様に近づく。その振動がシオン様にも伝わったのだろう。あともう少しで手が届くという距離で、シオン様の体がぴくりと震えて私のほうを向いた。
「エミリア……違う、これは……」
シオン様の白い肌がいつも以上に白く見えて、まるで血の気を失っているかのようだ。いつもまっすぐに私を見ていた瞳は揺れ、どこに焦点を定めればいいのかわからないのか、忙しなくさまよっている。
いつにないシオン様の様子に、私はぎゅっと胸元で手を組む。
「あの……よく、わからないのですが……ミスティア様をお部屋に招いたほうがよろしいのでは、ないでしょうか」
何がどうなっているのかはわからないけれど、シオン様にとってよろしくない状況なら、ミスティア様を締め出していても何も解決しない。顔を突き合わせて、どうすれば状況を改善できるのかを話し合うべきだろう。
そう思ったのだけど、シオン様は表情を歪めて頭を抱えるように俯いてしまった。
そして聞こえ続ける扉を叩く音と、出てくるように促すミスティア様の声。
状況が掴めないまま、シオン様の寝室をぐるりと見回す。
窓から差し込む光がレースのカーテンを透かし、部屋の中を照らしている。明るさからして、私がシオン様の部屋を訪ねてからあまり経っていなさそうだ。
そんな短時間で何か問題が起きたとは考えにくいけれど、ただならぬ二人の様子からして、何かが起きてしまったことは間違いない。
ベッドから降りて、シオン様の足元に座る。淑女としてははしたない行動だけれど、背中に向けて話しかけるよりはこちらのほうが伝わりやすいだろうから。
顔は手に覆われていて表情はわからないが、気にせず話しかける。
「シオン様。私は詳しいことは存じませんが……何かされたのでしたら、ミスティア様に謝られたほうがよろしいのでは……謝るのが難しいのでしたら、私も一緒に謝りますから」
扉の向こうから聞こえる声から考えると、ミスティア様になんらかの粗相を働いてしまった可能性が高い。でも、ミスティア様とシオン様は旧知の仲で、あれほど仲睦まじく過ごせる関係だから、よほどのことでなければ謝れば許してもらえるだろう。
だけどシオン様は王太子だから、これまで人に頭を下げたことがあまりないのかもしれない。
慣れない事態にどうすればいいのか悩んでいるのではないか――そう予想して、言葉を続ける。
「ふがいない婚約者ではありましたが、それでも……シオン様の隣に立てるようにと精進してまいりました。ですから、シオン様が不得手なことは、私がお助けできたらと……」
シオン様はいつだって立派な人だった。だけど、すべてにおいて優れている人はそういない。
だから彼が窮地に陥った時や、そうでなくても立派な彼の横に並び立てるようにと、これまで頑張ってきた。
ミスティア様に何をしたのかはわからないけれど、取り返しがつくのであれば一緒に謝りたい。
役に立たない私でも、最後に彼の役に立てたのだと、思いたい。
思わず浮かんだ利己的な考えに、自嘲する。
困り果てているシオン様を前にそんなことを考えるなんて、私はどこまで浅はかなのだろう。
こんな私だから、神様は聖女にはふさわしくないと、新しい聖女を遣わしたのかもしれない。
「エミリア……違う。謝らないといけないのは、ミスティアにではなく……君にだ」
ふ、と漏れた笑みに気づいたのか、ここまで黙りこんでいたシオン様が顔を覆っていた指の隙間から私を見下ろした。
「私に、ですか……?」
謝られないといけないことなどあっただろうか。考えを巡らして行き着いたのは、シオン様が私に嘘をついたことだった。
「シオン様は悪くありません。私が……聖女に、王妃にふさわしくなかったのが、悪いのです」
私がもっとかしこければ。私にもっと有用な力があれば。そうすればシオン様は嘘をつく必要なんてなかった。シオン様が嘘をついたのは私を傷つけないためだということはわかっている。
そう思って首を横に振ると、シオン様の手が彼の顔から離れ、代わりに私の頬を包み込んだ。
「違う……。俺は本当に、君が聖女で……俺の婚約者でよかったと、思っていたんだ。だが……」
言いよどむシオン様と、漏れ出る黒いもや。
頬に触れるシオン様の手はひんやりとしているのに、見下ろす夕焼け色の瞳はどこか熱っぽい。
何故かシオン様のまとうものがちぐはぐに思えて、私は何も言わずシオン様の言葉の先を待つことにした。
「俺は……俺は……君に、綺麗なものに囲まれていてほしいんだ。だから……王妃の仕事や聖女の仕事……それに、国の歴史とかの血生臭いものにも触れさせたくない……それが、嘘と、思われてしまったのだろう」
「綺麗なもの……?」
城での生活はどこをとっても綺麗なものばかりだ。王妃の仕事についてはまだ教わっている段階なので正確にわかっているわけではないが、聖女の仕事は綺麗な服を着て、綺麗な人とお話するだけなので、綺麗なものに囲まれていると言っていい。
シオン様の意図するところがわからず首を傾げていると、シオン様の唇がいびつに歪んだ。
「君にはわからなくても、俺が嫌だったんだ。……だが結局、俺は君に危害をくわえてしまった。君を守りたいと思っているのに、俺は君を傷つける。……これからも、こんなことがないとは言えない。だから俺は――」
「シオン様……私は、構いません」
不敬とわかりつつもシオン様の言葉を遮る。決定的な何かを突きつけられそうだったから。
「シオン様が望むのでしたら、私はそれでも……聖女の仕事や王妃の仕事を放棄することはできないかもしれませんが……」
シオン様に危害をくわえられた覚えはないけれど、シオン様がそうだと言っている以上、否定しても話は進まない。
だから私にできるのは、シオン様の主張を受け入れることだけだ。
仕事については私の一存ではどうにもできないけれど、シオン様が私を傷つけるかもと危惧している点は、私の気持ち一つでどうにでもできる。
「……本気で、言っているのか?」
瞬きを繰り返して、信じられないとばかりに呆けた顔をしているシオン様に微笑んで頷く。
すると、シオン様の口元がほころび、喜色が広がった。
「君がどこかに行こうとすれば足を切り落としてしまうかもしれないし君が他の誰かに見惚れれば誰も見られないように目を抉るかもしれないし君が他の誰かのことを心から褒めれば喉を焼くかもしれないし君がどこにも行けないように今みたいに部屋に閉じこめてしまうかもしれないしまたどこかに行こうとすれば今回のように気絶させるかもしれないが……本当に、それでもいいと言うんだな」
「ん? え、んんん?」




