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ざくっ、ざくっ、


でこぼこした雪道に足をとられそうになりながら、レナは駆け足で必死に目的地に向かっていた。

ようやくして辿り着いたのは、アルディダの森を抜けたところにある小屋のような小さな家。屋根には真っ白な雪が降り積もっていて、今にも屋根が耐え切れずに崩れ落ちてしまうのではないかと少々心配になるほどの襤褸さだ。


白い息を切らしながら、レナは小屋の目の前に立ち真っ直ぐ見上げる。

すうっと大きく冷たい空気を吸い込むと、レナは思いっきり声を上げた。


「リオンー!!いるんでしょう!?アンタにお願いがあるのーっ!!」


耳を澄ませてじっとしてみるが、どさりと何かが落ちたような音しか聞こえてこない。

おそらくどこかで木の枝から重さに耐えられず雪が落ちたのだろう。


「ねえっ、リオン!!聞いてる!?お願いがあるんだってばー!!」


しばらくすると、キィと小さな音を立てて目の前の扉が静かに開けられた。

眠そうに片手で目を擦りながら姿を現した少年は、お世辞にも格好良いとは言い難い少年だった。


四方八方に跳ねているぼさぼさの黒髪。前髪は目を覆ってしまうほど、長く伸びきっている。

そこそこ長身であるはずなのに猫背な為に低く見え、寒そうに全身毛布のようなもので包んでいて。

極め付けは、この街で学者の証とすら言われているはずのピン底眼鏡。

本来ならば知的に見せる素敵アイテムなはずなのに、なんでか、リオンが付けると野暮ったくしか感じない。


どうせまた、夜遅くまで本でも読んでいたのだろう。

だから学者は嫌なのよねー、なんてレナは内心ぶつぶつ文句を言いつつ、目の前の少年をじっと見つめた。


「…なに、レナ。こんな朝っぱらから」


明らかに寝起きだったのだろう。

どこか不機嫌そうなリオンを無視して、レナは気を取り直し、目を爛々と輝かせて言った。


「お願い、リオン!私をランドールの街まで連れて行って!」

「…突然来て何を言うかと思えば…とりあえず外でこのまま話す訳にもいかないし、中に入りなよ」


そう言い残してリオンは家の中へと姿を消す。

しばし呆然と突っ立っていたレナだったが、慌てて後を追って家の中へと入った。


家の中は、別に期待していた訳ではないが、相変わらず汚かった。

書物が床に散乱し、足の踏み場がまったくない。

部屋の角には汚れきった洗濯物が積まれていて、キッチンの洗い場のお皿やコップもそのまま放置されていることが伺える。


ここでどうやって生活しているんだろう、という疑問をレナは持たずにはいられなかった。


「痛っ」


爪先に何やら角張ったものが当たり、痛みに思わずレナは顔をしかめる。

足元に置いてあった本を拾い上げ、ぺらぺらと適当にページを捲ってみた。


「うっわー…難しそー…」


本は到底自分では解読不可能そうな数式の羅列でぎっしりと埋め尽くされている。

見ているだけで吐き気がしてきそうだ。


信じられない、リオンの奴、毎日こんなの読んでるわけ!?


薄暗い書架の奥では何やらリオンが本を片手に作業をしているのが目に映った。

何してるんだろう?

興味が湧いたレナは、そっとリオンの背後に近付いて後ろから覗き込んだ。


「リオン、何してるの?」


振り返らずにリオンは手を動かしながら答える。


「…昨日読んだ文献の詳細を研究所の方に提出しなきゃいけないんだ。ちょっと待ってて、すぐに片付くから…どこか適当にスペース見つけてて待っててくれる?」

「…分かったわよ」


突然何の連絡もなしに訪問してきて驚かせたのは自分だという事実を忘れ、レナはリオンの素っ気無い態度に腹を立てて、その場から離れた。


何よ、もうっ!

そんなの後回しにしてくれたっていいのに…


椅子に積み重ねられていた本を床の上にどけて、どさりと座り込む。

リオンの背中を見つめながら、レナは昔の事を思い出していた。


レナとリオンは所謂「幼馴染」というヤツだ。

レナが5歳の頃、父親のハンスにくっついて初めて塔に行った時のことである。

ハンスが師匠と敬っている存在で、考古学を専門としている老人ケリーが当時塔を拠点に研究をしていた為、ハンスは時々週に一度のペースで塔を訪れていた。

父親に誘われるがままに、付いていったレナだったのだが…


―――そこで初めてリオンに出会った。


老人ケリーの後ろに隠れていた少年は、レナ達のほうを見ようとはせず俯いたままじっとしている。


「この子はリオン。レナちゃんと同い年じゃな。これっ、リオン、挨拶ぐらいせんか」

「…」


顔を上げたリオンを見て、レナは驚いた。

顔に合わない大きな眼鏡によれよれの衣装。何だか不恰好…と言えばいいのか。レナが今まで対峙してきたどの子供達にもいなかったタイプだ。少なくともレナが見てきた子供達はちゃんとした服を身に着けていたし、こんなダサい眼鏡なんてかけていなかった。

何よりその時のリオンの瞳は冷たい色しか映していなくて。

なぜか無性に悲しくなったレナは、リオンが笑う姿を見たくて、それからというもの毎日のようにひとりで塔に通うようになっていた。

実際リオンと普通に会話が出来るようになったのは、それから1ヵ月してからの話だ。


「なーんで、最初あんなにツンツンしてたんだろ…」


なんやかんやで結局今までその理由を何となく訊きそびれてしまっていた。

あの頃はただリオンの笑顔が見たい一心で、レナにとってそんな事はどうでも良かったのだ。


それから数年してケリーが病で亡くなった後、リオンはこの街の外れに一人で引っ越してきた。

レナもレナの親も自分の家に来るように必死に説得しようとしたのだが、リオンはまったく聞く耳を持とうとはしなかった。


結局こっちがリオンの意思の固さに折れちゃったけど…


レナは家の中を見回してため息をつく。

やはりあの時無理やりにでもうちに住まわせれば良かった。

このままこの家に放っておいてリオンは大丈夫なんだろうか?変な感染病にかかってしまってもおかしくない。


「……ナ、レナ!」

「へっ?」


目の前に影が落とされ、慌てて顔を上げると、いつのまにかリオンがレナの前にいた。


「あ…、お、終わったの?」

「うん、待たせてごめん」


いきなり押しかけてきたのは自分なのに…こうもあっさりと謝ってしまうリオンの素直さにレナは極まり悪くなって目をそらした。


「―――で、話を元に戻すと。ランドールに行きたいって話…何でまた急に?」

「…これ、なんだけど」


ずっと手に握り締めていたせいかすっかり皺になってしまった先程の一枚の広告を、レナはリオンに見せた。

それを見たリオンの眉間にしわが寄る。


「剣術公式大会?これに何の関係が…」

「どうしても見に行きたいの!でも私ひとりじゃランドールまでの行き方が分からなくて…お願い、リオン。アンタだったらこの大陸の地理とかにも詳しいでしょう?曲がりなりにも学者、なわけだし」


剣術公式大会…各国の優れた剣術をもつ選りすぐり者たちが闘う、10年に一度、王都ランドールで開催される古代からの伝統的な大会である。

どう考えてもあの親が見に行くことを許してくれるとは考えられなかったレナは、結局リオンを頼ることしか思いつかなかったのだ。


「何で剣術公式大会なんか…」

「…お願い、リオン。私、どうしても会いたい人がいるの」


そうきっぱりと言い切ったレナの顔から感じられるのは強い意志。

こうと決めたら意地でもその意思を曲げようとしないレナの性格を、昔からの付き合いであるリオンは嫌というほど知っていた。

リオンは暫くして諦めたように目を閉じた。


「分かった…けど、ちゃんとその理由を聞かないと連れて行けないよ」







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