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ヘンダーソンスケール 2.0 Ver1.1

良い夫婦の日と聞いて。

 非定命という存在を昔は大変恐れていた。


 だって、私が知っている非定命共は何奴も此奴も色々な意味で“極まった”連中ばかりだったから。


 初めて相対した非定命は怠惰の極みにある長命種(メトシェラ)で、お次は今も元気に生命礼賛を続ける死霊(レイス)。次にぶつかったのは愛剣の相続人を求めた魔宮の冒険者(アンデッド)。それ以後は数百歳レベルの吸血種だとか、普通ならキャンペーンシナリオのラスボスなんぞに据えられる怪物ばかり。


 当時はただただ怖ろしく、こうはなるまいと思って居たもの……。


 「ねぇ」


 「ん……?」


 久しく紙面を追い、書き付けをする以外の事が存在しなかった世界に色が差した。耳によく染みる聞き慣れた声に首を巡らせれば、そこには迷惑な連れ合いの姿があった。


 どれほど見ても見慣れることのない均整の取れた肉体と工芸品の如き美貌。薄衣で仕立てた夜着一枚だけを纏った姿は知り合って百年以上の時が経っても変わることも褪せることもない。


 結い上げた銀糸の髪は淡い魔導灯の光りを反射して艶めかしく輝き、億劫そうに撓んだ紺碧と薄柳の金銀妖瞳(ヘテロクロミア)は今でも魅入ってしまうほどに麗しい。


 長椅子に寝そべる私に互い違いになる形で横臥した連れ合い。アグリッピナ・デュ・スタール伯爵夫人は欠伸を一つ零して私に問うた。


 「今日って何日?」


 問われてぱっと答えが出てこなかった。


 「あー……そういえば何日だろう」


 いや、正確には“魔導院の書庫”に設けられた個室に陣取ってどれくらい経ったのだろうか。


 簡素な文机と軽い休憩のために置かれた長椅子だけがあり、後は持ち込んだ本が山脈を成す部屋は魔導院最下層の読書室。通称“禁書庫”と呼ばれる、理由さえあれば紐解くことが許される禁忌の海に私達はどっぷり浸っていた。


 それもこれもすべて、我が厄介な伴侶でさえ疲弊する社交シーズンの閉幕に伴って「暫く好きなことだけして過ごしたい」と我が儘を仰ったのが始まりだ。


 彼女が好きなことといえば、当然ながら引きこもって本を読むこと。我が家にも彼女たっての要望で――そも設計も施工も全部任せた訳だが――巨大な書架に直結した書斎があるので、疲れた時はよく引きこもっていた。


 今回も書庫に引きこもるので些事の一切は任せる、という話だと思っていたのだが、今期は譲位――女帝がまた出家(しゅっけ)したいと泣き言を言い出したらしい――の気配もあって、大荒れに荒れた社交界の荒波を親皇帝派の有力貴族として泳ぎ切った疲れは一入であったらしい。


 いつもの贅沢では癒やしきれぬ、として彼女は私を此処に引っ張ってやって来た。簀巻きにした我らが愚息と愚娘を伴って。


 子供達を連れてきた理由? 禁書庫の使用許可と封印書架の鍵の使用権限、それと長期引きこもっても文句を言わない約束、ついでに写本までは許さなくても良いからメモくらいは取って退出する許可を生命礼賛主義の変態(フォン・ライゼニッツ)から引き出すためだ。一つの条件につき子供一人、我が伴侶にとっては安い取引であったらしい。


 今頃は変態の死霊に揉まれ、それはそれは贅沢に身を飾られていることだろう。心配すべきは特にお気に入りらしい唯一の息子が多義的に食われ、ライゼニッツの名を得ることになったりしないかって所か。


 いやー、割と洒落にならんな。親も嫁も死霊とかどんな業を背負って産まれてきたらそうなるのやら。我が子ながらちょっと可哀想になってきた。童顔で小柄なまま成長が止まった生まれの不幸を呪われたらどうしよう。


 「結構経った気もするけれど、一瞬だったような気もするのよね」


 「わかる」


 めっちゃ分かる。こればかりはヒト種であった時には得られない感覚だ。


 永劫の生というものは感覚を狂わせる。熱中すれば時は早くなり、外界からあっと言う間に置いて行かれる。文字通り寝食を忘れることができる不死者にとって、時間という感覚は時に取るに足らないものと成り果てるのだ。


 私達が時間を気にすることは少ない。予め決まっていることがある場合か、目を離せば瞬く間に流されてしまう“定命”を見守っている時くらいだ。そう考えるなら、ヒトであった時の私をアグリッピナ氏は相当慎重に見ていたのだと改めて実感した。


 「何冊読んだ?」


 「えーと……三十二冊」


 「私は六十二冊」


 大きく水をあけられてしまったが、これはシンプルに彼女が発禁にされた品や、僧会が表に出すなと言って禁忌になった物語や歴史書を好んで読んだのに対し、私は魔導論文なんぞの読み込みが難しい本を選んで読んだからだろう。


 一時、永劫の時間に飽かせて術式が本を解析し直接脳に内容をブチ込む<書籍解読>の術式を構築してみたこともあったが、あまりの味気なさにすぐ使うことを辞めてしまった。代わりに<速読法>とか<文脈速解>なんぞをつまみ食いしたので本を読むのは速い方だと自負している。


 が、積み上がった本の数を見て時間を推察することはできなかった。お互い、気に入った本は噛み締めるように同じページを何度も読む癖があるから、単純に一冊読んだから何時間という目安がないのだ。


 そして私は死霊であり、彼女は長命種。どちらも飲食・排泄が不要であるという性質上、腹の空き具合や最後にいつトイレに行ったかなんぞでも時間を計れない。メシは食おうと思えば食えるし、見れば食欲も湧くけど本質的には不要というのも面倒な話だ。


 何も与えず軟禁するのが至上の刑罰になるのも頷けよう。


 「どんなの読んだの?」


 「あー、基底現実空間上における異相空間物転移に際する熱量散逸の逆用に関して、という三〇〇年前の構想本が興味深かった。シメの辺りで異相空間から負の熱量を持つ物体を引き出せば反動で世界を終わらせられるのでは? という走り書きのせいで禁書庫にブチ込まれたんだろうなと」


 「それ若い頃読んだわね。割と楽しかったわ」


 「ちょっと試せそうだなとか思っただろう」


 「まぁね」


 ふふんと誇らしそうに鼻を鳴らす彼女は悪戯好きな子供のようにも見えるが、その実単身で最悪のテロをやらかせる怪物だから困る。


 まぁ、私もここ百年くらいで真似できるようになったから、下手するとアーチエネミーとしてグランドキャンペーンとかのエネミーにされても見劣りすることはないと思うけれど。ラスボスとして冒険者に立ち向かってください、と託宣がきたらそりゃあもうハチャメチャに張り切るよ。


 どれくらい経ったかを考えていてもキリが無いので、怒られてないからまだ平気だろうと駄目人間みたいな開き直りをし、私達は読書に戻った。ここに陣取るまでに興味を擽られて持ち込んだ本は、まだまだ山を成しているのだから。


 再び紙面上の文字列と黙考する自我のみが存在する空間に立ち返り、どれほど経ったか。ふと半実体化していた足が擽られた。


 ちらと目線を落としてみれば、絡んだ伴侶の足指がもじもじ蠢いている。無意識に蠢動する指で私を擽る彼女の手には、何やら甘ったるそうな表題の本が。


 多分、破廉恥に過ぎたかモチーフがセンセーショナル過ぎて発禁処分でも喰らった恋物語か何かだろう。三重帝国のモラル基準は多種族国家だけあって微妙な範囲で細かく変動することが多いので、エロ本としか思えないものが公然と出回る時期と、ちょっとストイックになる時期とが入り乱れているのだ。


 あれは多分、ストイックな時期に禁忌として放り込まれ、それ以降「まぁいいんじゃね? 面倒だし」として再分類されぬまま放置されつづけた品だと思われる。


 気に入った本を読みテンションが上がった時、指を動かしてしまう癖は私が色々と“諦めて”から知った癖である。服を束縛として嫌い、夜着一枚やともすれば全裸で徘徊することもあった彼女の癖を長い間知らなかったので、本当にリラックスして本を読んでいる時にだけ出る癖なのだろう。


 はて、となると私にも似たような癖があるのだろうか。


 そんなことを考えながら頁を捲る。もし斯様な癖があったとして、癖だけに自分では分からない事に違いない。


 自分が知っているように癖を知られていると考えれば……別に嫌な気分にならない自分がいることに気付き、私はちょっとだけ妙な気分になった…………。












【Tips】禁書庫には技術的な意味で禁忌とされた本以外にも、時流によって相応しくないとされた本も納められている。












 文学的修辞法に優れ、直截な表現など全くないのに男女の蠱惑的な交わりを描いた物語を丁寧に咀嚼した脳髄が満足の吐息を零す。正しく至福の一時であった。学がなければエロティシズムを微塵も得られないだろう、高度な技量の文脈にはただただ感じ入るばかりである。


 ほぅと吐息して本を下ろし、今度帝国の行政府に禁忌指定の解除を上奏し、写本を作らせようと脳内にメモを取ってから、アグリッピナは難しい顔をして論文を読み込む伴侶を見た。


 本を置く時に絡んだ体が動いても気にならぬほど没頭している姿は、こうなってから実に見慣れたものだ。凝る体もないというのに、時折首を回す癖は何度見てもおかしみが薄れることはない。


 安穏と寝ていた魂を冥府より拾い上げ、嫌に適応が早いなと感心してからどれほど経ったか。


 吸血種や死霊のような人間から転ぶ非定命の類は、かなり長い間定命であったころの習慣を引き摺ると聞いた。


 娯楽以上の意味は無いのに毎食きちんと食事を摂り寝床に入る吸血種や、体臭を気にして風呂にどうやって入れば良いのかを考える死霊が居ると聞いて大いに笑ったものだ。最初から非定命であった者に定命の行動が理解できぬように、定命に非定命の道理と感覚を理解させるのは難しい。


 だが、この世紀を跨いだ付き合いになった連れ合いの適応速度はちょっと異常であった。


 油断すれば体が物をすり抜けることにその日の内に慣れ、ドアを開けなくて良いってのは便利だなと宣い始める。飲食が不要になったことも、「キリが良いとこまでだから」と前から一度没頭すると長い仕事に読書に、これ幸いとばかりに活用し始める有様。


 その上で残った癖が“首のコリを気にすること”なのだから、何とも奇妙な男である。


 一〇〇年もヒトとして生きたんだから、もうちょっと何かあるだろうと突っ込んでしまったほどだ。密かにとっていた実験レポートも、被験者がこれではあまり一般には当てはめられないなと嘆息するばかり。


 最悪、蘇生からのギャップで発狂することさえ覚悟し、計画に組み込んでいたというのに。


 まぁ、別に経過が良好な分にはいいのだ。発狂しようが押さえ込んで説得し、まともにするプランを準備するのは大変だったが、万全を期しただけで“試したかった”訳でもない。


 いや、それほどまでに狂した魂を落ち着けさせたなら、今後の関係で大きなアドバンテージになったのでは。物語に耽溺し、結果に不満足で“もしも”を並列で幾つも考えていた脳味噌が、ついには自分たちのもしもさえ考え始めてしまった。


 「……悪くないわね」


 「は?」


 ドロドロした妄想に思わず感想が溢れ、声に反応してエーリヒは小難しげな論文から顔を上げた。


 「何でも無いわ。今読み終わったの、悪くなかったなと思っただけ」


 「へぇ、貴女が感想を零すとは珍しい。後で私も読もう」


 「そ、じゃあ分かりやすいところに積んどくわ」


 どこまでも自然な態度で失態を包み隠し、追及から華麗に逃れる。


 たしかに妄想としては面白かったかもしれない。無理矢理貴種として取り上げられたことにエーリヒは当初激怒していた。それこそ親でも殺さない限りここまで怒ることはなかろうよ、という程の赫怒を瞳に篭めていた姿をよく覚えている。


 一番酷く燃えた瞳を見たのは、自分が選んだ婚姻装束を着せ、戯曲の皇子のように身を飾らせた時であろうか。ライゼニッツ卿が存在を薄れさせるほど感動する見栄えの中、眼だけが世界さえ滅ぼせそうな憎悪に燃えていたことが記憶に焼き付いている。


 長い付き合いだけあって色々とあった。忘れることができない長命種の脳において尚も色濃く残る凄絶な眼で睨まれた。だが今やどうだ。死霊として甦った時、キトンブルーの淡い色合いから鮮烈なアイスブルーに色合いを変えた瞳は、油断しきって本を読んでいる。


 長椅子に互い違いに寝そべって、足を絡め合う行儀の悪い姿勢で。ヒトであった時は、肌身放さず持ち歩いた寸鉄――あのナイフは壮大な兄妹喧嘩の末、たしか長女の愛用品になったのだったか――さえ帯びていない。


 今であれば容易くとは言わぬが、油断につけ込めば最低でも相打ちに持ち込めるほど気が抜けている。


 ただ、逆を返せばこれは自分も同じ事。


 魔力を増幅し魔法の投影を補助する器具は全て外し、髪は夫が結婚四三年目の祝いだとかで調達してきた竜の鱗――この時にはもう六〇を過ぎていた筈だが、どうやってもぎ取ってきたのやら――製のバレッタで留めただけ。


 本気を出したエーリヒに不意を打たれたなら、これほど気を抜いていれば相打ちまで持っていくのが精一杯といったところか。


 「うん、こっちの方がいいわね」


 自分にしか聞こえない程度に呟き、アグリッピナは次に目当てを付けていた本を<見えざる手>で掴み上げた。


 さっき想像した未来は面白かったが、悪くない止まりだ。こっちと比べてどちらか取れるなら、指は迷わず現在を指すだろう。


 鬱陶しいほど後夫に収まろうとしてやってくる阿呆共の縁談は止まり、再び有能な夫が機能して面倒な誘いや書類は全部向こうでストップだ。子供も手がかからなくなり――今でもたまに何か吹っ飛ばしたとかぶっ壊したとかでクレームが来るが――おだやかな時間も増えた。


 研究の楽しみはあるが、好きに引きこもって本を読み漁る幸福には敵うまい。


 だからきっと、これでいいのだ。


 表紙を捲りながら彼女は笑い、ひっそりと張り巡らせた隔離結界の密度を上げた。どうせなら、この穏やかな至福の一時が今暫く邪魔されぬようにと。


 そして、色々な妨害を受けつつ、夫婦は次の社交シーズン開幕間近まで書架での引きこもりを続け、結果として山積した仕事を前に夫の顔色は死者である事実を含めて尚も酷いものになるのだった…………。












【Tips】貴種は特権と正比例する膨大な義務と責務を負う。

良い夫婦の日だったので、以前ちょっと人気だったヘンダーソンスケールの小話をば。


厄介過ぎるなこのアーチエネミー夫妻。

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― 新着の感想 ―
[一言] こーいうエンドを見ると、彼のせいで婚期が遅れた幼馴染を気にしちゃうね
[良い点] 甘ぁーーい!!
[一言] d(˙꒳˙* )ええやん この言葉を贈らせて頂きます スキ(*´ω`*)
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