少年期 十三歳の晩春 十八
知らない天井を見上げて目が覚めることに慣れてきた。
「……あれ、生きてる?」
数分、曙光に照らされながら纏まらない思考で壮麗な刺繍に塗れた天蓋を眺めていると、なんでか自分が生きていることに気がついた。
普通に死んだと思っていた。途中で救援が来たとはいえ、手足が片方ずつねじ切れる大怪我は十分命に響くものだ。如何に貴種っぽい誰かが助けにきたとて、喪った四肢を再生させる施術は魔導院の許可なくば使うことは許されず、僧であるツェツィーリア嬢がいたとして四肢再生の奇跡は非常に高度だと聞いたので望みは薄い。私は彼女がどの程度の僧なのかすら知らないのだから。
手当で命を繋げるレベルの負傷ではなかったので、てっきり私の命脈は尽きたと思ったのだが……。
「なんだこれ、生えてきたんか?」
一体全体如何なるチートが起こったのかしらないが、仮面の奇人もとい貴人の術式で千切れ飛んだ筈の手足がさも当たり前のような面をして元の場所に収まっているではないか。
恐る恐る動かしてみるものの違和感はなく、痛むこともない。妙に肌触りの良い夜着――縫製の見事さから幾らするのか考えるに悍ましい――をまくり上げてみれば、肌には疵痕はおろか瘡蓋の一つも見つからない。
足の方も同様で、足先まできちんと神経が通り思った通りに動く。
「……呼吸も苦しくないな」
安堵の吐息をして気付いた。あれほど不快であった肋骨の骨折も癒えている。そっと触れてみるものの痛みや痺れが肺腑を襲うことなく、薄ら筋肉が付いてきた腹を撫でれば、臓物を守る肋のアーチに乱れはない。
いっそ幻術にでもかけられて激闘を繰り広げた夢でも見たのではないかと思うほど、体には何の異常も無かった。強いて言えば怖ろしく腹が減って喉が渇いていることと、軽く体がふらついていることくらいであろうか。
まぁ、昼から何も食ってないので単に腹が減っただけだと思う。
で、ここはどこだろう。
ともあれ考えて答がでなさそうな事態は一旦置いて、冷静になって周りを見回せば中々事態は複雑そうであった。
私が寝かされていたのは天蓋付きの大寝台であり、周囲が透けるほど薄い覆いが外と内を隔てている。着せられた夜着の豪勢さはいうまでもなく、マットレスを触ってみればきちんとバネが入った――富裕層には出回っていると聞いたことがある――高級品であり、被っていた布団は毛綿入りの最上品質。できることなら家に持って帰りたいほどの触り心地の品は、考えるまでもなく貴種でなくば揃えられない品であろう。
しかも、こんな数人寝転んで派手に“遊んで”も余裕がありそうな寝台、相当の権勢を誇るお貴族様の家に違いなかろう。普通の家じゃ金をかけるにしたって、こんなデカイ寝台は不要だからな。
推察できる展開は幾つもあるが、考えて事態が動く訳でもなし。まぁTRPGに関わらず、周囲の状況を確かめるのは鉄板だな。GM、周りに何が見えますか?
この世界では誰にも理解できぬ冗句を脳内でこねくりまわして辺りを見回せば、寝台の脇にハンドベルが置いてあることに気付いた。メモが一枚貼り付けられており、流麗な筆跡で「お目覚め?」と書き付けてあった。
なるほど、目が覚めたら鳴らせってことか。分かりやすいギミックで有り難い。
これまたお高そうな金色のベルを手に取って振ってみる。
「……あれ?」
が、音がしない。不思議に思って逆さにすれば、舌と呼ばれる鐘と触れあって音を鳴らす分銅が入っていない。ただ、目を凝らせば精緻な紋様で術式陣が刻まれてあることが分かった。
細かい所までお金がかかっていること。
しばし感心しながら構造を観察していると、控えめに扉がノックされる。しかし、待っていてもドアが開かないことに首を傾げ……ああ、自分が入室を許可しなければならないのかと気付くのに一分ほどかかってしまった。
「えーと……どうぞ?」
緊張して無様に語尾が上がってしまう。仕方ないだろ、こちとら純正のカッペであるんだから高貴なお人の文化に理解はあっても、手前がする側に回るとなれば意識がまわらんのだよ。
「失礼いたします」
微かなノブが擦れる音だけを供に部屋に現れたのは、それはもう文句のつけようのないメイド様であった。
わぁ、侍女だ、侍女だよ侍女。それも凄まじくクオリティの高いヴィクトリア調の侍女だ。飾り気のない黒のロングドレスにカフスと、つつましくフリルで彩られたエプロンで身を飾り、纏めた髪が散らぬようキャップで覆った姿はケチの付けようがない侍女の佇まい。
乳白の肌に翠の瞳、淡いブラウンの髪が愛らしい童顔の侍女。うん、テンションあがるなぁ。
さて、三重帝国における使用人制度であるが、封建的な様式と近代的雇用関係が入り乱れていて実に煩雑だ。
貴族達は代々仕える一族を召使いとして抱えたり、他家の長男長女以外を行儀見習として迎え入れたりしており、そういった一定の身分在る召使いが上級使用人として家令や執事として仕えている。その下に就く下級使用人は奉公のため領地より迎え入れた者で、身分を荘が保証しながら給金を渡すか税を軽減することで働いている。
対して商家や豪農などが抱える使用人は純然たる雇用関係といってよく、奉公人として迎え入れた後に従業員として使うための教育を施すこともあるようだが、まぁ堅苦しい地縁血縁よりも人間関係と給金によって結ばれた関係である。
両者の違いは魔導院を出入りしていると良く分かる。金を持っているだけの魔導師と貴種出身の魔導師で雇っている従僕の質が全然違うのだ。
前者は私のような田舎者や帝都の市民を雇い、後者は身分確かな良家の、或いは代々従僕家系というサラブレッドを連れているため雰囲気が根本から異なる。所作の一つ一つが貴種が集まる場に晒して問題がないほど流麗で、使用人向けの謙った宮廷語の発声も完璧な、正しく高貴なる者に仕えるべくして産まれてきたかのような整いっぷり。
速成の庶民と上級使用人の間には、農耕馬と軍馬ぐらいの開きがあるのだ。
そして、その情報を加味して彼女をみれば……うわぁ、とんでもねぇ上流階級の家にきちまったぞ。
立ち居振る舞い、言動、着ているお仕着せの質は言うまでもなく、なんとよく見れば柳葉型の耳がぴょこんと髪の間から覗く姿は紛うこと無き長命種。長命種を使用人として抱えているとかどんな大家なんだここ!?
「お目覚になられたようで何よりにございます。妾はクーニグンデと申します。御身のお世話を主より仰せつかっておりますので、存分にお使い下さいませ」
「アッハイ」
結構頑張って熟練度を振った私が土下座したくなる精度の宮廷語に片言の返事しかでてこなかった。しかも、使っているのは最上の客に対する話法であり、爵位どころか官ですらない私に使う言葉ではないので脳味噌が上手く呑み込んでくれないから困る。
一体私に何がおこったんだ、ほんと。
「まずは朝のお支度をさせていただきたく存じます。お顔を失礼いたします」
シルクの手袋に覆われた手が蠢くと彼女の後を追従していたらしい――侍女にテンションが上がって目が行ってなかった――カートから湯を湛えたタライが浮かび上がり、濡らした布で顔を洗われ、驚く間もなく髪の毛に櫛が入れられる。
もう随分伸ばしてしまったせいで、後ろから見れば女性と勘違いされかねない長さになりつつある髪を梳られ、ついでに髪油まで塗られてしまっているのに事態の唐突さに反応できない私だけが取り残された。
「美事な御髪でございますね。何かお使いで?」
「は? いえ、特になにも……」
強いて言えば妖精のご加護かと。それよりも縁に座り直させられて、前から髪を整えられているせいで、私の髪より美事すぎるお胸が近づいたり遠ざかったりするのが大変神経によろしくない。貧血なのか寝起きの愚息が悪戯をしなかったのは何よりだが、一瞬偶然を装って顔を埋めても合法だよな? とかいう頭の悪い思考が過ぎって大変拙い。
茹だった思考のままいつの間にやら服まで着せられ、ベッドサイドに背を預ける姿勢に戻されたかと思えば今度はベッドテーブルが用意されてしまった。
「いつお目覚めになられるか分からなかったもので、簡易な物しかご用意できなかったことをお詫び致します。しかし、ご用命いただければ可能な限りご用意させていただきますが、何かご希望はございますでしょうか?」
「簡……易……?」
ケチが付けようのない香り高い黒茶、市井では出回らないデニッシュ状のパンは明らかに焼き貯めなんてしていない朝焼きの一品で、ゆでたヴルストも香草を練り込んだ庶民ではちょっと手が出ないもの。ついでに添えられた蜂蜜掛けのチーズは祭でもなければ食べられないような品目で、春の収穫祭も霞むような面容をして簡易と言われたら、私が普段食ってる物はなんなんだってんだ。
これだからブルジョワは。誰ぞ鎌とトンカチを持てい!!
「重いようでしたら白湯や穀物粥もご用意できますが」
呆然と見ていると、不調を気遣われて斯様な提案をされてしまったので慌てて否定し、有り難くいただくことにした。何が起こってるか分からんが、暖かい黒茶を冷めさせては帝国人の名が廃る。
黙々と食べ始めた私をみて安心したのか、侍女、クーニグンデは側に控えた。
怖ろしく気配が薄く、たった一歩下がられただけで位置の特定が難しくなる手練れ。自然に魔法を使っていたのだが、あれか、前に特性で見た<魔導従士>の職業カテゴリを修めているのだろうか。貴種に仕える使用人となれば、並の血筋ではないと言われても納得できるのだが……。
「今は陽が高いため御前様とお姫様はお休みになられていらっしゃいますので、お目覚めの刻までこちらでごゆるりと過ごしていただければと」
豪勢すぎる朝食に驚く胃を抱え、平静を取り戻しきれない精神を安らげる間もなく彼女はそう言った。
お姫様、と聞いて思い当たる節は一つ。目覚めた時は否定したが、どうやら私は彼女のおかげで助かったらしい。気絶する寸前に見た光景は、絶望した私が作った都合の良い幻覚ではなかったと分かっただけで吐息が溢れそうになる。
「……ああ、いえ、お待ちを」
言葉を打ちきったかと思えば、彼女は片目を閉じてこめかみに片手を当てる。
あの仕草には覚えがある。<思念伝達>で他人の思念波を不意に受けた時にしてしまう仕草だ。他には思念をよく感じ取るためにすることもあるが、従者が言葉を切ると言うことは主人からの思念が届いたからに違いない。
「失礼しました。もう手遅れのようで」
「はい? 手遅れ?」
何の事かと問おうとした瞬間、ドアが盛大に跳ね開かれた。
「目が覚めたか小童! 重畳重畳!!」
破城槌でもブチ込んだのかと錯覚するほどの勢いで開いた扉の向こうには、ひたすらに目を惹く美女がいた。あの夜、仮面の貴人の攻撃を霧散させた、朱の瞳とぬばたまの黒髪も麗しいトーガの女性だ。今日は皇帝紫のトーガではなく、同じく禁色ではあるが一段劣る貴種にのみ許された緋色のトーガを纏っておいでだった。
傾いだドアを潜り、堂々と進む姿に長命種の従僕は瞑目し、諦めたように頭を振って一歩下がる。私はもう何もできません、と表明するように。
「やれやれ、昨夜は難儀であったぞ。急な魔導伝文機の稼働に慌てて馳せれば汝は死にかかっておるし、我が可愛い又姪は心配して離れようとせんわ、頭の悪い甥御はぎゃんぎゃん喚く。アレは喧しいから半殺しにしておこうと思ったが殺しても殺してもキリがないわで帰りたくなったわ」
顔付きにツェツィーリア嬢の面影がある美女は、信じられぬ気軽さで私の座る寝台に腰を降ろした。しかし、似ているといえば似ているのだが、嫋やかな美しさがあるツェツィーリア嬢とは対照的に眉尻が上がった柳眉のせいで凄みのある美人だ。
そんな美人に至近で見つめられたらどうなると思う?
折角まとまった思考がまた掻き乱されて私が困る。それも大変に。
「まぁ? 此方も可愛い可愛い又姪のためなれば、晩餐を邪魔されようが腹は立たぬし、阿呆な甥御を殴る程度の労は厭わぬよ。面白いヒトの小童もおるしな」
きっとツェツィーリア嬢が成長しても至らぬであろう、吸血種らしさを前面に押し出した凄絶な美貌を笑みに歪めながら、名も知らぬ高貴なる吸血種は鋭い爪で私の顎をなぞり上げる。
そうして嘲笑にも似た、どこか独特の口調で笑うのだ。旧い言葉使いは蛇が這い回るように脳髄へ達し、酷く神経に障る気がした。
これも一種のカリスマなのだろう。一挙一動、言葉の一つまでが記憶に残り忘れられなくなる。支配者の資質、それも強引に周りを引っ張り回せる豪腕の為政者、ともすれば暴君に墜ちる危うい君主の色。
歴史を転がしてきた重みが、ヒトの形を為して私の前に座っていた。
「で、我が又姪の儚きお気に入りよ。何か聞きたいことがあるかえ?」
問い掛けの体を為そうと否応無き命令に変えてしまう声音の愛撫に耐えきれず、私は素直に口を開いた。
「何故、下に何のお召し物も着ていらっしゃらないのですか?」
……いや、だって気になるだろう? なにせ一枚の大きな布を体に巻き付けるトーガはあくまで上着で、普通何か着ておくものなのだ。なのに下は全裸だ。全裸である。凄く気になったから二回言ったぞ。
混乱した頭に突き込まれるカリスマ溢れる言葉に思考が煮崩れ、ついつい気になっていたことが溢れた。いや、頭の深い所がバグったのか脳味噌の表面でしか考えられていないんだよ。どうしてここに居るのかとか、昨日何があったのかとか、手足のこととか聞きたいことは幾らでもあるけど!
「ふむ、それはな」
何言ってんだコイツって視線が後ろの侍女からガンガン突き刺さってくるが、半裸の吸血種は一瞬だけ固まった後で至極当然のように応えた。
「下手に着飾るより、こうある方が此方は最も映えるからだ!!」
歌劇の役者が自身の振る舞いを誇るように、彼女は大げさな仕草で自身の体を見せ付けた。
しなやかな四肢、めりはりの利いた起伏豊かな肢体、彫刻の如き傷一つ無く磨き上げられた肌は工芸品の如く艶めかしく輝いており、トーガが要所を悩ましげに隠すことで誘うような美を作り上げている。このまま固めて美術館の玄関に飾れば、さぞ客を集めることであろうに。
「ああ……まぁ……はい……大変お美しくいらっしゃる」
「そうかそうか、美が分かっておるな汝よ。さぁ、どのように美しいか申してみよ」
脳味噌の浅いところだけで滑り出す思考のままに感想を零せば、ご納得いただけたのか詳細を求められてしまった。いや、ご身分から察するに褒められ慣れているでしょうに、何だってこんなガキの言葉を更に引き出そうとするのか。
私はこんがらがった思考を解くのを諦め、高貴そうな人の機嫌を悪くするのを恐れ訥々と、持てる限りの語彙で褒め続けた。
一番問うべきであろう「どちらさま?」という問を呑み込んだまま…………。
【Tips】使用人。封建的な従属関係、あるいは奉公や雇用関係にある召使い。一時的な雇用ではなく、一身専属的に仕える従僕を指す。
三重帝国では貴族の子女が行儀見習で他家に送られることもあれば、下手な新興貴族より長い血脈を紡ぎ多大な影響力を持つ従者家系も珍しくはない。
サプライズ投稿。こんな時間で反応があるかは微妙ですが。
一人称としてクーニグンデが使った妾は漢文を飲用し、私は妾のような取るに足らない存在でございますが、という意味を込めた謙遜の一人称。なんでわらわと読むと尊大に聞こえるんですかね。不思議不思議。
召使いにサヴァントとふりがなを振ったのは趣味です。今まで頑なにドイツ語だったのですが、趣味だから仕方ない。尚、別に屍体を溶接して作る訳ではありません。まぁ溶接して作っても大いに構いませんが。むしろ大変結構。




