少年期 一三歳の春 三
死なれても困るし生きてたら生きてたで迷惑かけられるから、身を案じるのも微妙な気分になる相手に雇用されている我が身の辛さである。
なんと驚くべきことにあれから半月が過ぎた。エリザに読書や書取、朗読の指示が蝶の手紙で届いているので生きているようだが、アグリッピナ氏が工房に戻ってくることはなかった。
そして、昨日は定例行事でライゼニッツ卿に兄妹揃って仕立屋に連行されたのだが、勇気を出して聞いてみても返ってきたのは曖昧な笑みと「よい薬を服用しているだけでしょう」との歌うような言葉だけであった。
恐すぎる。瞬間的に「あっ、主犯は貴女か」と悟ってしまうくらい恐かった。昨日終始良い笑顔を浮かべておいでだったのは、私達二人に思うがままのコスプレをさせていたからだけではあるまい。
因みにこれ以上のことは思い出したくない。何を思ったか、あの狂人は私に女装をさせようとしやがったのだ。しかも「男の子と一目で分かるようになってしまった感じの女装がいいのです!」とか意味不明なことをヌカしながら。死霊になると生者への恨みで人格が歪むことがあると聞いたが、代わりに性癖拗らせるとか何があったんだあの人。
流石に断固としてお断りさせていただいたがね。もう殆ど在庫が尽きるくらいプライドは売り払ってきたが、幾ら自分の益になるとはいえ、最期の一線くらいは護らせてくれ。コレまで売り払ったら、後はもう尻を売るくらいしか下がなくなってしまうではないか。
可及的速やかに記憶から消したくも向こう何十年か私を苛んでくれそうなトラウマはさておき、今日も今日とて青空市である。
割り符の二五アスを支払っても銀貨が四~五枚は余裕で稼げるようになったが、プライドと並んで駒の在庫も払底してきた。熟練度稼ぎがてら<見えざる手>の練習で同時に四個加工するという荒行を夜にやっているのだが、それでも気合いを入れた大駒なら二時間は取られるし、仕上げと塗装で一時間ほどかかるので生産が追っつかなくなってきてしまった。
ぼちぼち作り溜める期間に入り、仕事の比重を御用板に移そうかと悩んでいると今日も彼女がやってきた。ローブを深く被った夜陰神の僧は、決まって月と日が短い逢瀬を重ねる時間に姿を現す。
「今日はいらっしゃいましたね。では、一局」
「ええ、どうぞ」
そして、盤を挟んで対峙し、お約束になった早指の一局に取り組む。今のところは四勝二敗で勝ち越しているが、楽な勝ちが一つもなかった程度の力量差なのでぼちぼち勝率は横ばいになるだろう。この遊び、相手を知れば知るほどやりづらくなるからなぁ。
かつんこつんとタイミング良く駒を叩き付け合い、その度に陣形が変わり、駒が落ちていく。棄てるべき駒、拾うべき駒、獲るべき駒を五秒足らずで判断するのは難しい。一つのミスが大きく響くやりとりだが、ストレスは感じずどこか心地良い緊張が脳味噌を洗うかのよう。
それにしても、この僧はどういう人なのか。祈りと奉仕の合間に兵演棋を愛好する僧は多いと聞くが、この時間にふらっと現れるあたり色々と謎だな。夜陰神を祀る行事や、奉仕の多くは日暮れから始まるというのに。
ほぼ毎日のようにやってきて、私が来ていない日も一応顔をだしてやっていないか確認している辺り、常に忙しい下っ端ではないようだが……。
まぁ、盤上で擬似的な殺意を以て会話するだけの間柄。身分を問うのはむしろ無粋か。生まれの貴賤で歩卒が騎士に打ち勝つようになる訳でもなし。
今日は攻勢のタイミングを誤ったせいで一手足りず、詰みに持って行けなかったため私が皇帝を倒すこととなった。ううむ、中盤に隙を見せた皇太子を獲るのに拘りすぎて大駒を些か損耗し過ぎたか。せめて騎士か竜騎――一つしか置けないが、縦横斜めに駒を一つだけ飛び越え好きに動ける強駒。大抵全員使う――の何れかが生き延びていたら凌げたのだが。
「加減、なさいましたね?」
賞品として女性の吸血種をモチーフとした女皇の駒を取り上げた彼女は、感想戦の最中に珍しく不機嫌そうに言った。加減する余裕などありませんでしたが、と告げると彼女は手際よく駒を並び替え、五〇手ほど前の盤面を再現してみせる。そして、忙しなく手を動かして何手か進め、結果とは違う盤面を作った。
「ここで歩卒で寄せれば、皇帝に手が届いたのでは?」
「まぁ、そうですが歩卒で皇帝を獲るのは……」
歩卒が皇帝を獲るのは流石に不遜、ということで避けるのが南方でのローカルルールだった。王手をかけるのはいいのだが、王者の最期は相応の者の手で決めるのが相応であり美しいとされるから、王手詰みの手を歩卒で決めるのは品位がないプレイだと笑われる。
こっちではそうじゃないらしいのだが、どうにも私は郷里での癖が抜けずにやめてしまう。殺せればいいだろ、とガンギマリで嘯くTRPGプレイヤーとしての本能と、様式美くらい護れというロマン主義者の自分がせめぎ合った結果、兵演棋に関しては浪漫が勝った形であった。
「……拘りだというなら致し方ありますまい。ですが、死に貴賤はありませんよ」
言葉とは裏腹に納得いかぬように呟き、聖職者らしからぬ言葉を残して彼女は席を立った。
いや、むしろ極限まで聖職者らしい言葉といえるのか?
どうあれ淑やかな言葉使いと所作に似合わぬバーリトゥード思考には恐れ入る。そりゃあ貴人が扱おうが賤民が持とうが短刀は短刀だし、そいつを背中にブチ込まれれば大抵の生き物は死ぬしかないとしても。
やはり庶民としてはアレなのだよ、貴種には相応に気高くあってほしいんだよな、その死に様も含めて。自分たちの将来を差配する存在が卑小な死を迎えて喜ぶはずもないだろう?
「それでは、今日はお暇します……あと、これは勝敗に含まないように」
四勝三敗か、とカウントしていると勝ち筋があったにも関わらず見逃されたことに相当立腹だったのか、一方的に宣言して彼女は帰っていった。普通にプレミとして扱い、白星にカウントしてもいいと思うのだが……。
ああ、いや、それよりも意外なのはアレだな。足繁く通ってくれている割には勝敗を気にしていないように振る舞っていたが、心の裡ではしっかり帳面に勝敗をつけていたとは。
可愛らしいというかなんというか、淑女然とした振る舞いの割に子供っぽいところがあるのだなぁ、などと失礼なことを考えながら、私は彼女の背中を見送った…………。
【Tips】歩卒詰み。南方のローカルルール。開闢帝リヒャルト生誕の地が近いこともあり、三重帝国南方では歩卒を寄せて王手にかけるのはよしとしても、王手詰みの一手を歩卒で為すことは好まれない。民草にまで浸透した皇帝人気が遊戯にまで干渉した例として、政治学者の間で三重帝国の国民性を語るため引用されることも。
定命と非定命の価値観には、どこまでも深い溝がある。
それは“生”に対する所が最も深い。単に気が長いとか悠長とかではなく、時間の使い方、そして生きるスタンスそのものが全く違うのだ。
ヒトは時に寝食を忘れて遊興に耽ることが間々あるが、それでもメシは食わねばならぬし排泄も欠かせず、ある程度は寝なければ趣味を目一杯楽しむこともできない。
極論、人は生くるべくして生きる生物であり、他の活動は付属品に過ぎない。生きているという前提を欠けば、付属品は成立しないのだから。
しかし、寿命を持たぬ者達は違う。
長命種は飲食が不可欠ではないし、吸血種とて唯一の糧である血液を呑まねば衰えこそすれ滅びることはない。そして、地のスペックが高く、目的に狂気染みた偏執を持つにいたれば、彼等にとって“生きる”とは娯楽の付属品と化してゆく。
それほどに生命としての質が、相が、本質が違うのだ。
「それでだな卿、空間を開き別の場所に物を移せるのであれば、選別して移すことも可能だとおもうのだ。それ故、管状に結界を張って……」
終始テンションが高く早口な美男を前にして、外道は「何日経ったっけ?」と時間の狂いを感じながらも聡明な頭を鈍らせることなく回した。
「端の一方に空間遷移術式を構築し、限定移送で大気を絞り出すと?」
「おお! 流石聡明であるな卿! そうだ! そして、抗重力術式でもって船を“横に落とせば”推力も要らず、そして大気との衝突も心配要らぬのではないか? どうよ、我天才じゃね!? これで定期航路を作れば航空艦は世界最速の移動手段となるぞ!」
「なるほど、素晴らしい発想ですね、公。現時点では私と公が千人集まったって魔力が足りないという点に目を瞑れば」
無駄に高度で無駄に理想が高く無駄に複雑で無駄に現実性がない魔導理論の話を無駄にハイテンションに続けてどれほど経っただろうか。如何に理屈の上では永劫を生きることが能う長命種であっても、寝食忘れて絶えることなく理論を語り、術式を試しに練ったりしていると時間の流れが狂っていく。
興味がないとも刺激が足りぬとも言わぬが、アグリッピナにとってキツイ時間であることは変わらなかった。その気になれば自分を社会的に殺し、物理的にもワンチャンどころか普通に殺しうる存在と対面し続けるのは、彼女の気質からしてあまり良い気分はしないものである。
その上、下手に興味を擽らないでもない話題を引っ張ってきて、こちらの発言を引き出してくる話術の巧みさが恨めしい。高貴なる相手を前に沈黙を貫く訳にもいかず、さりとて「で、本題には何時入るんです?」と水を差すのも勇気が要るものだ。
幾つもの魔導理論を語り合い、時間と感覚が縺れる論戦の末、吸血種は機嫌良さそうに腿を打ち満面の若々しい笑顔を作った。
「いやいや、実に意義ある時間であった。やはり我としても、問題のある物を前にぶら下げられては黙っておられぬ性質でな」
主として議題に持ち上がっていたのは航空艦の欠点についてであった。
五〇年前に基幹理論が完成し、一番艦ヤドヴィガが初めて空を飛び、若い竜に絡まれて酷い目に遭ってから僅か三〇年の若い技術である。二番艦クリームヒルトが低空域の安定航行実験中に相次いで竜と鷲幻馬の群れに襲われて座礁し、ただのんびり空を飛ぶことの難しさを世に知らしめた悲劇も記憶に新しい。
必要なのは安定して空を飛ぶ術。外敵から身を守り、単独であっても目的地に辿り着けるだけの能力が航空艦には必須であった。乗り物とは行ったきりではなく、きちんと還ってきて初めて価値を持つのだから。
だが、命題を満たすのがあまりに難しい。どうあれ人類は地べたに這いつくばって生きていくようできている。本来の姿からかけ離れた無茶をするには、相応の無理が着いて回るもの。
その“無理”として公は最初、空間遷移を用いた障壁、あるいは短距離の離脱を考えていたらしく、本題の序でに「専門家であると紹介されたから、ちょっと意見を貰おう」くらいの軽い気持ちでやってきた。
短時間で話題を切り上げ――非定命にとっての――本題に踏み込もうと思っていたのだが、予想よりも興が乗った吸血種の頭からは本題も時間の経過も全てが吹っ飛んでいた。部屋の前では自身の配下が、良い加減に出てきてくれよと比喩表現でもなく“待てど暮らせど”の状態で控えているというのに。
「ええ……教授に一時の興を提供できたというのなら、浅学の身が認めた論文にも価値があったというものですわ」
「なに、卑下することはないぞ卿。しかし、ここまでの才を持ちながらにして世に埋もれていたのは実に不思議だ」
やっと終わりが見えてきたなと安堵するアグリッピナの安堵を裏切るように、公は手元の論文をかき集めてうっとりと見る者さえ陶酔させる美貌でタイトルをなぞった。
「魔導効果に基づく熱量の散逸と増大の相関関係、空間系術式において発生しうる第五公理の矛盾と非公理的概念の提唱、空間縮退仮説と膨張仮説の魔導理論上における非矛盾併存性……すべて論壇で数多の学徒が人生を賭して研究するに値するテーマ。これが小論止まりだというのがあまりに、あまりに惜しい」
熱の入った吐息は最早性的興奮すら生ぬるくなるほど吸血種の頭を茹だらせていた。空気の変化に外道は「あっ、これあかんやつや」と直感し、反射的に空間遷移術式を練って離脱を試みる。
しかし、それは数秒ばかし遅かったようだ。
「これも何かの縁、我の名前で貴公をしっかり教授会に推しておくから安心するが良い! 外国貴族の息女ということで苦労したに違いないが、もう心配はいらぬ! 三皇統家の一角、エールストライヒが卿を支援するのだから。この無粋な肩書きも、こんな時ばかりは役に立つものだ!」
外道は何かがガラガラと音を立てて崩れるような幻聴を聞いた。
それもこれも、研究者という身分は外道が意図して留まっているからだ。
教授のような面倒な講義の義務を負わず、誰かについていれば閥を作ることも近づくこととも無関係で、さりとて聴講生と異なり十分な研究や実験を執り行う権利もあれば、書庫の閲覧申請も通りやすいとくれば、研究者とは実家の資金力さえあるなら一番よい塩梅で研究に没頭できる身分なのだ。
名誉は要らない。金は今更。栄達なんて以ての外。そんな外道だったからこそ、普通ならば論壇に引っ立てられて相応の位に押し込められねばならぬ力量でありながら、生命礼賛主義者をのらりくらりと躱してのんびりしていたというのに……。
「いや、これだけの実力者を狭い論壇に押し込めておくのは惜しいな……どうせなら我が娘の補佐……大臣……」
物騒極まる、一体何台の横車を無理押しするのか想像も付かない発想を聞き、外道の脳裏に更なる物騒な発想が一瞬浮かんだ。
コイツを殺して逐電したら、全部なかったことにならないだろうかと。
ならないだろうなぁ、なるまいなぁ……と細やかな理性が諦念に呻き、アグリッピナは生命礼賛主義を拗らせた死霊の嘲笑を幻視した…………。
【Tips】普通、研究者は論壇でセンセーショナルな研究テーマをぶち上げ、誰しもが興味を持って読み解こうと躍起になる論文を書くことを夢見るが、それは注目されねば教授会への推挙もあり得ないからである。逆を返せば、研究成果を隠し続ければ地位に留まり続けることもできた訳だが……。
色々忙しく残業後に体力が持たなくて更新が途切れてしまいましたが、なんとか生きています。
導入用NPCが別の導入の都合で酷い目に遭わされてPCに泣きついてくるのもTRPGのお約束。いつもの名探偵だってAPPが18くらいありそうな胡散臭いイケメンにはどうしようもないのです。
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