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少年期 一三才の秋 十五

 師は常々仰った。多少の無理を通すのはともかく、無茶をしてはいけないと。


 無理は魔導師の領分だからいいらしい。枝から落ちた林檎を天に跳ね上げ、濡れた地面に投げた球を転がさず、火で炙られた紙が凍り付く。法則をねじ曲げる、世界に対して無理を強い、我を通すのが僕らの本分だから。


 でも、無茶はいけない。世界そのものをねじ曲げすぎれば、反動に自分が蝕まれるし、ともすれば使徒を差し向けられる危険性もある。


 また、無茶をして自分の実力を越える術式を練ったなら、その身に返る反動はあまりに大きな物となるのだから。高度な術式であれ、枯渇した魔力を捻り出すのであれ……。


 ただ、それをして得られる物が多ければ、僕は無茶をして無理を通すのもいいと思う。


 いや、得られる物によっては、そうすべきでさえあるとさえ。


 「友よ……僕は君を守るよ」


 酷い頭痛に苛まれ、乱れる思考と微かな魔力を削り術式を行使する。視界が真っ赤に染まり、鼻腔が何かに冒されて詰まった。多分、無理の反動で血管が切れてしまったみたいだ。伽藍に反響する嫌にうるさい水音は、僕の耳からも出血しているからだろう。


 しかし、僕の色々な物を代価に生み出された術式は、命という燃料の割にささやかな拍車に過ぎなかった。口語詠唱の支援もないし、元々疲弊した僕にできることなんて高が知れている。


 精々、壁から垂れ下がった無数の蜘蛛の巣を瞬間的に何倍もの太さにすることくらいだ。


 蜘蛛の糸の強度は三重帝国において最も秀でたワイヤーとして知られているほど高い。営巣する蜘蛛人の糸は、職工が心血注いだ橋梁用の鋼線が一本の絹糸に思えるほど頑強で、それで紡いだ服は鎧に等しい頑強さ。


 なら、儚い蜘蛛糸であっても太さを足してやれば、剣速を緩めるくらいはしてくれるはず。


 天井に張り付いているだけの糸に剣を絡め取るほどの効果は期待できないし、刃物を切り飛ばす鋭さの刃に何処まで抗えるかは分からない。だけど、やる価値はあると思った。自分の命と今後を賭けるだけの価値が。


 ことり、何かを置き直す音が聞こえたような気がした。


 そして、目頭からも滲みはじめた血で歪んだ視界の向こうで……友が仕果たした。


 ああ、やっぱり彼は格好いいな。血だらけでボロボロだけど、ああなっても折れない心が格好いい。


 もっと見ていたいけど、そろそろ限界のようだ。視界が揺れる。頭に紐を付けられて、無茶苦茶に振り回されているようだ。


 それでもよかった。彼が勝てて…………。












【Tips】時に枯渇した魔力を精神と肉体の負荷で捻り出せることもある。ただし、相応のリスクは伴う。












 リソースをギリギリまで使い果たし、仲間が生命判定まで行き、最後に転がるサイコロの出目で勝敗が決するような戦いが大好きだった。


 それはいつだって心を沸き立たせ、終わった後も盛り上がれるよい展開だから。GMは生かさず殺さず、致命傷の一歩手前で敗れるのが仕事。そんなシナリオと戦闘の後は、直ぐにでも続きがやりたくなる、もしくは新しいシナリオに繰り出したくなるくらいだったのに……。


 もう二度とごめんだ。


 激戦の末、出てきた感想はその一言に尽きた。


 送り狼を杖にして漸く立っている私の前で、五体をバラされた動死体が沈黙していた。剣を再度取り上げられてはたまらないので、最後の体力を使って連撃を繰り出し、やっとのことで解体し尽くしたのだ。


 顎を伝って汗と一緒に血が落ちて行く。筋肉と関節が後先考えぬ酷使に悲鳴を上げ、魔力を捻り尽くした頭がギリギリ痛んだ。頭の中に鉄工所が建てられ、全力で旋盤だの何だのが稼働しているような頭痛が鳴り止まない。死闘の後、PC達はいつもこんな感じだったのだろうか。シーン切り替えだけで処理していたのが、何だか悪い気がしてきた。


 「ミカ……」


 昏倒している友の元へ、這うような速度で歩み寄る。私の命は彼のおかげで助かったようなものだ。彼の練った術式が如何様な物か把握していないが、剣速を鈍らせたのは彼に違いない。体中の穴から血を流しながら魔力を捻出し、最後まで一緒に戦ってくれたのだ。


 なんとか彼の下に辿り着き、祈るように確かめれば息はまだあった。浅く深い呼吸を繰り返し、胸に耳を寄せても奇妙な水音などはしない。呼吸器に血液が入り込んだり、重要な臓器に傷がいったりはしてないようだ。


 問題は頭だが……これは私にどうこうできる領域の話ではないな。治癒魔術はあまりに高価であるし、そもそも私が基礎理論を知らないので習得のしようがない。今こそ神の秘蹟に縋るべき場面やもしれないが、残念ながら治癒の奇跡も魔力の枯渇による障害まではカバーしてくれない。


 魔導神とかいう、魔法の守護神がいれば話は別なのだが……残念ながら世界に管理者権限で奇跡をもたらす神と、ソースコードを悪用しているに過ぎない我々魔導師の間柄は、本質的に相反するものであるため魔法を司る神は存在しないのだ。


 布で溢れた血を拭い、口に水筒から水を注げば力なく嚥下してくれる。かなりキツそうではあるが、命に別状はないのだろうか。いや、だとしても専門の癒者――治療に関する魔術や魔法で生計を立てる者――に見せた方が良いだろう。脳の中で出血なんぞしていた日には、後悔してもしきれないことになるのだから。


 だが……私も限界だ。横たわる友の隣に座り込み、水筒の水を大きく呷る。ああ、戦闘中にたらふく飲んでやると決めていたが、これほどに美味いとは。生きていて本当に良かった、そう実感できる味だった。


 空気を吸うように水を飲み、革袋の最後の一滴まで絞り出して漸く人心地ついた。体の芯から力が抜け、全体が真綿でつつまれたようなふわっとした感覚がある。暫く休まねば動くのは難しそうだな。


 そうだ、体力が戻ったら担架を作ろう。その辺の木と服を使えば、私の木工技術があれば簡単にでっちあげられるだろう。それにミカを乗せれば頭を揺らさずに済むはず。冒険は行ったきりじゃなくて、帰りのことも考えてやらなければ。


 ……しかし、あの剣をどうしたものかね。


 見れば、討ち果たした黒の剣は未だ床に転がっていた。まんじりともせず、鳴き出すようなこともなく普通の剣のように大人しい。


 だが、この魔宮が崩壊していないということは、まだ何か企んでいるのだろうか。それこそ“次の担い手を抱え込む”ようなことを……。


 そして、私はフラグという言葉を思い出すことになる。誰が言ったのだったか、ヒトが想像しうる全ての悪いことは実現しうると。


 あまりに悲観主義が過ぎる言葉だが、それは紛れもない事実。


 不意に剣が震えを帯びたかと思えば、なんと独りでに虚空へ舞い上がったではないか。そして、小刻みに震えたまま……何か絶大な思念を放った。


 強大な思念、口を開くのを面倒くさがったアグリッピナ氏や、神殿に祈りに行った時に時折感じる託宣と似ているが、あまりに悍ましすぎる思念。言語化し得ない大きすぎる生の感情が脳に叩き付けられ、胃が雑巾の如く絞り上げられる。


 吐き気を催すほど強いそれは、強いて言うなら“愛”であろうか。ヒトの精神を削る愛の言葉をばらまきながら、剣は飛翔した。無論、私めがけて。


 「ああああああ!?」


 絶叫と悲鳴が限界が来たと思っていた口から漏れ、私は反射的に術式を練っていた。もう殆ど残っていない魔力が枯れ、正気と脳味噌が物理的に削れるような痛みを代償として世界が歪む。致死の速度でカッ跳んでくる剣を受け容れる包容は、私の肉によってではなく虚空に口を開けた“いずこともしらぬ場所”へ続く門が受け止めた。


 空間遷移による絶対防御、どこにも辿り着かないであろう世界の解れに剣は呑み込まれて消える。


 や、やばかった……。


 ずりずりと壁伝いに背中を落としながら、私は瞬間的な判断が間に合ったことに感謝する。今になって思えば、あれ切っ先ではなく“柄”の方を向けてカッ飛んで来ていたような気がするのだ。


 つまりは、自分の前の主を打ち倒したのだから使えよってことか? いやいや、勘弁願うぞ、既に愛が重いのは幼なじみでお腹一杯なのに、ヤンデレ臭い厄物まで仲間入りとか罰ゲームにも程があるだろう。


 別に伝説の聖剣がどうだとか、自我を持つ名刀とか、ヒトに化けることができる魔剣みたいな高望みはしないさ。でももっとこう……もうちょっとヒロイックな剣にしてくれ!


 内心の叫びに呼応してか、一拍遅れて無理な術式の反動がやってきた。小刻みに間断なく襲い来る頭痛は、頭部をミンサーで粉々にされるかのような責め苦。元々底をついていた魔力に消費の大きい空間遷移障壁という無茶が祟ったらしい。


 世界が回っている。ぐるぐると歪み、溶けるような……いや、これは錯覚ではない? 魔宮が崩壊しようとしているのか? 背を預けていた壁が融解し、体が倒れ込むのが分かった。柔らかく、鉄錆の臭いがする何かに鼻先が埋まった。


 気味の悪い軋み、何かが壊れる怖気のする音に混じって耳に響くのは……鼓動だ。心臓の緩やかなれど確かな拍動。私以外にここに居る人間はミカ一人。ああ、怪我人の胸に頭を預ける形になってしまったのか。


 だが、動いて退いてやることもできない。体がちぃとも言うことを聞かないし、本当に中身を攪拌されているみたいな気持ち悪さで思考さえも纏まらなくなってきた。


 ああ、もう、ほんと今回は散々だな…………。












【Tips】魔宮は核の消失に伴って消滅し、元の形へ戻って行く。魔宮が原因となって起こった異常を呑み込み、歪んだ世界が元に戻る反動で全ての物は消え失せる。後に残るは、魔宮を制した勇者達ばかりだ。












 「……知らない天井だ」


 何度か繰り返したネタは陳腐ではあるものの、逆にやらないと落ち着かなくなるから困る。


 未だ鈍痛と頭痛がのさばる体に鞭を打って上体を起こせば、そこは手狭な小屋の中であった。


 木組みの小屋は時代を感じさせる朽ち方をしており、取り残された寝台や暖炉、簡素な文机から持ち主の質素な性質が見て取れた。


 どうやら私の予想は間違っていなかったらしい。あの魔宮はかつて名が知れた冒険者の庵が変容した物で、その核は冒険者が愛用していたであろう悍ましい剣。そして、剣を抱えていた痩身の木乃伊こそが庵の主……。


 文机の上に遺された、手記の筆者だったのだ。


 「……いや、その前にやることがあるか」


 酷く痛む頭を押さえながら、私はすぐ隣で転がっていた友に視線をやった。まだまだ目覚める様子はないので、とりあえず床に寝かせておくのも体に良くないだろうから寝床を貸して貰うとしよう。見たところ、古びてはいるが寝転がっただけで倒壊するほど劣化しているようではないし。


 幸い、周囲に敵の気配はない。どこかの毎度東京が酷い目に遭うシステムの如く、ボスを斃しても雑魚敵が消えず帰りにも地獄を見る仕様ではなかったようだ。迷宮の倒壊に巻き込まれたのか、あれほど私達を追い立てた死者の気配は完全に失せている。


 ともあれ、一息入れて休めるのはありがたい話だ。私は友を抱き上げ――流石に<見えざる手>を使う余力は無い――寝台に横たえた。やっぱり華奢だなとか、びっくりするほど軽いなとかの雑念、そして私も隣で横になりたいという欲望を振り払い、文机に備えられた椅子に体を投げ出した。気配を感じていないだけで、死体まで一緒に消えたとは限らないからな。最後まで油断はできない。


 さしあたって、友が目覚めて交代して貰えるまでは頑張ろう。


 さて、それまでは……冒険の目的物もあることだし、クエストの達成を噛み締めながら休むとするか。クエストアイテムとして提供する前に一回くらい読んだってバチはあたるまいよ。


 私は古ぼけた手記を手にし、言い知れぬ達成感と充足感が重みに姿を変えて手の内に収まっているように感じた。


 私達は勝利したのだ。目的を果たし、そして生き延びた。


 言葉にすればたった一回のセッション、いつか記憶に埋もれ、何の成長に使ったかも分からなくなってしまう一握の経験点に過ぎないのかもしれない。


 だが、この達成感は本物だ。ついさっき、二度と御免だと思った激戦も、この感慨のためなら悪くないと思えてくるから不思議なものだ。本当、人間というやつは喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうのだなぁ。呑み込んだ熱湯が、胃を荒らしてしまうことも忘れて。


 ま、いいさ。仏陀でも自分の偉業にはかなりの時間を悦に入って過ごしたのだ。俗物で物欲に弱い私が多少自己陶酔したところで、人間という有り様から大きく外れるわけでもない。


 この瞬間を堪能しようじゃないか。傷を名誉と思うなら、この疼痛と頭痛は酒のアテみたいなもんだ…………。












【Tips】正しく修正された魔宮の跡地は、元の形質を取り戻す。忌み地が永い時間をかけて変容したものにせよ、呪物が何らかの切っ掛けで暴走した物にせよ…………。

予約投稿に失敗しておりました……。


エンディング処理が始まり、次回から報酬や話が動き始めます。

そして、それが終われば少年編最後のエピソードに入ります。

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― 新着の感想 ―
ただの情報をご所望なら勉強でもしてろ
せっかちだねぇ〜、面白くないならまだしもちゃんと面白いんだから長さを楽しもうぜ 心の動きや達成感の描写がなければ思ったよりも面白くなくなるぞ? ↓
[一言] 話がぜんぜん進んでない…。 前話 = 戦闘終了 今話 = 剣が飛んできた!防いだ! 終わり いくらなんでも冗長が過ぎる。
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