青年期 二一歳の冬 十三
ライン三重帝国は様々な規範が緩い。
それが寛容な神群に見守られているからか、多種族が入り乱れる国家故に引き締めると無理が出るからか、はたまた経済の発展による退廃の一種なのかは分からないが、どうあれ異種族性愛、同性愛におおらかだった。
マルギットは焦がれる獲物がいなければ、もしかしたら自分はどっちでもイケたんじゃないだろうかと寝ぼけた頭で取り留めのない思考を繰る。
遮光の紗幕――エーリヒ曰く狙撃防止――のせいで、遅い目覚めを迎えた蜘蛛人は朝日を拝むことは適わなかったが、自分の提案で設置された二人から三人寝そべっても余裕のある寝台の上では、ある意味で登る朝日よりも貴重な物が見られた。
腹を大きく曝け出し、肩口の切れ込みも際どい狩人の夜着……ではない。
眠る時さえ清楚さを醸していそうな令嬢が、あられもない姿で眠っていた。
久方ぶりの真面な寝台だったからだろうか。後頭部が枕に埋もれるやいなや、眠りに落ちた吸血種が晒す寝姿は同性であっても鼓動が速くなりそうなしどけなさ。
あまり寝相が良くないのか、寝る前に束ねてやった髪が解けて艶っぽく広がり、半開きの口から覗く牙も相まって実に妖しい美しさを醸し出していた。
着ているのは締め付けの少ない娘衣装だからか、だらしないとまでは行かないが開かれた足が片方立てられているせいで、蠱惑的に青白い肌が裾から腿の半ばまで顔を出している。
殿方には見せられませんわね、と内心でくすりと笑い、彼女は一瞬ではあるがあらぬ考えを抱かせた新しい友人に毛布をかけなおしてやった。
意識していないが故の飾らない美しさと、大人になりきっていない危うい成長。至り、未だ至らぬことが作り出す美に焦がれ、若い命を礼賛しているのだと言い訳をする人々のことが少しだけ分かるような気がした。
ともあれ、この眠りの深さならば、再び陽が沈んで彼女の崇める慈母が顔を出すまで起きることもなさそうだと考え、マルギットは手早く身繕いを済ませる。
部屋に設えられた姿見で二つ括りにした髪が可愛らしく均等に括れているかを確かめていると、隣室に気配がやってくる。
二つ。一つは習性になるくらい静かな足取りと気配を殺すことを身に刻んだ相方の物。
もう一つは、喧しい程ではないものの巨体故の、何より身を隠す必要などないという自負が生む強者の足音を伴っている。
連れ合いが連れてきた気配に狩人は覚えがあった。
下積み時代。何を好き好んでか貧乏生活をしたがったエーリヒが寝床に選んだお宿の若旦那様ではないか。
何故彼が? と考えたところで、直ぐに然もありなんと思い直す。
無肢竜退治の偉業が未だ褪せず詠われる聖者は、何を隠そう陽導神の僧ではないか。
マルギットは奇跡にも神にも興味が薄いので相方からの受け売りに過ぎないが、僧とは高位になればなる程、自身が崇める神から具体的な託宣が下るという。
ならば、下等とは言えど亜竜を単身で狩るような寵愛篤き僧にお声が掛かっていない道理もなし。
まだ夜陰神の乙女がここで寝こけていることが陽導神に割れていないとするならば、何かしらの騒動が好きな人の悪い神が悪戯心でも出したのであろう。
「はぁ、あの子はまったく……」
全ては巡り合わせだとしても、狩人の相方は色々と惹き付けすぎる。普通の人間ならば、もうちょっとのんびりとした人生を送るものだろう。
それこそ本人はそんなもの書かないと言うだろうが、自伝を認める時に「何を一番の山場にすりゃいいんだ……?」と自分で首を傾げねばならないだけのヤマに何度もぶち当たるのはおかしいのだ。
むしろ、盛ったり大げさに語るのが好きな詩人共が取材に来て「それ本当に一年で起きたことなんです?」と話を削ろうとする時点で大概であろうに。
身繕いの仕上げとして最低限の寸鉄を懐に呑みながら、マルギットは安らかに眠る僧を見て苦笑する。
きっと、一度寝て起きただけで事態が何転もしていて驚くだろうなと…………。
【Tips】帝国の人々は国家という大きな枠に収まっているものの、画一的な仕切りを入れるには枠が大きすぎる。
「随分なお目覚めだったようですわね?」
「ああ……おはよう、マルギット」
起き抜けに凄いドッキリを喰らった朝でも、我が相方の愛らしさは変わらない。それだけが唯一の救いだった。
「お久しぶりですわ、若旦那さま」
「壮健そうでなによりだよ、マルギット。君と顔を合わせるのは夏以来だったね」
「ええ。そこのお方のおかげで、毎日忙しく駆け回っておりますので」
くすくすと耳に心地好い笑いを引き連れて定位置にぶら下がってくる彼女をそのままに、私は隠す相手でもないので魔法を使って手早く茶の支度をした。
遠慮なく、とは言われているものの、割と派手に動いたからお茶で口を湿らせたいのだ。
「何度見ても便利だね、魔法は。ただお茶を沸かすだけで奇跡を希う訳にもいかないし、時折その自由さが羨ましくなるよ」
応接用の長椅子へ静かに巨体を下ろす聖者の言葉が妙に疲れて聞こえたのは、気のせいではないだろう。
如何に敬愛し、信仰している神の頼みとはいえ……初恋にのぼせ上がった孫の恋路の手伝いをさせられるハメになるなんて思いもしていなかっただろうからな。
神様が一番自由に振る舞っているのに、その力の一端の自由に使えず、時に振り回される僧籍というのも厄介なものなのだろう。
魔導師相手に同じ愚痴を漏らしたならば、祈って身を捧げるだけで世界の法則を合法的に書き換えられるんだから贅沢言うな、と言葉でボッコボコにされそうではあるけれど。
簡単にやっているように見えて、魔導も奇跡も苦労が多い。
「それで……率直にお伺いいたしますが」
「敗者の口は何よりも滑らかだよ。飾らず聞いてくれ」
お茶を啜りながらの一言にマルギットが驚愕の目を向けてきたので、慌てて手を振って否定しておいた。マジですの? と墨で額に書いたような驚き方だが、あんな小手調べで本気で勝ったというのは矜恃から外れる。
少なくとも、私が考える冒険者の全力とは、武装込み、一党込みでかち合って本気で殺し合うことだ。PC一人でエネミーを倒せるようではシナリオが成立しない。そりゃ、たまに一人で遊べるようにした特殊なサプリメントやGMとタイマンでやることもあったが、我々は基本的に〝群れ〟で戦う生き物なのだから。
全員が揃ってこその万全であり本来の性能。
……いや、たまにトチって途中でキャラ紙を没収されるヤツが出てきたり、何を思ったか隠された使命もないのに敵側について来るヤツもいたけどさ。その辺りのはヘンダーソンスケールが高くなりすぎた例外ということにしておこう。
個人行動、駄目、ゼッタイ。
「陽導神からの指図……がいらした一番の理由でしょうけど、何故ここが分かったのですか?」
「朝来の際に神託が来てね。狼の顎に月の欠片が引っかかっていると。無論、我が神のお声ではなかった」
フィデリオ氏曰く、神託にも人間の声のように違いがあるようで、分かる人間には分かるそうだ。神々の間では信仰に篤く、使い勝手の良い信徒を融通する――ちょっと言い方が悪いやもしれん――ことは珍しくない。フィデリオ氏自身も他の神の声を聞いたことがあるが、今回は初めて聞く声だったらしい。
「陽導神は良くも悪くも最高神であらせられる。だから他人の声音を使ってまで、隠してコトを運ぶ必要はないから、間違いなく他の神だと断言できるよ」
裏に自分の女遊びが隠れていたら、断言したところは取り下げるけれど、と一言添えられてしまう最高神とは一体。
だが、ここで我が神はそんなことしない! と勝手な理想を押しつけないからこそ、フィデリオ氏が高僧になれたのか。理解度が高いファンというのは、いつの時代もありがたい存在だからな。
「陽導神からの託宣があったのは、随分と前のことだよ。アールヴァク様が見初めた女子がいるので、近くにいたらよしなに程度の軽い伝言がね」
「ということは、彼女を積極的に探していらした訳ではない、と」
「言ったろう? 信徒としての体面という物がある。それに僕は一度アールヴァク様にお目通り適ったことがあるのさ」
え? まさかのそこ、コネクション繋がってたんですか?
いっそ作為的なまでに奇遇な、と感じたが、アールヴァクの聖堂があるスヴォルは陽導神聖地の一つであるからおかしくはないか。子猫の転た寝亭で下宿していた頃、マルスハイムに根を下ろす前は巡礼もしていたと思い出話に聞いていたじゃないか。
今も尚、血が濃い落とし子がいる聖地とあれば、訪ねていても不思議ではない。
「尊敬できるお方だったが……たった一刻の説教でも、ちょっと思い込みの強い方だなぁ……という印象を受けたのでね」
「それはよっぽどなのでは?」
「私が思うに陽導神は既に赦しを与えておいでなのに、地上に償いとして踏みとどまっているのだから、君が言うとおりによっぽどさ」
そして、困ったことに本人が自罰的で良い人だからこそ、周りも言い出せないのがね。そう嘆息して僧は肩を竦めた。
主観で生きている生物にとって、納得とは全てに優先するとはよくいったもんである。
「何か行き違いがあるんじゃないかな、と思って事件が大きくなる前に話をしたかった。ただ、後で僕が神託を受けていたのに見過ごしていたとお聞きになったら、陽導神も気を悪くなされるだろうからね」
「大変ですね」
「いいや、これが倣い敬うという生き方だ。言われたことを黙ってするのではなく、誤りを正すのも信徒の仕事の一つだよ」
本当に徳の高いお方である。聖典に書いてあるからと、何も考えないで行動した結果、歴史に散々な爪痕を残した連中に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
実際、かなり勇気が要る行動だろうに。同じ人間に過ぎない上司相手でさえ恐ろしい行動なのに、本当に神に倣って善く生き、能くなろうとするからこそできる献身。
「しかし、君には僕の保身で随分と骨折りな思いをさせてしまったね」
「お気になさらないでください。信仰の有り様、そして大変さは世俗の人間なりに分かっています」
それと、実際に骨が折れた人が言うことじゃないと思うんだ。
個人としては、面白半分で下されたに近い託宣でも深く考え、何も考えない本気のカチコミをしてこない時点でとても良い人だ。
何せこちとら神のご意志に背いている側でもある。大義名分という点においては、ぶっちゃけ会館に火ぃつけられたって大きくでられない身分なのだから。
斯く斯く然々。言葉では一言で済むが、事情の混雑さからかなりの時間を要した説明を終えると、聖者は顎に手をやってふうむと唸った。
「なるほど、これはたしかに厄介だ。そして、僕が短慮に出なくてよかったと改めて思える」
「因みにですが、もし私が知り合いでなかったら?」
「その場合は流石に無条件で神託が勝つかな。アールヴァク様の婚約者を不逞氏族が掻っ攫ったと思えるような構図だし、即日具足を纏ってはせ参じるさ。丁度、冬は閑散期だからヘンゼル達も無聊を託っていただろうから、連れていったかもしれない」
コネクションは偉大。本当に偉大。使い所を間違えたら破滅するが、持っていたら大いなる勘違いを防いでくれる。
私も割と強くなったと思うが、勢揃いしたフィデリオ氏の一党と殴り合うのは嫌だよ。大事に育成している剣友会の面々が、ただの端役みたいに吹っ飛ばされる様は見たくない。何より、世界救っちゃったりする系シナリオに挑むような英雄ユニットとガチンコは、まだ早いと思うんだ。
強い人からも軽く扱われず、ちゃんと立場を構築していて心から安堵する日が来ようとは。
話を聞いて貰うというのは当たり前のようであって、実は割と難しいことなのだ。私だって、急に知り合いでもない人から「世界の危機なんです!」と助力を請われたとしても鵜呑みにはしないし、場合によっては門衛に追っ払わせる。
市井からの又聞き程度で知られるだけでも価値はあるが、知己ともなればより強力。向こうから、彼なら違うだろうと考えて手を打ってくれる有り難さといったらないね。
一歩間違えたらこっちが壮大な冒険の悪党だ。日々の行いは身を助ける、とはよく言ったものである。
「しかし……アールヴァク様か……相手が悪いな。迂遠に手助けすることはできても、正面切って喧嘩に加わる訳にはいかないからなぁ」
「それはそうでしょうね」
しかし、最悪は回避されたけれど、結局相手する伝説的なユニットが一人から二人に増えずに済んだだけで、難事が解決した訳でもないのが何とも言い難かった。
結局、二世代目の落とし子でもかなり強大な相手であることは変わらない。少なくとも脳死で特攻したら、GMが溜息を吐いてサイコロも振らせずにキャラ紙を没収してくるような手合いである。
肌身で力量を感じなくても分かるのだ。
人生経験上、こんなに話が大きくなったら、心配のし過ぎでしたね、と皆でやり過ぎた準備を笑って片付けた例しがないのだから。
振り返って見ればいい。奉公先から実家に帰るだけで、一体何度送り狼の刃を血で染めることになったのか。ただの稀覯書を買い求めに行くお遣いで、二つも厄い代物に出会ったりもした。
拍子抜けで終わるような陳腐なセッションを用意してくるような運の巡り合わせをしていたら、私は今の半分も熟練度を積み上げられているまいて。
が、しかし、専門家の助けを受けられるだけで難易度はかなり違ってくる。
行き当たりばったり、常に本番で予備情報なしよりずっとやりやすい。
「となると搦め手だが、夜に相手をすれば済む程度の問題でもなし……ん? いや、待てよ、そうか、今は冬か」
今日は何日だったかな、と聞かれたので答えてみれば、彼は少し道が開けたかもしれないと笑う。
「僕は流石に夜陰神の祭祀にまでは詳しくないが、正しく巡り合わせやもしれないね」
「季節が何か関係がおありで?」
「冬至祭だ」
「あっ」
ライン三重帝国では天文学が盛んだ。未だ天文は魔導の領域が及ばない神々の世界の話であり、熱心に研究しているのは一部の魔導師を除けば僧会が大半である。
というのも、夫婦神が天体の運行が合一することによって時間を司ることもあり、星々の瞬きと合わさって〝神々のご機嫌伺い〟にもなるからだ。
夜空に燦めく星々、その中でも輝きの激しい遠くの惑星や恒星は、鉄火神や水潮神など地上の神格とも結びつけられており、光の勢いや陰りによって意図を察することに通ずる。
つまり、天文が秀でることによって、この国では正確な夏至や冬至の日が判明しており、夫婦神それぞれの力が最も強まる日と認識されている。
「……待ってくださいよ、今の月の更け方は」
「折しも今年は冬至が満月と重なる太陰祭だ。夜陰神神殿では厳粛に祈りを捧げることになっている。市井では大仰に祝うことはないけどね」
相対的に陽導神の力が弱まる日が近い。
だが、それだとしても落とし子が人の領域にまで落ちてくるかと言われれば微妙だが。
「なに、僕も力が弱まれば物理的に説得できるだろうと楽観している訳じゃないさ。そもそも、それだと勝ったとしても剣友会に遺恨が残ろう」
「真正面から正々堂々行っても、避けられませんかね?」
「落とし子の独走ならまだしも、陽導神が託宣を下してしまうとね……人の力で人の運命を変えたと形容すれば聞こえは良いが、僧会の意に頑として否を突きつけた形でもあるから」
アールヴァク本人が納得したとしても、関わった人間が聖堂から敵視されるのは避けられないか。最悪、私個人でやったとしても剣友会全体の評判が落ちることも十分に考え得る。
「では、信仰者として助言をいただけませんか? 何か丸く収まる方法は……」
ならば、秘技、コネクションを通じてGMから解答を貰う!!
冗談はさておき、僧会の内部事情に通じている人の力を借りれば何とかなるだろうと思ったのだ。
問いかけにフィデリオ氏は少し悩んだ後、かなりの横紙を破ることになるけれど、覚悟はあるかい? と仰った…………。
【Tips】ライン三重帝国で市井の民まで祝う祝祭は地域によってまちまちであり、新年を盛大に祝う地域もあれば、年末を祝う地域もあり、余裕のない農村であれば春と秋の豊穣神祝祭のみということも珍しくない。
本日はヘンダーソン氏の福音を コミカライズ版4話の更新日ですよ!
告知を兼ねての更新です。
コミックウォーカー他、ニコニコ静画などで公開されているので是非どうぞ!!




