青年期 十八歳の晩春 七九
思念によって交わされる会話の伝達速度は、人が口を動かして行われるそれを凌駕する。
圧縮されて万言を軽く上回ってしまった密度の謝罪に対して、ただ一言「君は全力を尽くしたのだ」と労い、許しを与える思念を投げかけた後に教授達は力なく笑った。
この筐体に乗り移るのが些か遅かったようだと。
とはいえ、遅かった遅くなかったかは結果論に過ぎない。様子を見て弟子が勝てそうであればよいのだが、と暢気すぎることを考えていた三人が悪い。たとえ不完全であっても、通常の人間であれば一〇〇でも二〇〇でも圧倒できる虎嬢が出張るのだと油断していた自分達の責を棚上げして弟子を誹ることがどうしてできようか。
虎嬢は崩壊するほどではないが、機能の殆どが不全に陥る程まで破壊されていた。
全ては、働くはずであった防護機能が十全に使われていなかったからである。
最大七重の恒常的に張り巡らせることができる抗物理結界は、障壁の発振機構を破壊されて展開不能。複数の薬液を混合することによって噴出させられる、〝肉を分解する霧〟は各所の配管が断裂して精製することができずに使用不可。
馬より早く駆けることが能う抗重力術式に依る飛行も不安定となっており、マーガレットがどうにかこうにか治癒能力を飛行制御に回して維持するので手一杯。攻撃が届かなくなる高高度まで飛び上がり、一方的に嬲る戦法も実質的に死んでいた。
そして、かなり力を入れていた自己修復機能も、破壊されすぎたせいで魔法を通す経路の多くが断絶しており性能は一割も発揮できていない。これが無事であれば、五分も時間を稼げば万全に復帰することができようと、魔法を行き渡らせること自体が困難とあればあってなきような物だ。
基幹部分は生きているものの、真面に扱える武器といえば主砲と近接攻撃手段が二つだけ。設計者であり、全力で稼働した際の恐ろしさを知る二人にとって、正しく遅すぎたという他ない状態であった。
搭載する魂の調達と調整に難航しており、制御機構が完成していなかったものの、筐体自体は既に完成していたのだから、これはあまりに勿体ない。
とはいえ、魂一人分では動かすだけでも大変な動死体を曲がりなりにも起動した弟子は、褒められこそ叱られるべきではない。戦闘行動に最低限必要な炉の制御、飛行術式の行使、そして比較的負荷が少ない武装を運用できた時点で殊勲賞ものであるのだから。
『これは参ったね、メグ。さて、どうしたものか』
『そうね、アンリ。中々やるわ、あの子達。魔導院の枝もいるみたいだし……小職達はとことん運に見放されたようね。我等が主神と同様に』
入り込んだ動死体は斯様な状況にあっても、やはり〝三人ぽっち〟で最前線をひた走る教授陣と並ぶ実力者は、殆ど完全に破綻した状況を持ち直しつつあった。壊れた経路を迂回して繋ぎ、破損した機能を落として別に出力を回して誤魔化し、今にも崩壊しそうな機能を繋ぎ止める。実質的な死に近い状況にあろうと彼等に神託を下した神と同じく、諦めることをせず。
最早、元の三人に戻ることは適わなくとも。勝利を掴んだとしても、歪んだ筐体へ留まり続けることになろうとも、残った一人の友を護るために。
『ボクが筐体の基本制御をやろう。メグ、手間だが内部の修復をお願いするよ。無理に撃ったせいで主砲周りの制御がおかしい』
『任されたわ。基底現実時間で呼吸三十回分くらいで修復する……さぁ、そろそろ泣き止んでちょうだい。鏡面飛翔体の制御をお願いできる?』
『はい……はい……我が師よ、仰せのままに』
『貴方が悪い訳ではないわ。小職達、皆の運が悪かった……あるいは、他の神々の呪いが強かっただけよ』
『運とはまこと、神々が我々に下した呪いのようなものさ。なら、クソッタレと呟いて唾を吐きながら抗おうじゃないか。連綿たる妥協なき夢の果てにこそ、大いなる虚空の加護ぞあると信じて』
立て直された動死体は苛烈に冒険者達を襲った。一本が髪の毛よりも細い魔導合金を撚って作った鋼の鞭を指よりも繊細にのた打たせ、同様に魔導合金にて構築した頑強なる三角錐を縦横に飛び回させる。
幾度も敵を打ち据えたが、脆い脆い定命の、それも肉体を改造などしていない常人ばかりだというのに誰一人逃げはしない。この露悪趣味が過ぎる外見、見るだけで悍ましさを感じ戦意が萎えるよう敢えて美しくも哀しく、そして醜く造った豹嬢や虎嬢に一歩も退かぬ時点で分かっていたが並の手合いではなかった。
単なる蛮勇に駆られた阿呆でもなければ、絶対的な死を前にして半狂乱に陥り戦闘を選んだ軟弱者でもない。
あれらは、勝ち目があると分かって立ち向かってくる勇者だ。
『さて、誰からの差し金だろうねメグ』
『さぁ、誰かしら。今更中天派の日和見が送るにしては半端だし、極夜派にしては普通過ぎ。我が古き同胞達の刺客というには生温い。彼等が私達を本気で排除したがっていたなら、今頃は戦闘魔導師の一個班でも差し向けられているでしょうし』
『大事を嫌う中央の貴族共にしては迂遠で、かといって魔導院との伝手に薄い辺境伯の駒にはちと上等過ぎるかな……? 我等が末の子を護衛を抜いて討ったんだ。並の相手でないのは確実だけど……まぁ、いいさ』
『ええ、どうでもいいわね』
『『後で魂から直接聞けば良いのだから』』
平和ささえ感じる会話の中でも現実は推移し続けていた。攻撃に使っていた触腕が捕らわれ、大きく姿勢が揺らぎ主砲が空ぶった。漸く修復が済んだ主砲が無為に大地と宙を裂くに留まったのは口惜しいが、低燃費と再照射までの時間が短いのがウリだ。諦めず次を撃てば良い。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!???』
しかし、隙に打ち込まれる攻撃は一体如何なる毒を用いたかは分からないが、不死の肉体に収まった精神を酷く痛めつけた。イチイの樹液、鳥でも獣でもないものの血液、ライン三重帝国の神群に呑み込まれた小神格に捧ぐ祝詞。そこから更に幾つかの魔法的要素が足された致死毒は、死という概念を対象に付与する一種の祈祷だ。
毒を塗るのは殺意の表明。神の名を借りて毒を塗り込め、得物に射かけるのは一種の低位な奇跡に近しい。神の名を以て死を与える、とする毒は死という概念をもたない動死体でさえも生者と等しく激烈に苛んだ。
『これは……凄まじいな!! 痛いなんて感情を覚えたのは久し振りだよ!!』
『そうね、痛点は感覚器として搭載していたけど、中々に久しいわ。体を流れる血の全てがトゲになったような痛み。これを作った人間は相当の嗜虐趣味者ね。即死するでもなく、悶死するような毒を使うなんて』
それでも尋常の枠からはみ出して久しい二人には問題とはならなかった。筐体が伝達してくる苦痛など、所詮は損害報告のために残した機能に過ぎぬ。精神を蝕まれて叫びを上げ続ける弟子には悪いが、生者の魂を搭載する予定のなかった筐体に鎮痛術式などといった上等な物は常駐していないのだ。
『落ち着きたまえよ。どこまでいっても肉体の痛みは肉体だけの痛みに過ぎない……ほら、もう大丈夫。角度計算は済んだかな?』
故に師は弟子の魂と筐体間の接続を弄り、最低限の接続以外を絶った。動作面ではアンリが、魔導面ではマーガレットの制御が行き届きつつある中、最早弟子がすべきことはそう残っていないのだから。
『ひぃっ……ひぃ……痛い……し、しかし、我が師、滞りなく……』
『重畳重畳。しかし、無理をする子がいるね。君が侵食する速度を無理矢理魔力量で上回ろうなんて』
『そうね。小さくとも魔導炉を積んだ筐体……それも、不完全ながら剽窃した、彼の炉を積んでいるというのに。ほんの瞬きの間でも止めれば勝ってくれる、という信頼ありきの無茶かしら。使い魔を通している以上、無駄に流れている魔力も多いでしょうに』
『あの金髪の子は厄介だ。優先して潰したいけれど』
『焼き菓子の上に乗った苺は最後、でしょ。決まり事ですものね』
三人で一つの肉体を共有する上での決まりを冗談とした笑いを引き金とし、天を仰ぐよう拘束された動死体から光線術式が放たれた。
光の速さで夜闇を貫く光条は、夜陰神の供回りが煌めく夜空へ突き立つのではなく、温存され弟子の手によって虚空に展開されていた三角錐へと直撃する。
すると、術式によって表面に強い熱耐性を持った〝鏡面〟に光条が反射し、更に三つの三角錐を経由して冒険者の一人に襲いかかったではないか。
標的は戦場に出てくるのが珍しい巨鬼の雄性体。一体どのような経緯でここにやって来たか、二人としては多少の興味もあったが、それ以上に動きを拘束してくることが鬱陶しかったために第一優先目標として排除が決まった。
三度反射した光条は背後から地面を走りつつ、巨鬼の正中線を切り上げる軌道で迸った。凄まじい熱量を発する光線は総身を覆った鎧も柔軟な生体装甲も切り裂いて、見事な矢状面切断の標本にしたことであろう。
術式が発動するより早く、予感に従って発動した<見えざる手>で巨鬼が突き飛ばされていなければ。
「ぐぅぉぁぁぁぁぁ!?」
光条は右腕の肘から先を斬り飛ばすに留まった。成人男性のそれを二本束ねたよりも雄大な腕なれど、理論上は概念障壁さえ貫ける攻撃の前では俎上に置かれた肉と大差ない。
『おや、残念……察しが良いね、彼』
『そうね。やっぱり、魔力波長で対象を測距するのはちょっと欠陥かしら』
『察知されていようと避けきれず、防御も全て貫くが開発指標なんだから、そこにケチを付けたらアンリが怒るよ』
『だけど、反射神経を鍛えた相手か、概念的に攻撃を察知するような相手だと手を打たれて残念な結果になるわよ? さっきも一度、回避できない状況下で防御されてしまったのですし』
『遺失技術まで考慮にいれるのは……なんだ、世界が割れるような地震を想定して建物を建てるようなものじゃないかなぁ』
数えきれぬ程の腑分けを行い、数多の死者を改造してきた二人にとって敵の片腕が飛んだくらい何のこともない。まるで茶会に出てきた菓子の品評をするような暢気さで語らいつつ、学者肌の脳味噌は自然に次を考えてしまう。
そして二人は自嘲気に笑うのだ。こうなっては最早、次を考える意味などさしてあるまいに。
「たっ……かが、片腕で、巨鬼の……巨鬼の戦士が怯むかぁ!!」
高速の思考の向こうで、中々驚くべきことが起こった。片腕を斬り飛ばされた巨鬼であったが、彼は触腕を掴んだままの左手を決して離そうとはせず、そこを軸に蹈鞴を踏んで姿勢を整えたかと思えば、大きく開いた口で噛みついて再び引っ張り始めたのだ。
大気を震わせる怒号は敵に自らの健在を報せて挑発するというよりも、半ば己に言い聞かせるためのようにも響く。
彼の頭が理解して行わせた行動ではない。戦士になりたくて、戦場で見た輝かしき同胞の背に縋り付こうとして郷里を出た熱い想い。そして、鍛えてきた戦士としての本能が揺らせば敵の狙いを妨害する邪魔になると演算して体を動かしたのである。
『おお、おお、凄いものだ。流石は戦士の種族……雄性体でもこの出力か』
『良いわね、彼も。素体としてとても優秀そう。ああ、本当に惜しかったわね。こうなる前に巨鬼の雌性体が検体として手に入っていれば、もっと強靱な動死体が作れたのに』
『全くだ……竜、旧い血を引く成体の吸血種、戦士として完成した巨鬼……欲しい種族の亡骸とはとんと出会わないか、手に入る機会があっても他閥に取られる。我々はほとほと運が無いね』
揺れる筐体の中で弟子と共に鏡面の発射角を整えつつ、今となっては大昔のことに感じられる学び舎での過去を振り返る二人。まこと、思い通りにならぬ人生ばかりであった。
もしも三人が生を失わず、三つの体を持ったままであればどうだったか。一つの体になったとして、師が実験の失敗により逝かなければ、学閥内での小派閥でより優位な所の所属であれば。もしもを思わずにはいられないが、ただ無情なほど淡々と計算は進む。
『しかし、頑張っているが惜しいね』
『そうね。掠れば終わりの攻撃をまき散らすことになるとも知らないで』
再度発射された光条は、前衛達を嘲笑うように大きく迂回して後衛に襲いかかる。既に片腕を失った巨鬼は、脅威として然程でもなくなった。今は気合いで両手が揃っていた時と同じ馬鹿力を発揮しているが、それも直に大人しくなるであろう。
熱線の莫大な熱量に焼かれた傷口は出血こそしないものの、片腕が失われれば姿勢の制御がままならなくなる。沸騰した数多が時を置いて冷めてくれば、もう単なる負傷兵に過ぎぬ。
揺れる本体から発射された光条は、その振動を借りて一点を照らすのではなく標的に向かって乱舞した。反射する三角錐の鏡面を複数連結することで面積を広げれば、角度がズレようが大雑把な狙いで飛んでいく。
「糞がぁぁぁぁぁ!!」
『おやおや』
『これはお優しいこと。若い頃の二人を思い出すわね』
しかし、光の刃が掩蔽に籠もった薬師を切り刻むことはなかった。
金髪の剣士が叫びながら魔力を振り絞り、異相空間への口を開く門で庇ったからだ。
『だけど、愚かね……切り刻んでいる間に飛びかかれば、剣が届いたかもしれないのに』
『だとしても、軽く反射を弄るだけで迎撃できる。僕らの準備が整った以上、彼等も詰みさ。恐ろしかった彼の魔力も打ち止めと見える』
彼の鼻からは、鼻血が一筋垂れていた。膨大な魔力を扱い、限界が近い者に現れる魔力欠乏の症状だ。空間遷移はシュマイツァー卿でさえ扱えない大技であるため、乱発はできぬと踏んでいたが予測は正しかったようである。
『なら、さっさと終わらせてしまいましょうか。もう、光が届く限り、この場に小職達の死角は存在しないのだから』
術式が空間を奔り、天高く浮かべられた鏡面が角度を変え、威力より持続力を重視した細い細い光条が虚空の壁を離れて大地を切り刻みながら進み始めた。
最後の防御手段を失って決死の突撃を剣士が始めているが、残念ながら数秒遅い。
光の速さで突き抜けていく魔法ならば、生き残った前衛の一人と蜘蛛人の斥候を斬り倒して尚も時間が余る。
標本として残すにはどう殺すのが一番よいか思案しつつ、教授達は何人も抗えぬ光の剣を振り回した…………。
【Tips】射程:シーン・選択は大型の単体ボスの嗜みであると信じて止まないGMも多い。
死闘感を出したくて展開を伸ばすと話が進まなくなるジレンマ。




