青年期 十八歳の晩春 五五
粥なのか白湯なのか分からない程に薄い汁物は、それでも強行軍の後の身に良く染みた。
「割と美味いな」
ジークフリートは饗されたものを断るのも悪いと、見た目だけなら持ち込んでいる携行糧食の方がマシに思える粥を啜って呟いた。
「えぇ、酷い様ですが、女衆がせめてマシな風にって工夫してくれました」
感想に応えたのはヨルゴスだ。早馬の護衛としてマルギットに付き従った彼もここ数日で随分と男ぶりが上がった。青い金属質な肌には戦傷が幾重にも刻まれて錆色の瘡蓋が浮かび、革鎧には矢を引っこ抜いた疵痕まみれである。
語るまでもなく、他種より格段に頑丈な肉体を誰より危険な場所に晒し続けてきたことが分かる。城壁によじ登ってくる死体を矢の雨も厭わず叩き落とし続ける巨鬼の姿は、たとえ広く知られる同族の戦士ではなくとも人々を多いに勇気づけたことであろう。
「塩気以外にもなんつーか、脂の甘さがあるな、なんだこりゃ」
「ブタの骨です。へし折って煮ると臭いはひでぇけど好い味がでるとかで」
「ほぉん……俺ん地元じゃ牛骨を煮て汁物作るこたぁあったけど、ブタでも美味いもんなんだな」
随員の一人が薄い汁物の味に満足したのか、深く頷いて言った。
「牛潰して食うとかどんな富豪荘の出身なんだよオメェ」
「馬鹿、年に数回のご馳走に決まってんだろ。荷役の牛が駄目んなった時だけだ。肉があんま回って来ねぇから骨を煮るのさ」
塩気が強い粥もどきは、これだけは平時でも大量に備蓄した塩をこれでもかと入れてある。激しい運動で塩気を欲する体を満足させるための味付けだ。
「しかしヨルゴス、生きててよかったぜ」
「へぇ、まぁどうにかこうにかって所ですが……危ない場面も多かったもんで」
空になった粥の椀を返し、ジークフリートは自分よりも大分上背に勝る巨鬼の肩を叩いた。面倒見が良い彼は、実戦経験が豊かとは言えぬ新入りを心配していたのだ。
敢えて戦果を誇ることをヨルゴスは避けたが、彼は事実として体中に受けた戦傷に恥じぬだけの戦いをした。激戦の二日間で瞼を閉じていた時間は二時間足らずであり、狭隘な地形は巨鬼の剣だと不利と見て、借り受けた手槍や敵の死体から奪って使い潰した武器は二桁に及ぶ。
多少斬ったり突かれたりしようとも生まれ持った鋼混じりの皮膚はそうそう抜けぬと真っ先に飛び出し、背を仲間に預けて戦い続けた彼は一つの学びと諦めを得る。
結局、どれほど憧れようが焦がれた巨鬼の戦はできぬのだと。
背に帯びて旅をした巨鬼の剣では、これだけの激戦を戦え抜けなかった。武器よりも前にヨルゴス自身がその重みに負け、遂には得物のせいで討ち取られることになると、現地で調達したヒト種に合わせた丈の武器でさえ困憊する体で実感させられたのだ。
そして、その戦いの中、彼が庇った戦士からの感謝や賞賛から一つの気付きも得た。
自分は肯定されたかったのだと。戦士として戦い誰かを背に庇って守ることで。
戦士達の補助兵としてでもなく、従順なギガース部族のヨルゴスとしてでもなく、一人の男のヨルゴスとして認められたかったのだ。
その単純な、されど人生において大いなる気付きを得たヨルゴスはモッテンハイムを出る前と比べてずっと晴れやかな気持ちでいられた。
全ては金の髪から投げかけられた、お前はどうなりたいのかという問いがあったから。
謙遜して一向に武威を語ろうとしない後輩にジークフリートはいぶかしげに首を傾げた。
普通、激戦を戦い抜いた後の新兵というのは、殊の外己の武勇を語りたがるものだ。首を何個獲っただの門を破っただのと戦功は往々にして盛られるが、逆に語ろうとしない者は珍しい。
余程振るわなかったか、あるいは“語ることも億劫になる”くらいに戦い続けたかでもなければ、戦士は自身の価値を落とさぬため功を語らう。
この場合、ヨルゴスの傷だらけの姿を見るに怯えて隠れていたということもなかろうから後者となるが、どれ程過酷な状況に晒されたのか。
しかし、こうやって無事に生きており、更には避難民から慕われる程に敢闘した姿を見られるのは望外の喜びであった。ヨルゴスも謙遜しつつも嬉しそうにしている。
「剣友会の中でそこまで謙遜するなよ。兜首はあったか? 崩した梯子は何本だ?」
「いえ、ほんと俺なんか大したこたぁしてねぇです。それよりも荘はどうだったんですか? 俺らの帰りを待たずに来たってこたぁなんかあったんじゃ……」
いっそ頑なさまで感じる態度であったが、ジークフリートは気分を害するようなことはなく、ならば無理に聞き出すはするまいと新しい話題に乗った。
それから一同はお互いの身に何があったかを話し合った。伝令として助けを求めにやってきた城塞は包囲され、一方で防備をかためつつあった荘は大量の敵から二度目の攻囲を受ける。
お互いに退けられたからよかったものの、どちらも大変な危機にあったと知り、双方共に安堵すると同時に悔しさを覚えた。
同じ一党に属している中で、仲間の隣で戦えないことは大変に無念である。たとえ自分がそれと同じくらい危険な戦場にあったとしても。
「ただなぁ、ヨルゴス、お前惜しいことしたな」
「へぇ?」
「あん時の旦那は……」
「この馬鹿!」
エーリヒが随員として選抜した一人、先ほど牛骨の汁物が故郷の味だと語ったヒト種、コルススのカエソーが自慢げに口を開こうとした所、その後頭部をジークフリートが力強く叩いた。
頭目の秘密を身内相手とはいえ、余人の耳がある所で語るなというのだ。
「へへ、さーせんディーの兄ぃ」
「ジークフリートだ! ったく……俺から後で聞かせてやる」
「はぁ……」
聞いている側からすると何が何やらというやりとりの後、ジークフリートはもらい物らしい酒の入った杯を半分だけ呷って立ち上がる。あまり割られていなかったようで、その顔はあっという間に赤みを帯びていた。
「どうしたんすか兄ぃ」
「ああ、ちっと手伝って来ようかと思ってな……」
ジークフリートが足を向けるのは城塞の中に通じるドアだ。目的語を欠いた言葉であっても、誰もが意図を察していた。
ここにいない剣友会の面子、カーヤは今、城内にて負傷者の治療にあたっていた。マルギットの治療を終えた後、自発的に負傷者のところへ向かったのである。
城攻めによって手傷を負った者は戦闘員と避難民問わず多く居る。女子供でさえ敵にかける煮え湯の運搬から投石にまで駆り出されたため、むしろ一切の怪我なく過ごしている者の方が希なのだ。
故に城の施療院は既に重傷人で溢れかえり、空き部屋にも怪我人がすし詰めの状態である。この惨状を見て彼女が黙っていようはずもなし。
それに遅かれ早かれ薬師がいると知れたならば、代官より治療の要請が来たであろうから先んじて動くことは印象のためによいものだ。空気が読めて勤勉な幼馴染みを一人で働かせるのも悪いかと思い、ジークフリートは手を貸そうとしている。
一方で他の面子は親愛なる兄貴分を笑顔で見送った。
なにも面倒だったからではない。治療の心得がない人間が何人も押しかけようと、今の段では大して役に立てぬであろうし、冒険者として即応できる戦力を残す必要があると心得ていたからだ。
それに自分達の兄貴分が、その連れ合いと微妙な空気を醸し出していることを彼等も分かっていたからである。
端から見ていて口の中が砂糖でじゃりじゃりしそうなやりとりをする二人がぎこちないのは、剣友会の会員としてはいいことではなかった。単にカーヤが命綱の一つだからという訳ではない。
彼等がジークフリートとカーヤの二人を心底慕っているからでもあった。
良くも悪くも金の髪のエーリヒは指揮官にして指導者であり過ぎた。面倒見は良いし歳の幼長を問わず配下を可愛がるものの、その有り様は慕うにはともかく馴れるには畏れ多すぎた。
本人はもっと気楽に絡んで欲しがっているが、やはり師として仰ぎ頭目として従う以上、どうしても遠慮は出てくるものであるし、何よりも生き物として「勝てぬ」と感じる相手と友誼を結ぶことは中々に難しいのだ。
対してジークフリートは色々と隙がある。この場の三人が死力を尽くして斬りかかっても歯が立たず、現場指揮能力も副頭目として十分尊敬に値するものだが、人間的に色々と抜けている所が親しみやすいのだ。
軽口も存分に叩いてくれるし場によっては下ネタにも応じる気安さもあれば、ポカをやって恥ずかしそうにしていることもある。また相方の薬師とは長い間連れ合って肉の交わりを持っているにも関わらず、煮え切らない幼馴染みカップルみたいな空気が全く抜けぬ所もよかった。
上は上であっても、自分達と同じ所に立っているような空気が彼等には心地好かった。
「しかし、兄ぃのあの童貞臭さはいつになったら抜けんだろうな」
懐から煙管を取り出しつつ、エーリヒが選んだ随員のもう一人、ナヴィスのプリムスが言った。頭目に憧れて薄い財布に負荷をかけつつも吸っている煙草に焚火から火を借り、歩き去って行く背を眺める四腕人の青年は空いた手を首の後ろで組んだ。
「揺り籠の物は墓場までっつーしな……ガキこさえてもあのままでいて欲しい気はする」
「いや、流石にヒデぇな、ガキができれば風格も……出る……かな? 出るよな? うん、多分出ると思うけど……」
失礼なことを宣うカエソーとプリムスであるが、ヨルゴスとしては何も言えなかった。自分もまだ切ったはずの童貞の臭いが抜けていない言われれば反論できず、さりとて親しみやすい副頭目が金の髪のように余裕ある姿を見せる光景が想像できなかったのだ。
戦場に立って金の髪が戻ってくるまで寡兵で倍以上の動死体を押しとどめた姿は、瞼の裏にて実際に見てきたような精度で描くことができるのだが、残念ながら親愛なる副頭目殿では戦場以外だと三枚目、よく言っても二枚目半といった所が限界だ。
さして長いとも言えぬ付き合いでしかないが、ヨルゴスにはどうしても笑顔で佇むカーヤの尻の下で上手いこと手綱を握られているジークフリート以外がしっくり来ない。むしろ、本人がそれでいいと思っているようにさえ見えるのだから。
「さて、どうなるかね」
「まー、収まるところに収まるだろ。カーヤの姐御にディーの兄ぃが強く出る所なんて想像できねぇし」
「ちげぇねぇちげぇねぇ」
先輩二人の容赦ない会話に乾いた笑みを浮かべつつ、内心で完全に同意している自分がいることを密かに副頭目に詫びるヨルゴス。
彼は彼で、死線を一つ越えても冒険者に必要な“図太さ”までは習得できていないようであった…………。
【Tips】骨粥。いわゆる骨髄のスープでブイヨンの原型に近い物。骨にへばり付いた肉や骨髄を無駄なく食べるために広まった料理法であるが、基本的に田舎の貧乏飯の一種であり、香り高い澄んだ汁物の出汁とは似て非なる物。
これを更に洗練させたものが貴種の舌を楽しませる上質な汁物である。
「あぁ、足、足ぃ切らないでくれ……歩けねぇと、かかぁが……」
「大丈夫ですよ、安心して下さい、足はしっかり残りますから」
城塞は軍事施設でもあるため、余程小規模で金のない領地でもない限りは薬師や医師が詰めており、併設される聖堂にも僧会へ献金して癒やしの奇跡を使える僧を置いておくものだ。
フラッハブルグもその例に漏れず、かつ現状の帝国で紛争地となる可能性がある数少ない場所ということもあって医療体制は整っていた。
野戦治療の経験を持つ外科医師、薬草医、そして癒やしの奇跡を賜った夜陰神の僧。薬品の備蓄も多く、傷口を清める濃度の高い酒精を作る蒸留器さえ設置されている。
しかし、それでも全く足りなかった。
動ける者は根こそぎ動員しての抗戦であったのだ。苛烈な戦場は時に凄まじい程の死傷者を生み出し、先の戦闘は表現するにあたって苛烈の一文字では足りぬほどのものであった。
なにせ軽い手傷の者は、収容できぬとして放り出される程だ。死人も随分と出ており、その数は二桁中盤に上る。
そして、負傷者は怪我人よりもずっと多い。
「我慢して下さいね! 木片を取り除かないと傷が腐りますから!」
軽傷者は外に置いているにもかかわらず、施療院は怪我人ですし詰めであった。幸いにも怪我人の上に怪我人を積まねばならぬ惨状ではないものの、血と膿の匂いが立ちこめ、苦悶が響く場所は十分に地獄と呼んでいい物であろう。
手当のため医療従事者は勿論、手透きの女衆の多くが動員されて動き回っていても手が足りなかった。薬も包帯も、傷口を清める湯ですら足りていないのだ。
斯様な状況にあって、薬師であり戦場医療の知識を持つカーヤの助成は大変有り難く思われると同時、否応なく素人では手が付けられぬ重傷者に割り振られていた。
「あぁぁ! ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
今彼女が助けようとしているのは、何かしらの爆弾か炸裂系の魔法に襲われた男だった。上体は着込みのおかげで助かったようだが、左足には無数の木片が突き刺さり酷い有様であった。
帝国における外科医療は魔導院や僧院が主導する解剖学、肉刑の一つである治験によって高度に推し進められており、体内の澱んだ血をとりあえず抜けばいいだとか、とりあえず四肢を切断して傷口を焼き塞ぐという行為は“無意味を通り越して有害”と判明して久しいため行われない。
手足の傷は異物を取り除いて傷口を洗浄して縫合、後は膿まぬよう清潔な状態に保つ方が切断するより生存率も高いとして、何処の土地でも同じ手順での治療が施される。
カーヤは手順通りに傷口より木片を取り除こうとするが、痛みと失血により譫言と悲鳴を上げる男が暴れて上手くいかない。こういう場合、先に麻酔をかけるか寝台に括り付けて暴れられないようにするものだが、麻酔は在庫の関係もあって軽々に使えず、床に転がされている彼を括り付ける場所もない。
本来なら男手を借りて押さえつけるべきなのだが、何処も処置で手一杯のためそれも満足に行えない。カーヤの腕は薬草の調合という見た目よりも大変な力仕事によって鍛えられているものの、やはり苦痛によって肉体を制御する箍が飛んだ男の力に抗しきることは能わなかった。
「いてぇぇよぉ! かぁちゃん!」
「きゃっ!?」
錯乱した患者が振り回す手が意図せずしてカーヤの顔に襲いかかる。畳んだ腕の肘が柔らかな頬に食い込まんとしたその瞬間、甲高い音が響いた。
皮膚が皮膚を打つ音であるが、それは硬い肘が少女の柔らかな頬を打った音ではない。
負けぬほど硬く鍛えられた掌が肘を受け止めた音であった。
「ったく! どこまで人手不足だ!」
「ディー君……」
「ジークフリートだっ!」
間に入ったのはジークフリートであった。間一髪の所で相方を守った彼は、手早く腰の物入れから清潔な手巾を取り出すと呻く男の口に手早く突っ込み、腕二本と片足で動きを完全に封じ込めてしまう。
戦場で徒手空拳となった時、相手を押さえ込んで短刀にて首を掻き取る技の流用だ。
「ほら、抑えてる間にさっさとやっちまえ」
「……うん!」
ジークフリートが手助けに入ると、手当の効率は格段に上がった。痛みに苦しんで暴れる者は押さえ込み、意識が明瞭な物は彼が手を握って目を見て意識を保つよう語りかけつつ反射の震えを抑制する。
数刻も作業を続ければ、辛うじて急ぎ手当しなければならない患者はいなくなった。
まだ作業を続けようとするカーヤであったが、その手は他の医療従事者に止められる。
休まねば効率が落ち、いずれ過ってはならぬ場所で手が正しく動かないからと。
追い出されるようにして二人は陽が落ちた中庭に戻ってきた。誰も当たっていない焚火の側に寄り、かけっぱなしにされている鍋から湯を掬う。
「ほら、飲め」
「うん、ありがとう……」
野営時でも簡単に飲めるよう微細に砕いた粉末で煎れた黒茶は粉っぽく、暫く待って上澄みをゆっくり啜らねばならぬからか、飲んでいる内に昂ぶった気持ちが収まってくる。半分ほど飲み干したあたりで漸く、カーヤは自分が殆ど息も整えずに働きづめていることに気が付いた。
「あっ……」
「動くな」
そして、不意打ちの如く顔をなぞっていくのは水筒の水で温めた湯を染み込ませた手巾だった。困ったヤツだと言いたげに顔を顰めるジークフリートに雑な男らしい手付きで顔を拭われれば、瞬く間に布は黒く乾いた血の色に染め上げられる。
顔の汚れすら気にする余裕もなく働いていたのだと、汚れた手巾で漸く察したカーヤは体の力を抜き、隣に腰を降ろした相方の肩に身を寄せる。
「正直な、お前がアレのことを秘密にしていたことは腹が立つし許せんって気もする」
汚れた手巾に湯を掛けて汚れを落とし、折り目を変えて綺麗な面を表にしつつ言う彼の声音は言葉とは逆しまに落ち着いた優しいものだった。
「だけど、そりゃあ俺がお前にとってもアレにとっても秘密を打ち明けるには心許ないと思われたせいだってのは分かってるし……お前にはお前なりに考えがあって、アレに言い含められたってのも分かるから、俺はこれ以上何も言わねぇ。それにアレも一発ぶん殴っといたからな」
「……うん」
顔の次は手を握られ、指の一本一本を磨き上げるように拭われる。固まった血の欠片が飛び散り、作業の合間、知らぬ内に刺さった木片やトゲも優しく引き抜かれていく内にカーヤが操る宮廷語が少しずつ崩れていった。
故郷から出て身に付けた上品な物から、故郷で話していた崩れた田舎言葉へ。
「だけど、これからはもう俺に秘密なんて作るな」
「……うん、分かった、ディー君」
決まり文句となったジークフリートだという否定は返ってこなかった。
「そりゃ、お前から見りゃ俺は危なっかしいし頼りねぇんだろうけど、俺は男だし、お前の……おま、おま……」
なにか大事なことを言おうとして恥ずかしがり、言葉に詰まって天を仰ぎ赤面する幼馴染みに少女は小さく笑うことを我慢できなかった。
真っ赤に染まった頬、泳いだ目線、縺れる舌。すっかり大人びて髭なんて生やそうかと考えるほど精悍になった顔であっても、カーヤの目には小さくてよく鼻水を垂らしていた時分の顔が被るようだ。
言葉にならない言葉を吐き出そうとしている少年の口を止めるため、少女は預けていた頭を擦り付けて口を開こうとする。
不器用な彼がどんな言葉を紡ごうとしているかなんて分かっているのだ。
そして、自分は分かって彼についていった。
幼い頃、少年だけが少女に隔意を持って接しなかった。荘の中でも立場がある家の子供であった少女は、子供達の中で難しい立場にあった。
子供にとって親の政治というのは分からぬものだ。そうなると必然的に親が強い子供はガキ大将になるかいじめられるかの二択になりがちである。
少女は元々控えめな性格であったため、気の強い田舎の子供の中に埋もれて後者になりかかっていた。
そこに救いを与えたのが少年だ。
彼が優しかったのか、単に考えが足りなかったのかは分からない。
それでも少年は少女に優しく、全ての気負いと圧力とは無縁の場所を作ってくれた。
だから彼女はついてきたのだ。全てを擲って。
「ディー君、好きだよ」
「お……おう」
不格好な肯定、しかしそれでいいと少女は微笑んで瞑目した。
気を遣って誰もが遠回りして避けてくれているのだから、少しくらいは二人だけの時間を堪能しても咎められることはなかろうと…………。
【Tips】ライン三重帝国の医療は解剖学と治験の結果を積み上げた基礎の上に立っているが、正規に医療を学んだ者以外の杜撰な治療を駆逐できていないのも現実である。
4巻上の発売が1週間後に迫りました。
割と原型が残っていないほど加筆・書き下ろしをしておりますので是非! 是非に!




