青年期 十八歳の晩春 五二
皆殺しか半殺しか、なんて古典が前世であった。
うん、今丁度そんな気持ち。まぁ、棍棒で本当にぶん殴るつもりなのだけれども。
「うっ……」
「少し我慢してくださいね、消毒はどうしても染みますし痛むものですから……」
代官より借りた一室にて――この人員過密の状態では格別の差配だ――カーヤ嬢がマルギットの治療にあたっていた。
再会の抱擁を交わすと、いつもと力の入り具合が違ったため心配して聞いてみれば、彼女は隠せませんわねと笑って手袋を脱いでみせた。
酷い物だった。
弓弦にかかる指の皮が痛々しく捲れ上がり、よく動かす場所だからか瘡蓋ができずに血と体液が緩慢に滲み続けている。気を遣って形を整え、時には表面を塗って可愛らしく彩った爪が二枚も失われた様はあまりに悲痛で、自分に何ができるでもなかろうに手を握らずにはいられなかった。
確かに彼女は狩人だけあって、嫋やかで白魚のような指とは言い難い。日常になるまで弓を引き続けた指は硬く、鍛えられて節が太くなり、長年の酷使に応えて厚くなった皮膚が誇るのは身に付けた技量の高さである。
それでもだ、こうも無惨に痛んだ姿を見せつけられて、どうして平然としていられようか。
「まぁ、痛いのはちゃんと生きてる証拠と思って我慢しますわ。本当に駄目なら染みることすらないでしょうし」
「そうですね、肉も少し抉れていたので、悪化する前に治療にかかれてよかったです。しかし、何をすればこうなるんですか……」
「二日間、目を開けている間は殆ど弓から手を離さないでいたら自然と」
カーヤ嬢は戦傷を見慣れているが、手傷らしい手傷を負ったことのないマルギットの負傷に驚いていた。ちょっとした打撲や切り傷以外で初めて見せた負傷が、よもや過労による自傷に近い物になるとは彼女も思わなかっただろう。
「……でも、本当に麻酔しなくていいんですか? かなり痛いと思いますけど」
「結構でしてよ。アレ、抜けきるまで時間が掛かる上、抜けても暫く感覚がズレるような気がして気持ち悪いんですもの。今の状態で一週間近くカンが鈍れば命に関わりますわ」
「分かりました。では、せめてこれを噛んでおいてください」
「格好悪いですけれど、歯には代えられませんわね」
受け取った手巾を口に含むマルギット。人は痛みを我慢する時に歯を噛み締めるが、時に苦痛が強すぎると制御を超えた力を発揮し、自身の咬合力によって歯を噛み割ってしまうことがある。
それを防ぐために布を噛む彼女の一助になれればと思い、そっと左手を取った。此方の手も弓を延々握り続けたため右手と同じく酷い状態だが、どうせ堪えるため手を握り込むなら、他の物があった方がよいかと思った。
「では、始めます」
常と変わらぬ笑みを作るマルギットを見届け、カーヤ嬢は取りだした治療器具に手を伸ばした。
カーヤ嬢は薬草医であるが、ここ数年の研鑽で野戦医に近い技術を身に付けている。魔法薬は即効性があり効果も高いが、その分“副作用”も現れやすいため、強力な身体賦活術式を一気にもたらすのは危険もある。
無論、その副作用を抑えるよう術式を構築し触媒を調合することも魔法使いの実力ではあるものの、やはり魔法や魔術が世界を騙す技術である以上、ある程度の“それらしさ”を演出することは有効的だ。
傷を縫い、膿んだ部分を削り、骨を矯正する。魔法を用いぬ通常の医療は、肉体への負担を和らげながら魔法の効果を高める行為的な触媒として成立する。
魔導師である“癒者”であればこんな大仰なことはしないのだろうが、彼等ほど魔力にも技術にも余裕がない地下の人間。それも今後どれだけ治療しなければ予測を立てることも難しいカーヤ嬢は、効率と省魔力のため泥臭い技術を進んで習得した。
「三つ数えたら始めますよ、力を抜いて……三!」
三つ数えて、という宣言を裏切って最初の一つで根元だけが残っていた爪を除去した。関節を嵌める訳でもあるまいにと思ったが、やはり治療を施す側としては脱力している方がやりやすいのだろうか。
ぎりりと布を噛み締める音が響き、握らせた手が砕けそうになるほど強い力が込められる。
爪が終わると次は破れて剥がれた皮膚を鋏で切除していく。一本の棒を撓めて作った裁縫用の物に似た鋏は、戦地で救急的な処置を施すのに短刀よりも楽でいいらしい。
破れて既に死んだ皮膚は再生の邪魔になる。それを予め切除し、同様に摩擦で糜爛した肉も取り除いておくことで傷口の清浄化を先に済ませる。これによって魔法薬の働きはより素早く発揮され、肉体への反動も押さえられるのだ。
言うまでもないが、これは治療している余裕がある時の処置だ。余裕がなければ彼女も魔法薬をぶっかけるか口に突っ込むし、気化して吸引もさせる。しかし、これから先を考えて節約を試みるなら、治療をする側も受ける側も節約した方が良い。
浅く荒い息が連続し、歯列と歯が擦れ合う音が響き渡る。痛かろう、辛かろう、カーヤ嬢の手付きは繊細で優しく、余計な部分に一切触れぬが傷口を抉っていることに変わりはないのだ。
菲沃斯や狼茄子を原料とした麻酔の魔法薬を使えば痛みなく施術ができるが、カーヤ嬢のそれは効果に秀でる分、抜けきるまでに時間がかかる。同時に一度抜けても感覚が完全に戻るまでに時間を要するため、今のように何時戦闘に入るか分からない時には使いづらかった。
特に指先の繊細な動きによって着弾点が大きくズレる弓手には致命的といえる。だとしても、それに耐える相方の姿は見るに忍びない。
だが、私は目を逸らさなかった。
頑張って戦い抜き、その先にも戦おうとする彼女の姿からどうして逃れられよう。痛々しかろうと、可哀想だと思っても、彼女を“こっち”に誘ったのは私なのだ。
私だけは、彼女がどうなっても目線を逸らしてはならない。
「傷は綺麗になりました。後は治すだけですが……我慢してくださいね」
ほんの僅かな、しかし当人にとっては長い時間に感じられたであろう処置を終え、カーヤ嬢は懐から素焼きではない厚手の遮光瓶を取りだした。瓶そのものにも保存の術式を込めたそれは、彼女が“若草の慈愛”として名を売る要因ともなった“落ちた指さえ繋ぐ霊薬”だ。
霊薬の製法は私も知らない。カーヤ嬢の秘中の秘であり、家業によって身に付けた技術を経験によって昇華したものであろうと推察はできるものの、複雑に溶け合った術式と触媒は高度すぎて使っている所を見ただけでは原理を知ることはできぬ。
幾人かの阿呆がこの秘密を得ようとして私やジークフリートの刃にかかっている。それ程までに失われた肉体を取り戻す技術は希少だ。たとえ幾つかの条件を満たしていないと使えないとしても、欠けた指や肉を接げる技術は十分に奇跡の領域にあるのだから。
そして、その霊薬がもたらす代償は……。
「ううっ……!?」
肉を切り取られる痛みにも呻き一つ上げることなく耐えきったマルギットが初めて声を上げた。肩に添えた手が弾かれるほどに体が震え、必死に伸ばした両手の指が蠢こうとするのを必死に留めている。
同時、布を咀嚼せんばかりに力が込められた歯列の合間より唾液がこぼれ落ち、琥珀の目は強く閉じて眉間に強い皺が寄る。
「かっ……かっ……」
「我慢してください! 動かしたらちゃんと治りませんから!」
刷毛で慎重に霊薬を塗っていくカーヤ嬢。肉が盛り上がり皮膚が瞬く間に戻って行き、失われた爪が瞬く間に伸びる様は酷く異様でことの重大さを嫌という程見せつけてくる。
「かぁっ……かか……」
「爪が歪みます! 後少しですから! ああ、もう! やっぱり麻酔無しで使うのは無理がありますよ!」
痛々しかった手が元通りに近づいていくに連れて傷口に襲いかかる感覚は強まるらしく、遂には蜘蛛の足がバタつき始めた。椅子に座ったまま足を畳んでバタつかせているため、つま先は虚空を掻くばかりだが、姿勢を崩して落ちやしないか心配になって肩を支えた。
「もうちょっとです!」
「かっ……くぅ……かぁ……」
「耐えろマルギット! 頑張れ!」
「かゆい!」
手巾を弾き飛ばして飛び出した言葉がこれだった。
「痛痒い! あぁっ! あーっ! あぁー!!」
カーヤ嬢の霊薬は失った肉と皮膚を少量であれば取り戻し、四肢が飛ぶほどの傷であっても直ぐに蓋をする凄まじい効能を誇る。これによって本来は街まで保たず失血死する筈だった同行者が何名も命を拾っているが、緊急故に麻酔を省いて施術を受けた者達が溢す感想は一概にこれだ。
痒いのである。強い苦痛とそれ以上に耐えがたい蟻走感が傷口を這い回り、強引に加速された細胞の分裂が過剰反応を引き起こし激痛をもたらす。
そう、痛痒いのだ。痛くて、痒いのだ。
これが実に性質が悪い。痛みというのは訓練すれば耐えられる。マルギットも狩りの最中に怪我をするなんて数えきれぬほどあったろうし、一番大きな怪我だと折れ木が掌を貫通したことがあるという。猪の突進を回避しようとして側転した所、下生えに折れた木が隠れていて酷い目に遇ったそうだ。
これは私も分かる。戦士として熟達してくると痛い目には何度となく遭遇するため、その内に体が「今それ大事じゃないから」と後回しにすることを覚えるのだ。
しかし、痒さ、痒さだけは駄目だ。耐えられない。夏の蚊、飼い猫から移される蚤、そして大人になってからかかった水疱瘡の堪えがたい感覚。あれだけは心を強固に持とうが、必死に薬を塗ろうがどうしようもなかった。
その痒さが痛みを伴い、触れれば再生中の場所が崩れるような状況で襲いかかってくる。
なんかの嫌がらせですか? と聞きそうになった位だ。
カーヤ嬢曰く、どうしても肉体を再生するにあたって血管や神経を繋ぐ際に刺激が発生するようで、その際に痛覚や触覚が“満遍なく”活性化するために避けられぬ副作用だという。改善しようとは思っているようだが、何処か術式の根幹に関わる問題に触れているようで中々直せずにいるそうだ。
結果的に麻酔を打って感覚を殺すことで対策できており、普通ならばそれほどの大怪我を負えば戦線から離脱するのは当然のこと。そこまで気にするこっちゃないわね、と全員で楽観していた。
今回のことは例外だ。普通、指の皮膚が抉れて肉もちょっと駄目になるくらい弓を撃ち続けて尚も戦地に留まることはない。予後を考えて大人しくしているのが最良である。
ただ、この幼馴染みは、それを知っていても私の背中が風邪を引いてしまわないよう付いてきてくれようとしている。
これほど嬉しいことはない。
「あぅ~! 痒い! エーリヒ、掻いてくださいまし!」
「そうはいかないんだ! 我慢してくれ!」
「いえ! 脇でもお腹でも背中でも何処でもいいから掻いてくださいまし! 少しでも気を散らさないと変になりそう!」
「えぇ!? えーと、じゃあ背中……」
「あ、あの、高度なイチャつきは私が居ないところで……」
「ちげぇよ!!」
顔を真っ赤にして割と色ボケ気味にズレたことを宣うカーヤ嬢に思わず宮廷語が崩れた。とりあえず痒みが治まるまで<見えざる手>を総動員して彼女の気を散らし、指が妙な形に固まらぬよう尽力せねば…………。
【Tips】“若草の霊薬”。若草の慈愛カーヤが独自の調合により作り出された魔法薬。欠損した指を繋ぎ、ちょっとした肉の欠けを盛り上がらせ、失せた四肢の傷口を塞ぐことができる市井では飛び抜けて優秀な薬。
癒者の術式ではなく、誰でも使える魔法薬という形では破格の性能をしており、これを欲して多くの者が剣友会を訪れたことがある。カーヤ嬢はその全てを輝かんばかりの笑みで追い返し、力尽くでと短慮を起こした阿呆は全員が金の髪やジークフリートが振るう剣の錆となった。
「ああ、酷い目に遇いましたわ」
ぷらぷらと手を振って感覚を確かめるマルギットは、暫し指を屈伸させて運動に問題がないと認めたようだが、些か不機嫌そうでもあった。
それ程に辛かったのかと手を握ってみれば、違うと首を振られる。
「……これ、新しく皮膚ができているのでしょう? 今までの古いのと入れ替わりで」
「ええ、原理的にはそうですけれど」
「……手がつるつるになってしまいましたわ」
え? と思って見ると、確かに右手も左手も随分とぷにぷにして手触りが好い。もっちりした小さな紅葉のような手は、鍛えられた節こそ残っているものの気が遠くなるほどの鍛錬の証明であった皮膚の硬さが失せていた。まるで一度も水仕事をしたことのないお嬢様のような手だ。
「えーと、それはよいことなのでは?」
「「まさか!」」
二人で声が重なった。
こればっかりは武人でなければ分からない感覚だろう。弓にせよ剣にせよ長く扱っていれば、どれだけ気を遣っても皮膚は硬くなる。マメは一時的な負荷が掛かりすぎてできる“怪我”だから誉れにはならないが、積み上げた武によって厚みを増していく皮膚や膨らんでいくタコは努力の証明書である。
故に私達は、この無骨な手を誇るのだ。
私は両手の至る所にタコがある。剣も槍も盾も、時に「なにこれ」と言いたくなる外物も使うためタコまみれだ。マルギットの手も同じく長く弓手をしていて鋼の如く硬くなり、短刀を扱うためにタコもできていた。
確かに純粋な美という観点では欠点なのだろうとも。しかし、これでお飯を食っていると同時に自己を確立させる一端としている我々にとっては紛うことなき勲章なのだ。
彼女も素人ではないので皮が柔らかくなったといっても怪我をすることはなかろうが、今までの努力の象徴がなくなってしまったことは悲しいらしい。眉尻が下がり傍目からもしょんぼりしているのが分かる。
ここまで気落ちしたマルギットを見るのは久しぶりだ。良い得物だと思った巨大な猪が食えない位寄生虫に蝕まれていた時や、ぱっと見綺麗に見えた銀狐が疥癬だらけで革も肉も使い物にならなかった時くらいだろうか。
私はそっと肩を抱き、無念は分かると無言で慰めた。
すると彼女は私に体を寄せ、分かっていますわと言いたげに顔を埋めてくる。
何があったか聞きたい所であるが、少しの間こうしていよう。カーヤ嬢は理解し難いのか微妙な顔をしているが、人には一つや二つは他人の理解が及ばぬ大事な物を持っているのだ。
余談であるが、後でジークフリートを始め剣友会の面々にも聞き込みをした所、分かるわーという反応を返されてカーヤ嬢は一人「解せぬ」と言いたげな顔をしていた…………。
【Tips】弓は扱いに秀でればタコもマメもできないが、長く続けると皮膚は厚くなるものである。




