青年期 十八歳の晩春 四十三
宿酔をしたことが前世においても今世においても殆どなかった。
前世では潰れるほど飲むような馬鹿をしてこなかったし、今世においては早々に<うわばみ>の特性があった為にする機会が無かった。
だからだろうか、目覚めと共に訪れる平衡感覚の喪失。及び酷い頭痛と倦怠感を引き起こす吐き気の襲来が殊更にキツく感じるのは。
「……気持ち悪い」
目を覚まして茫洋と天井を見上げながらの一言に何らかの既視感を覚える。なんだろう、これ、何かで見た。そう、世界がとても赤くて白い何かが……。
「あ、ああ……!」
感極まった涙声と水が飛び散る音。ちょっと身動ぎするだけで頭部に生ずる鉈でもぶち込まれたような痛みと、胃を握って小指から順に絞めていくが如き気持ち悪さでフクロにされながら首を巡らせれば、部屋の入り口にはフィレネ嬢がいらっしゃっる。
足下に転がる盆には水差しと桶が入っており、世話をしようとしてくださっていたことが分かった。
「ええと、おはようございます?」
「エーリヒ様!」
窓から差し込む光から察するに、まだ早い時間であろうと思って挨拶してみれば、彼女はあろうことか突っ込んできて胸に顔を叩きつけてきたではないか。
そう、叩きつけてきたのだ。埋めるとか寄せるとか、断じてそんな可愛らしいものではなく、攻撃判定でサイコロを振っているとしか思えない勢いであった。
「こぺっ……」
押し出された空気が奇妙な音をなって唇から漏れ、荒れる胃の中身が逆流しかけるのを気合いで押しとどめて嚥下する。
絵面から想像するに戦傷によって――その実、単なる魔力枯渇だが――倒れた男に涙を流しながら美少女が駆け寄るという感動的な情景なのだ。繊細な感情を暴走させているお嬢様の頭に反吐を吐きかけて、一生の思い出と安堵をぶち壊していいものだろうか。
いい訳がないので残された全ての精神力で湧き上がる吐き気に堪え、重い肉体に鞭を打って優しく頭を撫でてやる。
非情に手触りのいい髪に指を通しつつ、喉元まで上がってきた手前の反吐で時間感覚を知るという微妙な経験をしてしまった。
上がってきた胃の内容物には固形物が含まれていたので、私は長い間昏睡していたとかではないようだ。耳血まで垂れ流していたので心配していたが、魔剣の迷宮を踏破した時の如く何日も寝台にへばり付かずに済んだか。
鼻をひくつかせれば、嗅ぎ慣れた煙草と似た臭いがする。ちらと目線を上げれば寝台の脇にて燻る香炉。カーヤ嬢が気を利かせて魔力の滋養に効果がある薬を焚いてくれたとみえる。
ありがたい、戦うことは出来ぬまでも、起き上がれる程度には回復できるとは。最悪数日は寝床に転がりっぱなしというのも覚悟していたからな。
既に迷惑をかけているだろうが、ジークフリートにばかり後始末をさせずに済む。
何より、また誰ぞかに下の世話をさせる嵌めにならなくて本当に良かった。
「ごぶじで……ごぶじでぇ……」
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、フィレネ嬢」
最初はご令嬢らしい大人しい泣き方だったのだが、私の心臓の音を聞いていたら感極まったのかガチ泣きに移行してしまったフィレネ嬢の鼻声が凄まじい。それと胸の辺りが随分と冷たくなってきたので、多分これ涙以外にも色々滲んでるな。ご婦人の名誉の問題もあるので、指摘などしないし、気付かれないうちに<清払>で始末してしまわねば。
頭痛等に耐えつつフィレネ嬢を宥めていると、入り口に気配がある。水を落とした音に気付いたらしい下女が様子を見に来ているではないか。やっと助け船が来たかと安堵したものの、何を思ったか頭が引っ込んで廊下を去って行く足音だけが残される。
え、ちょっと、待って、今これごゆっくりって帰る場面?
結局フィレネ嬢が泣き止むまで四半刻ほどを要し、ようよう頭を上げた彼女が後の事を大まかに説明してくれた。
「ぐすっ……夜遅くに運び込まれて……鼻血が止まらなくて、このまま行ってしまわれないかとても不安でした。武神の方々のご寵愛も篤いでしょうから、天上の闘技場へ誘われてしまわないかと……」
「ご安心ください、どうやら武にまつわる神々は、試錬神と悪巧みをして私が地上でのたうつ姿を堪能し足りないようです。まだ招かれる予定はありませんよ」
落ち着かせるため頭や背を撫でてやっていたが、ふと女性とはこういうものなのか? という疑問が湧いてしまう。
まぁ、私の周りに居る女性が覚悟ガンギマリ勢ばかりだからだろうな。
母も中々に肝っ玉が優れたお人であった。戦場で切った張ったしていた父親が、まるで歯が立たない女傑なのだから当然であろう。カーヤ嬢も前線において一歩も退かぬジークフリート過激派であるし、マルスハイムに目を向ければ女将さんも強いお人だ。
マルギットは最早言うまでも無く、ともすればメンタルの耐久度は私より数段高い。
目立った外傷もなく、魔力枯渇で倒れただけなら「遅いお目覚めですわね」と皮肉の一つも溢して終わりであろう。
多分、彼女はヒト種には備わらぬ感覚の何処かで確信している。
コレが自分の腕の中以外で死ぬことはなかろうと。
私をして謎の確信であるが、早々死なぬと自分でも思えるようで心地好く感じるから不思議なものだ。
若さ故の無責任な万能感とは違う何か。尊い思い込みに名前を付けるのは難しい。
だからだろうか、戦わぬ女性、家を守る彼女達を上手く飲み込めないのは。
「さ、まだやることがあるので起きましょう。今は何刻ですか?」
だとしても少しずつ理解していこう。ここで戦うと決めた時、守るべき顔の中にはか弱い人達も含まれている。強者だけで世界が満たされればいいなどと傲慢な考えは到底持つ気になれない。
何より、私も完璧とはほど遠い。
その完璧ならざるが故の責任を果たさねば…………。
【Tips】魔力枯渇の障害は最大魔力量に秀でるほど重篤化するが、初期対応を誤らず、肉体への損傷が軽度であれば回復は早くなる。
ふらつく体を引き摺って名主殿の家を出ると、広場は騒然としていた。
「ううむ、覚えのある顔ではありませんな」
「そう……ですか。では、この剣にある図形は?」
「んー……どこかで見た気もするのですが、紋章官としての教育を受けた訳ではないもので……」
引き立てられた虜囚達が跪いて並び、その顔をジークフリートが名主殿にが検分してもらっている。貴族社会との繋がりがある彼ならば、何か知っているかもしれないと思ったのだろう。
少なくとも全身を覆う板金甲冑と、十を超える軍馬で編成した騎兵隊など尊き血でなければ用意できる筈も無いのだから。
「ジークフリート」
声を掛ければ見張りの会員達がざわめき、持ち場を離れて駆け寄ってくる。ご無事ですかとか、もう立って大丈夫なのですかと心配してくる彼等に心配ないと告げ、心配はいいから仕事に戻るよう命じた。
散っていくもののチラチラと様子をうかがってくる彼等に微笑ましさを感じてしまう。頭領として好かれていると喜ぶこともできるが、配下に心配を掛けたことが申し訳なくもあるから難しい。
「くたばり損なってたか。もう起きていいのかよ」
「幸いにも試錬神が地上で藻掻けと仰っているようだ。単なる魔力枯渇だし、死にはしないよ。盛大に痛飲した時よりも酷い頭痛が居座っていてかなわないがね」
「宿酔いもしねぇヤツがよく言うぜ、無理して倒れても今度は運ばねぇぞ」
「怪我の度合いで言えば君もだぞジークフリート、大丈夫か?」
「寝てらんねぇんだよ、寝てっとイテェのに薬のせいで寝付けねぇ。なら起きて仕事してる方が気楽だ」
フンと鼻を鳴らし、彼は紙を挟んだ板を寄越してきた。みれば昨夜の被害から始まり、虜囚などから剥ぎ取った物や人数などを書いてある。筆跡は柔らかく整ったものなので、作ったのはカーヤ嬢であろう。ジークフリートも二人がかりで文字を教えて少しは書けるようになっているが、こうも綺麗な筆致の持ち主は彼女しかいない。
「……戦死者は四人か」
「ああ、名誉の戦死だ。名主殿の計らいで今夜葬儀をやる。家の面子は火葬だ。塚も立てる」
「豪儀だな」
「それだけの価値はあるとよ。ご遺族に髪だけ届けるのは忍びねぇだそうだ」
名簿に並ぶ名を指でなぞる。マルスハイムのレンベック、キルケルのマルタン、モッテンハイムのアーチュウとエンゾ。後者の二人は自警団員であり、全員の顔を知っている。
レンベックは向上心のある孝行息子で盾の扱いに秀でた良い剣士であった。マルタンは未だ発展途上なれど剣気に聡い達人になる素養を持った男。
アーチュウは正規の自警団員で立派な家庭を持つ壮年の兵士。エンゾは挨拶を交わした程度の付き合いだが、宴席にて隣に座った幼馴染みらしき女性と顔を赤くして話す初い姿を見たことがあった。
皆死んだ。動死体との戦で戦で傷を負い、マルタンとエンゾは夜明けまで保たなかったという。
他には重傷者が五名。内一名、自警団員のモイーズは戦線復帰不能な傷を負い、カーヤ嬢の霊薬を以てしても癒やしきれなかったとある。運が悪かったのか使われた武器が酷く錆びており、傷口が酷く荒れているのみならず錆びて剥離した欠片が大量に残されていて、腐る前に左腕を切除するほか無かったと書類にはある。
他は暫く安静にする必要はあれど、二月もすれば復帰できる傷ばかりらしい。騎馬突撃の時に落馬して腕を開放骨折したヤニクだけが、もしかしたら更に一月くらいはかかるかもという注意書きを添えられていた。
「捕虜に死人はねぇ、流石って褒めて欲しいか?」
「如何に君相手でも容れられる冗談とそうでない冗談があるぞ」
「ま、何人か腕や足ぃ落とすことんなったがな。筋も骨も駄目になっちゃしかたねぇし、そもそも薬が惜しい。晒しモンにしてやる分にゃ生きてりゃ十分だろうが……」
「全部は後でいい。逃げられないようにしてあるな?」
問うと彼はうんざりしたように嘆息し、大げさに首をすくめた。
「やってるよ、身ぐるみ全部剥いで別の服に着替えさせてるし、髪も口も調べた。ケツの穴もおっぴろげさせたよ。ったく、目が汚ぇモンを何度も見て穢れた気分だ」
「助かる。後でカーヤ嬢に綺麗にしてもらえ」
「殺すぞテメェ」
軽口に怒る彼に報告書を返した。そして周りを見回し、話を切り出す。
「少し良いか」
「……おう」
検分に付き合って頂いた名主殿に詫び、ジークフリートと手近な空き部屋に通して貰う。指揮所として借りている集会場は怪我人の治療場所となっており、昨夜の戦いに出て疲れ果てた面々が今も寝ているそうなので使えなかった。
気遣いなのか差し入れられた黒茶を啜り一息入れた後、まず言った。
「殴るか?」
「……後で良い。先に殴って気が楽になられちゃたまらん」
おっしゃるとおりだ。私も一発殴られたくらいで許されるとは思わないが、殴った側、殴られ側共に一発殴ったことで手心が加わることは簡単に想像できる。
「さて、何から話すか」
「まず、一つ聞きてぇ。お前、今まで手ぇ抜いてたか」
いきなり難しい質問である。
どこからが手抜きかという話になるが、個人的には十を熟さねばならぬ状況において八や七で手を止めることだと思っている。
それを前提に物を言えば、個人的な視点であれば手を抜いたことはない。敵を倒し、仲間に傷を負わせぬ為に必要十分な力を出してきた。
ただ全力を、持ち得る札を全て並べてきたかと言われれば否ではあるが。
本来は斬り結ぶことなく無力化できる相手に態々剣を抜いてきたことは、見る者によっては手抜きと映るだろう。十で済むことであっても百の力があれば百を発揮するべきだという考えも世の中にはある。
その考えを素直に口にすれば、彼は額に手をやって本日何度目かになる重い溜息を吐く。あまりに重く、床に滞留し積み重なってしまいそうになるほど重い溜息。
「それはいい、お前が色々アレなのは百も承知だが……」
「え? アレ? ちょっと、アレってなんだ、濁されると気になる……」
「うるせぇ、黙って聞け。ともあれ、手抜きしてなかったってのは納得してやる。一応は矢面に立って一番に突っ込んでいくし、死人も今までは出してねぇからな。無茶な指示も多かったが、やりゃあ出来る範囲だったから文句はあるが認めてきたのも俺らだ」
引っかかる所はあるが、納得して貰えて幸いだ。ここで拗れたならば、価値観の相違により最早理解し合うことが不可能となるから。
詰られることも覚悟していた。最初から魔法を解禁していれば、手傷を負うどころか汗一つ掻かずに片付く仕事は幾つも思い当たったから。もっとずっと全てが楽に運ぶこともできただろうにと。
「アホか、それじゃ俺らは仕事仲間じゃなくてテメェの添え物でしかねぇだろ、舐めてんのか」
しかし、その考えは即座に斬り捨てられる。本格的に不機嫌そうな顔を作った彼は、私を鋭く睨め付けながら、それは仕事と呼ばねぇんだよと吐き捨てる。
「誰が“金の髪”の腰巾着やって楽に仕事してぇつった。んな勘違い野郎、何人か居たが直ぐに耐えきれずに辞めただろうが。それとも何か? 俺らがお前に食わせてくれつって集まった取り巻き集団だとでも思ってたか?」
「そんなことはない、あるわけがないだろう。あってたまるものか。少なくとも君らがいなければ出来ない仕事がどれだけあったか。如何に私であっても、一人でどうこうできる事は限られるんだ」
「俺が気にしてるのは、そこじゃねぇ。まぁ、お前が何か隠してるのは薄々察してたさ……一番知りてぇのはだな」
間を空け、腕を組んだ彼は天を仰いで私に顔を見せぬようにして言った。
「お前が隠してたことを最初から全力で使っていたら、死人がでなかったかどうかだ」
天井に顔を向けて表情を隠し、微かに震えを帯びながらも平静を装った声に彼が抑えていたこと、抑えていようとしていることが分かった。
彼は色々と言いつつ今まで一緒に仕事をしてきた。そして先ほどの手抜きへの言及を理解してくれていたことから、私に向ける信頼へ疑いを抱く余地はない。
さもなくば、誰が一緒に戦陣にて肩を並べようか。下手をしないでも、ちょっと理不尽と不合理がやる気を出せば最善を尽くしても死ぬような仕事なのだ。全く信頼が置けない、心底嫌いな相手と共にしようなどとは欠片も思えまい。
だからこそだ、気になるのは。その曲がりなりに信頼を置いていた相手が、全力を出さぬことによって死者が出たのではなかろうかということは。
下手な相手に信頼を置いたせいで死人が出たという自責にもなり、またお前が惜しんだからアイツらは死んだという他罰が絡み合い咀嚼し難い感情として脳に渦巻く。だが確認せずにはいられない、知りたくない結果を知ることになるかもしれない問いを耐えるための仕草。
ジークフリートも男なのだ。曖昧なままにはしておけなかったのだろう。
だから私も真摯に答える。
たとえ、彼が激怒し得物に手を伸ばすことに繋がろうとも。
「確約はできないが、死人が出ない選択肢はあったと思う」
椅子を蹴立てる大きな音。次の瞬間、剣が鞘を払う耳慣れた音が聞こえた。
首筋にひたりと這い寄る冷たさは、鍛え上げられた鋼の温度。意識するでもなく発動した<雷光反射>により緩やかに流れる世界の中、ジークフリートが剣を抜く動きは出会った時よりずっと綺麗になっている。
薄皮一枚で止まった剣は震えの欠片も帯びず、据わった目は薄いが酷く重い殺意で剣呑に煌めく。
「良い剣だな、彼等の持ち物か。魔導鍛造された業物とみえる」
「いいか、今から、言葉を吐くなら、細心の注意を払え」
どういう意味か説明させてやるとの低い声、ちくりと刺す痛みは刃が薄皮一枚首を裂いた感覚。本気の表明に対し、元より何一つ隠すつもりも無かったと言葉を返す。
「私は魔法使いでもあった。今まではずっと師の言い付け、そして私の意志もあって隠してきた」
「んなモン、見てりゃ分かる。只の剣士にアレができんなら、俺は今頃斬撃で山の頂を縮めてる」
「その見ていれば分かる、というのが大事なんだ。普通の剣士だと思っていたら、急に魔法をつばぜり合いから叩きつけてくる……この恐ろしさは分かるだろう?」
「だからといって俺らにも同じ驚きを叩きつける必要はねぇだろ」
これまた仰る通りではある。されど、人の話はどこから漏れるか分からない。
魔法使いにとって、初見で対応できない魔法というのはとても大事なのだ。見た敵は可能な限り口を封じ、札を知る者は最低限に絞らねば相対的に弱体化する。
伝統ある剣術が秘剣を持つのと同じだ。合理と純粋な暴力で固めた<戦場刀法>に斯様な勿体ぶった技はないものの、理屈でいえば彼も納得いくだろう。
流石に首に剣が掛かっている状態で言えない理由もあるので、それは少し落ち着いてからにしようか。
「だが、隠している段階でないと判断したから使った。被害を最小限に留めるため、もう切り札も見せ札も何でも良いと全力を出した。これに嘘はない、剣の誉れに、いや父母の名前にかけてもいい」
続けろと促す目に頷き、私が主として使える魔法を説明していく。
生活を便利にする簡単な魔法、多用途極まる見えざる手、破壊の権化たる焼夷テルミット術式、地雷にも使った油脂焼夷術式は彼も覚えがあったらしい。
「カーヤに入れ知恵したのはやっぱりお前か」
「まぁね。優しい彼女が人を効率的に壊す魔法は似合わないだろう?」
「知った口を……だが、同意はしてやる。それと、その手とかいう魔法、黙ってる間もちょくちょく使ってたな?」
何故そう思う? と聞けば、幾つかの思い出話が指折りつつ持ち出された。
乗馬の練習中、凄まじい落馬をしたのに軽い捻挫で済んだ会員。乱戦の最中に剣が弾き飛ばされたが、気でも遣われたような位置に刺さっていた覚えの無い剣。神の接吻でもうけねば助からぬ至近で絞られた弓が、唐突に弓弦が外れて持ち主を酷く打ち据える偶然の極地。
全て単なる幸運で終わらせるには、出来過ぎた結果である。
「なんだ、バレてたか」
「悪ぃが俺は幸運なんて二つ名を囁かれてるが、いっこもんなモンを信じた事がねぇんだ。これだけ周りで頻発されりゃ、何かの意図を感じねぇほど鈍くねぇ。口にしなかったのは確信が無かったのと、テメェとは限らねぇなと思ったからだ」
「なるほど……やはり君は頭も目も良い、もっと慎重に使うべきだったか」
だが、目の前で助けられる味方を“念の為”で助けない外道にはなりたくなかった。だから今まで何度もバレないよう、ひっそりと魔法を使ってきた。
しかし、全て便利で使えば戦況が一気に有利になる魔法だということは彼も理解してくれただろう。
「死人が出ねぇ可能性もある理由は分かった……じゃあ聞くぞ。動死体の戦列、それを一撃でぶっ飛ばせる魔法はあるか?」
「いいや、それは流石に無理だ」
私の魔法はどれも広範囲を焼く事には向いていない。唯一、隠し種の一つである菊花の術式は広範囲を対象として大勢を対称にすることもできるが、あれだけ広く展開されていては全てを範囲内に収めることはできない。
また不死者に対する効果も薄い。吸血種のように臓器を必要とする不死者であれば一度殺すことによって足止めもできるが、内蔵機能を必要としない動死体は例え気圧変化や衝撃波によって内臓をズタボロにしようが動き続ける。
本質的には生物を対称にした広域破壊術式なのだ。今の所、誰かが私にメタでも貼っているかのように人間の敵相手に使う必要がなく、いざ必要となれば効果が薄い敵を並べてくるから困っているだけだ。
メタ視点で見れば分からないでもないし、やってきたんだがな。アイツ範囲攻撃持ってるから、足止めには沢山用意できるトループモブを散らそうとか。我が身で実感すれば、安くない熟練度を使ってるんだからPLメタを張ってくんじゃねぇと言いたくもなるが。
これを乗り越えようとするなら半径数キロ単位を焼き払う術式が必要になるが、そもそも菊花の術式でも過剰火力感があるのに、そんなものを用意してどこに冒険に行くつもりなのだお前はという話になる。
前提として軍を相手にする現状が冒険者という枠から、どうしようもないほどズレているというのに。
そんな無茶はさておくとして、今回も横列を組むのが人間であれば主力の密度が濃い場所を見繕って一発ぶちかますことに迷いは無かったし、ずっと楽に事が進んだだろう。主力は壊滅し、散兵もあまりの損害に腰がひけて戦争なんてする気にならなかった筈である。
一撃で数十人から殺すことになるが、味方を殺されるよりはずっとずっとマシだ。
しかし、あの状態を一瞬で解決する手段は無かった。
手と剣を全力稼働させようが魔法を全力でぶつけようと、あの数を一人で始末するのには時間がかかる。五分やそこらで全て黙らせることは出来ず、仮に出来てもギリギリのタイミングであった騎兵隊に襲われていた者達の救援が間に合わなかった。
「ん……? なら、その場に留まって襲われてた連中を助けることが出来たか?」
「それも無理だ。魔法は条件を満たさないと基本的には視界の及ぶ範囲で効果をもたらすものだ。防衛戦に加わりながら遠方で魔法を使うのは難しい。遠くを見る魔法もあるが、それで襲われている彼等を補足したからといって直ぐに魔法で救援することはできない」
アグリッピナ氏レベルに達すれば<遠見>で覗き見た遠方であっても、自身がそこにあるように魔法を行使することが出来るけれど、私にはできない。いわばシーンに登場していないのにスキルだけ使ってくる、半ばNPCに踏み込んだ高みの技能。インフレが控えめなシステムであればエネミーにしか習得が許されない壊れた所業である。
魔力を中継する護符などを持たせる工夫をすれば簡単な魔法を届けることはできるが、<声送り>でさえ同じ街の中が限度なのだから複雑な動作は望むべくもない。
「あぁ? なら、死人を生き返らせるまではいかねぇが、大怪我を治療したり……」
「おいおい、それこそカーヤ嬢を超える腕前だろう。私は体を癒やす術式には何一つ触っていないよ。アレは本当に難しいし繊細なんだ」
なにせアグリッピナ氏でさえ“得意ではない”といって専業の癒者に任す技術である。私が手を伸ばそうとしたら、剣の腕は今の半分未満で術式も半分以下に減らし、手も贅沢に取得することはできない。その上でちょっと傷が治せます程度、つまりカーヤ嬢の下位互換に過ぎない器用貧乏の良い例みたいな代物が出来上がる。
それ程に肉体再生の魔導技術は高度にして複雑なのだから、冒険者として立脚すると決めた時点で選ぶことはない。回復役をするなら、最初から気まずさを押し殺して神々に信仰を捧げているとも。
「俺の気のせいじゃねぇならよ、死人が出ねぇ選択肢にお前の力がイマイチ繋がらねぇ。それとも何か、騎兵を潰した後で一人で来りゃなんとかなってたか?」
「……難しい所だな。騎兵一人の衝撃力では陣形を潰せないし、かといって<見えざる手>で展開した横列で斬り込んでも即座に全てを解体できる訳でも無いから、やはりあの場では騎兵の衝撃力が欲しかった。人員を補充せず荘民を駆り出せばあるいは……」
「アホか、自警団ならまだしも荘の男衆を許可無く駆り出したら義理が通らねぇだろ。そいつら守るために銭貰ってんだぞ俺らは。自由意志で参加したにせよ、死なれたらどう責任とんだ。第一、軍馬に乗って突撃なんて出来るヤツが居たのかよ」
「乗って走れるかも、程度の男衆に無理させたくなかったから一度引き返したんだ。あるいは、と言っただろう?」
動死体と戦う戦列の被害を零にしたいなら、最初から私が前に出て敵を大幅に減らすか、戦列に加わって味方に届く攻撃を弾くことに専念すべきか。一撃で敵を斬り殺すことが難しい以上、最適解の幅はどんどんと狭まってくる。
少なくとも私の頭では、それ以上をひねり出すことはできなかった。
「だったら、どうすりゃ一人も死なずに済ませる可能性があるってんだ。時間でも巻き戻すか? それとも双ツ身のリシャールみたく分身でもすんのか?」
事態を知る事後の目で以てもジークフリートは解答がでなかったらしい。一挙に解決するには古の英雄単にあった時間を巻き戻す砂時計や自律する影法師を呼べた英雄の力を持ち出す他ないとするのには同意するよ。
尤も、その英雄達が口を揃えてチートかよと言いたくなる技術に指を引っ掛けているから、あながち間違ってはいないのだが。
「<空間遷移>という魔法がある。場所と場所を繋げて一息に飛ぶ魔法だ。<遠見>で敵の騎兵隊を見つけ、それで飛んでいって始末して、素早く戻ってくれば散兵とぶつかった直後くらいには騎兵隊の編制が済んだ公算は高い。早い時点で挟撃が実現していれば、死者が出る前に大勢を決することができたかもしれないんだ」
「はぁ!? なんだそりゃ、ズルじゃねぇか!」
ズル、うん、まぁズルだな。あまりのズルさに世界が滅多なことでは使えないよう、死ぬほど複雑な構造にしてくる位にはズルだ。そのズルさをちょっと忘れていたから、大量の熟練度を使って失敗作止まりになってしまった。
緩みかけていた剣に力が戻り、首筋に再び添えられる。
無言で問うているのだ。何故使わなかったのかと。
「……実は一度も自分に使ったことがない魔法なんだ」
「……は?」
空間を飛ぶ魔法が極めて難しいこと、動物実験でも成功率が世辞にも高いとはいえないこと、それが怖くてとてもではないが人間には使えないことを魔法の知識が無くても分かるようかみ砕いて説明した。
失敗した場合、どこに飛ばされるかも分からない。実験に使った鼠には位置を探知する標を持たせてみたが、失敗した実験体は今に至るまで一匹も戻らず場所も分からずじまいである。
果たして何処か遠くの知らないところに出ただけか、異相空間に呑み込まれて永遠の迷子になったのか、はたまた宇宙空間に放り出されてはじけ飛んだのか。事実は全て久遠の彼方に呑み込まれたままである。
「因みに、動物実験での成功率は」
「六割……くらいかな」
失敗して死ぬのが怖いというのもあるが、私が一時的にでも戦線を離脱する、もしくは永遠に喪われる可能性は決して無視できなかった。自画自賛するなと言われるやもしれないが、これでいて戦線を一つ維持できる大駒である自覚はあるのだ。
もし私が何も出来ずに死ねば、状況は更に悪くなっていたことだけは間違いない。
「ろ、六割か……しかも、お前自身の命がかかってなくても……」
重く苦かった声から力が抜け、ひょろひょろとした仕草で剣が下がる、というよりも落ちた。ジークフリートは完全に脱力し、椅子に身を投げ出して勢いよく座る。そして前髪を掻き上げると、万感を込めてこう言った。
「使わなくて正解だ。確実に失敗する」
「ああ、うん、まぁ……そうかな?」
「断言してやる、失敗して死んでる。お前、今まで運否天賦の賭けで稼いだことあるか?」
「えぇ……?」
記憶を漁ってみたが、惨憺たる有様ばかりが浮かび上がってくる。
私はあんまり賭け事が好きではないが、酒場に屯しているだけあって賭博に興じることは間々あった。カード遊びにしろサイコロにせよ、何かしら声をかけられるのだ。相当に稼いだだろうから、少しは遊んで行けと。
そしてその度、秒で場代を溶かして周りから「よっわ……」という哀れみを受けて離席を許されるのだ。中々無いだろう、金はあるのにあまりの不運さにむしり取らずに止めることを許されるなんて。
これがホールデムのようにハッタリや駆け引きができる種目なら多少は食い下がることも出来たが、チンチロに近い目の組み合わせで勝負する賭博であれば勝ち目が無いのはご理解頂けると思う。
「死なれる方が迷惑だ。で、改めて聞くが今までの言葉に嘘はねぇな」
「最初に言っただろう、父母にかけて嘘は無いと。不安なら送り狼もかけてやろうか?」
怒りが外れた時の虚無感か、はたまた自分が支えてきた頭目が外道でなかったことへの安堵か。ジークフリートは座り込んで全体重を擲って体から力を抜き、両足を投げ出して深く嘆息する。
それはそれとしてぶん殴る、とキチンと告げたのが実に彼らしく、私は全力で振るわれるであろう鉄拳を受け流すこと無く頂戴しようと決めた…………。
【Tips】冒険者の主敵は少数の野盗、強盗、悪漢、もしくは狭い洞窟や廃墟に救う魔物であり決して軍と戦うことを主眼に動くものではない。
切るタイミングが無かったので久しぶりに一万文字を超えました。
反省を一人語りしたい所ですが、それはまた追々。
お忘れやもしれませんがエーリヒは冒険者ですので、戦術・戦略級の魔法に必要性を感じていないため手を伸ばしていません。
漂泊卿は「あ、やれるなコレ」と余った熟練度で浪漫的にやらかしたというのもありますが、戦闘魔導師という戦術的に重要な駒である自分の立場を認識しての習得です。
菊花の術式も最大有効範囲は100mかそこらなので、むしろ十分過ぎるところ。
そしてプラズマ滅却は一万度は超えている超高温ため、テルミット術式と大差ない温度ではなく、焼いた上で余熱の制御もかねて異相空間に放逐する直撃すれば普通に即死するヤベー奴だと思います。
渇望の剣を放逐したところ、どういう理屈か帰ってきたため反省を兼ねての失敗作ですね。現状、単体の高性能エネミーを殺すために作った浪漫砲といった所でしょうか。
この辺り作中でご理解いただけなかった自身の筆力に恥じ入るばかりです。
申し訳ない。




