青年期 十八歳の春
長く退屈な冬の後に訪う春の喜びは万人に平等である。
今年は豊穣神が長寝をすることもなく、陽導神の機嫌も良かったようで雪解けは例年よりも早く、気温も穏やかに暖かくなった。
家に籠もり塩漬けの保存食に耐える時期が終わり、中々外で遊べなかったことで鬱憤が溜まる子供達も喜んで家を出る。大人達も長らく世話になった綿を服から抜き、さて野良仕事に精を出さねばと体を動かし始める。
そして、仕事を始める前、春の到来を祝福し一年の豊作を豊穣神に祈る祭りが始まる頃に隊商はやってくる。彼ら自身も商売を始めるため、時に嬉しい報せを伴って。
「おお、エーリヒからか」
とある隊商が蝋印を捺した立派な手紙をケーニヒスシュトゥール荘の農家に届けた。親愛なる家族へ、と記されたそれは冒険者として旅立って久しい末の弟が寄越す便りである。
手紙を受け取った現在の家長であるハインツは、親戚からの時候の挨拶に混じるそれを喜んで開けた。
「おーい、みんな、エーリヒからの手紙だぞ」
「おじちゃんから!?」
嬉しい報せに声を上げれば、彼の腰を刈り取る勢いで小さな影が突撃する。それは六歳になるハインツの長男ヘルマンであった。
彼は幼き頃に一度会い、光る魔法の杖を作ってくれた――それは、少し草臥れてきたが今も大事に使われている――叔父のエーリヒが大好きだったのだ。今では遠くに居る彼との接点は時折くる手紙に書かれた土産話だけになってしまったが、されど昔日の憧れが色褪せることはない。
「読んで! 父様、ねぇ、はやく!」
「わぁったわぁった、みんなが揃ってからな」
手紙が届いたという声を聞き、実家に暮らしている一同が内容を楽しみに集う。代書人がやれそうな綺麗な筆致で、安くもなかろうに何枚も何枚も紙を跨いで認められた近況をハインツは威厳たっぷりに読んだ。
「ええ、故郷の皆様、この手紙が着く頃にはもう種を蒔いてしまっているでしょうか? それともまだ準備に忙しい頃でしょうか。この時期の隊商は移動の感覚が掴みにくいため、きちんとした挨拶ができずすみません……」
何とも大仰な書き出しであるが、教育を受けた者であれば分かる礼儀を守った内容に続くは他の手紙と同じく体調に障りはないという決まり切った報告。その後には隊商を護衛して野盗をやっつけたとか、洞窟の調査を依頼された所軽い魔宮になっていて二月閉じ込められただのと中々に大変な語りが続く。
「すごいね、おじちゃん!」
「そうだなぁ、俺の弟……いや、エーリヒは大したもんだ」
手紙の内容に大変興奮して頬を赤らめる息子を宥めなてやったが、興奮冷めやらぬ彼はまだ言葉だけでは凄さを理解できぬ長女や次男、そして生まれて間もない三男に叔父が如何に凄いかを語り始めた。これまでに来た手紙の中で語られた冒険全てを暗記している子供に対し、父は密かに天才なのでは? と親馬鹿を発揮していた。
「しかし、追伸、下の子のおしめ代に使ってくださいって……絹で作れってか?」
「あらあら、また……」
実に控えめな追伸に添えられたのは、商人同業者組合の下で発行された手形だ。現金の次に手堅いと言われるそれには、三ドラクマという平民であれば考えにくい数字が当たり前のように記されている。
平均的な自作農家の年収に等しい金額に驚きは少なくなってきた。なんと言っても金がないはずの丁稚奉公をしていた頃から仕送りの額がとんでもなかったのだ。むしろ、それだけの冒険を繰り広げているのであれば、これくらい惜しくないのだろうと実感できるものだ。
相も変わらずとんでもない末弟だと思いつつ、夫婦は有り難く仕送りを頂戴することにした。遠慮して突っ返した所で、うるせぇ黙って受け取れとばかりに倍にして返されるのが目に見えている……というより帝都時代に一度やられているのだから。
「なにやったらこんな額を稼げるのかしら」
「あー……俺の現役時代は兜首一つ挙げりゃ家が建ったが、冒険者はどんなもんだろうなぁ……」
凄まじい金額に居を離れに移して半隠居状態のヨハネスとハンナは重い唸りを溢す。手紙に書いてある冒険が嘘ではない証拠といえば聞こえはいいが、息子が凄まじく危険な冒険をしていることにも繋がるため、笑顔で送り出そうが親としては感じるものの一つもあるのだろう。
「しかし、この調子だとうちの子達は全員新品の婚礼衣装で送り出すことになるなぁ」
「そうねぇ……花嫁衣装に絹地でも使おうかしら」
また、有り難いが悩ましい贈り物に若い夫婦も頭を悩ませていたが、どこか遠くから鐘の音が聞こえてきた。雑に打ち鳴らされるそれは、剣呑な警鐘ではなく“吟遊詩人”が到来を報せる鐘であった。
どうやら隊商に随行していた詩人が講演をやるらしい。彼らは客を集めるため、一席打つ前にこうやって客を集めるのだ。
「あっ、詩人だ!」
話を切り上げヘルマンは鐘の音に目を輝かせる。そして、連れて行ってくれとばかりに親ではなく祖父に縋り付いた。
「しかたねぇなぁ」
などと言いつつやに下がった顔をした祖父は孫を抱き上げ、息子はあまり甘やかすなよと宣いながら自分も聞きに行く気満々で立ち上がる。どの口で、と女衆は溜息をつき、男衆に小銭を投げつけて行ってこいと追い出した。
「新しいお話聞けるかなぁ」
「そうだなぁ。新しいのがあってもいいが、お父さんはイェレミアスの神剣サーガも聞きたいなぁ」
「お前、ガキの時分からそればっかだな……」
微笑ましい会話をしつつ隊商が露店市を開いている広場に訪れた一行。折良く荘を回り終えた詩人が戻ってきて六弦琴の調律を始めている。
「あー、こりゃイェレミアスサーガじゃなさそうだな……」
「残念だね、父様」
「だが、あんまり腕前には期待できなさそうだぞ」
吟遊詩人によって使う楽器は様々であるが、向いている曲と向いていない曲があるため何を携えているかで歌う詩の傾向が大まかに分かる。六弦琴はしっとりした情緒ある場面も奏でられるが、一番得意なのは派手に弾き鳴らす上り調子の興奮を煽る演出。ゆったりかつ、朗々とした語り口の合うイェレミアスサーガには些か不向きな楽器といえた。
また、楽器の種類と同様に調律の時点で詩人の腕前はある程度分かるものだ。多くの詩人の歌を聴いてきたヨハネスには、この時点で詩人の芸歴の短さを察することができた。
しかし吟遊詩人は吟遊詩人、多少下手であろうが娯楽に乏しい田舎では貴重な余興である。期待外れに終わることもあるが、観客の礼儀として二人は銅貨を地面に置かれた帽子へ放ってやった。
聴衆が十分に集まったことを見届けると、詩人は咳払いを一つして前口上を述べる。
「では皆様、今回はこの辺りだと耳慣れぬであろう最新の英雄のお話を吟じましょうぞ」
枕とも呼ばれる導入の前置きのようなもので、ここでも詩人の腕前が現れる。詩人によって話の内容や語り口は千差万別、同じ内容の詩でも全く違う印象を受けることがある娯楽だけあり、導入にも奏者の色が濃く現れる。
「舞台は遙か遠く西の地、地の果てとも呼ばれるマルスハイムにございます。諸国の玄関口であり商機の坩堝たる地にて芽吹きしは若く勇敢な剣士の物語」
緩やかにつま弾かれる六弦琴。導入は静かに始まり、語られる冒険者の人となりから入るようだ。誰もが知っている英雄ではなく、新しく紡がれた詩であれば有り触れた展開である。
「おお、見よかくも麗しき黄金の髪を。陽の光を浴びて輪を描く輝きは黄金の冠を頂くが如し。光輝ある金の髪を靡かせ、涼やかなる美貌を義憤に染めたる冒険者の威名を讃えよ」
剣の立派さでもなく、鎧の見事さや体躯の秀でたるでもなく髪を褒める辺り不思議な導入だと聴衆は思った。冒険者の英雄譚であるのなら、大抵はその見目の麗しさよりも勇ましさに着目するからだ。これではまるで救われる姫君のようではないか。
「彼の者の名はエーリヒ。金の髪のエーリヒの物語をどうかご静聴……」
静聴の願いは実に儚く仰天の声に破られた。というのも、金髪で冒険者でエーリヒという名前に全員が覚えがあったからであろう。
「えっ、ちょっ、何!? 俺なんかトチった!? まだ導入だぞ!?」
困惑と驚きの合唱に詩人の手が止まる。むしろ、これだけ声を上げられて淡々と演奏を続けられる者がこの世に存在しようか。
大事な商売道具を取り落としてしまいそうな程にざわつく荘民に面食らったのだが、やがて誰かが「まぁ落ち着けよ、まだ決まった訳じゃねぇ」と取りなして一旦冷静さを取り戻す。
「え……ええ……? 何? なんなの……?」
「いや、すまない、まぁ続きをやってくれ。なぁ、みんな」
困惑して腰が引ける詩人に対し、荘民は揃って謝罪し追加のおひねりを放った。まぁ、そこまで言うならと出鼻を挫かれた詩人も気を取り直して歌い直す。
さて、物語自体は有り触れたもので、技量にも特別注目するところはない。この手の詩の手法として、まず打ち倒されるべき強大な敵の描写がなされた。英雄が打ち倒す邪悪は何時の時代でも強大な方が盛り上がるのだ。
語られる悪漢の名は、恐ろしき逐電の騎士、ヨーナス・バルトリンデン。苛政を原因として罷免されながら、それを逆恨み爵位を下賜された恩も忘れて主君たる男爵の居館を襲撃した大悪党。居合わせた一族と護衛は疎か、召使いまで含めて総勢四十五名を一夜にて殺害し、悪逆の徒たる配下の騎手七人と共に逐電した大罪人だ。
その後も各地で狼藉を働きながら勢力を増す彼らは巡察吏を殺し、荘から年頃の娘と年貢の作物を奪い去り、街道を行く隊商を襲って命ごと財産を奪い取る。
余りに凄惨にして帝国の面子を傷つける暴挙にかけられた懸賞金の額はなんと五〇ドラクマ。その大金に惹かれてヨーナスを狙った名高い冒険者や傭兵は数多く、時には即席の討伐軍まで築かれた。
されど、語るに悍ましき悪党は全ての追っ手を打ち払い、夜中密かにマルスハイムに近寄って、敗北者達の首を投石紐で投げ込んでみせたという。
聞くに堪えぬ所業に秀でた語り部でなくとも聴衆の背筋が冷えた。もし斯様な悪漢が荘に迫ったならば、どうなるか我が身のこととして考えてしまうのだ。精強無比なる自警団長に守られているといえど、万全はありえない。正規に叙勲された騎士が率いる巡察吏を寡兵で打ち破る軍略と豪腕を思えば震えが走る。
悪辣なる元騎士は、明くる日も悪徳をなさんと街道に伏せて獲物を待った。そして通りかかった見るに見事な隊商に怯むでもなく旗を掲げる。郎党を殺され家を断たれた旧主家の旗、まだらに染まった血染めの旗印こそがヨーナスの旗印になっていた。
武威とは単なる名目にあらず。戦場においても、ただ有るだけで敵を威圧し戦意を挫く強大な武器の一つなのだ。
多くの隊商は血濡れの旗を見て意気を挫かれ、進んで荷を差し出し助命を請うてきた。戦っても勝てぬ相手に挑み鏖殺されるより、気まぐれな慈悲を望む方が生きる目があるとして。
ただ、この隊商に付き従う専属の護衛には二つ名を持つ高名な戦士が居た。見事な体躯を誇る獅子人、南方より渡りし流浪の武者が勇ましく鬣を震わせ獅子吼を上げて迎え撃つ。彼もまた十分な武威を持ち、折れた士気を立て直させるだけの強さを持つものであった。
巨大な斧槍を携えし獅子人は自らの得物を振り上げ、不遜に笑って前に出た悪逆の騎士に打ちかかる。
戦槌が返され二撃、三撃、しかし四撃目が交わされることは無かった。ヒト種にあるまじき強烈な膂力に斧槍が弾き飛ばされ、獅子人の頭部が熟れすぎた西瓜の如くかち割られたからである。
残酷な描写に荘民の誰かが詰まった悲鳴を上げた。英雄譚になっている以上、これから先の展開がある程度分かっていても恐ろしいものは恐ろしい。その点、この物語は弾き手の技量以上に客を湧かせるので、かなり腕利きの詩人が原作者なのであろう。
「悪逆の徒は血の臭いを吸って顔を赤らめて笑い、配下に嬉々として鏖殺を命じんとする。勇んで槍を携え前に出るは、血に飢えたる配下の野盗共。汚れし装具に下卑たる笑い。されど、護衛の意気は挫かれ、戦列を組むことさえままならぬ。ああ、このまま神の名を呼び、死後の慈悲に縋りつつ無残に果てるしかないものか」
ここでふと詩人は考えた。英雄譚というものは本来数部に別れて構成されるもので、当然歌い手の喉にも限界があるため数回、ないしは数日に分割して演奏することは当たり前。盛り上がる寸前で切って、続きはまた明日と引くことで翌日もおひねりを貰うのが普通のこと。
実際、この英雄譚も三部構成であり、一部でヨーナスの襲撃を語り、二部でヨーナスを金の髪の戦闘を。そして三部で彼の来歴やその後を語る予定であったのだが……。
『ここでまた明日つったらぶっ殺されそうだなぁ……』
という謎の鬼気を感じ取れるほど聴衆がのめり込んでいたので、喉具合も悪くないし詩人はサービスで第二部を続けることにした。既に四半刻ばかり歌っているので少し喉が渇いていたが、殺気だって詰め寄られるよりはまだマシだった。
「されど、おおしかれど神は懸命な祈りを見捨てることなし。空を切るは高く勇ましき矢の絶叫。諦めを踏破せんと突き進む一条の光は悪逆の旗を見事に射貫く」
六弦琴の低音で悲痛な旋律が少しずつ上がり調子の勇ましいものへ変じていく。本気で弾くと指が痛くなるパートだが、詩人はおひねりと後の安全を考えて全力でつま弾いた。
「みやれよあれを、黒き悍馬に跨がりし金の髪を靡かせる英傑を。馬上にて弩弓を放ち、邪悪の旗を穿ち暴虐に果敢に立ちはだかりしはマルスハイムの冒険者、ケーニヒスシュトゥールのエーリヒ……」
が、詩人の努力と奉仕は二度目の絶叫によってかき消されるのであった…………。
【Tips】詩人はリピーターを増やすためと、現実的な体力のため詩を分割して歌うことが多いが、一席で歌いきるため短く編集した派生を作ることもある。
ジーク君が人気で私も鼻が高いよ(後方父親面)。
そして、強さを語るには第三者からの口からが一番。
後に描写しますが荘は入り口に名前を掲げている訳でもなく、地図を見て行き先を決めている面子以外では大きな都市でもなければ何という名の荘に行くのか気にしないこともあります。そのため、詩人は持ちネタの生地であるケーニヒスシュトゥール荘にて一席打っていることを知りませんでした。
2020/10/28
悪党の名前を間違えておりました。メモの内容が素で間違っているGM側のファンブル。
これは詫び経験点が必要ですわ……チケット持っておいで。




