青年期 十五歳の初夏
暗くなり始めた街道のほとり。整備段階で予め隊商や旅人が休めるように切り開かれた空白地で私達は野営を張っていた。
正確には私達が身を寄せた隊商が、天幕を立てて焚火を起こし夜を明かす準備に入ったのである。
「おう、エーリヒ、頑張ってんな」
「おー、相変わらず早いな」
「その調子で頼むぞー」
焚き火の準備を終え、早々に火を熾した私の所に武装した様々な種族の傭兵がやってくる。そして自前の松明やランタンに火種を移し、警戒のため外周に散っていった。
さて、今の私は隊商に安い参加料で加わった旅人という扱いである。隊商の強みは徒党を組んで数を用意することであり、参加者が増えれば増えるほど道中の安全が高まるため、こういった飛び入りの参加者もある程度は歓迎されるのだ。
野盗も動物も馬鹿ではないので、一息に殺しきれない人数は反撃が怖いから基本的に手を出してこなくなる。そして人数が増えればトラブルに対応する手札は増え、面倒な見張りも短時間での交代により少ない疲労で済ませられる。
なにより一人一人が金を出し合うことで、身分がしっかりした傭兵団を安い出資で雇えるとなれば何をか況んやである。
人手。やはり人手は全てを解決してくれる。
私達が目を着けたのは、商人と護衛を含めれば参加人数が百人にも達する大規模隊商であった。国外に出ることを想定した遠距離隊商であり、国内を彷徨く隊商の平均的な規模が三〇人前後であることを考えるとその規模の凄まじさが察せられよう。
当然、そんな隊商に身を寄せて安全に旅をしたい人間は多い。となると相当額を出さねば“お客様”待遇は得られないわけだ。
懐に余裕はある我々なれど、根が庶民である点は如何ともし難く、倹約して隊商の雑事を代行する代わりに安値で同行する日雇い人夫に近い形で隊商に加わった。なにより金貨を唸らせてお客様待遇に落ち着いた所で、どうせ一日二日もすれば落ち着かなくなることは目に見えていたのだから。
丁稚ここに再びというところか。
やることは結構多い。斥候の馬や荷駄を引く驢馬の世話から荷の積み卸し、煮炊きの火を準備することから洗濯などの雑事が目白押しだ。私はその全てをこっそりと魔法を使いつつ手早くこなしたことで、隊商の中では結構通りが良くなってきていた。
まぁ、身を寄せて一月も真面目に働けば、多少はイメージもよくなろうというものよ。伊達に貴種が満足して給金を出すような労働を供給していなかったのだから。
遠目には火口箱の道具を使って火を熾しているようにしか見えぬよう工夫しつつ――間近で観察せねば魔法使いでも気づけないくらいに出力を絞っている――ものの数分で小さな火種をしっかりした焚き火に仕立て上げる。隊商は人数が人数だけに熾さねばならぬ焚き火も多いのだ。
その内に炊事の煙も上がり、良い匂いがし始める。今回は隊商発起人が料理人を帯同させているから、保存食や道々で仕入れた屑野菜が材料でも丁寧に調理されているので美味しい賄い飯にありつける。
いやぁ……しかし、この一ヶ月は実に平和だったな。野盗が出てくることもなく、馬泥棒に悩まされることもなければ、隊商主が真面目なこともあって風紀が引き締められているから阿呆な喧嘩をすることもなかった。
最初からこうしていれば良かったなと心底思う。冒険は大好きだが、別に諍いとかヤッパ抜いて大暴れするのが好きって訳じゃないからなぁ。
「おうぃ、エーリヒ! 手ぇ空いたならこっち手伝ってくれや!」
「あ、はい! ただいま!!」
火を熾し終えると炊き出しをしている料理人からお声がかかったので手伝いに行く。豚鬼の恰幅が良い料理人は、以前は隊商主の下男に料理を手伝わせていたが、少し前に野菜の皮むきや肉の下ごしらえを手伝って以後はよく私に声をかけてくれるようになった。
なんでもナイフを調理のために真っ当に使える人間は意外と希少なそうだ。大きさを揃えないと良い具合に煮えないし、切り口が悪いと味も口当たりも落ちると、雑なごった煮の筈なのに妙に美味い飯を作りながら愚痴っていた。
作業用のナイフで言われるがままに素材の皮を剥き、等分にカットし、時に悪くなった所をそぎ落とし続けること半刻あまり。指先が野菜の渋で黒く染まって前世のゴム手袋が愛おしくなる頃に漸う料理の手伝いが終わった。
後は配膳、片付け、皿洗い――こういった野営地は大抵近場に川が流れている――などで忙しく駆け回れば、気付けば月が天高く昇っているではないか。殆ど隠れてしまった夜陰神の神体が投げかける光は弱く、反して隠の月は満ちてゆき真円に近づく。
むしろ、とくとして黒い様は、夜空に空いた深淵の如くある。
物騒でおっかない、見ていたら吸い込まれそうな色相の月から目を逸らして伸びをした。しゃがんで洗い物をしていたせいで固まった腰を伸ばす感覚が気持ちいい。ああ、労働の疲労というのは充実していると実に心地よいな。
前世であれば缶珈琲と共に一服、としゃれ込みたい所だが自販機は疎かコーヒー豆も入って来ていない世界では望むべくもないので一服だけをつける。しかし、結構な前任者がいる気配が感じられるから、誰か一人くらい新大陸探しに乗り出したりしていないのだろうか。黒茶も悪くないけれど、飲めないとなるとあの珈琲の苦みが恋しくて溜まらなくなるな。
さてはて、トンカツを食べた事の無い者はトンカツの味に焦がれることはないというが、贅沢を知っているというのは中々に難儀なものだな。
ぷかりと煙を吐き出し、隠の月が満ちたことで元気になった名も知らぬ妖精達をあしらって野営地に戻る。寝仕度を初めて天幕を広げたり、金がないのか焚き火の隣に直接毛布に包まって眠ろうとしている面々の隣を抜け、私は自分達に割り当てられている馬車の荷台へ潜り込んだ。
幌を被せたしっかりした作りのそこで、小さな毛布の塊が転がっている。
「マルギット、時間だよ」
正確には毛布に包まって仮眠を取っている我が幼馴染みだ。
「んぅ……?」
肩と思しきあたりを優しく揺すってやれば、毛布から微かにはみ出していた頭が蠢き寝顔が覗く。昼寝を邪魔された猫のような不機嫌な声を上げつつも、幼馴染みは琥珀色の瞳を開いて起き上がった。
目尻に浮かんだ涙を拭い、脱皮する様に毛布を抜けて伸びをする姿は蜘蛛の要素を含んでいるのに酷く猫っぽい。かつて帝都に多く飼われており、よく相手をした面々の顔が浮かぶ様だった。
「おはよう、エーリヒ。もうそんな時間でして?」
「ああ、夕飯とってあるよ。きちんと暖かいままにしてあるから、ゆっくり食べておくれ」
仮眠によって崩れた居住まいを正す幼馴染みに保温の術式で暖かいままに留めておいた夕飯を差し出してやる。
さて、彼女は別に暇だから仮眠をとっていた訳ではない。これから大事な仕事があるから、早く寝て調子を整えていたのだ。
蜘蛛人の多くは<暗視>特性を持っている。夜に活発に動いたり、森のような光が届きづらい場所で活動したりする彼らは新月の夜でも読文判定に挑めるほどに夜目が利くのだ。つまりは夜間の見張りに最適な種というわけだな。
そして猟師として活動していて遠目も大変に優れるマルギットは、夜間の見張りを隊商での仕事として振り分けられていた。それ以外でいえば野営を張る僅かな間に森に踏み入って獲物を探すなど――経費を浮かすため、道中で食料を自弁することは多い――狩りをするのが彼女の仕事である。
いわゆる適材適所というものだ。小さな体は荷運びには向かぬし、他の雑用に比べて秀でた所があれば活用するのは当たり前。私は便利屋として、彼女は夜目の利く見張りとして立派に働いているのであった。
私は昼と夕方に働き夜間は彼女に守られて休み、彼女は移動中に私の膝で寝て夜に仕事をする。この流れはきっと、冒険者になっても変わることはないだろう。
「今晩も平和な夜だったらいいですわね」
「そうだね。無事を祈っているよ」
「ご安心くださいな、貴方の寝息を乱す様な無粋はさせませんことよ」
名も知らぬ粗野なれど味の良いごった煮を腹に収めると、彼女は蜘蛛人式の夜闇に紛れる狩人装束を着込んで音もなく荷台から出て行った。外周に散って警戒する護衛の穴を埋めるため、今から交代制で野営の周囲を巡回するのだろう。
彼女を見送った私は、温もりが残る毛布を羽織って眠ることにした。宿の寝台と違って寝床の床は堅いけれど、地面よりは数段寝心地がいい。何よりも良い冒険者になるには欠かせない適性があるからな。
何処ででも眠れるのが良い冒険者だってのは万国共通なのだから…………。
【Tips】特性やスキルでも種族によって越えられない限界は多い。ヒト種ではどうあがいても生身の身体能力で空を飛ぶことはできず、潜水し続けることが能わぬように。
運が悪い私は疑り深く、平和だなーと暢気しつつも来たるべき波瀾に備えていた。
大規模隊商でさえ襲えるような大きな徒党の襲撃。突発的な内紛に巻き込まれる不運。勝手に関所を置く悪徳代官に引っかかり発生するもめ事。
極めつけは何の脈絡もなく空から降ってくる古代龍!
二つの六面体や良く回る二〇面体のご機嫌が悪ければなんでも起こるのがこの世の中。理不尽としか思えない敵に踏み散らされて、同姓同名同能力の見知らぬ他人に転生する経験など両手の指でも足りないくらい。
だから覚悟していた。何かが起こることを。
ただ……。
「本当に惜しいな。ずっと居てくれてもいいんだぞ」
「そうねぇ、二人はとってもよく働いてくれたもの。本店の手代に来て欲しいくらいなのに。ねぇ、考え直さない? ウチだと夫婦なら手代の内でも泊まり込みじゃなくていいのよ?」
こうやって目的地付近まで何のトラブルもなく来られてしまうと、なんだ、その……言葉に困る。
物足りないような、ほっとするような、でも誰にかに「何か忘れてない?」と聞きたくなるような。
いやいや、これが普通、順当だというのは分かっているとも。むしろ序盤とかアグリッピナ氏の側仕えやってた時期が狂っていたと認識できる程度の正気値は残っているさ!
それでも、こうやって隊を離れる旨を告げるにあたって、隊商の発起人夫婦や、仲良くしていた人々から別れを惜しまれると微妙な気分になるんだよ。
「お誘いありがとうございます。ですが……」
「幼少期からの夢……ですものね?」
小さな体が嘘の様な活発さで隊を指揮する矮人の夫婦に手を握られ、普通であれば一も二もなく飛びつくであろう誘いを丁寧に辞した。彼らはとある行政管区の州都に本店を持つ陶器商の仕入れ担当であるらしく、これから西方辺境域を抜け、西方の雄セーヌ王国さえも越え、緑西海を臨むピレニア連合評議国にまで足を伸ばすという。
そこで異国情緒と西方文化が混じり合った独特の陶器を仕入れるため、信頼して仕事を任せられる人間は幾らでも欲しいらしい。確かに陶器のような繊細な物を仕入れて――実際、途中で捌く予定の品には壊れ物が多かった――陸路で持って帰るなら、丁寧に仕事をする人足は確かに貴重か。
国を二つも跨ぐ仕入れ道中と思えば、それはそれで波瀾万丈の大冒険が待ち受けているのかもしれない。耳慣れぬ言語を聞き、異国の技術に触れ、初めての味に舌を楽しませるのもきっと素晴らしい冒険になるはずだ。
されど、私が愛したものとは少し違うのだ。
重ねて丁寧に詫びつつ誘いを辞し、私達は荷物を纏めて隊商を後にする。二月も供にしたので顔なじみや友人と呼べる者もできたし、代金として馬車馬に使って貰っていたカストルとポリュデウケスも同道した馬達と別れを惜しんでいるようだった。
これほど穏やかな時間は、私の記憶の中だとケーニヒスシュトゥール荘で平和に暮らしていた幼年期以外には中々なかった。帝都で丁稚をやっていた時も平穏な時期はあったけれど、なんだかんだ仕事も多く忙しかったからな。
さて、これほど穏やかに過ごせるのは、次は何時になるだろう。
街道の分かれ道に立ち、私達は隊商の殿が見えなくなるまで見送った。彼らはマルスハイムに立ち寄らず、そのまま国境まで向かうそうなのでここでお別れなのだ。
爽やかな気分で彼らを見送り、私は小高い丘のような形になっている分かれ道の上に登り、満を持して広がる世界を眺めた。
蕩々たる緑の海のごとき平地、整備されきらず鬱蒼と茂る林、その合間に聳える市壁に囲われた都市。いざ見やれ、あれぞエンデエルデとの異名を与えられし西方辺境域はマルスハイム行政管区が州都マルスハイムである。
ランドマークとして都市の中央に鎮座する城館は小ぶりなれど質実剛健な作りで見るからに頼もしく、遠方に聳える山々の頂に臨む支城や出城と相まって一目で堅い守りを見せつけている。軍記物の英雄譚にて五万の軍勢を八千の手勢で跳ね返したというのも納得の威容だ。
最辺境の防備の要であると共に西方衛星所国家群の玄関口として栄える町々は煙突の煙も賑やかで、経済活動が活発に行われていることが一目で分かる。窮した都市はまず燃料代から削られるため煮炊きの煙が少ないので分かりやすいが、仕事をしている煙突を活発さの指標とするならマルスハイムは絶好調と言えるだろう。
そして何より目を惹くのは出入りする人の多さだ。行李を担いだ個人営業の商売人から馬車を引き連れた隊商までが四方の大門の内三つに群がっている。それに劣らず、都市北方を流れる雄大なマウザー川を行き来する回船の多さよ。
富は遙けき地より訪れり、と謳う格言そのままの光景ではないか。
今からあそこに行くのかと思うだけでワクワクしてきた。
帝都ベアーリンも栄えた都市ではあった。しかし、あそこの栄え方はいわゆる官製の栄え方であり、政治上必要に駆られて意図して栄えた品のある発展だ。全ては精緻な都市計画に基づいて構築され、必要な物を必要なだけ詰め込み、余分は徹底的に省かれた品の良い都市である。
三重帝国の意図しない物はなく、好ましくない物を削り取って作り上げる整いすぎた繁栄だ。あらゆる物が理詰めで構築された完全計画都市に一つの誤算も存在しない。
ただし魔導院は除く。
院内では恒例となっている魔導師ジョークはさておき、目の前にて悠然と佇む都市の繁栄は、正しく栄える所にガワだけ作っておき、最低限の枠だけ決めて後は勝手にしろと放置されたが為に発生された繁栄である。
緩い秩序の中に苛烈な競争があり、昨日栄えた店が翌日には看板を下ろすような生のぶつかり合いが遠くから見ているだけでもよく分かる。
「嬉しそうですわね?」
知らぬうちに辺境への熱気に当てられていたのか、じぃっとマルスハイムを魅入っていた私をマルギットが現実に引き戻してくれた。毎度の如く背嚢じみて背中に張り付いた彼女がいなければ、私は足が疲れるまで突っ立って、あの街を眺めていたことだろう。
「うふふ、絵画のご馳走は美味しいでしょうけど、お腹は膨らまないのと一緒で、街の善し悪しは眺めてたって分からなくってよ?」
「分かってるよ」
恥ずかしくなって少し拗ねたような口調になってしまった。元から勝とうなんて烏滸がましいことは考えていないけれど、格好悪い所を見られるのは恥ずかしいのだ。
仕方ないだろう。男なんて幾つになろうと格好の付け方を知っただけの子供に過ぎないのだ。こんなもの見せられて高揚せずにいられようか。
「じゃあ、行きましょうか。私達の新しい街へ」
「……ああ!」
私のことを分かっている幼馴染みは自然と誘いかけてくれる。行っても良いのだ、多少はめを外したって微笑ましく見ていて上げるからと。この際気にするのはやめよう、見た目はきちんと十五歳をしているのだから、アラフィフにさしかかった精神年齢ではっちゃけたって誰にもばれないのだし。
私は早速愛馬たちを引き連れ、丘を駆け下りて新たな冒険の地に向かった…………。
【Tips】エンデエルデ。西方辺境域の別称。地の果ての文字通り混沌としており、多くの場所が統制されている三重帝国都市圏とは異なり州都付近でも治安は完全に引き締められているとは言いがたい。
反面、規制の緩さが商売のしやすさにも繋がっており、裸一貫から身を立てるのには最も向いている。地の果てで筵一枚担いでみれば、今や帝都のお膝元、という小唄が庶民の間で知られるほどこの地は自由に満ちている。
お盆から少し間が空きましたが更新です。
重ねて宣伝ですが8月25日に書籍版が発売と相成ります。
なんとも気が早い所では既に本が並んでいるらしく、購入報告が届き始め嬉しい限りです。今回は少し冊数が絞られているので全国へ万遍なく行き渡らせることができていないようですが、各通販サイトでも取り扱いがありますのでよろしければ是非手に取ってください。
今回もかなり加筆してありますので、私にちょっといい饂飩かラーメンでも奢ってやる心地でご購入いただければ幸いです。
今回でやっとこ冒険の大地につきましたので、いよいよ冒険者同業者組合や都市観光ですね。
新しく立った卓だと一番盛り上がる所へやっと踏み入れてなによりです。
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