ヘンダーソンスケール 1.0 Ver0.32
8月25日発売予定の書籍がKindle版ですがオーバーラップ文庫内の新着ランキングで1位になったのでサプライズ更新です。
真面目にしてたら格好良いのになぁ、と弟子は心底残念に思った。
「ん? どうかしたか?」
「いいえ、なにも」
弟子の前には見事に着飾った師の姿があった。下ろし立ての黒いローブは体型をはっきり目立たせるスラッとした流行のデザインで、洗練された仕事は間違いなくライゼニッツ卿お抱えのお針子集によるものだろう。魔導師離れして鍛え上げられた肉体を最大限引き立てる姿は、まさに服を着るとはこういうことだと誇示するかのよう。
その上で貴種の令嬢でさえも羨む、金無垢の髪を今日は淑やかに緩く編んで背に流している。引き締まった体躯のおかげで女性と間違えられることはないだろうけど、後ろ姿だけみれば錯覚する者も少なくないのではなかろうか。
その上で威厳とは無縁なれど涼やかな女顔が、紅さえ差していないのに目を惹くほどの淡い桃色で輝く様は女性としては舌打ちの一つもしたくなる。
まったくもって見栄えだけみれば、魔導院で畏怖と嘲りを以て名を囁かれる漂泊卿であるというのが嘘のようであった。
「んー……まぁ、こんなものか? どう思うね」
「ああ、まぁいーんじゃないですか?」
弟子の視線に小首を傾げる師は、しかし更に問うことをせずただ自身の見栄えに関しての意見を求めた。弟子は弟子で、この問いが「見苦しくないか」という一点だけを聞いていると分かっているので等閑な返事のみを寄越す。
どうせどんな感想を送ろうと、この男は小汚く見えていないなら安心だな、程度にしか受け取らないのだから。
それに、服装に似合っていない簡素極まる片耳だけの耳飾りに言及するのはもう止めていた。貴族位を持つ教授が身に付けるにはふさわしくないと周りからどれだけ言われようと、にっこり微笑んで黙殺してきたそれを今更言っても外す訳がないのだから。
この師は本当に外見に無頓着なのだ。この装束だって寄越されたから着ただけに過ぎず、髪も周りを漂っている妖精に頼んで適当に仕上げたに違いない。ただ周りの人間が面白がって着飾らせるから“色々と”勘違いされて面倒なことが起こるのである。
せめてもっとこう、自分の外聞や評判にも興味を持ってくれれば話は違うだろうに。
「そうか、ならいいが……ただ、この流行の襟が高いのは何とかならんのかね。苦しくてしょうがないぞ」
「開いちゃ駄目ですよ。こういうのは着崩すと……」
「返って格好悪い、だろう? 分かった分かった」
鬱陶しそうに襟首に指を突っ込み首を振る師に対し、弟子は「アンタがやると淫靡に見えるから駄目なんだよ」とどれほど突っ込んでやりたかったか。この師は教授になるに当たって交渉に必要かと考え、色々雰囲気を弄る特性を持っているのだが、それがどうにも悪い方に作用するらしく色々目に悪い雰囲気になることが多かった。
これで勘違いするご令嬢や……一部の男性がいるのが本当に性質が悪い。それで難癖をつけられて絡まれたとあっては、弟子としてはとばっちりも良い所なのだ。
「さて、行くかね」
師は鏡の傍らに立てかけてあった長杖――何やら禍々しく蒼い宝石が輝いている――を手に取ると珍しくやる気に満ちた声を出す。普段であれば、これほど着飾って出かける用事であれば魂から面倒臭いと言う様な嘆息を添える筈なのだが、どこか喜色に弾んでいる様子は大変めずらしい。
しかし、やる気があるのはいいことだ。師が無難に社交をこなせば、弟子は弟子で厄介事に巻き込まれる機会が減るのだから。
「行ってらっしゃいませ」
「……ん? 何を言っている?」
何時もの如く見送ろうとしたところ、師は心底不思議そうに言って弟子の手を取った。
お前も来るんだぞ? と至極当然のように宣って…………。
【Tips】流行の流れに乗れなくても非難されることはないが、乗れているに越したことはない。
弟子は何でこうなったのだろう、と遠い目で姿見に映る自分を見た。
ブスッとしたかわいげの無い少女が曇り一つ無い見事な鏡に映っている。
くすんだ汚らしい色合いの金髪、そばかすの浮いた頬、眇められて愛嬌など欠片もない目。少しずつ背は伸びてきたけど、棒きれの如く頼りない手足のせいで見窄らしいとしか言いようのない体。
こんなのを飾ってどうしようというのだ。弟子は心底より澱のように重い重い溜息を吐き出した。
「やっぱり緑じゃないですかね。ほら、この天鵞絨の深いグリーンが髪色とよく合う。故郷の麦畑のようだ」
「いいえ、いいえ、この子は白ですよ! この絹地の清純な白! 儚げに濡れているような光沢がある一品で、私の一押しです! 清純さを引き立てるだけではなく、立ち姿が凜とするのですからこれ以外選択肢はありえません!!」
「いや、僕が思うに赤が一番じゃないかな。意志の強さがハッキリ現れている彼女なら、この緋色も良く映えるよ。君の直弟子なんだし、色の格が家格より多少高くても問題ないだろう?」
寄って集って実家の財力では端布さえ買えそうにない反物を押しつけてくる師匠とその友人、そして師匠の閥の元締めを奇妙な生き物を見る目で眺める。反物を棚から気軽に取り出してはああだこうだと宣い、お針子が持ち出す三面図――衣装のイメージ画像――を見比べてどれが似合うだのとやかましくやりとりをする。
本当にどうしてこうなったのだろうか。
「いや、だがうちの子にはコレが一番似合うはず」
師が自信満々に持ち出す三面図を見て、弟子は思わず「うぼぁ」と貴族の子弟らしからぬうめき声を上げてしまった。自分にしか聞こえぬような小声に留められたのは、教育の良さを褒めるべきであろうか。
師が引っ張ってきたのは、何というか絵画のお姫様のようなデザインの夜会服であった。ワンピースタイプのドレスは吐き気がするようなフリルこそないものの、生地をたっぷり折り返したドレープが山盛りで凄まじい華美度合い。宝石飾りを生地に編み込む気合いの入りっぷりは、大貴族の初姫様もかくやといったところか。
絶対にこんなの着たくない、と眇められた目は更に細くなる。
「いえ! そんな“地味”なのはいただけません!!」
地味……? これ地味なの……? そうかな……そうかも……いやねぇよ。自分が知る地味とのあまりの乖離具合に精神の均衡が一瞬ぐらついたが、持ち前の強い精神力で持ち直した弟子は、しかして目に飛び込んでくるライゼニッツ卿一押しの三面図を見て再度絶望的な判定に挑まされる。
師が気に入ったデザインをお姫様というのであれば、ライゼニッツ卿が掲げるそれは皇女様といった度合いの華美さであった。
真っ白な夜会服は長い裾と長い袖をこれでもかと見せつけ、コルセットで独特のシルエットを作り出す。クリノリンまで用いて大きく広げたスカートの裾や、補強までいれて膨らませた肩口や数えるのが馬鹿らしくなるほど飾られたリボンやフリルの数々で胸焼けがしそうだった。
お願いします、これだけは勘弁してください。
実にキツい。弟子は自分のイメージに合わないし、何より何をどうすれば似合うと思われたのですかとライゼニッツ卿を問い詰めたくなった。この人、師に贈る服のセンスを見るに凄く洗練された物をお持ちのはずなのに、どうして自分の時だけ斯様に曇らせるのか不思議で仕方が無かった。
師の案を最悪だと思っていたが、より最悪があるなんて想像だにしなかった。
「いやいや、お二人とも待ってください」
そこに響くは一部においては師よりも強く敬愛する三重帝国の若き俊英の声。期待に胸を輝かせて俯きかけた顔が跳ね上がるも……。
「今の流行は東方風ですよ?」
最悪とより最悪の次に色物が飛んでくるなんて、一体誰が想像できようか。
女性体のシュポンハイム卿の手に握られる三面図には、恐ろしくタイトなドレスが描かれていた。艶やかな生地を使うことを想定したそれは、体にぴったり張り付くような構造をしており特に腰から胸のラインを見せつけ、腰元から膝にかけて用途不明のスリットが菱形にあけられている。前腕部から袖に向かって三角形に広がるデザイン、そしてよく見れば肩口から独立していて紐で繋がれている袖が東方風とでもいいたいのだろうか。
よもや地獄だった師の提案が割とマシってどういうことなの。弟子は頭を抱えてうずくまりたくなる衝動に駆られた。
さて、この地獄絵図もとい見る人が見れば羨ましがって憤死する光景は、弟子がちょっとしたお披露目会を控えているために催されていた。そろそろ基礎が固まってきたと判断した漂泊卿は、閥の面々に自慢の弟子を紹介するに丁度良い頃合いだと思ったのである。
このちゃらんぽらんが服を着て歩いているような師は、これでいて弟子大好き人間であり軽い態度に隠して実に重い愛情を注いでいる。
平服として与えているローブには手ずから刺繍で防御術式を刻み込み、普段使いの短杖も僧会に凄まじい献金をして重要な霊地に立つ木を手配して貰い、のみならず高位の僧手ずから聖別させる気合いの入れよう。
与えている教本も自ら価値があると判断した物を更に持論を込めて改訂した――しかし、単なる写本の様に見せかけた――本であるし、実験をさせる時には厳選し安全だと確信した素材ばかり使わせている。
そう、この男初めての弟子に内心大盛り上がりしているのである。そんな盛り上がりも数年間最高潮を維持し続けていれば大したものだ。
斯様な盛り上がりにライゼニッツ卿もあてられて参加し、進んでパトロンに名乗りを上げた。一方で紅裙卿は紅裙卿で親友の弟子にかなりの愛着を持っているので、お披露目会とあっては我慢しきれず参加する運びとなったらしい。
三人の優秀な……そう、とても、かなり、たぶん優秀な魔道士達は弟子を挟み、更にはお針子衆まで巻き込んで様々なデザインを協議する。
そして最終的に聡明な頭脳は一つの解決策を打ち出す。
「よし、じゃあ三部制にしてお色直しを挟むと言うことで」
「あ、いいねそれ」
「なるほど……やはり天才でしたかダールベルク卿」
絶対に止めてくださいと弟子の悲痛な叫びが響き渡り、師が選んだ三面図を掴む彼女の強い要望もあってお披露目会の衣装は決定した。
凄まじい地獄を乗り切ったと数時間後の彼女は胸をなで下ろすが……更に数日後の彼女に待ち受けている地獄をまだ知らない。
当たり前の話だが、ドレスはドレスだけで完結しないのだ。靴、小物、装身具、果ては儀礼用の杖まで似合う物を仕立てる必要が出てくる。
そしてまた大勢が集まり彼女を囲んで賑やかに喧嘩をし始めるのだ。やれ宝石は蒼だの朱だの、台座は金がいいや光る魔導合金を開発するだのと。
三日後、弟子は普段は素っ気ない態度を取られているはずの師の妹より、大量の装身具を“おさがり”という名目で――しかし、そのどれも傷一つない新品で――贈られて困惑することとなるのだった…………。
【Tips】お披露目会。魔導師が自らの弟子を正式に紹介する場であり、創立百年ほどしてから生まれた文化である。聴講生として講義に参加している時点で誰の師であるかは既に知れているが、自信の閥を含め公に紹介することには貴族文化的に一つの深い意味合いを持つが故、重要な儀式として力を入れ弟子を全力で着飾らせる師は多い。
静かに燃える暖炉を囲んで一組の男女が酒杯を交わしていた。
四方の面を一杯に本を湛えた本棚に囲まれ、マントルピースに一本の使い込まれた長剣を飾る落ち着いた雰囲気の部屋はダールベルク卿の書斎である。重厚な執務机は部屋の片隅にのけられ、今はゆったりと腰掛けられる椅子が二脚、暖炉の前を占有している。
余程信頼が置かれたものでなければ招かれることもない工房の奥、最も重要な知識の蔵に招かれていたのはシュポンハイム卿その人。昼にも仕立屋に訪れていた彼女は、しかして装いも新たに甘やかな香の匂いを漂わせながら椅子に腰掛けていた。
昼は緋色の癖のないゆったりとしたローブを纏っていたが、今は真っ白な艶のある本繻子のローブに身を包んでいた。女性美の極致ともいえる肉体を包むそれは、ローブと呼ぶには頼りないほど肉体の線をはっきり見せるもの。堪え性のないものであれば、生唾が止まらなくなるほど蠱惑的な装束で身を飾り、豊かな黒髪を結い上げた彼女は琥珀色の蒸留酒を一口呷って悩ましげに息を吐いた。
「ああ、美味しいね……飴みたいに甘い口当たりだけど、樽の風味も微かに残っていて僕好みだ。後味も余韻が長いけど、主張しすぎなくていいね」
「だろう? 君好みだと思って取り寄せた。気に入って貰えたならなによりだ」
「態々かい? でも君の好みからは外れるだろう? 君はもっとピートを利かせたスモーキーなのが好きだろうに」
少し驚いた様に問えば、同じ酒をギヤマンの酒杯で嘗めるように楽しんでいた同輩は、悪戯っぽく笑って友人に合わせるのもたまには悪くないと言った。
「しかし、エーリヒ」
「ん?」
「君の弟子だけど、もう少し自覚を持たせることはできないのかい?」
「ああ、それか……私も悩ましく思っていたところさ」
酒を交わしながらの話題の中で、ふと昼間のことが思い出されたのか、舌の上に弟子の名が乗せられた。自慢の弟子の名を聞いた師は、少しだけ苦い物を囓った様な表情を作り、額に手をやり微かに乱れた髪を掻き上げた。
「あの子はなぁ……長く末娘として家中で蔑ろにされてきたからな。自己評価が恐ろしく低いんだ」
「なるほど。そこを変えるのは確かに難しいね……あんなに可愛いのに、自分には似合わないと何度も言っている姿は……痛々しいよ」
「だから何くれとなくお洒落をさせているんだが、その全てを自分みたいな醜女に無駄なことを、と受け取っているから困る」
話題は昼に着飾らせた弟子のことであった。
年頃になりつつある少女の見栄えは客観的に見て悪い物ではない。豊かに実る稲穂のような色合いの金髪は豊穣神を想起させるほど見事なもので、意志が強そうな瞳が目を惹く顔は凜とした佇まいと相まって数年後には院内の噂を集める美女になると予想させられる。
確かに女性的な起伏には些か乏しいが、均整の取れた長い手足は凜々しい雰囲気に見合い怜悧な空気を何倍にも掻き立てる。むしろ下手に女性的に膨らんでいるより、よっぽど色っぽいといえるプロポーションだ。
だが、彼女が自身に下す評価は低い。かわいげの無いやせっぽちの餓鬼だと思い込んでいる。
「まさか君、きっちり褒めてないなんてことはないだろうね?」
非難がましい流し目を送る友人に漂泊卿は心外だとばかりに唇を尖らせつつ返した。ことあるごとに可愛いと褒めているし、自慢の弟子だと紹介してやっていると。
「ただまぁ……なんだ、その、普段の振るまいかな。あんまり真に受けてもらえてない感じではある」
「なるほどね。平素の君を思えば仕方ないともいえるね」
「酷いな」
「君もたまには自分を冷静に俯瞰してみた方がいいと思っただけだよ」
しているつもりさ、と嘯く友人に更に言い返さないだけの優しさがミカにもあった。むしろ、こっちはこっちで深く突っ込むとより面倒臭い方へ話がそれることは分かっていたから。
師弟揃って難儀な話だ。どうすれば解決できるだろうかと魔導院教授の聡明な脳は思考を回し始めたが……酒の潤滑油が回りすぎたのか歯車はきちんとかみ合わず空転するばかり。
最終的に彼女は「まぁ、時間が解決してくれるか」と上手く回らない思考を放り投げて楽観視することにした。その内に熱烈に言い寄ってくる男の一人や二人現れるだろうし、そうなれば嫌でも気付くだろうと。
それなら今は楽しい時間に注力した方が良い。空回りしつつも狡猾な思考を失わない黎明派でも名高い教授は艶然と微笑み、友人におかわりをねだるべく空の酒杯を突き出した…………。
【Tips】魔導師にとって自身の書斎は命にも等しい場所である。
前々からやりたかったネタ。割と似たもの師弟でお互いに同じ事を考えていましたということと、かつて自分がやられて嫌だったことをする側に回ってしまった悪質なNPCと化したエーリヒの図。
また告知ですが2巻の個別ページができました。
41ページまでの試し読みや口絵が一枚公開されているのでよろしければ是非見てください。
https://over-lap.co.jp/Form/Product/ProductDetail.aspx?shop=0&pid=9784865547184&vid=&cat=BNK&swrd=
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