019話 姫
四面楚歌
かつて長江と黄河の流れる大陸で、楚の項羽と漢の劉邦が覇権を競い合った時代。
万夫不当の豪傑であり、一時は広大な大地を手にした項羽は、争いに敗れて周りを劉邦の軍に取り囲まれる。項羽の身の回りにいるのは、若いころから自分を支えてくれた同郷のものばかり。
何処を見渡しても抜け道はなく、迎えた夜に項羽は懐かしい歌を聞く。
自分たちの生まれ故郷である楚の歌が、囲まれたあちらこちらから聞こえる。
流れる歌に望郷の想いやまず、懐かしい言葉に自分たちの故郷もまた自分たちの敵の手にあることを自覚する豪傑。彼らは自分の最後を悟る。
絶体絶命の危機に囲まれた状況。
まるで今の僕の状況だ。
いや、1つ違うことがあった。
僕にはまだ戦う術があると言うことだ。
冒険者となったからには、魔物如きを恐れてどうすると言うのか。相手は単にでかいだけの蜂だと思えば良いのだ。
乾く喉をごくりと飲み込んだ唾でごまかし、小剣を持った手の力を強める。
強張った身体に力を入れ、両足にも力を込める。
「チェスト!」
気合と共に目の前に要る蜂に向けて剣を振り下ろす。
ブンといった音と共に、透明な羽が飛んで1匹の蜂が地面に落ちる。
それを合図にしたかのように、蜂が襲い掛かってくる。
慌てて、先ほど切り伏せて地面に落ちていく蜂によって崩れた包囲網の方に、体を捻りながら飛び込む。
蜂たちは空を切った攻撃を、悔しげに羽を鳴らして惜しみつつ、更に僕を囲みなおそうと動いてくる。
そうはさせられない。
渾身の力を込めて下から右上に向けて剣を振り上げる。
刃のきらめきが木漏れ日を反射させて目を掠める。
振り上げた刃は狙ったわけでは無いが、運よく僕を囲もうとしていた奴らの1匹の胴体と胸とを真っ二つに切り分ける。
それでも蜂たちは襲い掛かることを止めない。
まるで僕が死ぬまで襲い掛かると言わんばかりに針と顎を向けて羽音を低く唸るようにあげ続ける。
1匹の蜂が後ろから襲いかかってきた。
耳の後ろから風を感じる様な重い音を聞き、慌てて右手に飛ぶ。
反復横跳びのようなサイドステップで移動するものの、蜂の向けた針が頬を掠めた。
その瞬間飛び出る僅かな鮮血と、カッと熱くなるような痛み。
一筋の赤い流れが、細く頬を伝う。
奥歯を思いっきり噛みしめる。頬に流れるものと同じ匂いを口の中に感じながら、それでも右肩に振り上げていた剣を更に袈裟がけにする。
また一匹、黄色と黒の塊が2つになりながら、地面に落ちる。
これで3匹倒した。後5匹。
横目にちらりと毛むくじゃらの物体と鋭い何かが飛んでくるのが見えた。
僕は咄嗟に体を捻った。
――ガキン!
粒の多い昆虫独特の目が僕の顔の前を通り過ぎたかと思うと、蜂が手に持っていた剣の横腹に体当たりをしてきた。
手にまるでハンマーで殴られたような重たい衝撃を感じ、僕は剣を飛ばされてしまった。
1mほど離れたところに落ちたそれは、拾いに行くことを周りのうるさい連中が許してくれそうにも無かった。
咄嗟に腰の後ろに右手を回し、腰に付けていたナイフの黒い柄を握る。
そのまま体当たりでふら付いている蜂の羽の根元に切りかかる。鞘ごと叩き付けんばかりの勢いで鞘から取り出したナイフは、上へ逃げようとした蜂の思いがけず素早い動きのせいで羽を僅かに傷付けるだけに終わった。
傷ついた羽で飛び回ろうとした蜂は、動く速度はそのままに四方八方で飛び回り始めた。
上手く飛べずに、無理をしている飛び方にも思える。
そんな出鱈目に飛び回る1匹の蜂のおかげで僕を襲う蜂たちの勢いが緩まった。
賭けだ。
そう思ってナイフを、戸惑っているようにも見える蜂の一匹に投げつける。
そのまま転がるように小剣を掴みに行く。
これでもし剣が掴めなければ、丸腰だ。
飛んで行ったナイフは、ぐるぐると回りながら蜂に当たる。賭けは大当たりだったようで、上手く刃の付いた所がオオミツバチの目に当たった。
突然奪われた視界に戸惑う蜂は、周りの木々にぶつかるのも構わず飛ぶようになった。
暴れまわる蜂が2匹に増えて、5匹の蜂たちは混乱をより一層深めている。
そこに僕は飛び込んでいく。
左足の親指に力を掛け、地面に押しつける様に力を入れて体を前に押し出す。
手に持った剣をそのまま振ることなく、ただ単に真っ直ぐ前に伸ばす。
体ごと、飛び込むように蜂に突き刺した剣は、混乱から立ち直ろうとしていた無傷の蜂に深く刺さっていく。
蜂の腹の中の柔らかな感触を手に感じながらも、剣には力を入れ続ける。
やがて蜂の腹を貫いた銀色の刃を引き抜き、そのまま混乱からようやく立ち直った無傷のそれら残り2匹に向けて構える。
ぽたりと頬から何かが落ちる。汗か血か、どちらかなんて分からない。
無傷な2匹は、予想外の行動を取った。
羽を僕の方に向け、頭が毛むくじゃらな身体に隠れたかと思うと、僕から離れて行った。
……逃げた?
未だ周りをやたらと飛び回る2体に剣を向け、羽の傷ついた奴に狙いを定める。
ふら付いた瞬間を見計らって逆袈裟に切り付け、返す刀で片目の潰れた蜂の頭と胴体を切り離す。
どさりと胸と頭と、針の付いた腹が落ちて、遠くで蜂の羽音がする。
羽の音がするということは、まだ居るのかもしれない。
もしかしたら、仲間を呼んだとかならどうすれば良いのか。
このまま逃げられるだろうか。
そう思って音のした方を見れば、大きな蜂の魔物が大量の小さなミツバチを引き連れて飛んでいた。
僕の方から遠ざかるように。
そんな、遠ざかる景色を見ながら僕は思い出す。
そういえばミツバチがコロニーを形成していて、オオスズメバチのような天敵に襲われた場合は、女王蜂を連れて蜂の群れが一斉に他の場所へ移ることがあると聞いたことがあった。
それだろうか。魔物といえども蜂と言うことだろうか。
僕は天敵扱いに昇格したか。
――パララパッパパラ~♪
耳の奥で急に響いた音に、僕は心臓を素手で鷲掴みにされたような驚きを覚えた。
ドキリとした胸は、メトロノームのように規則正しい音を立てながら、アレグロ・モデラートのリズムを刻む。
この音には聞き覚えがある。
つい何日か前にも聞いた覚えのある音だ。
もしかしてと思い、不思議の森を思い出しながらステータスと声をあげる。
インフォメーションメッセージと書かれた枠の中を見る。
――オオミツバチを退治しました。
――オオミツバチを退治しました。
:
――オオミツバチを撃退しました。
――レベルが上がった(2→4)
流石に魔物を倒すとレベルが2つも上がっている。
退治と撃退の違いは何だろうか。確実にとどめを刺したのが退治で、単に痛めつけるなりして追い払ったのが撃退だろうか。
野犬のときはどうだっただろう。
そうだ、レベルアップの余韻に浸っている暇はないのだった。
ここに来た理由を忘れてはならない。
蜂蜜を採取する目的を思い出した僕は、投げてしまっていた短剣を、元は蜂の一部だった塊から抜き取って腰の鞘に戻す。
レベルアップを祝福するかのような木漏れ日が差し込む林の木から、ミツバチの巣だったものをどうやって取ろうか思案する。
考えても仕方が無い。
木の幹に腕を回し、こぶのような場所に片足を掛けて木に登る。
そのままぶらぶらと遊んでいたもう片方の足を、まるでかかと落としを木に仕掛けるように高く上げて、上の方の枝にかける。木の上でバレエでも踊っている気分だ。
枝に掛けた足を切掛けに、何とか蜂蜜タンクのある枝までよじ登った僕は、鎧を付けているお腹を枝に当てる。
頭を枝の細い方に向けて、お尻の方を太い幹に預ける。
あくまで慎重に、うつ伏せで寝転がるように木の上に体を横たえ、そっと顔よりも前の方の枝を手で掴む。
綱引きの縄を引っ張るように、腕に力を込めて体を腹這いのまま蜂の巣に向けて進める。
さらにもう一度手を細くなってきている枝の先の方に伸ばし、しっかりとつかむ。
そして体を更に手繰ろうと思った時だった。
――ミシリ
不味い。
そんなことを考えた瞬間だった。枝が僕と鎧の重さに耐えかねて地面に向けて落下を始めた。
ボキっという音とともに、僕は何処かで感じたような落下感を覚えていた。
まるで前に感じたことがあるかのようなデジャブと共に体は回転し、お尻と背中に鈍痛が走った。
しこたま地面と枝に、身体を打ち付けてしまったらしい。
「痛たたた……」
お尻をさすりながら、立ち上がる。
上を見上げれば、見事に枝の折れた跡が残っている。木の皮の内側が、まだ瑞々しい緑色と白色を見せている。
そうだ、蜂の巣はどうなっただろう。
お尻に膝で蹴られるような鈍い痛みを感じながら、足元に落ちた枝を見分する。
折れた跡も生々しい太い部分から、じっくりと舐めるように、細くなっていく枝を見ると、中ほどに蜂の巣が落ちていた。
蜂や蜂の子は全て連れて行かれてしまったのだろうが、蜂蜜はまだ残っているようだった。半分になったそれは、2つに割ったドラ焼きのように半月状をしていて、たらりたらりと蜜をこぼしていた。
僕は何時の間に投げ捨てていた鞄から、素敵なお姉さんが暖かな手と一緒に差し出してくれた瓶を取り出す。
今思い出しても、ドキリとするような美人なお姉さんだった。思わず頭が真っ白になって飛び出してしまったが、もっと色々聞けば良かった。
特に恋人が居るかどうかは、重要な情報だと思う。
本人を前にしては聞けそうにないから、誰かに聞いてみるべきだろうか。
そんな情報もギルドで買えたりするのだろうか。
瓶の蓋を開けて、割れて垂れている蜂蜜を瓶に入れる。
甘くて美味しそうな匂いが漂ってくる。
きっと黄色い熊の人形の好物は、こんな匂いがするものなのだろう。
大匙3杯ほどと言っていたが、折角なので瓶に入るだけ蜂蜜を詰めた。
量が少なくて困る人は多くても、量が多くて困る人は少ないだろう。多少のシーソーゲームだ。
瓶の蓋を詰めなおすとき、少し手に粘ついた蜂蜜が付いてしまった。
指を口元に運んでペロリと舐める。
こ、これは最高級の蜂蜜だ。
ふわりと漂う華の香りは恐らくこれがクローバーの蜂蜜だからだろう。
煮詰めたシロップのような木の香りとは違う、まるで口の中で小鳥がさえずる様な穏やかでほんのりとした香り。
甘さはサラリとしていて、舐めた瞬間に自己主張したかと思うと、次の瞬間には去っていくヒーローのように、後味も爽やかな甘さ。水を飲んだ時のようにクセの無い、涼やかな味だ。
是非ともこの蜂蜜を入れたお茶を飲んでみたいものだ。
僕は馬鹿だ。
何で瓶を一瓶しか持ってこなかったのだ。
こんな素晴らしい蜂蜜なら、採れるだけ採って持って帰れば、朝夕のティータイムが至高の時間になったのに。
とても悔しく思うが、そんな悔しさもとりあえず脇に置く。
次からは依頼の時にきちんと準備を確認してから行こうと決意しながら町に戻る帰路に付く。
来るときはがむしゃらに蜂を追いかけていたために少し迷ってしまいそうになったが、何とか三つ葉の群れに付いた。
僕の腹時計と、木漏れ日の日時計を合わせてみれば、どちらもお昼を少しばかり過ぎた時間であることだと示していた。
まだまだ時間は残っている。
そんなことを考えた気まぐれだったのだろうか。
或いは戦闘になった緊張が解け、無意識にも童心にかえった癒しを求めたからだろうか。
ついついしゃがみ込んで探し物を始めてしまった。
遠くで鳥が鳴き、蝶が飛び、そしてどこかでみたような蜂が飛び、風そよぐ中での探し物。
幸せを運んでくれると言われている4つの葉が付いたクローバー探し。
木々の葉々がそよぐ風に揺られて音を奏で、林の演奏家となって静かな音楽を演奏している中で、クローバー畑の三分の一ほどを探し終えた時だった。
ようやく目的のものを見つけた。
何度か三つ葉同士が重なっているのを間違えたりもしたが、ようやく見つけた1本は紛うこと無き幸せのクローバーだ。
出来るだけ長くしようと、根元の方まで探ってちぎるように手折る。
押し花のように出来ないものかと考えもしたが、中々難しそうだ。
宿に置いてある鞄の中なら、本があるから挟んで押し花にできるのに。
借り物に挟むと青臭いものが滲んでしまいそうなので、挟むなら教科書かノートにでも挟むべきだろうか。
探し物も運よく見つかり、幸運を携えながら林の中を歩く。
行きにも使った林道を使い、サラスの商業都市まで戻る。
行きと同じぐらいの時間を掛けて歩いた頃だろうか、開け放たれた大きな鉄門が見えた。
やはり何人かが馬車やらと共に並んでいる列が2列見える。
出る時とは逆の列に並んで順番を待っていると、すぐに順番はやってきた。
「はい、身分証か通行証を見せてください」
「ちょっと待ってください。……はい、これです」
対応してくれたのは茶髪で背の高い騎士だった。
騎士は皆、体格がボディービルダーかプロレスラーのように厳つい身体をしていると思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。
目の前の騎士は身長こそ180を超えているものの、スラリとした細身の体をしている。
「ん、冒険者だね。入って良いですよ」
「ありがとうございます」
軽く会釈をしながら、町に入る。
賑やかな喧騒は、林の静けさや蜂の賑やかさと違った、人の笑顔を思い浮かべさせてくれる。
朝通った道を逆に行けば、布を売っている屋台があった。
生地をそのまま畳んだような物が少しづつずらされながらも重ねられ、赤色、青色、白色と色鮮やかな模様を作っている。
大通りから一番見えやすい手前の布には、綺麗な刺繍もしてある。
薔薇か牡丹のような花に、コマドリのような鳥が飛び交う刺繍。見るだけで細かくて手間のかかっている様子が伺える。
やはり日本とは、色遣いのセンスが違う。淡い色と言うのが本当に少ない。僕は結構薄めの色が好きなのだけど。
こう、透明感のある色と言うやつで、生まれてから今までずっと大好きな色合いだ。
ギルドまで戻った僕は、依頼の窓口にまたあのお姉さんが居ることを期待しつつ、窓口に向かった。
しかし期待は裏切られ、そこに居たのは、また見たことのないお姉さんだった。
ブルーブロンドと言うのか、少し青か緑のかかった色合いの金髪で、年の頃は20代に見える。
座っているから身長は分からないが、お決まりの笑顔を浮かべて僕を見ている。
ただ、何よりそのお姉さんを印象付けているのが、その耳だった。
ピンと尖がった細長い耳。
今までの世界ではありえない、どこか非人間的で神秘的な耳。
マイセンの白磁器のように、蒼い髪と対になる様な白い肌と合わせて、誰の目にも強く存在を訴えかけてくる。
いわゆるエルフと言われる種族なのだろう。
エルフは長命だと聞いたことがある。
だとするなら、見た目は朝方のお姉さんと同じぐらいに見えるこの人が、実はとんでもない御婆さんのような年齢だと言う可能性もある。
朝よりも少し冷静になりながら、ギルドカードを出してお姉さんに尋ねる。
「Iランクのハヤテ=ヤマナシです。依頼の品を持ってきたので確認して頂けますか」
「あら、貴方がそうなのですね。…あ、カード預かります。少々お待ちください」
微笑ましく子供を見守る親のような目をしながら、奥へと入っていったエルフのお姉さん。
しばらくすると、カードを持って出てきた。
報酬らしきものを持っていないのは、蜂蜜を見せなかったからだろうか。
「お待たせしました。ごめんなさい、この依頼は依頼人の方に直接依頼品をお持ちして欲しいのだけれど。出来るかしら?」
「え?直接ですか?」
「ええ。依頼用紙にも書いていたと思うのだけれど、直接受け取ることを依頼人の方が望まれておられます」
そう言えば依頼の羊皮紙には、そんな特記事項も書いてあった気がする。
忘れていた。
早速蜂蜜を届けるべきだろう。
「私は構いません。届けに行くのは何処に行けば良いですか?」
「え?良いのですか?」
「ええ、何か問題がありますか?」
「…いいえ」
微妙な間と沈黙があったのがとても気になるが、問題が無いのなら別に構わないだろう。
依頼を受ける前や、受けてすぐに顔を合わせれば胡散臭いと思われるかもしれないが、僕は既に依頼の品を持っている。
きっと笑顔で迎えてくれるだろう。その価値が数時間の労働の結晶には詰まっている。
「それで、届けに行くのは何処に行けば良いのでしょうか」
「……お城です」
「え?」
「お城の王女殿下が依頼人なのです。依頼書の名前で気づいておられたと思うのですが」
いや、気づくわけがない。
僕がこの世界に来てから、王様だの王女様だのの話はほとんど無かった。
ましてや、名前なんて存じ上げません。
確か、カレンナール=フィ…なんとかという名前だ。
そうか、この依頼を皆が避けていたのは、依頼の内容が問題と言うよりは依頼人を警戒したからか。
王女様が依頼人で、しかも直接手渡すなんて依頼なら、裏を疑って当然だ。
それに下手に粗相をしたり、思わぬ失敗で依頼を達成できなかったりすれば、それだけで犯罪者になることだってあり得る。
君子危うきに近づかず……だ。
この依頼は避けて通るのが当たり前の依頼だった。
しかし、今更気づいてしまっても遅い。
覚悟を決めて行くしかないだろう。
「お城に行って、どうやれば取り次いで貰えますか?」
「これをお持ちください。御城の誰かに渡せば、取り次いで貰えるはずです」
そういってエルフのお姉さんは、長い耳を見せつけながら一枚の羊皮紙を差し出してきた。
長い指が、しなやかに動くところは実に女性的で、年季の入った大人の女性の仕草に思える。
「この羊皮紙は?」
「依頼書の用紙よ。ここに書いている依頼を受けたと言えば、話が通るはずよ。ギルドの印と支部長のサインもあるから、信用してもらえるはずだから」
サインは要らない気がする。
それでも話が通っているなら、ありがたい。
「それじゃあ今から早速行ってきます」
「そう、気を付けてね。」
「はい」
僕は早速お城に向かうことにした。
羊皮紙を受け取り、軽く丸めて鞄に入れると、踵を返して大通りに出る。
一日二食の生活らしいこの世界では、腹時計がお昼以降には役立たずになるらしい。
大体2時か、それを過ぎたぐらいだろう。
そんな昼過ぎの、一日でも一番気温の高い時間帯。
歩けば湿り気を帯びる背中に、吹いてくる風が涼しさを与えてくれる。
騎士団詰所を、見張りのような若手騎士と挨拶を交わしつつ通り過ぎて、大きな壁の傍に立つ。
遠くから見た時にも分かってはいたのだが、近くで見るとその大きさがよく分かる。
門を支え、城を囲んでいる壁は白くて高い。大体5m弱ぐらいはあると思える、まさしくそびえ立つ壁だ。
幅が1mほど、高さが20cmほどの石ブロックを組み上げて作ったらしい丈夫そうな壁だ。
門自体を良く見ようと、鉄の門に近づこうとすると、守衛らしき人に止められた。
人の背丈より長い棒を持って、僕が今以上に門の方に近づくのを阻止してくる。
「止まれ、ここは領主様と王女殿下が居られる御領城だ。怪しい奴を通すわけにはいかない」
「いえ、怪しいものではなく、王女様の依頼を受けてまいりました」
「なに、本当か?」
「はい、ギルドから預かった依頼書がここに」
僕は何処から見ても冒険者だと思うのだけれど、何をもってこの門番は僕を怪しいと言うのだろう。
いや逆に、冒険者風に見える腰の剣がいけないのかもしれない。
怪しいというなら、武装したまま城に押し入ろうとするのは確かに怪しい。
幾ら冒険者でも、お城に参内するときには剣ぐらいは置いた上で、正装でもしていなければならないのだろうか。
この世界の正装なんて分からない僕には、難しい話だ。
僕がギルドからついさっき預かった依頼書を渡すと、門番はその用紙をしげしげと観察し始めた。
羊皮紙にギルドの印と性悪爺さんのサインがあると分かると、急に背筋を伸ばした。
まるで王族に恭しく貢物をするように、依頼書を僕に返してきた。
「大変失礼いたしました、お許しください。どうぞ依頼書をお返しいたします」
「はあ…どうも」
「今すぐ案内の者を呼んで参ります」
門番は、そう言って城の中に走って行った。
それも全力疾走と言わんばかりの勢いだ。
そんなに急がなくても大丈夫なのだけれど。
たかが新米の冒険者に、丁寧すぎる対応だ。
しばらく待っていると、さっき走って行った門番が戻ってきた。
門番の前をどこかで見たような男が颯爽と歩いていたのが、物凄く気になる。
「お待たせした。ここからは私が御案内を務めさせていただく」
「何でここに居るのですか?」
「…何だ、客ってお前だったのか。いやな、俺にも事情があるんだよ」
その男は僕を見るまでは馬鹿丁寧な対応をしていたのに、相手が僕だと分かった途端態度を崩した。
身長は190センチを超える、まさに豪傑といった風格。
髪は赤毛で年は40ぐらい。
通称は団長だ。
僕の目の前に颯爽と現れたのは、誰あろう騎士団の団長、アラン=ギュスターブ殿だった。
傍にいる門番は、まさか僕と団長殿が知り合いだったとは思っていなかったらしく、驚きを顔中に浮かべている。
口をだらしなくあけ、目は大きく開いて、手に持った棒らしきものは今にも手放しそうなほどに危うい。
目の前の団長も、まさかここで僕に会うとは思っていなかったらしく、出会ってから初めて見た、険しく真面目な顔をしている。
僕をじっと見つめて、何かを考えているようだ。
「どんな事情か知りませんが、とりあえず依頼の件で伺ったので、そっちを先に済ませても良いですか?」
「…おぉ、そうだった。そう言えば坊主、まだ名前を聞いてなかったな。俺はアラン。アラン=ギュスターブだ。アキニア王国の第三騎士団で団長を務めている。お前は?」
「いきなりですし、今更な気もしますけど…ハヤテと言います。ハヤテ=ヤマナシ、Iランクの冒険者です」
「冒険者になっても面白いことになるだろうとは思っていたが、まさか支部長に見込まれるほどだったとはなあ…まあ良いハヤテ、こっちだ。ついてこい」
僕を先導するように赤い髪の男が案内をかってでてくれた。
背筋をまるで手に持った棒のように真っ直ぐに伸ばして、門番が見送ってくれる。
あんな性悪ジジイに見込まれても、嬉しさが欠片も無い。
しかし、やはりと言うべきなのだろうが支部長という肩書きは凄いらしい。目の前の大きな城に、騎士の先導付でご案内されている。
城の入口は団長でも悠々と潜れるほど大きな木の扉に、鉄だろうと思われる金属の補強具が付いている。
飾りも豪奢で、しかも扉の脇には彫刻彫りのランプまで掛けてある。
そんな大きな扉を開けていただき、中に入るように促される。
多少の気おくれをしつつも、遠慮なく入らせてもらう。
中に入った僕は驚いた。
城の中は正に豪華絢爛というのがふさわしい様相だった。
入った先はロビーだろうが、天井は遥か上にあり、金色の細工飾りと透き通った宝石のような飾りを、数えられないほど付けたシャンデリアが延びる。
窓にはステンドグラスの、幾何学模様をした鮮やかな色彩があり、目にも優しく部屋の中を華やかに照らしている。
ロビーの大広間の壁は大理石のような綺麗に磨かれた石で覆われていて、しかもその壁には両手をいっぱいに伸ばすよりも大きな絵画が飾られている。絵画は金色の額に入れられ、そこに居るだけで絵の中に吸い込まれてしまいそうな存在感がある。
おまけに床は赤い絨毯が敷いてある。
上に乗るだけでふわりとした感触が伝わってくる。
そんな如何にも金持ちと言わんばかりの部屋に驚いていると、団長が背中をパンと叩いてきた。
意外と痛い。
「おい、呆けていると置いて行くぞ」
「あ、すいません。あまりの凄さについ見とれていました」
「まあ俺も初めて城に来た時は、同じように驚いたけどよ…こっちだ」
叩かれた背中を気にしつつ、団長の背中に付いて行く。
赤毛のアラン殿は、ロビーから廊下に続くドアを開け、さも慣れ親しんだ様子で歩いて行く。
僕もその後を追いかけるが、気を抜くとつい周りを見渡してしまいそうになる。
廊下も幅が広く、下手をすると南北の大通りぐらいの幅があるようにも思える。
歩いていると、一定の間隔ごとに花の飾ってある花瓶やら、西洋甲冑の全身鎧やら、値段が想像すら出来ないような物が飾られている。
「お前、支部長とはどうやって知り合ったんだ?」
「登録に行ったら部屋に呼びつけられたんですよ」
「いきなりか?」
「いきなりです」
アラン団長が歩きながら僕に話しかけてくる。
「なるほど、あの支部長が気に入るぐらいだから、お前はやっぱり面白い奴だったらしいな」
「…どうも」
「なあおい、本気で騎士団に入団してみないか? 今度騎士団の入団試験をやるんだ。お前なら、俺が推薦してやる」
「考えておきますよ」
「よし、わかった。今の言葉、忘れるなよ。がははは、今から楽しみになってきたぜ」
陽気に笑う団長の勧誘を聞き流しながら、僕は城の奥の一室に案内された。
城の入口と違って、あまり華美な装飾のない、実用的ともいえる扉の前。
お城で初めて生活感を覚えるものを見た気がする。
その扉の前に、団長と揃って並び立つ。
――コンコン
団長が、その扉をノックする。
「姫様、先だっての依頼の件でお会いしたいと申す冒険者を連れてまいりました」
団長もそんな丁寧な言葉遣いが出来たのか。
荒っぽい格好にはとても似合わない。
中からドタバタと音がして、それなりの間があった後、可愛げのある声が中から聞こえる。
「入って頂いて」
どう聞いても女性の声だ。
いや、女性と言うより、女の子といった感じの声だ。
いきなりお姫様とご対面なのだろうか。
普通はこういうときには、謁見の間のような所でお偉い大臣的ポジションの人とかの面通しがあるのではないのか。
扉を、壊れ物を扱うような丁寧さで開けた団長と共に、失礼しますと部屋の中に入る。
――そこには、僕の予想外なお姫様が居た。
中世では、王族が自分の領地を持ち、その運営代行を血縁者に任せることも多かったそうです。
その名残が、今のフランスとスペインの国境にあります。
何処のことか、調べてみては如何でしょうか。




