九十九話 事は済んでしまったらしい。
悠はお弁当を食べ終えると、実夏たちと別れ普段より早く教室に戻ることにした。
――今日は、日曜から三日後の水曜日。
そろそろ魔力切れが近く、いやがおうにも彼女は慶二と向き合わなければならない。
ちょっとした心の準備も兼ねて顔を見に来たのだが、肝心の幼馴染の姿が見当たらない。
悠が首を傾ければ、それを見た一香が近寄ってくる。
「悠ちゃん、どうしたの?」
「一香ちゃん? け、慶二知らない?」
丁度いいとばかりに悠が尋ねれば、一香は頭の方へ手をやり考えるようなそぶり。
幸いにも、彼の名前を出した途端、声が上擦ってしまったことには気づかれなかったようだ。
「……あ、そうだ。慶二君なら、C組の女の子たちに呼び出されて体育館裏の方に向かうの見かけたよ~」
思い出したとばかりにぽんと手を叩く一香。
「……どうして?」
慶二に女の子の友達はそう多くない。
別のクラスとなればなおさらである。
だから、C組に知り合いなんていないはず。
そう考えて悠は訝しむのだが――
「あれ、知らない? 慶二君、体育祭のリレーのときかっこよかったからってまたブームが来てるんだよねぇ~」
事情通らしい彼女は軽く説明してくれた。
確かに、あのときの慶二は先駆けとして輝いていたといえる。
失礼な言い方だが――対抗馬である蝶野に女子人気がないのも関係しているかもしれない。
「だから、きっと告白じゃないかな~」
あっけらかんと言う一香。
「告……白……」
「うん、告白」
――気づけば、悠は駆けだしていた。
「ちょ、悠ちゃん!?」
一香の静止も間に合わない。
あっという間に教室を出てしまい、廊下へと踊りだす。
そして、彼女なりの全速力で体育館裏へと向かうことにした。
◆
ここ二日の間、悠は慶二とまともに顔を合わすことが出来なかった。
別に、慶二のことが嫌いになったわけではない。
むしろ、その逆。
どれだけ愛されているのかを理解し、想いを自覚したからこそ、悠は自分が許せなかった。
勇気を振り絞り伝えた好意を拒絶される。
それほど辛いことはないと、彼女は身をもって知っているのだから。
だから、その贖いがしたかった。
そうしなければ、悠は慶二に顔向けができない。
無論、罪の意識だけではない。
ずっと悠を守り続けてきた男の子。
そんな幼馴染に、ゆっくりと歩む自分を待っていてもらうだけではだめなのだ。
何か、女の子として報いなければ。
――慶二に喜んでもらいたい。
そう心に決め、悠は自分なりに勇気を振り絞ろうと決めた。
二日続けて早起きをしたのもそれが理由。
お弁当に自分の手料理を加え、食べてもらう。
見栄えは悪いが彼女なりの自信作である。
とはいえ、喜んでもらえるか不安で仕方ない。
その上、想像するだけでとんでもなく気恥ずかしい。結果として、昼休みは教室から逃げ出してしまった。
勿論、こんな短い間で結果が出るはずがない。
気休めに過ぎない――それどころか自己満足に近いということは彼女もわかっている。
それでも悠なりの一歩である。
だが、皮肉にもほんの少しだけ早くタイムリミットが来てしまった。
外部からの介入。
考えてみれば当たり前の話だ。
慶二という少年は、運動神経に秀でているし頭の出来も悪いというわけではない。
長年ずっと一緒にいた影響で悠は気にしていなかったが、顔立ちも整っている。
ちょっと融通が利かないところはあるけれど、親友のために体を張ることが出来る、第三者から見てもとても素敵な男の子。
実際、一学期の時点で何度か告白されていたのは記憶に新しい。
だから、悠という邪魔者が消えた今、周囲の少女たちが放っておくはずがない。
――今更行って、自分に何が出来るというんだろう?
走りながら悠は自問自答する。
彼女は一度、拒絶を示した。
つまり、もし慶二が見知らぬ少女の告白を受けたとしても、何も文句を言う権利はない。
あのとき自分はこう思っていた――なんて卑怯な後出しじゃんけんに過ぎないのだから。
そもそも、一香が彼を見たというのはいつのことなのだろうか。
悠の足は決して速くない。――というか、鈍足の域。
とっくの昔に告白なんて済んでいて、場を解散している可能性もある。
理性的に考えれば、悠が体育館裏に向かう意味なんて殆どないはずだ。
もうすぐ昼休みも終わるのだから、教室で慶二を待ち受けて何があったか聞けばいい。
だが、悠は足を止めることは出来なかった。
胸の中に湧き上がる、強い想い。
制御不能なそれに突き動かされ、ひたすら彼の姿を探し求めるのだった。
◆
太陽の陰になって薄暗い体育館裏。
ほんの数日前に来たときと変わらず生えっぱなしの雑草の中で、悠は一人佇む少年を発見した。
「……慶二」
今までの葛藤はなんだったのだろう?
悠自身が驚いてしまうほど、彼の名前がすんなりと口をついて出る。
それでも小声であり、耳に届くかは疑問だったが――ぴくりと反応し、慶二は振り返る。
唖然としていた。
悪戯を母親に見咎められた幼子を連想させる表情だ。
「……悠」
彼女に負けず劣らずぼそりと慶二は呟いた。
大柄な彼が、こんなに小さな声で返事をするのは珍しい。
だというのに、悠には不思議なほどしっかりと聞き取ることが出来た。
「告白、されたって聞いて」
途中で言葉がぶつ切りになったのは、走ったことによる息切れだけではない。
口に出した途端、もやもやとしたものが噴き出しそうになったのだ。
そうして、悠は自分を突き動かしていたものをようやく理解した。
これは、嫉妬。
かつて実夏と誰か別の男の子がいるときにも感じたのと同じ。
ドロドロとして、熱く煮えたぎる、マグマにも似た感情の奔流。
すると、慶二は泣きそうな顔で答えた。
「……断った。すげぇ真剣な顔で言われて、断られたら傷つくんだろうなとか今更考えたんだが……やっぱ、それでも無理だった」
そのまま、何処か遠くを見るような瞳をする。
多分、今まで無碍にしてきた少女のことを考えているのだろう。
慶二が今まで平然と女の子の告白を断ることが出来たのは、恋を知らないが故に、その痛みに気づかなかったからだ。
だが、初めて自分が同じような立場になって共感を覚えてしまった。
もしかしたら、同情に近いのかもしれない。
それでも慶二はきっぱりと拒否を示したという。
つまりは――。
「悠、俺はやっぱ――」
「――ストップ」
悠は、手を前に出す仕草をし慶二の言葉を静止した。
彼はいつかみたいに泣きそうな顔。
また拒絶された。
そう面にありありと書いてある。
しかし、今回ばかりは違う。
彼女は何よりもまず、自分の想いを伝えなければならないのだ。
それは、一度拒んでしまった側としての責任。
一方的に伝えてもらって、『ありがとう』では終われない。
だから、悠は慶二に駆け寄り――
「聞いて、慶二。僕は――僕は――」




