九十一話 僕は淫魔だったらしい。
悠は、慶二のいなくなった部屋で一人ぼうっと佇んでいた。
原因は――幼馴染からの告白。
拒絶を示したものの、彼女は決して嫌だったわけではない。
それは戸惑いこそあれど、喜ばしいことだった。
彼女にとって、慶二と一緒にいるのはとても楽しい。
話は弾むし、ツーカーの域だ。
気の置けない仲だからだろうか?
異性となっても、彼の傍にいるのは安心に溢れている。
二人は、十年以上同性の幼馴染として過ごしてきたのだ。
すでに、友人よりも家族に近い間柄。
半ば刷り込みに近い絶大な信頼を抱いているからこそ――親鳥の傍で伸び伸びと雛鳥が遊べるように――悠は慶二の前で無防備な自然体でいられるのである。
だから、あのとき悠は彼の告白を受け入れようと思った。
恋人としてこなすだろう諸々な行動――ただし、中学生がイメージするものとしてもかなり初心――を慶二とするさまを想像しても、全く嫌ではない。
まだまだ女の子としては半人前以下の自分だが、彼ならばそれを受容してゆっくりと歩んでくれるだろう。
あまりにも女の子の思考になりすぎではないかという懸念はあるが、互いにそんな信頼を抱いているというのは自惚れではないはずだ。
だが、悠のそんな心は次の瞬間に打ちのめされてしまっていた。
まだ上手く働かない頭で、悠はその理由を想い返す――。
◆
「悠。俺は、お前のことが好きなんだ」
慶二のあまりにも予想外の言葉に、悠は耳を疑った。
数週間前のリバーシティに出かけたあの日。
彼は自分に対し親友だと言ったではないか。
「それって……」
悠はそう示唆するように呟いた。
「勿論、親友としてじゃない」
それを受け、慶二は首を振りながら否定する。
では、どういうことだろう。
悠には予想もつかない話である。
だが、彼女に疑問について考える暇は与えられない。
何故なら、彼がその答えを指し示してしまった上、その答えがあまりに衝撃的すぎたからだ。
「――一人の女の子として悠のことが好きだ」
慶二の想いの籠った一言。
悠は、その意味を理解するにはほんの少しの時間を要した。
それから少しして、穏やかでぽかぽかした陽だまりのような気持ちが奥底から湧き上がってくる。
――しかし、次の瞬間、そんなものは消し飛んでしまっていた。
一拍おいて、固くつないだ手から莫大な魔力が送り込まれる。
恐らく、彼も狙ってではないだろう。
ただ、情熱が先走ったに過ぎない。
しかし、その魔力は普段彼からもらっているものとは比較にならないほど熱く逞しい。
例えるなら灼熱。
じわじわと暖めるような従来のものとは異なり、荒々しく揺さぶるような熾烈なもの。
一方的に夢魔を――悠を昂ぶらせる、甘い美酒。
供給を受けたばかりにもかかわらず、悠の身体は衝撃に酔いしれ歓喜に打ち震えた。
嬌声を上げなかったのは我慢したからではない。
声を出すことすら出来なかったのである。
あまりに強い刺激に対し、悠が出来たリアクションは身じろぎ一つのみ。
全身が粟立ち、心がとろとろと蕩けてしまいそうになる。
酔っぱらったかのように頭がくらくらするのは気のせいだろうか。
ぽーっと潤む瞳では、目の前の男の子がやけに魅力的に見えて仕方がない。
手だけじゃ我慢出来ない。
もっと強く――それも痛いほど――抱きしめて、胸や太もも、そして唇にも優しく触れて欲しい。
そのまま、勢いに任せて――。
想像しただけで身体の芯が疼き、欲望がじわりと奥底から溢れてくる。
――さっきのような魔力をもう一度味わってみたい。そして、そのまま溺れてしまいたい。
ただでさえ熱に浮かされたようだった悠の頭は、そんな考えに埋め尽くされ、完全に真っ白になってしまっていた。
◆
「……もし、これから女の子として生きるんなら、俺に守らせてほしい」
慶二の誓いで、夢心地だった悠はようやく我に返る。
――彼が必死に言葉を紡ぐ中、自分は今まで何を考えていたのだろう?
彼女は、自分がおかしくなってしまったのではないかと慄いた。
酷く身体が疼く。
先ほどの慶二の魔力は、今まで与えられていたものが児戯に思えてしまうほど濃厚だった。
感覚全てを塗り替えてしまうほど強大な悦楽。
ぞわぞわと内面をこすり上げるようなそれが、切なくて――そして怖くて仕方がない。
ある程度の冷静さを取り戻してなお、愛撫のような先ほどの魔力が欲しくて欲しくて堪らないのだ。
それどころか、燻りはますます激しくなっていく。
彼が口を開く度、魔力が流れてこないか、つい期待してしまう。
狂おしいほど身を焦がす衝動の前に、抗うことが出来ない。
身もだえに耐えながら、混濁した悠が思い至ったのは一つの結論。
自分の抱いている想いは彼の純粋なものとは異なり、ただ魔力を欲しての物ではないか?
実夏と結ばれなかったことで、自分は魔力の供給先のあてがなくなってしまった。
だから魔力をくれる慶二の傍にいたくて、女の子の心へと急速に変化したのではないだろうか。
魔力がなければ生きていけないとはいえ、この身体は魔力量に応じ性別すらも変えてしまうのだ。
心に影響を及ぼすことなど、造作もないはず。
だとしたら、これは恋じゃない。
はしたなくてみっともない、淫魔の欲望。
そんな自分がどうしようもなく浅ましく思えて、悠はとうとう泣き出してしまった。
◆
悠の顔に浮かんでいた嫌悪感は自分に対してのものだった。
もし知られてしまえば軽蔑されてもおかしくない。
そんな恐怖が湧き出てきて、悠は慶二を追い出したのである。
伸ばされた手にすら怯え、泣き続ける悠を見る彼の表情は、苦渋の色が強かった。
恐らく、手ひどく傷つけてしまったのだろう。
しかし、悠にはどうすることも出来なかった。
これからどんな顔をして会えばいいのかすらわからないのだから。
またはらはらと涙が零れ落ちる。
悲しくて、苦しくて――だけど去って行った幼馴染のことが恋しくて。
結局、美楽が呼びに来るまで、悠はずっとベッドの上でうずくまっていた。




