六十七話 今までの我慢が虚しい。
悠が周囲を見渡すと、そこは砂一面の世界だった。
砂漠である。
カンカンと照りつける太陽が恨めしい。
彼女は空を仰ぎ眩しさに目を細めると、慌てて視線を落とし、自分の姿を確認する。
いつの間にか彼女は外套を纏い、杖を手にしていた。
腰などに手をやるのだが、それ以外何も持ち合わせてはいないようだった。
悠は、どうして自分がこんなところにいるのか見当もつかない。
しかし、この場に留まることもできず、ただただ熱砂を練り歩く。
喉がひりつくように熱い。病毒に侵されたかのように思考がぼやけてくる。
渇きのせいだ。
頭上の灼熱が収まる気配はない。それどころか、ますます勢いを増しているようにすら感じられた。
このような煉獄があるだろうか。
苦痛の前に、諦めて立ち止まりそうになる。だが、そうしたところで何もならない。
逃れられるわけもなく、ただ朽ち果てるだけである。
足がとられそうになるのを杖で支え、悠は歩き続ける。その姿は殉教者を思わせた。
――視界の端に、何か輝くものが見えた。
悠は一抹の希望を胸に、自分を奮い立たせた。
「わぁっ……」
思わず漏れたのは感嘆の声。
――彼女の前に現れたのは広大なオアシス。
砂に囲まれながらも、そこだけは緑が生い茂っていた。
疲れも忘れ、駆け寄っていく。
蜃気楼ではない。
ゆらゆらと揺れ続ける陽炎を抜け、中心にある泉へ近づくと無我夢中で喉を潤す。
体中に染みわたる甘露に息をするのも忘れるほどだった。
「ぷはぁ」
満足し一息をついたところで――ようやく悠はこれが夢だと理解した。
◆
昼休みが半分を過ぎたころになってようやく悠は目を覚ました。
倦怠感は嘘のように消えていた。それどころか身体が軽い。
ここ一月ぶりのことである。
――ここどこだろう?
真っ白い清潔なシーツ。
そして独特な消毒液の匂い。
数日前にも似たようなことがあった気がする――と想起し、悠はここが保健室なのだと理解した。
――確か、男の子と理沙ちゃんを庇って……。
そこまで考えて、頭を打ち付けて気を失ったのだと思い至る。
二人は無事だったのだろうか。
悠は慌てて身を起こそうとして、何か太いものを握っていることに気が付いた。
「起きたのならいい加減、離してくれると助かるんだが」
「……慶二?」
困ったような顔をする親友に、悠は首を捻る。
太いものとは慶二の手首であった。
「いきなり掴まれて、ずっとそのままだったんだ。いい加減疲れたぞ」
「あ、うん。ごめん……」
悠は申し訳なさそうな顔をしてぱっと離し――自分の身体に魔力が満ち満ちていることに気づいた。
「……どうして?」
半ば愕然としつつ、悠は呟く。
気絶する前は、むしろ魔力不足で悲鳴を上げていたのに。
悠の身体に、虚空から湧いてくるわけもない。
夢魔の血が目覚めて一月になる。一度たりともそんなことはなかった。
嫌な予感に、どくん、どくんと心臓が強く脈を打ち始める。
自然と隣にいる少年へと視線が向いた。
「多分、お前が掴んでいるときに、だな。……魔力が抜けていく感覚はあったんだが、無理に振り払うわけにもいかなくて」
椅子に腰かけたまま、罰の悪そうな顔。
慶二は
「大丈夫か?」
と悠の方へ手を伸ばそうとする。
起き上がるのを手助けするためのようだ。
が、悠は苛立ちを込めてそれを振り払った。
そのまま、身を起こすと食って掛かる。
「なんで、止めてくれなかったの!?」
「なんでって……最近のお前が体調悪そうだったからな」
悠の怒りの理由がわからないのだろう。
慶二は、少したじろぎながら答える。
いや、わからなくて当然なのだ。
何故なら悠は本当の理由を説明していない。
伝えたのは、ただ体調にいいという漠然としたものだけ。
それに、慶二という少年が病人の手を振り払えるわけがない。
「そんなこと気にしなくていいのに! 慶二のバカッ!」
これは理不尽な八つ当たりに過ぎないのである。
ヒステリックに責めつつも、悠はどこか頭の中で理解していた。
頭に血が上りなんとか発散せねばと吠えたてる自分と、それを冷静に見ているもう一人の自分がいる。
夢との符号からすれば、悠自身が望んで魔力を吸い取ったのだ。
もしかしたら呪歌が発動してしまうかもしれない。
いいや、リハーサルの中でも度々似たような感覚があった。
間違いなく、する。
ネガティブな確信を一度持ってしまった悠の頭の中が、それに埋め尽くされる。
結果として、悠は一体全体どうすればいいのかわからなくなってしまった。
「ふぇ……」
「お、おい」
気絶を理由に大事を取って休むことも出来る。
だが、悠はそれを良しとしなかった。
自分の肉体なのだから、自分が一番よくわかっている。
何の問題もないのである。
志願したのは悠自身。
だというのに仮病を使うことは無責任としか悠には考えられなかった。
「慶二のバカぁ……」
何より、三週間の忍耐が灰燼に帰したのが悲しくて悠は泣き出してしまった。
◆
「ひくっ……」
「……落ち着いたか?」
ぽろぽろと涙を流し続ける幼馴染の頭を撫で続け、収まったのを確認すると慶二は出来る限り優しく声をかける。
悠が女の子になってから、目の前で大泣きされたのは三度目。
一月足らずでこれである。
全く自分には甲斐性というものがないと、慶二は心の中で自嘲する。
「うん……」
嗚咽を漏らしながら、悠は目を伏せた。
「何か困ってるなら、教えてくれ。じゃないとわからない」
苦しんでいる少女を見るのは、自分も辛い。
慶二は少しでも分け合いたくて声をかける。
――視線が交錯した。
彼としては、無理をしてでも聞き出すなどというつもりはない。
もしそれで楽になるのなら。
一緒に対策を講じることが出来るなら。
そんな想いを込めての行動。
慶二を見る悠の瞳には、逡巡の色が窺える。
少女の眼差しが、一瞬だけ逸れた。
そして
「……じゃあ、聞いてくれる?」
悠は語り始めた。




