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第四話

 素人の手当てが嫌になったというわけではないなら、一体どういうことだろう。今は人の姿でも本性は青い鳥だし、シャツの下の肌色が違っていたりするのだろうか。


 首を傾げる私に観念したように、オルニスはシャツのボタンに手をかけた。


 少し心配していたのだが、シャツの下に隠れていたオルニスの肌は、色といい質感といい、ちゃんと人間のものだった。


 同時に、庇われたときに感じた固さに納得する。常日頃から鍛えているのだろう。見た目細いと思っていたが、しっかりと筋肉がついている。


 そして、私に肌を見せるのを渋った理由を、何となく察した。


 オルニスの身体には、大小様々な傷跡が多く刻まれていた。一際目立つのは、ぱっと見でも重傷だったとわかる、胸のあたりから脇腹にかけての傷だ。


 これは確かに令嬢には刺激が強い。オルニスが身体を見せるのを躊躇ったのが、私に配慮したからだとわかると、すごく申し訳ない気分になった。


 ……オルニスに全く優しくない私には、そんなに気を遣われる理由がないのに。


「あの、やっぱり背中は自分で、」

「やれないでしょう」


 どう考えても、背中の手当てなんて一人でできるものではない。


 珍しく不安げな声のオルニスの言葉を遮り、後ろを向かせる。


 やはりどういう経緯でついた傷なのかは気になるが、立ち入ったことを聞かない方が無難だろう。


 だから、あえて古傷を見て見ぬふりをして、先程の打撃による怪我の調子を見る。


 といっても本が当たった場所あたりが赤くなっているくらいだ。救急箱から取り出した軟膏を塗り、上から包帯を巻いていく。


「……よし。こんな感じかしらね」


 手際が良いとは言えないが、手順に詰まることもなく、無事に手当てを終えられた。……家令に一人でできると宣言した手前、力を借りる事態にならないで本当に良かった。


 あとは頭を冷やすものを、と考えていたところ、熱烈な視線を感じた。


 正体を確認すると、オルニスが、何だか妙にきらきらした目で私を見てくる。


「ルーツィエ殿……」


 陶酔じみた声色で名を呼ばれ、思わず距離をとってしまった。


「? どうかしましたか?」

「いえ、その、ちょっとした本能というか」


 ……接近されると、また理不尽な対応をしそうというか。


 もごもごと言った一部が聞こえなかったようで、オルニスは「本能?」と不可解そうに首を傾げている。


「何でもないわ。……怪我、大丈夫?」


 訊いて暫く、オルニスは言葉の真意を伺うように沈黙していた。やがて「あっ」と何かに気付いたような素振りを見せる。


「もしかして、心配してくれてますか!? ルーツィエ殿が!?」

「……オルニスは、私が何を言われても傷つかない人間だと思っているのかしら」


 もう少しだけで良いから、オルニスには言い方を考えてほしい。


 そんな思いを飲み込んで、話の軌道を修正する。


「だって、私のせいでしょう、その怪我」


 この台詞にオルニスはきょとんとし、


「俺は良いんですよ、ルーツィエ殿より余程丈夫ですし! それよりも、ルーツィエ殿が怪我をした方が問題ですから!」


 気遣う言葉をかけてくれた。


 が、やはり心配くらいはする。というよりも、責任を感じている。私が素直に本を取ってほしいと頼んでいれば、そもそもオルニスは怪我をしなかっただろうし。もっと言えば、あまり手慣れていない私よりも、家令に手当てさせた方が良かったとも思う。


「……ごめんなさい。わがままに付き合わせてばっかりで」


 ここまでわがままが重なると、猛省しなければという気になる。


「今更どうしたんですか? ルーツィエ殿のわがままなんていつものことでしょう!」

「うっ」


 オルニスの言葉は本当に鋭い。それにばっさりと切り捨てられた私が目に見えて落ち込むと、オルニスは慌てたような声を出した。


「いえ、それが悪いとかではなく! 俺は、ルーツィエ殿のわがままなら何でも聞きますから」


 機嫌を伺うような言葉だが、今まで共に過ごしてきた時間を考えれば、それが嘘ではないとわかる。


 ――だからこそ、前からあった違和感が膨らんでいく。


「……ねえ、オルニス。私って一応契約主なのよね?」

「? はい! ルーツィエ殿が雑ですけど儀式をして、一応俺が応えた形になりますから!」


 唐突過ぎる質問に一瞬訝しむ表情をしながらも、オルニスが頷く。


「じゃあ、悪魔って皆オルニスみたいなの?」

「俺みたい?」

「物好きというか、契約主に甘いというか」


 元々、オルニスが私の側にいるのは、私の嫌いな奴をどうにかするためなのだ。懐いているのを良いことに、これまで従者どころか下僕みたいな扱いをしてしまったが、本来ならオルニスはそんなことをしなくて良い環境の筈。


 それなのに私に優しいのは、そもそも悪魔の特性か、オルニスの性分か。


 そんなに間違ったことは言ってないと思うのだが、オルニスの反応はそんなにぱっとしない。


「確かに、俺が物好きなのは認めますが……」


 何故だろう、自分で言い出した単語だけど、肯定されると辛い。


「悪魔が皆こうかと言われると、全くそんなことはないですね! というか、俺自身、ここまでするのはルーツィエ殿だけですし!」

「……は?」


 ここで、種族の特性でもこの男自身の性分でもないことが判明した。


「まあ、何の願いもなく喚ばれたのが初めてですけど、他の奴だったら早いとこ殺して引き上げてます!」


 ……なんか今物騒な単語が聞こえた気がする。文脈から察するに私は例外と言いたいのだろうけど、例外ではない場合を考えたらぞっとした。


 今更だけど、悪魔召喚なんて軽々しくやるもんじゃなかった。


「あのー、ルーツィエ殿。何か勘違いしてませんか?」


 黙り込む私をどう思ったか、オルニスが距離を詰め、顔を覗き込んできた。


「っだから、近……!」

「俺は、契約主だからではなく、ルーツィエ殿だから従っているんです」


 い、と言い切る前に被せられた台詞の意味を考える。


 ……うん、さっぱりがわからない。いや、言葉の意味はわかるけどそうではなく。


 私がオルニスの言いたいことを何も理解してないと悟ったか、オルニスがもどかしげに言葉を紡ぐ。


「ですから! 俺は、ルーツィエ殿が特別だと言ってるんです!」

「え、あ、ありがとう?」


 この距離でそんなことを言われると、そういう意味ではないとわかっていても照れてしまう。こんなことで動揺してはいけないと思ったのに、少しどもってしまった。


「でも、私何かしたかしら」

「何かというか、今俺がこうして生きてるのはルーツィエ殿のおかげなんです!」


 微妙に苛ついた表情のまま続けられた言葉に、やっぱり照れたりどもったりする必要はなかったと確信する。


「私のおかげ?」

「はい。俺、一度だけ……たった一度だけなんですが、ルーツィエ殿に命を救われたことがあるんです」


 いつものうるさいまでの大声を潜め、オルニスは淡々と話し出した。


「昔、うっかり人間界に迷い込んだことがありまして。ふらふらしてたんですが、その内に猫に狩られそうになったんです。……いや、実際狩られて死にかけてたんですが」

「その瀕死のオルニスを助けたのが、私ということ?」


 こくりとオルニスが頷く。


 ……悪いが全く記憶にない。こんな図体のでかい男、出会っていたら覚えていそうなものだが。


 オルニスを凝視して記憶を呼び覚まそうとする私に、オルニスが補足する。


「俺はそのとき小鳥の姿だったんです。覚えてませんか?」


 そこまで言われて、思い出したのは幼い頃の記憶だ。


 それは、当時身体が弱くベッドにいることが多かった私が、寝室を抜け出したときのこと。こっそり出た庭先で、死にかけた鳥を見つけたのだ。


 最初は生きてるか死んでるかわからなかった。怖々と近づいて、生きていると気づいて。


 見殺しにできなかったのは、多分当時の私がわりかし死に近かったからだと思う。


 私自身長生きはできないと告げられたが、死にたいわけではなかった。それはこの鳥もそうなのだろうなと漠然と思ったのだ。


 だから、抜け出したことへの説教は当然覚悟して、メイドに相談しに行った。最終的に医者に持っていって治療してもらい、その小鳥は一命をとりとめた。怪我が癒えたら野生に還すという条件で屋敷で引き取り、その間私が餌をやったりと面倒を見た。結局、その鳥はいつの間にか出ていってしまったけど。


 よくよく思い返してみれば、あの鳥は青かったような。


 オルニスを……正しくは、オルニスの頭を見詰める。この悪魔の本来の見た目は、鳥と人を折衷した感じだった筈だ。そして、羽毛の色は、髪と同じ青だったと記憶している。


「もしかして、あのときの青い鳥って……」

「俺です!」


 オルニスが即答した。


 次いで、脇腹にある抉られたような傷痕を指差す。


「ルーツィエ殿がさっきじっと見ていたこの古傷も、恥ずかしながらそのとき猫につけられたものでして……」


 最初見たときから重傷だとは思っていたが、まさか私が関係しているものとは。……というか、気づいていたのか、傷を見ていたの。


「……。他の傷は違うのね」

「はい。他のは悪魔としての格を上げるときにちょっとやらかした奴ですね」


 流れで踏み込んだことを訊いてしまったが、オルニスはさらっと教えてくれた。


「ところで、オルニス。ちょっと近くない?」

「あ、すみません」


 私の文句を受け、オルニスはすぐに顔を離し、


「まあそんなわけで、俺を喚んだのがルーツィエ殿だとわかったとき、絶対に役に立とうと思ったんです。……役に立つと言っても、俺には、ルーツィエ殿の嫌なものを排除することしかできませんが」


 一瞬苦い顔をしたオルニスだったが、すぐに「ですが!」と言葉を継ぐ。


「俺がルーツィエ殿のことを思ってるのは本当ですので!」


 ……わざとか。この男はわざと私を勘違いさせたいのか!


「ルーツィエ殿、どうかしましたか? 何だか顔が赤、」

「赤くない」


 そして私の変化によく気づく。ついでに言わなくて良いこともすぐ口に出す。


「え、ですが」

「大丈夫。大丈夫だからそれ以上顔寄せてこないで」


 どうにかして顔を覗き込もうとするオルニスを物理的に手で阻みつつ、何だか馬鹿らしくなって、大きなため息を漏らす。オルニスが意図して言ったわけではないのも、恋愛的な意味ではないのもわかっているのに、こうまで振り回される自分が本当に救えない。


 しかし、これではっきりした。


 特別は特別でも、オルニスが私を“好き”なのは命の恩人だから。


 ずっと引っ掛かっていたオルニスの言動の理由がわかってほっとする一方、小さな棘がちくりと胸を刺す。


 ……あれ。


 それが妙に残念だと思うのは、どうしてだろう?

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